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箱崎は九州大学にとって「地元」なのか
秋学期の安立ゼミでは、学生の「地元」意識調査班と、九州大学のある箱崎の町を探求する班とに分かれて、ゼミを進めています。いままさに箱崎からの移転が真っ最中です。はたして箱崎は九州大学にとっての「地元」だったのだろうか。かつては「地元」だったのに、いつからか疎遠になったとしたら、いつからそうなったのだろうか、これからの箱崎のまちづくは、どうなっていくのだろうか。そんなことを問題意識にして、学生たちは箱崎の町をフィールドワークしています。
12月14日には、箱崎で学生時代を過ごされた柴田篤名誉教授をお招きして、かつての箱崎の町と学生の生活についてお話ししていただきました。空からみた写真だと、かつての箱崎が、農地であったこと、そして米軍板付基地がすぐそばにあって、九州大学の上が飛行機の進入路になっていたことなどが、よく分かります。そしてこの進入路から米軍のファントム戦闘機が九州大学のキャンパスに墜落して、学生運動が燃えさかったのです。


柴田先生は箱崎に住み、その変遷を眺めてこられました。また、大学もひとつの町なのだとおっしゃいました。学生たちも聞き入っていました。航空写真をみると、九州大学が航空機の空港への進入経路の真上にあることが、よく分かります。

来福されたフランス文学者の野崎歓さんを門司港レトロ地区にご案内しました。そのおりに、修復・復興なった料亭・三宜楼を見学しました。ここは門司港が九州の大玄関口として隆盛をきわめていたころに建築された大料亭です。ながらく無住となって取り壊しの話もありましたが、地元の有志や企業の協力で修復され、一般にも公開されるようになりました。現在、内部はボランティアの方々に、案内・説明していただけます。ここはじつに興味深い建築です。いろいろと驚きのしかけも満載です(説明してもらわないとちょっと分からないです)。3階にのぼると関門海峡や下関も一望できます。北九州に来られたら、ぜひ一足のばして門司港へどうぞ。


門司港レトロ地区の丘の上にそびえ立つ威風堂々の料亭です

古川ロッパはじめ、有名人も、みなやって来たようです。内部の意匠も凝りに凝っていますね。

 

 

小倉駅近くの「秘密基地」というカフェで行われた野崎歓さんの講演、「文学の国、フランスへのお誘い」(11月23日)は、今年のフランス大統領選のエピソードから始まりました。マリーヌ・ルペンとエマニュエル・マクロンとの直接対決に決着をもたらしたものは、意外なことに「文学」だった、というサプライズ。ルペンのトランプ的な論理に「ペルランパンパン」という17世紀の単語で反撃したマクロン、他方「文学」をまるで理解できなかったルペン。マクロンに勝利をもたらしたものこそフランス文学だったという実に意外な観点から、いまだにフランスが文学の国であることを説かれました。なるほど、そうだったのか!、と一驚でした。そもそもフランスという国家やフランス語は17世紀に出来上がったもの。英語よりフランス語が高級で優勢で、ヴェルサイユ宮殿を造ったルイ14世のころから、「宮廷」のコトバ、フランス語がヨーロッパ各国の宮廷を席巻していったという歴史も、なるほどそうだったのか! とひざを打ちたくなるほど。だめ押しとして、トルストイやドストエフスキーもフランス語でバルザックを読んでいた、などとなると、もうびっくり仰天ですね。

翌日の「フランス文学と愛」(11月24日)は、ごく少数のフランス語およびフランス文学愛好者だけの小さな会でしたが、こちらの講演もじつに楽しく、じつに考えさせる内容でした。フランスでないフランス語圏、スイスのジュネーブからやってきたルソーが、フランス思想界やフランス文学界を「なぎ倒して」席巻してしまったさまを、じつに楽しいユーモアで包んで話されました。ルソーこそ「回想録」でない「自伝」文学の創始者だったこと、はじめて「子ども時代」が人間形成のうえで重要であること主張したこと、それにも関わらずみずからの子どもはすべて孤児院に送ってしまったという矛盾、さらに年上の人妻との「アムール」というフランス文学界の大伝統をつくったこと。以後のスタンダールもバルザックも、ロブ・グリエにいたるまで、「ルソーになぎ倒された世代」であること。スタンダールの「赤と黒」にもバルザックの「谷間の百合」にも、みんな「ルソー印」がついていること、などなど、実に楽しく巧みに、しかし「なるほど、そうだったのか!」と手を打ちたくなるほどの創見にみちたお話しでした。そして極めつけは20歳以上の年の差ある「マクロン大統領」の奥さんと文学好き。そして最後に「サプライズの隠し球」として「ミッテラン大統領」の愛人と隠し子事件。その当事者が、ついにミッテランとの手紙のやりとりを大冊にして出版したこと。ここにも脈々とフランス文学の伝統が息づいているのだというお話しでした。そして、だれでもフランス人になれる、だれでもフランス文学に参加できる、そういう開かれた「共和国」の理念の大切さについても語られました。テロリズムに襲われたフランスだからこそでしょうね。


北九州市の「秘密基地

福岡・箱崎の「ブックス・キューブリック箱崎店」

ブレイディみかこさんの講演「英国の今、そして日本は」(福岡ユネスコ協会主催、エルガーラ)が開催されました。会場は120名以上の参加者で満員でした。講演はEUからの英国のブレグジットがいかにして起こったのか、今後の英国の政治経済はどうなるか、といった硬派の内容でした。地元、修猷館のご出身とあって、同窓生もたくさん来られていたようです。講演の後半は、私が質問者になって、英国の保育のどこが良いのか、保育の日英比較、そしてEUの将来などについて、うかがいました。


学生たちもたくさん参加してくれました。懇親会はイタリア会館で行われ、これも盛況でした

研究会のメンバーや学生とともに、熊本学園大学を訪問し、昨年の熊本地震のさいに特筆されるべき「熊本学園モデルの避難所」を運営された花田昌宣先生や黒木邦弘先生に、その運営方針や理念などについてお話をうかがいました。その後、ボランティアで活躍している学生さんやボランティアセンターの方々にも、じっくりとお話しをうかがうことができました。熊本学園大学、がんばっていますね。


昨日は、九州南部の大雨の直後でしたのでちょっと心配でしたが、学生11名とともにゼミのフィールドワークで熊本県水俣市社会福祉協議会を訪問し、地域福祉活動コーディネーターの田代久子さんから、熊本地震での社会福祉協議会間の支援活動についてお話しをうかがいました。午後には、水俣市の地域福祉・ふれあいサロン、地域リビングなどの活動に参加させていただき、90歳を超える方々のお話しをうかがいました。さらに水俣病資料館でも副館長さんから濃密なレクチャーをうけました。大学からバスの乗車時間だけでも往復7時間の長旅でしたが、充実した一日でした。


ウェブマガジン「シノドス」に拙稿が掲載されました。
「グローバル資本主義の中の「非営利」――「バーチャル政府」の意外な可能性」です。
ご覧いただければ幸いです。
http://synodos.jp/welfare/19863


あっというまにしばらく前のことになってしまいましたが、5月25日、九州大学文学部社会学研究室では、4月から進学してきた14名の新2年生の歓迎会をしました。社会学研究室は、3,4年生もそれぞれ16名、それに留学生や大学院生をいれると、50名以上の大所帯なので、生協の食堂を借り切って新歓コンパを行いました。みんな元気ではりきっています。


正確には20年と半年ぶりでしょうか。この日本社会事業大学(清瀬キャンパス)を離れて、九州大学に赴任したのが、1996年10月でしたから。
それ以来となります。なんだか懐かしいなぁ。でも、ほとんど変わっていないなぁ。しかし、やっぱり20年の年月が経っているのだなぁ。木々が一段と大きく野性味を帯びています。珍しいゴマダラチョウなどが輪舞しています。真夏にはもっと野生の世界になるのでしょうね。そして、日曜の午後など、ほとんど学生も人影もなくなって、しーんと静かになるところも、20年前と変わりません。隣接する土地に、巨大な新しい国立東京病院が建っているのにも、びっくりしました。このあたりは病院地区ということで、救世軍の病院など、たくさんの病院群があります。かつての結核療養所の跡地だからでしょうか。20年前までは、花小金井の官舎からクルマで通っていたから、清瀬駅にはほとんど縁が無かったのですが、今回、関西学院大学の白波瀬達也さんから、清瀬にはディープな時計屋さんがあるとか、いろいろと教えられました。また来る機会があったら、この清瀬界隈を探検したい。ジブリの宮崎駿さんが、もののけ姫でテーマにした「国立療養所多磨全生園」もこの近くのはずです。


先週、福祉社会学会大会が開かれた「日本社会事業大学」は、現在は清瀬の土地にありますが、20数年前までは都心の原宿にありました。そして、私が初めて勤めた大学、20年前まで勤めていた大学です。大学院をおえて初めて就職したこの大学は、当時、原宿の竹下通りを下ったところにある不思議な大学でした。それは「日本一小さな」(何しろ一学年百数十人のみ)「国設民営」(国の土地建物だが運営は私学法人)の「ソーシャルワークの単科大学」という不思議な存在でした。そもそも原宿のキャンパス建物じたいが「海軍の博物館」だったものを大学にしたのです。GHQが接収して、二度とファシズムが勃興しないよう、日本政府に社会福祉を教える大学の設立を命じたものだと言われています。文部省はそれを断わったので、旧厚労省がやむなく引き受けたといわれています。当時から、社会福祉と文科省とは、そりがあわなかったのですね。私の研究室は、中二階にあり、古地図をみると「東郷元帥遺品室」とありました。遺品の陳列室だったのです。入り口の空間には、零戦が展示されてあったともいいます。魚雷の模型も、くちはててすみにおしやられていました。極めつけは、いざというとき、この博物館の地下から、秘密の通路が明治神宮までほられている、というものでした。ほかにも、旧海軍の宝物が隠されているはずだとか、いろいろな噂(というか都市伝説?)がありました。(余談ながら、この秘密通路は、後にじっさいにあったことが証明されました)。なつかしいなぁ。その後、中曽根民活で、都心の一等地ということで売却され、この原宿キャンパスは、いまや跡形も無く、セコムかなにかの巨大なビルに建て変わってしまいました。隣接していた「東郷女子学生会館」も消滅してしまいました。猫がたくさんいる、都会のオアシスだったのですが。いまは昔となりました。


九州大学社会学の安立ゼミに、NPO法人・宮崎文化本舗の井上優さんにゲスト・ティーチャーとして来ていただき、宮崎県・県社協・NPOとの連携による熊本地震被災地への支援について、熱く語っていただきました。学生たちも、いろいろと質問しました。


新学期、ひさしぶりの伊都キャンパスでの講義・基幹教育科目「社会学入門」を担当することになりました。初回には400人超がつめかけたので、エントリーシートを書いてもらって200人に。私は大人数の講義も大好きなのです。とくに新入生へ向けた講義は、何か空気が違っていて、わくわく、どきどきしますね。全学部から学生が来るので、じつに多様な学生たちで、とてもやりがいがあります。昨日は、スライドを準備しすぎて時間が足りなくなってしまいました。毎回、感想文を出してもらっているのですが、これがまた、じつに面白いのです。


きょうは、九州大学・伊都キャンパスでの、新1年生のための「社会学入門」の授業の初回でした。割り当てられたのが200人の大教室だったので、何人くるかわからず、ちょっと、どきどきしながら教室に行きました。大教室に学生ぱらぱらだったら、ちょっとがっかりだな……。でも、行ってみると、私が教室に入っていけないくらい学生が来てくれていました。教室のキャパをはるかにこえて400人以上の受講生がつめかけていました。座席は満席のうえ、通路や壁際にも学生があふれていました。教壇横にも学生がすわりこむというのは、九州大学に赴任して21年になりますが、初めての経験でした。うれしいなぁ……でもちょっと残念だなぁ、教室のキャパシティの関係で、受講生を絞り込まないといけないから。
約40分ほどパワーポイントを使って今学期の授業の概要と計画を話しました。そのあと感想と自己紹介を書いて提出してもらって授業を終えました。そのあと、それを読んで、受講生を絞りこむことになりました。400枚以上の感想文を、ティーチングアシスタントとともに、二人でダブルチェックしながら、2時間半かけて、全部読みました。どれも力作(?)ぞろいなので、読むのに時間がかかりました。けっこう苦労して絞り込み半数以下の200名に受講許可決定をしました。明日、学生掲示板に掲示されるはずです。せっかく入試を突破したあと、再び受験させたみたいで申し訳ないかんじです。あすは「合格発表後の合格発表」みたいな感じになると思います。なんだかもったいない話ですね。
何で、こんなに受講生が殺到したのか。理由は、ほぼ推測できます。1年生の選択必修科目の中では、水曜日の午後という、受講しやすい時間帯。それに、法学や政治学、経済学や理科系科目にくらべて、何となくゆるくて何でもありのイメージの「社会学入門」。加えて、私の書いた講義概要に、現代社会を考える、少子・高齢化や「家族」の困難、「地方消滅」などをテーマにする。そして、おそらく決定打が、グローバル化の中でのテロリズムやテロとの戦いを考えるための材料として映画「ゴジラ」や「シン・ゴジラ」「エヴァンゲリオン」や「風の谷のナウシカ」を取り上げる、と書いたからでしょう。おそらくそうなんですが、こちらは、まじめに深く取り上げるつもりなのです。準備はもう何ヶ月も前からしてきました。パワーポイントは毎回50枚くらい用意します。大教室での授業には全力投球します。授業は楽しく面白いものにしたい。なにより、久しぶりに講義することが、私にとって、とても楽しみなのです。こちらがわくわくしながら講義するのです。
全15回の講義を1回でも欠かすのがもったいなくて、休講も試験もしません。全回すべて講義させてもらいます。成績評価は、出席と毎回提出してもらう感想文です。これでほぼ間違いなく成績評価できます。感想文は、まるでライブの反応をみるようで、どきどきものです。ときどき、真剣勝負でけんかをふっかけてくる学生が出てきます。今日も、ひとりいました。こういう学生はみどころがあります。きっと伸びていきます。間違いありません。
今日も初回なのに、たった40分だけの授業をきいた受講生の感想文が、はんぱなかったです。A4用紙を配布したのですが、びっちりと書き込んできます。これを読むのは、とても大変ですが、とても大きな楽しみでもあります。次回から半分以下の200人に絞り込むのは申し訳ないことですが、おおいに楽しみです。


福岡の桜も、散りつつあります

例年よりおくれて福岡城の桜が満開になりつつあります。一昨日の夜、家族で「福岡さくら祭」の夜桜ライトアップに行ってきました。福岡城の城内にあった「黒田如水御鷹屋敷跡」です。ここは普段は午後5時に閉門されるところですが、この時期、有料で夜桜ライトアップがされています。初めてでしたが、これは幻想的で素晴らしい!


帰国して久しぶりに大濠公園に行きました。中国人や韓国人の団体客でたいへんな賑わいです。さて、福岡城近くの黒田如水隠居跡の桜は、どうでしょうか。いつも、ソメイヨシノよりも早く咲き始めるのですが…咲いていました。満開です。福岡の桜は今年はおそく、ソメイヨシノはようやく咲き始めですが、薄墨桜はほぼ満開、滝桜もほぼ満開状態になっています。


フクシマから来た滝桜

岐阜の根尾谷からきた薄墨桜

さて、学生たちは、このような砂漠地帯で、どうして暮らしているのだろう。学食はないわけではないが高くてまずいと言う。日本館にはそもそも学食もない。朝食からふくめて、食事は、いっさい自分でなんとかしなければならないのだ。そこで、みんなどのような自炊しているのだろうか。推測するほかはない。で工夫する。
そこで、私も、ほぼ朝食と夕食は自炊になってしまった。そもそも一日出ていて、疲れて帰ってきて、その後で、さぁ一人で外食だ、という気には到底ならない。
さて、大河ドラマ「真田丸」で今や時代の寵児となった堺雅人が主演した「南極料理人」という変な映画があったのをご存じだろうか。南極越冬隊の料理人が堺雅人なのだが、隊員たちは、次第に「ラーメンが食べたい」というオブセッションに支配され、半ば狂っていくというお話しだった。日本人にとっての追いつめられると狂うほどのソウル・フードが「ラーメン」だということを、南極越冬隊が、真に迫って主張していた。極限に追いつめられると、人間の食への欲望が、ラディカルに現れてくる。この映画では、それは「ラーメン」なのだと主張していた。そうかな、と疑問符をつける人もいるだろう。映画だから単純化しているのかもしれない。私も、追いつめられて、さいごにたどり着くのが「ラーメン」かどうか。そうではないような気がする。でも、日本を離れるとラーメンを食べたい気持ちは、よく分かる。パリに来ると、「蕎麦」や「うどん」では物足りないのだ。今回、ごはんや納豆や蕎麦を持ってきてみて、よく分かった。なんだかぴんとこないのですね。この、こってりしたヨーロッパの風土では物足りない。
で、パリ国際大学都市で、ラーメンを作ることになる。日本でも週に一回くらいは作るが、私の好みが「豚こつ」でも「こってり」でもなく、中華風のあっさりしたものだから、自分でつくる。前回のパリ国際大学都市滞在中に思いついて独自に工夫・開発して、その後、日本でも改良と研鑽を重ね、今回にいたっている(ちょっとほらが入っている)。
作り方ですが、まず、スーパーで「中華めん」を入手する。近くのスーパー(Framprix)で「AYAM」なる麺を入手しているが、これは、日本で買う中華麺より少し劣るが仕方ない。日本のいわゆる縮れた「ラー麺」を私はあまり好まない。ストレートな中華麺のほうが良い。麺とスープは別々につくる。スープは前回は「マギーブイヨン」のチキンコンソメなどを応用して使ったが、今回は日本から中華スープの素「シャンタン」を持参した。これに醤油をすこし追加する。これで、私的に、日本のラーメンよりもラーメンらしいものが出来上がる。しかもあわせてたった3分。これでわれながらおいしい。おそらく各国からの留学生たちも、いろいろと苦労して自炊していることと思います。
この巨大なパリ国際大学都市の周辺が、フランス料理や外食の砂漠地帯であることを思うと、あらためて人類の食文化の不思議さと奥深さに思いをいたさざるを得ません。


パリ国際大学都市の夜明け、八重桜が満開に

パリ大学ナンテール校を訪問しました。ナンテールはパリ大学の社会学部があるところですね。1968年の「パリ五月革命」の時には、パリ大学の中でも社会学部はそのひとつの拠点となったところです。ダニエル・コーン・バンディという学生がリーダーになっていました。パリ市内ではなく郊外の大学都市なので、なかなか訪問する機会がなかったのですが、ぜひ一度は訪ねてみたかったところでした。
「パリ五月革命」というのは、いったい、何だったのだろう。ナンテール校にそんな歴史があることを知る学生は、どのくらいいるのでしょう。当時、アメリカではベトナム反戦、シビル・ライツ・ムーブメント、チェコでは「プラハの春」、日本では全共闘、中国では文化大革命、など、世界同時的に、学生の反乱というものが沸き立っていたのです。中でもパリの五月革命は、反ドゴールの全国ストライキなどが起こって大きな社会動乱となりました。サルトルらが学生支持して「パリ・コミューン以来の革命の可能性もあった」などというほど騒然としたものだったのです。
さて、ナンテールには、1968年の雰囲気はすでにどこにもありません。都心のパリ大学とは全然ちがって建物自体がどこか機能主義風の近代的な建物。院生に聞くと「パリの中でいちばんアメリカ風」なのだそうです。社会学の建物だけでなく、「マックス・ヴェーバー館」なんていうのもあって、D.H.ロレンス学会などをやっていました。でも、学内のポスターや張り紙は、ばりばりの「サヨク」風。マルクスの絵もいたるところにあって、このグローバル資本主義の時代とは、明らかに違う空気もあります。さすがフランス。でも近づいている大統領選は、いったいどうなるんだろう。トランプ現象と同じことが起こってしまうのではないかと、みんな心配顔。
ナンテール周辺は、ちょっと治安も良くないとききました。テロのあったサン・ドニといい、パリ郊外は、いろいろと問題含みですね。


パリ大学・ナンテール校、総合的な学部構成だとききました。この広いキャンパスに、日本人留学生はなんと5人しかいないとか・・・

社会学部の教室などをのぞきました。「社会学」らしいポスターやコロック、落書きなどが

ナンテールはぽかぽかした春爛漫の陽気で、学生たちが芝生でなごんでいました。日本の新歓みたいな雰囲気ですね。

パリというと豪華絢爛なフランス料理のイメージではないでしょうか。最近だと懐石料理のようなヌーヴェル・キュイジーヌのイメージもあるかもしれません。たしかにパリ中心部の観光地はそうかれしれないです。また短期の旅行客にとっては豪華なレストランに行くのかもしれませんが、一歩、郊外にでたり、国際大学都市の近くを歩くと、オシャレなフランス料理店など、まず見当たらない。そもそもレストランなるものは高級すぎて学生がいくところではない(私も)。住宅地には(というかフランスには)コンビニもない。スーパーはあるが日曜は完全に休み。朝は遅く夜も早じまい。おまけに手軽な軽食やテイクアウトもほとんどないのだ(パリ国際大学都市周辺にはケバブ店くらい)。この国際大学都市は世界からの留学生や研究者がたくさん集まって生活しているわけだから、相当なマーケットがあるはずなのに、そうはならない。これはじつに不思議なことだ。「美食の都」のはずなのだが、実際に暮らしてみるとそうではない。ミシュランに代表されるように、最高峰は、たしかに世界の最高峰かもしれない。しかし、最高級の食と、普段の食との落差が、けたはずれに大きいのだ。日本人からみると「普通」の食事のレベルは、じつは日本にはるかに及ばないのではないか。これまた、不思議な大きな謎である。だから、普通やそれより下の食事のレベルこそが問題な私のような人間にとっては、ここは、なんだかひどい砂漠のようにも感じられる。


サンミッシェルにてクスクス料理を食す