入試、卒業、送別シーズンと「定年制度」
今日からセンター試験です。寒いなか、たいへんですが、入試だけでなく、卒業、送別シーズンもすぐそこです。今年は、定年退職される先生の送別会の幹事を仰せつかったので、昨日、博多・那珂川ぞいの料亭に、送別会の下見にいってきました。定年というのは、ある意味、社会生活から送り出すお葬式みたいなものでもありますから、できるだけ華やいで寂しさを感じさせないような演出が求められますね。
「定年制度」というのは世代間の交代をスムーズに進める一種の社会技術ですが、スムーズに進めるために「年齢」だけを基準にしてその他の面を一切考慮しないという特徴があります。それはアメリカ社会では「年齢による差別(Ageism)」とされて批判される側面を持っています。個々人がもつ、能力や気持ちや人柄や人間性など、様々なプラスの側面を、一切考慮せず、ただひたすら「年齢」という本人にはどうしようもない不可逆的な要素のみを基準に、人間に社会生活(仕事)からの退場を命じる、というふうに「定年」をとらえると、これは、とてつもない理不尽な「差別」であるみなすこともできるでしょう。私の研究するアメリカの高齢者NPOである「AARP」は、まさに「定年」制度が、人間性を考慮しない差別的な「強制的退職制度」であるとして定年制度撤廃運動をすすめ、現在、アメリカ社会では「年齢」を理由に退職を迫ることが禁じられています。それは「人種」や「性別」を理由に差別することが許されないのとまったく同じことだ、と考えられるようになったからです。


さがの

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