チェコ共和国のプラハに来ています。パリでの乗り継ぎがぎりぎりでした。からくも間に合ってプラハに到着したのですが、荷物がありません。さて、困った。ほかにもずいぶん荷物が到着しない人がいたようです。
次の便で到着すると思って、ホテルに移動しました。
ところが、翌日も、翌々日にも、荷物がとどきません。
エールフランスに電話してもらちがあきませんでした。
衣類だけでなく、ノートパソコンも、デジカメも、すべてスーツケースに入れていたので、これには参りました。
このまま、荷物なしに旅をつづけることになったらどうしよう、などと不安がつぎつぎにわき起こります。
カフカの街で、まったく不条理な世界に入り込んでしまったような気すらしました。
とうめん生活のため、歯ブラシやひげそりなどを買いに出かけましたが、この時ほど心細かったことは、ないですね。
夜にもホテルマンにエールフランスに電話してもらって、荷物が2日目の夜になっても、まだパリにあることが分かりました。少なくとも紛失はしていなかったので、ちょっと安心しましたが、ゆだんできませんでした。翌朝の1便で送るといっていたのに、その日の夕方になってもつきません。ようやく到着したのが、夜でした。
海外に出かけはじめて30年以上になります。毎年数回はでかけるから、相当な回数になっているはずですが、今回のような荷物の不着は、過去に一度、フィンランドであっただけです。その時は、真冬のフィンランドだったのでマイナス20度の世界で、着るものがなくて、寒い思いをしました。でも、その時は、フィンランドの現地の人に助けられて下着や歯ブラシを入手し、また荷物じたいも翌日には安着しました。
今回は、JALでパリにきて、そもそも、巨大なドゴール空港での乗り換え時間が短いなか、成田の発着がおくれてパリに1時間おくれで到着したという事情もあります。でも、JALもエールフランスも、こういうことではちょっと困りますね。ほかにも何人も荷物がこなくて途方にくれている人がいましたし。
また、もし忙しく移動するスケジュールだったら、どうなっていたのだろう。
そうしたことを考えると、なかなか、きもをひやすような事件でした。
城の中にある、カフカの仕事場
カフカの通ったギムナジウムの階段
かつてのギムナジウム、カフカの父の店のあったあたり