仏文学の野崎歓さんの新著『翻訳教育』(河出書房新社)を読み終わりました。胸にじーんときました。おもしろうてやがてかなしき、そんな笑いと驚き、痛快さと痛切さとが同居しています。翻訳文学という、絶滅危惧種(?)への深い愛情や消え去りそうな大切なものをいとおしむような深い感触もありますね。近年の快著でしょう。
個人的に著者の野崎歓さんを親しく知っているだけに、あぁ、あの時の苦しみはいかばかりだったろう、とか、あぁ、こんなに苦心惨憺して翻訳していたのか、とか、あぁこんな思いがこめられていたあの翻訳書せっかく贈ってもらったのに、まだ読んでないなぁ、などとつぎつぎに感想・感興・後悔がわき起こってきて、なかなか感涙なしには読み進められなかったですね。
野崎さんが学生にアンケートをとると「翻訳書は読まないようにしています」とか「翻訳は本物でないし、誤訳がつきもので、間違いがあると分かっている本を読むのはいやだから読まない」とか「自分は日本が好きなので外国のものは読まない」などという回答が返ってくるそうです。唖然としてしまいますが、私の周囲の学生たちも、ほぼ同意見かと思います。難しいから敬遠しているのでなく(ほんとうは分からないもの・分かりにくいものを敬遠しているところもあると思いますが)、外国のものや翻訳は不要だ、というような(とんでもない)意見を堂々と開陳する学生たちが出現してきたことに、ある種の「時代」(の病)を感じてしまいますね。おい、日本、大丈夫か。


野崎歓・翻訳教育

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