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伊都キャンパスに引っ越してから初めての文学部社会学科4年生の「卒論題目検討会」がありました。いよいよ各自の卒論題目も決定し、1月10日の卒論提出に向けて4年生はラストスパートですね。題目について皆さんいろいろと迷っているところもありました。教員もそれぞれに意見をだして、この時期の「卒論題目検討会」は、毎回、盛り上がります。
さて、今度の新キャンパス、敷地や建物は広大になったのですが、どうも教室の使い勝手がよろしくないです。すぐに気づくのは、黒板と教壇との間がとても狭いこと。なんだかとても圧迫感があって授業しにくい。今回、「卒論題目検討会」があった「コミュニティ・ラーニング・スペース」は、なんとガラス張り。開放的でいいんですが、ブラインドが整備されてないので夕方になると西陽が直射してきてまぶしくていられない。


ハワイ大学や東南アジアの大学の研究者たちが来福されて、九州大学西新プラザにて「“Incorporating Southeast Asian Perspectives in Japanese Studies” Project Fukuoka Workshop」が開催されました。私も27日のセッションには朝から参加して、午後のセッションにて報告をしました。演題は、 “Pros and Cons: Controversial New Suggestions and Agendas on Migrant Care Workers” でした。ひさしぶりの英語での報告なので、ちょっと緊張しました。


九州大学・箱崎理系キャンパスの食堂前にある「ナンジャモンジャ」が満開のピークを迎えています。驚くほど見事な満開です。そして、これまた悲しいことですが、九州大学の移転にともなって、このナンジャモンジャも、今回が最後の艶姿ということになると思います。


 

 

一番大きい教室を割り当てられたので入念に準備をしていった授業。昨年は2階席まで学生があふれるくらいの学生が来てくれました。今年もと意気込んでいくと、なんと、昨年の四分の一くらいに激減してしまいました。シラバスをまじめに書かなかったからなのか、時間帯がひとつずれたせいなのか、昨年は話題を山盛りにしすぎたためか、毎週コメントを書いてもらったりしたせいなのか、はたまた……いずれにせよ、ほろ苦い新学期の第一回になりました。でも、出席してくれた学生の感想文はどれも好意的でした(批判的なコメントも若干ありましたが)。中には驚くような深いコメントや意見もあって大いに勇気づけられ、励まされました。授業は、ライブと同じ。出席者の反応によって、授業のノリや出来や意気込みも様々に影響されるものです。
さて、箱崎のクラシックな大講義室で授業するのも、移転にともなって、これが最後の機会かと思うと、ちょっと感慨深いものがありました。


伊都キャンパスから新2年生が、文学部・社会学・地域福祉社会学講座に進学してきました。伊都と箱崎と、二つのキャンパスに別れているのも、今回かぎり。来年からは、伊都キャンパス一貫となります。いいのだか、わるいのだか。
それにしても見るたびに、この桜も、今回が見納めだ、と思ってしまうのです。この夏に大学が移転したとたん、建物だけでなく、桜も伐採されて跡形もなくなってしまうことでしょう。古びて不便ですが、みょうに懐かしいようなこのキャンパスが使われるのも、この夏までです。


この桜も、これが見納めです

新2年生は定員一杯の16名が進学してきました。みんな眼がきらきらしていますね。

3月20日は九州大学の卒業式でした。文学部社会学・地域福祉社会学の学生たちも巣立っていきました。今年の顕著な特徴は男子が10人とが多かったこと、ほとんどの男子が出身県や地元の県庁や市役所の公務員になること。ひとりはプロのミュージシャンになるそうです。すごいですね。男子二人と女子一人が大学院進学。女子のほうは公務員ゼロでほとんどみんな民間の会社へ。東京などへ勝負にいくんだそうです。好対照ですね。


昨日、地下鉄箱崎九大前を出て、ふだんは行かない右へ曲がると、そこにはただ空虚なだけの更地が広がっていました。かつての九州大学のコンパ施設「三畏閣」がついに更地になっていたのです。小さなショックを受けました。敷地がこんなに広かったことと、あれだけの歴史と風情ある建物が、あっというまにこのような空虚に帰してしまうことに。箱崎キャンパスも、きっと、あっというまにこのような更地になっていくことでしょう。


上が昨日の更地になった跡地の写真、下は先月の解体時の写真です。

かつての三畏閣、このような威厳ある建物でした。懐かしいなぁ。もう二度と見られません。

2010年の年末に、ここで社会学の忘年会を開きました。中華料理・帰郷からケータリングを頼んで、いささか寒風入り込む三畏閣で忘年会をしました。

六角堂での新年会にいく途中、箱崎九大前駅をでてすぐのところ、三畏閣の解体がだいぶ進行していました。様々な歴史が、あっというまに灰燼に帰していくのをみるのと、ちょっとしのびないですね。六角堂なども、やがて同じ運命を辿ることになるのでしょうか。部材などは、再利用するために確保されたとも聞きますが。


九州大学の伊都キャンパスへの移転にともない箱崎地区のキャンパスが次々に解体され更地になっていきます。今回は、箱崎キャンパスでの最後の新年会ということで、学生たちが「六角堂」にて新年会を企画してくれました。箱崎キャンパスの中の「隠れ家」のような建物、みごとに六角です。椅子の文様も、テーブルまでも、六角形にデザインされています。内部はレトロでとても良い雰囲気です。もうこういう建物は、難しいでしょうね。名残おしいものです。ここで予約制のランチを運営されていた方々とともに、記念撮影をしました。


『ローカルブックストアである──福岡ブックスキューブリック』(大井実著、晶文社)



「小さな本屋がまちづくりの中心になる」と帯にある。「小さな」「本屋」さんのサクセスストーリーの中に「まちづくり」のヒントが隠されているという意味だろう。「小さな、町の、本屋さん」というキーワード。かつては平凡な見慣れた風景だったが、いまでは、それがいかに困難なことか、本文を読むと分かる。

東京や大阪や海外で広告やイベントの仕事をしてきた大井さんが、思い立って「町の本屋」をやろうと出身地の福岡にもどってきた。そしてけやき通りに小さな本屋を開業した。2001年開業なので、スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」にちなんで「ブックスキューブリック」なのだそうだ。それから16年、様々な苦労や困難を乗り越えて、箱崎にも第2店舗を、そしてその2階にカフェやパン屋さんを併設。そこで様々なトークイベントも開催。「ブックオカ」その他のまちづくりイベントの中心にもなる、と一見したところ成功物語なのだが、その背景には、多くの問題提起がある。

 

町の小さな本屋さんの困難

その第一が、町で、小さな本屋さんを営むことがとても困難になっている、という現実だろう。都心部では巨大な本屋が林立するが、町中に、ひっそりとたたずむ「町の本屋」さんは、次々と姿を消している。商売上の問題だけではない。本の流通システム(本を出版社から本屋さんへ配本する取次システム)が、小さな本屋さんの独自性を許さない仕組み(並べる本は、取次会社が一方的に送ってくる、短期間に売れない本は置けない、独自の品揃えが難しい、などなど)になっているためらしい。大手取次は、都心部の巨大店舗に集中的に配本する。町の小さな本屋さんは、独自色を出そうにも取次システムがそれを許してくれないらしい。だから書店経営は「どこにもある品揃えの、無個性」になってしまう。それでは「大きな書店のほうがいいや」ということになる。さらには「ネットで注文したほうが早いし楽だ」となるのも当然だろう。悪循環になるのだ。そして地方の商店街によくある「シャッター通り化」や「後継者問題」。町の小さな本屋さんは「あってほしいが、ありえない」存在になりつつある。

 

「ブックスキューブリック」の戦略

そこで「ブックスキューブリック」の立てた戦略はこうだ。町中の小さな本屋であることの強みを最大限いかすこと。そのためには、小さいけれど魅力的なお店にすること。お客さんとの距離を近くすること。取次の言いなりにならず、本屋として本の品揃えに独自色をだしていくこと。そのためには取次ともシビアな交渉をすること。そして、何でもおいてる無個性の書店ではなく、特化したコアな本があること。書店にいくことがわくわくの「発見」になること。いわば「本のセレクトショップ」のようにしていくこと。さらに雑貨もおいて、いまはやりの「町カフェ」のようなくつろげる場所にしていくこと。本屋に行くことが楽しくなるように、本屋を経営することが楽しくなるように。これだった。ごくまっとうな特別なことではないようにも思える。でも、それが出来ないからこそ、多くの町の小さな本屋さんは店をたたんでいくのだ。

 

「ローカル・ブックストア」の人たち

町中の小さな本屋であることの強みを最大限いかすこと。これが結果的に「ブックスキューブリック」に成功を呼び込んだ。「成功」の定義にもよるだろうけれど、少なくとも大井さんの思いが実現できたということだろう。そして類は友を呼ぶということわざどおり、彼の周囲には、そういう志をもって地方の町の小さな本屋をやっている人たち、「ローカルブックストア」の人たちが集まってくる。福岡で行われている本好きの人たちのイベント「ブックオカ」も、こうした流れの中から出てきたようだ。この本をみると、そういう人たちが、各地に、少なからず点在していることが分かる。なるほど、こういう小さいけれど確実な波も来ているのだ。ひとつのスタイルが、はっきりとあるらしい。そういうことが見えてくる。

 

「まちづくり」へのヒント

レトロな「ふるカフェ」や路地裏にある「町カフェ」が若い人たちに人気だ(若い人たちに限らないかもしれないが)。福岡でも天神や博多より、大名や今泉のほうに、隠れ家的なセレクトショップや、古いアパートを改築したようなチープシックな小さな魅力的なお店が多くあって、感度のすぐれた若いひとたちが多く集まっている。「ローカル・ブックストア」も明らかにこの流れの中にある。

考えてみれば、これは、都心や駅周辺が、どこにもある同じ風景に変わってしまったことと関連しているに違いない。郊外の大規模なショッピングセンターも、どこでも同じようなものを売っている、どこも同じ大衆消費・大量消費の姿になっている。反対に、小さな町中の商店街が、どこも軒並み総崩れで「シャッター通り」化している。いつのまにか「いずこも同じ風景」だ。こういう切ない状況になればなるほど、それを逆手にとって「小さいことは良いことだ」、つまり「大規模になる」のと正反対の方向をめざす人たちも出て来る。大規模店やチェーン店ではできない手作り感ある何かをめざす人たちが出て来る。しかたなく小さいままでいるのでなく、積極的に小さくなる、そういう動きも出て来る。これこそ、「地元」づくり、ではないか。「地元」感あふれる「まちづくり」へのヒントが、この本の中には、あふれている。

 

箱崎への示唆

私たちの大学は「箱崎」にある。ブックスキューブリック箱崎店は、もちろん「箱崎」にある。徒歩10分くらいのところにある。しかし、ゼミで聞いてみたところ、ほとんどの学生は、この本屋さんの存在を知らなかった。これは考えさせられる。大学と箱崎、大学生と町の小さな本屋さんとの間には「近いけれど、近くない」「近いけど、遠い」距離があるのではないか。

「大学」はひとつの町である、と過日ゲスト・ティーチャーに来ていただいた柴田名誉教授[1]は言った。なるほど、大学もその中で閉じたひとつの町なのか。外にでる必要のない、閉じた町。ぎゃくに、町で出たい時には、天神や博多へと出て行ってしまう。そういう「近いけれど、遠い」構造が、この「地元」の箱崎という町にはある。

「近いから、遠い」というのは、若い人たちにとっての「地元」と同じ構造かもしれない。物理的な近距離が「近すぎて」、逆に「遠ざける」斥力をうみだす。「地元」には良い物がある、素晴らしいものも多い、といくら言ってもだめな時もある。いちど、遠ざかってみて、はじめて分かるものもある。物理的な距離、時間的な経過、心理的な遠隔化、関係性の距離、そういったものが、必要なのだろう。

「近いものほど見えにくい」。近くにあるものほど、マスキングされて、「見えているけれど、見えない」。

「地元」としての「箱崎」にも、そういうところがある。九州大学は全面移転をひかえている。離れていく、別れていく時こそ、あらためてその町の真価が、見えてくるのかもしれない。


[1] 柴田篤先生は、学生時代なら長く箱崎に住み、箱崎に愛着のある中国文学の先生で、箱崎九大記憶保存会の顧問的な先生で、ゼミにゲスト・スピーカーとしてきて箱崎における青春の思い出を語っていただいた。

ちょっと前のことになりますが、箱崎九大記憶保存会のメンバーとともに、九州大学箱崎キャンパスの中心に鎮座する「旧工学部本館」の屋上にあがってみました。そこからは解体が進む九州大学箱崎理系キャンパスが展望できます。
「さよなら」と別れを告げるまもなく、つぎつぎに解体・「消滅」していく箱崎キャンパスは、悲しさや寂しさを感じるいとまもなく一掃されていくようで、まるで再開発の「ツナミ」に押し流されるような殺伐さを感じます。なんだか、これで、いいのかな。


*九州大学の中心に鎮座する工学部本館からは、総長のいる本部棟をはるか下に見下ろすことができます。九州大学は工学部中心に発展してきたことが良く分かりますね。屋上の部屋は、まるで、フーコーのいう「パノプティコン」そっくりです。

*すでに理系キャンパス構内は「立ち入り禁止」ばかりになっています。大学の上は、福岡空港への着陸コースの真下なので、飛行機がこんなに間近に大きく飛来していきます。騒音も相当なものです。

大学移転にともなう箱崎キャンパスの解体が急速にすすんでいます。理系キャンパスの建物は急速に破壊されています。また、忘年会などで使った威風堂々の「三畏閣」も解体がはじまりました。どこか料亭か何かとして移築すれば、門司港の「三宜楼」のように価値がましたのに、残念なことです。秋の紅葉がみごとな楷の樹も、中庭の一本は移植されますが、この樹のほうは、おそらく、伐採されるのでしょう。今年の紅葉が、見納めでした……さびしいですね。


*三畏閣は、学生たちのコンパや茶道部などに使われてきたようです。詳細については「箱崎九大跡地ファン倶楽部」に見事な写真がアップされています。

*ゆっくりお別れを言うまもなく、楷の樹の今年の紅葉は終わってしまいました。これが「見納め」だったのですね。

箱崎は九州大学にとって「地元」なのか
秋学期の安立ゼミでは、学生の「地元」意識調査班と、九州大学のある箱崎の町を探求する班とに分かれて、ゼミを進めています。いままさに箱崎からの移転が真っ最中です。はたして箱崎は九州大学にとっての「地元」だったのだろうか。かつては「地元」だったのに、いつからか疎遠になったとしたら、いつからそうなったのだろうか、これからの箱崎のまちづくは、どうなっていくのだろうか。そんなことを問題意識にして、学生たちは箱崎の町をフィールドワークしています。
12月14日には、箱崎で学生時代を過ごされた柴田篤名誉教授をお招きして、かつての箱崎の町と学生の生活についてお話ししていただきました。空からみた写真だと、かつての箱崎が、農地であったこと、そして米軍板付基地がすぐそばにあって、九州大学の上が飛行機の進入路になっていたことなどが、よく分かります。そしてこの進入路から米軍のファントム戦闘機が九州大学のキャンパスに墜落して、学生運動が燃えさかったのです。


柴田先生は箱崎に住み、その変遷を眺めてこられました。また、大学もひとつの町なのだとおっしゃいました。学生たちも聞き入っていました。航空写真をみると、九州大学が航空機の空港への進入経路の真上にあることが、よく分かります。

急に寒くなりました。紅葉の季節ですが、気温はもう冬ですね。4年生には、卒論の山場が来ています。昨日は恒例の「卒論題目検討会」がありました。4年生、ひとりひとりの「卒論題目」を決定するために4名の教員が喧々諤々いろんなことを言い出して4年生も戸惑ったことでしょう。でもこうやって議論していると、いろいろな新しいアイデアを思いつきます。「こういう題名にしたら良いのに、こういう構成にしたら絶対おもしろいのに」などと思ってしまうのですが、4年生もさるもの「これは私の大学4年間の集大成ですから、私の思うようにやります」と断固、こちらの提案を拒否してきたりします。


このところ、ブレイディみかこさんの著作を何冊か読みました。『This is Japan』『ヨーロッパ・コーリング』『子どもたちの階級闘争』など。すごいですね。日本ではなかなか書けないことに、コトバを与えています。ブレイディみかこさん、福岡は修猷館の出身とも聞きました。中洲で働いてイギリスに渡ったとも。すごいですね。ぜひ学生たちにも聴かせたいのですが、肝心の学生たちが、夏休みで、来てくれそうもないです。


今年最高気温38度超という中で実施された九州大学オープンキャンパス。満員御礼の盛況でした。文学部の説明会など、3回にわけないと、大教室に入りきれなかったほどです。私は入試委員として、午後の模擬授業の司会進行などを担当しました。教室の外にでると生命の危険すら感じるような、すさまじい暑さ。熱中症なでは起こらなかったでしょうか。この異常高温、毎年のこととも思えません。昔はこんなではなかった。年を追うごとに熱くなってきているように思います。そんな中、たくさんの高校生に来ていただきました。冷房がきいている教室の中も熱くなるような感じでした。
研究室訪問では、学生たちが高校生に応対しています。こちらのほうでも、たくさんの高校生が来てくれました。


 

今学期の授業がすべて終わりました。社会学研究室では、大学構内で研究室主催の恒例のBBQパーティを行いました。2,3年生中心に、教員やOBやOGの参加もあって、盛況でした。4月に進学してきた2年生は、前期の授業への意見や感想など、思うところがたくさんあるようで、熱々の議論をふっかけてきたりするので、あまりゆっくりと焼き肉を食べることもできませんでしたが、楽しい夏の一晩でした。


昨日は、九州南部の大雨の直後でしたのでちょっと心配でしたが、学生11名とともにゼミのフィールドワークで熊本県水俣市社会福祉協議会を訪問し、地域福祉活動コーディネーターの田代久子さんから、熊本地震での社会福祉協議会間の支援活動についてお話しをうかがいました。午後には、水俣市の地域福祉・ふれあいサロン、地域リビングなどの活動に参加させていただき、90歳を超える方々のお話しをうかがいました。さらに水俣病資料館でも副館長さんから濃密なレクチャーをうけました。大学からバスの乗車時間だけでも往復7時間の長旅でしたが、充実した一日でした。