録画しておいた「丹下健三-いにしえから天へ地平へ」(NHKハイビジョン特集)をみました。
建築というのはその時代の特徴を非常に体現するものだということを、あらためて強く感じました。彼の作品の、広島の原爆記念公園、高度経済成長に入るころの香川県庁、そして東京オリンピックの代々木体育館、そして最後の東京都庁など。それぞれの時代精神を体現するかのような建築で、その解説を聞きながら、ああ、丹下健三というのは見田宗介や大澤真幸のいう日本の「理想の時代」を体現している建築家なのだということが、ようく分かりました。日本人が「理想」を信じてそれに向かっていた時代。「戦争を二度と繰り返しません」という「理想」(まさに「理想の時代」の「理想」であったことが、現在、日々確認されつつある…)。戦前の重々しい権威の象徴としての役所ではなく、戦後の開かれた民主主義の場としての県庁という「理想」。さらにオリンピックという世界への場で、近代的な建築でありながら日本の伝統的な様式美の粋を示すという世界に差し出された日本の「理想」。あぁ、日本の建築を世界に知らしめた「理想の時代」の人が丹下健三だったのだ。それは時代がそうだったからなのだ。(だからこそ、すでに理想の時代が去っていた頃に作られた東京都庁舎は、どうにも収まりのわるい時代錯誤的なものに見えてしまうのだな)。
後続する建築家の磯崎新などは、すでに「理想」を信じたり、「理想の時代」に生きることができなくなっていたから、それゆえに「虚構の時代」(言い換えればポストモダン)に生きざるをえなくなっていたのだな。さて、そうなるとその次の安藤忠雄などは、さしづめ「不可能性の時代」の建築家なのか……などなど、いろいろ考えてしまいますね。

 


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