研究室紹介

九州大学大学院人間環境学研究院 安立清史研究室では、ボランティア・NPO・地域福祉の研究を社会学・福祉社会学の 観点から行っています。ボランティアがどのように社会に関わり、どのようにグループや団体を形成して、民間非営利組織(NPO)へと発展・展開していくの か。この過程をフィールドワークしながら福祉社会学・NPO論として研究しています。また、アメリカや中国のNPOや大学とも交流しながら、国際比較研究 もしています。 現在、安立研究室ではいくつもの調査プロジェクトが動いています。 2012年度の大きなテーマは「介護保険と介護職、福祉NPO調査」「高齢化とアクティブ・エイジングの国際比較調査」などです。

安立研究室の目指すもの

「少 子・高齢化」をはじめ現代の日本社会が直面する大きな社会変動が生み出す 「新しい社会現象」-福祉ボランティアやNPO、高齢者NPOや病院ボランティア、地域福祉や地域医療、コミュニティを変えるソーシャルアントレプレナ- などを切り口として「社会が変わっていく」いや、新しい人たちやその活動、NPOなどの新組織が「社会を変えていくプロセス」を、実証的に調査研究する、 それが私たち安立研究室のめざすところです。 社会学・福祉社会学の方法を身につけ、地道にたくさんのフィールドワークを行い、アンケート調査や数量調査もできて、しかも海外に出かけて国際的な フィールドでのインタビュー調査やフィールドワークも出来る、そうしたパワフルな院生を育てたい(じっさいに育っている)というのが安立研究室のビジョン なのです。 * この日本社会がどこか何だかおかしい、とくに福祉や医療、家族やコミュニティといったヒューマンサービスの領域で、この日本社会には問題や課題が山積し ているのではないか。しかしそれは政治や行政や企業や何かに任せておいてもどうやら治らない、いや治らないどころではなくてますます問題や病が高じてしま う。では、どうやったら良いのだ。こういう問題意識が、私たちの研究のベースにあります。 私たちが、調査研究フィールドとして、福祉や医療における「ボランティアやNPO」に深くコミットするのも、そのためです。福祉や医療の改革を、政治や 行政に任せしまうのではなく、それがまさに私たちの問題であり、自分たちこそその改良・改革の責任を引き受けることができ、自分たちこそ新しい道を開け る、そう信じて活動を始めた人たちが「福祉ボランティアやNPO」の人たちなのです。研究室のメンバーが、こうした新しい人たちや活動、グループや組織、 そしてそのNPOという形態での展開と発展に関心を持たないはずはありません。私たちは「福祉や医療」を切り口として、「ボランティアやNPO」の担い手 としての役割と可能性に着目し、「フィールドワークや参加」を通じてこうした担い手の中に加わりつつ、しかし客観的で社会科学として現在渦巻きのように起 こっている社会現象を解明し、その変化の原因やプロセスをときあかし、変化を生み出す人たちや集団が、どこから来て、どこへ向かおうとしているのか、それ が社会を変えていく過程を、社会学としてとらえて同走していきたい、と念じているのです。 これが安立研究室の基本理念であり、目指すところであり、調査研究にあたってのビジョンなのです。


 

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2012年の調査研究活動

・介護職の役割と機能に関する比較社会学的研究:介護職のガラパゴス化状況からの脱却(2011-) ・介護労働の国際化─インドネシア看護師・介護福祉士に関する調査研究(2007-2010)、介護保険改正の社会学的影響調査(介護現場の離職や先行き不安感などに関する調査研究) ・東アジアのアクティブ・エイジング(中国・韓国・ハワイ大学との共同研究) ・福岡市「子どもの放課後の居場所づくりに関する調査研究」(2008) ・北九州市「北九州市後期次世代育成行動計画策定懇話委員」子育て、学童、ワークライフバランス等の第1部会・部会長(2009) ・北九州市「次世代育成支援対策地域協議会」委員 ・北九州市役所子ども家庭局青年課「ひきこもり実態調査」(2010) ・九州経済調査協会「子育て支援ビジネスの現状と課題に関する調査」委員会・委員長(2008) etc…


NPO研究

 安立研究室では、ボランティア・NPO・地域福祉の研究を社会学の観点から行っています。ボランティアがどのように社会に関わり、どのようにグループや団体を形成して、民間非営利組織(NPO)へと発展・展開していくのか。この過程をフィールドワークしながら福祉社会学・NPO論として研究しています。また、アメリカのNPOや大学とも交流しながら、国際比較研究もしています。

NPOに関する著作物

  • 田中尚輝・浅川澄一・安立清史著 ,2003,『介護系NPOの最前線-全国トップ16の実像』, ミネルヴァ書房

  • 田中尚輝・安立清史 『高齢者NPOが社会を変える』 (岩波書店、岩波ブックレット №523)

  • 安立清史・藤田摩理子・陳暁嫻,2004,「介護系NPOの展開-NPO法人「たすけあい佐賀」と「たすけあい泉」の事例」,西日本社会学会紀要 No.2, pp.165-171. 西日本社会学会

アメリカNPO取材日記

(1)アメリカのNPOの概観

1−1.アメリカのNPOシステム

NPOとは、Nonprofit organization もしくは Not for profit organization つまり政府や行政をのぞいた「非営利セクター」で活動する「民間非営利組織」を意味し、現在、世界的に注目されている組織概念である。とりわけ、東欧の旧共産圏諸国や日本を含めたアジア諸国でNPOの伸張が著しい。

NPOは、アメリカの社会システムから発展してきた組織概念である。アメリカでは歴史的に、民間非営利組織が社会サービスの多くを提供してきた。大学、病院、美術館・博物館の多くがNPOであり、社会福祉サービスもその多くをNPOが提供している。したがって民間団体が法人格を取得することも容易で(通常は州への届け出ですむ)、税制上も多くの減免措置が伴う(内国歳入庁が審査し、公共性が認められれば内国歳入法典 501(C)3 項に該当する免税団体として税制上の広範囲な免税特典が受けられるほか、会報の郵送費などが大幅に安くなる)。とくに1960年代以降は、黒人解放運動や公民権運動、フェミニズム運動などが展開する過程で、行政は、社会サービスを直接供給するのでなく、NPOを通じて多様な社会ニーズに応える方向をとるようになった。またレーガン政権以降、小さな政府志向が強まり、行政府はNPOを助成金や補助金で支援することを通じて社会サービスを提供する流れが加速した。その背景には、伝統的に地域自立で地方自治の歴史が強いアメリカでは、行政府に頼らずコミュニティの問題はコミュニティで解決するという伝統と、多民族・多文化が進んだ都市部などでは、地域住民の多様なニーズをきめこまかくとらえてそれに応えるには、エスニック・グループごとのNPOを補助してソーシャルサービスを提供したほうが適切であり、かつ効率的だという理由も大きい。

このようなアメリカ社会の歴史や伝統、社会システムに深く根ざしたNPOが、いま世界的に注目されているのは、次のような理由による。

世界的に長期不況で政府の税収は減少する中で行政改革(行政のスリム化)がすすみ、行政府の提供できる社会サービス(社会保障、医療・保健、福祉、教育、など)の総量は減少していく。しかしながら、世界的に、とりわけ先進諸国では、少子・高齢化の人口構造変動が急速に起こってきており、社会サービスのニーズは急激に増大している。とくに家族は小家族化・核家族化して、家族の社会的機能は縮小しており、都市化した地域では伝統的な地域共同体の絆も崩れ、近隣のサポートネットワークも弱まっている。こうした家族や地域の変動に起因して、とくに育児や介護などの機能が弱体化し、地域の一人暮らし高齢者や乳幼児をもつ家族などを支える社会的な仕組みの再構築が求められているの一方で、行政のサービス提供能力は低下していく。ニーズの増大とサービス低下とのギャップが深刻になっていく中で、社会サービスを非営利で提供できる新しい組織の仕組みが求められていた。NPOは、こうした世界的な要請に応える可能性の一つとして注目されているのである。

 

日本の地域福祉におけるNPOへの注目も、このような角度からはじまっていると考えられる。

日本の社会福祉全体が、社会福祉基礎構造改革、介護保険制度の発足などが起こり、措置制度から社会サービスとして利用者が主体的に福祉サービスを利用することになる。この大きな転換を推進するにあたっては、福祉としてだけでなく、社会サービスとして地域福祉を提供していく新たな供給組織や団体が多様に現れてくることが必要であろう。NPOが日本で問題になる文脈とは、アメリカとは異なって、社会サービスの多くをNPOが担う、というものではあるまい。むしろ既存の公益法人(社会福祉協議会、社会福祉法人、財団法人や社団法人など)に累加されるかたちで、あらたな社会サービス提供機関のNPOがあらわれ、それがどのような機能を現在のシステムのなかで果たしていくか、ということになる(長期的にみれば、既存の公益法人からNPOへのシフトが起こる可能性はないではないが)。

したがってNPOを研究する基本的視座とでもいうべきものがあるとすれば、それは、NPOを既存の公益法人のオルタナティブ(とって替わるもの)としてとらえるのではなく、むしろ、社会福祉サービス供給システムに新たな風をもたらすもの、ととらえるべきであろう。社会福祉業界に、新たな供給組織があらわれ、それが中長期的には、社会福祉サービス全体の構造変動(量的・質的変化・変動)をもらたす、その変化をもたらすエージェント(媒介者)としてとらえるのが、地域福祉におけるNPOの捉え方としては現実的なものではないだろうか。

 

(2)アメリカにおける地域福祉とNPO

2−1.アメリカにおける地域福祉

アメリカには「地域福祉」にあたる概念は存在しないと言われる。地域福祉どころか社会福祉 social welfare じたいも、日本で用いられるような広い含意をまったくもたず非常に限定的な公的扶助をもっぱらさしている。アメリカで「福祉」という言葉は広がりをもっていない。それは公的扶助などの限定的な施策をのみさすことが多い。これはアメリカ建国以前からの地方自治の伝統のもとで、連邦政府は慈善事業にはいっさい関わらないという原則があったことも大きい。この原則がいかに強いものであったかは1935年の「社会保障法 social security act」が、大恐慌時の民主党フランクリン・ルーズベルト大統領のリーダーシップによってはじめて立法化されたことをとってみても分かる。その後も、連邦政府が地域の社会問題へと介入することは、きわめて制限されてきた。しかも地域(州レベル)は保守的な共和党の牙城としてリベラルな社会政策にとっての桎梏とみなされていた。新藤宗幸によれば、1960年代のジョンソン政権のもとでの「貧困との戦争」で住民参加や住民団体の自己決定が重視されたのは、ひとつには、ジョンソンの民主党政権が「貧困との戦争」をめざしただけでなく共和党の支配する「州政府の体制変革」をもめざしていたのだという。

このような歴史的文脈があり、地域の問題は、地域の民間団体が自主的に取り組む、そこに連邦政府が介入することなど考えられない。また州政府も様々なソーシャルサービスを直接に提供することはない。したがって、地域福祉を直訳して community welfare といってもおそらくほとんどのアメリカ人がその意味を理解しえないだろう。そういう意味においてアメリカに地域福祉はない、といっても良いかもしれない。

なぜアメリカに「地域福祉」がないのか。そのことじたいが研究にあたいする興味深いテーマだが、本稿ではそこには踏み込まず、地域福祉を広く「ソーシャルサービス」あるいは「ヒューマンサービス」ととらえることにする。ソーシャルサービスやヒューマン・サービスは、日本語の地域福祉よりも幅広すぎるので、ソーシャルサービスやヒューマンサービスのうち、公的な制度的なうらづけや、公的な財政援助や助成金、業務委託など、公的な政策や制度との制度的・法的・財政的なつながりが多少でもあるもののうち、地域社会の中で、民間非営利組織などによって提供されているサービスを、アメリカの地域福祉ととらえることにしよう。また、公的な制度的うらづけや財政援助がなくても、民間非営利組織が「非営利」として提供している地域でのサービスも、もちろん地域福祉とみなすことにする。

つまり、非営利で提供されている地域のソーシャルサービス、および、行政と民間非営利組織等との公私協同がみられるものをアメリカの地域福祉ととらえることにしておく。

2−2.アメリカの地域福祉NPOの展開

アメリカにおける社会福祉団体の原像

上述したような意味における地域福祉団体は、アメリカでは、1900年代初頭に始まったという。たとえば council of social agencies や federation of social agencies は1908年にピッツバーグで始まった(前田大作,1999)。これがやがて近代的な共同募金組織 community chest に展開していったのは1913年オハイオ州クリーブランドであったことは有名である。アメリカでは、council of social agencies や federation of social agencies は共同募金と同一組織として展開されることが多かった、というのが特徴である。つまり社会福祉組織の連合体が、共同募金を行っていた。これは、前田大作によると、アメリカでは、入所施設よりも地域住民のためのソーシャルサービスを提供している団体が多かったこと、また公的扶助以外のサービスは政府が直接行うべきでないとするアメリカの社会福祉観によるところが大きかった。よって民間の社会福祉団体・慈善団体の財源は、ほとんどすべてが寄付や募金に依存していた。よって共同募金は、民間の地域福祉団体にとってきわめて重要な資金源であり、それを民間主導で行い、かつ配分を council of social agencies や federation of social agencies がおこなってきた。

このことは、アメリカのNPO(当時はまだそのような概念で一括されることはなかったが)の展開を考えてるうえで重要なてんである。

第二次大戦後は共同募金の急激な拡大にともなって、地域福祉団体の連合体としてのcouncil of social agencies や federation of social agenciesは、council of social welfare や federation of social welfare となっていった。また活動内容も、福祉組織や機関の組織化、社会福祉の広報教育、社会福祉ニーズ調査、ボランティアの育成や組織化、共同募金の推進、などとなっていった。これがGHQを通じて日本にやってきたアメリカの「地域福祉」の原像であったろう。

 

1960年代からの変容-コミュニティ・オーガナイゼーションの否定へ

こうした民間主導の募金・配分活動は、やがて1960年代に大きく変容していく。1964年、ジョンソン大統領による「貧困との戦争 war on poverty」は、経済機会法に基づいたコミュニティアクションプログラムとして、貧困の連鎖を断ち切るため,教育、職業訓練、職業機会の提供、など様々なプログラムや政策が、とくに黒人コミュニティにおいて実施することになった。これは、豊かなアメリカ社会において、マイノニリティ(この時代には主として黒人)の貧困問題がクローズアップされ、この貧困問題へは訓練をうけた専門家が介入して解決にあたりつつ、当事者(黒人)の最大限可能な参加をもって問題解決にあたろうとする方向性が明確にされた。そしてこの過程で、地域社会組織化(コミュニティオーガナイゼーション)といったコミュニティワークの有効性への深刻な疑問が生じてきた。地域の問題の把握と住民の主体的・組織的な対応というコミュニティワークの手法とコミュニティ・オーガナイゼーションの組織論が、端的にはアメリカの黒人問題の解決に有効性を発揮できなかったのである。ブラックパワームーブメントによって黒人の人種意識が高揚していくなかで、地域組織化やコミュニティ・オーガナイゼーションは時代の流れに逆行していくようにみえた。地域性を基盤とした「コミュニティ」よりも、人種やエスニックグループといったまとまりの単位が強い力をもつようになったのである。前田大作によれば、これ以降、地域単位のコミュニティ・オーガナイゼーションや「住民組織化」といった手法は、アメリカのソーシャルワークのなかで否定されていったという。

また、ソーシャルワーカーや社会福祉機関の専門分化も進み、地域の社会福祉団体の連合よりは、全国レベルでの専門的な連合が進んだ。

こうした流れのなかで、地域(コミュニティ)という多様体に根ざした民間団体よりは、人種やエスニックグループごとのソーシャルサービス団体が次第に形成されていくことになる。いわばアメリカにおける地域福祉手法の再編成であり、地域福祉組織が、従来型の連合組織や連帯組織から、しだいに独立したエスニック・グループごとの民間非営利組織(NPO)へと再編成されていったのである。

また、この時期、高齢者団体(AARP(全米退職者連盟)などが有名である)や、女性団体など、地域性を根拠にしたものではなく属性(性別、人種、エスニシティ、年齢等)を根拠にした様々な運動や団体が組織された。これらは、ほとんどがNPOであった。

連邦政府の補助金拡大-ヘルス領域でのNPOの拡大

1960年代に入るともうひとつの大きな改革、1965年のメディケア・メディケイド法の成立により連邦政府の福祉補助金が一挙に拡大した。メディケア・メディケイドに関しては、医師の自由診療にたいする国家の介入となるとして長年、アメリカ医師会からの強い反対があり、国家レベルでの医療保険はなかなか成立しなかった。しかしながら民間医療保険のサービスを構造的に受けにくい層(高齢者)への何らかの措置が必要であるとの認識は前々から高まっていた。そこでメディケア・メディケイドは65歳以上の高齢者という限定がついている。また、保険の対象を「病院」に限定し、しかも適用期間を入院日数60日に限定して発足した。メディケアに関してはパートA(病院サービスに関わる連邦強制保険)とパートB(医師サービスに関わる任意的保険)があり、パートAは病院費用の支払いだけであり、医師の診察費用にかんしてはパートBである。これは、自由な医師の診療を守ろうとするアメリカ医師会の反対が強かったためと、医師のサービスまで拡大すると制度の費用が巨額に膨れ上がるため実現不可能になると想定されたためだとされている。

このような限定があるにしてもメディケア・メディケイド法の成立は、高齢者の医療マーケットを爆発的に拡大した。医療費の支払いが公的に担保され、医療へのアクセスが大幅に改善されたため、医療サービス供給が加速度的に発展したためである。メディケアは病院にとっての大きな収入源となったのである。そしてNPO病院もそれとともに大きく拡大した。アメリカのNPOのなかで最大の組織規模と財政規模をもつヘルス領域のNPOがこのようにして拡大発展した。

アメリカの病院システムは、日本とは大きく異なるものであり、病院は医師の診療所の発展したものではない。また医師は病院に所属するものではなく、医師の共同利用施設が病院なのである。病院は、その歴史から教会や地域有力者たちの慈善によってはじまったものが多く、病院の主流はいまでも営利病院ではなく、非営利病院(NPO病院)である。ただし、近年、マルチホスピタルシステムに代表される営利病院チェーンが急速に拡大し,NPO病院の買収があいついでいる。ヘルス領域におけるNPOの優位性が脅かされているのである。

1980年代のレーガン政権による福祉補助金の削減とNPOの危機

ほとんどあらゆる論者が、アメリカのNPOに及ぼしたレーガン政権の政策転換のインパクトについて言及している(阿部、新藤、五十嵐その他)

アメリカのNPOの動向について論じるさいに、1980年代のレーガン政権による政策転換、とりわけ福祉補助金の削減が大きな意味を持つと思われるので、必要最小限に要約しながら言及しておこう。

レーガン政権が掲げた目標のひとつが「小さな政府」であり、その実現のために「歳出削減」、「大幅減税」、「規制緩和」が進められた。

このうち、NPOに関しては「歳出削減」が直接に関連した。政府の社会保障支出に関して「中核的社会セーフティネッ・プログラム」(年金制度、失業手当、軍人恩給など)は削減しないとされていたため、ソーシャルサービスに関しては、予想以上に削減がすすまなかったとする分析もある(阿部,1991,pp14-15)。また反対に、レーガン政権は、特定補助金(categorical grants) の一括補助金(block grants)への転換をすすめ、政策実現手段としての連邦補助金という性格づけを色濃くさせ、民主党時代の連邦補助金の断片化や特定事業補助金の増加に歯止めをかけ、連邦政府の補助金管理能力を復活させ、統制不可能支出となっていたエンタイトルメント・プログラム(受給権をもつ者と年次歳出額を決めている)を統制しようとしたとする評価もある(新藤,1991)。

さまざまな評価があるが、多くの論者が重視している「1981年予算調和一括法」によってどのような変化が起こったのかを概観しておこう。

この「1981年予算調和一括法」によって、75件の特定補助金(categorical grants)と2件の一括補助金(block grants)が、新規の9件の一括補助金(block grants)に再編成された。

この再編成の特徴は、州政府のプログラム実施にあたっての裁量権を拡大していることだとされる(新藤,1991,pp.202-203)。そしてここで再編成され一括補助金(block grants)となった特定補助金(categorical grants)の多くが、あのNPOを急成長させる契機となった「偉大な社会」プログラムとして現れた「コミュニティアクションプログラム」であった。さらに、AFDCやメディケイド、フードスタンプなどの個人給付プログラムも規制強化と歳出削減がはかられた。

この結果、1980年と1985年を比較した場合に、主要なプログラム別にみた連邦政府補助金は、ソーシャルサービスに関しては -24.7%, コミュニティサービスに関しては -47.8%, 職業訓練に関しては -68.8% というように大幅な削減が進んだ。これはまさに福祉NPOの財政を直撃するものであった。

レーガン政権や共和党の論理では、NPOへの補助金が減っても、大幅減税が行われれば民間からの寄付金が連邦政府補助金の減少を補うとされていたが、サラモンらの試算によればこのような移転は起こっておらず、NPOは大きな打撃を受けることになった。

1990年代のNPO危機

レーガン政権時代の補助金削減につづき、1990年代に入ると議会主導の財政再建政策となった。1994年のアメリカ議会選挙では、ニュート・ギングリッチをリーダーとする共和党は選挙公約として「アメリカとの契約」なるものを打ち出し、連邦政府の財政赤字の削減と大規模減税を行うと公約した。そして共和党が多数派となった議会では、1996-2002年度の連邦支出を大幅に削減することを決定した。この改革の特徴は、ブロックグラントだけでなく、エンタイトルメント・グラントも削減され、総合的にソーシャルサービスが大きく削減することにある。この結果、NPOに対する連邦政府補助金は、1995年と比較して2002年には約18%減少するとみこまれている。NPOへの直接的な財政危機である。この削減計画によれば、ソーシャルサービスが -17%, コミュニティサービスが -26% などとなっている。

また1996年に成立した「福祉改革法」は、AFDCに対する改革を導入し、定額補助となったうえ、かつ5年を限度に打ち切られることとなった。

このように連邦政府補助金の削減は、政治のバランスが多少変動しても継続すると見られており、1960年代以降、政府の補助金の大幅拡大によってその数と量を拡大してきたNPOにとって、1980年代以降は危機的な苦難の時代となっている。

これが、1998年になってようやくNPO法が成立して、NPOが今後急激に生まれ、量的にも質的にも拡大しそうな日本とは、まったく異なるアメリカのNPOの文脈である。

 

アメリカのNPOの内的危機

前節で概観してきたのは、主として連邦政府の政権交代や、議会における政治バランスが、連邦政府補助金の削減を生み出してNPOに財政上の危機的な状況をもたらしたことの俯瞰であった。

本節では、主としてレスターM.サラモンの近著『NPO最前線』によりながら、アメリカのNPOでどのような内部的な危機が訪れているのかについても短く俯瞰しておこう。

サラマンによれば、アメリカのNPOには、現在、深刻な危機がおとづれている。その危機は主として連邦政府補助金が削減される傾向が、1980年代に引き続き1990年代にもおさまらず、まだ当分続きそうなことによる。それは、しかしながら、たんなる財政危機に限られるものではない。かつてのNPOと異なり、現代のNPOは、政府補助金に深く大きく依存して構造になっていることが危機のより本質的な原因だという。政府補助金に深く大きく依存した結果、NPOは、社会からの広範囲な寄付を必ずしも受けられなくなり(民間補助金比率の低下)、補助金削減に対応して市場でのサービス提供に活路を見いだす傾向が強いが(会費・料金収入比率の上昇)、その結果、たとえばヘルス領域では、NPO病院の営利病院への転換が進むなど、NPOの本来性の喪失傾向が現れてきている。また市場での競争にさらされることにより、在宅医療やデイケアなどのソーシャルサービスでは、営利企業と何ら変わるところのないサービス内容や運営形態になったNPOもある。こうした事例は、サラマンによって「競争しないことにより失敗しうるのと同様に、成功のゆえに失敗する」事例として言及されている。

その他にも多くの問題点が指摘されているので、箇条書き的に言及して俯瞰しておくことにしよう。

1990年代アメリカのNPO危機の諸相

(1)連邦政府補助金の削減

(2)個人寄付金の低減傾向(項目別控除者(itemizer) の減少による)

(3)税制改革による税率構造のフラット化(高額所得者の寄付金インセンティブの減少)

(4)NPOへの間接的課税措置(NPOの消費に関する課税)

(5)市場競争の激化(市場競争にさらされる結果、営利企業と何ら変わるところのないサービス内容や運営へ陥る)

(6)NPO病院の営利病院への転換(NPO病院の営利病院チェーンへの買収)

(7)冷戦終結とともに、調査・研究への政府支出の減額

(8)NPOの有効性への懐疑(NPOのプロフェッショナル化とともに、プロフェッショナルは問題解決によって、自らへのニーズをなくすようにはせず、むしろプロフェッショナルの必要を生み出すように動いているのではないかという懐疑が増大。つまり専門家の生計のために専門家によって運営されているというような懐疑)

(9)NPOのアカンウタビリティへの懐疑(内国歳入庁へ提出する様式990の有効性や信頼性への懐疑)

(10)NPOの信頼性への懐疑(非営利性、非分配性、非課税措置への猜疑心の増大)

(11)ゾーニング制約の増大(迷惑施設への規制の増大。NMBY規制)

(12)反アドボカシー規制(連邦政府から補助金を受けているNPOは、民間からほかにえた収入であっても、それを広範なアドボカシー活動に利用することを制限しようとする動きが議会などに現れている)

こうしたNPOの危機的側面を俯瞰しながら、レスターM.サラモンは、これまでNPOが政府に依存しすぎてきたこと、信頼性を失わせてきたものがまさにその政府への過剰依存であったこと、アドボカシーへののめり込みすぎもNPOへの信頼性を失わせてきたこと、もっとサービス提供に集中すべきこと、活路を市場に求めて料金徴収型のサービスなどにすべきでないこと、などを提言している。

ここでレスターM.サラモンが取り上げている諸問題は、現在は、日本のNPOに当てはまらないとしても、いずれ将来的には大きな示唆と警鐘として受け止められるようになる問題であると言えよう。

 

アメリカの夢-NPOのフロンティア

(1)世界最大のNPO-AARP(全米退職者協会)

「私たちは世界最大のNPOです。いや、カトリック教会が世界最大かもしれないから、第二位かもしれないわね。」米国の首都ワシントンDCにあるAARP(全米退職者協会)本部でサリー・エバレットさんが言った。この本部は議会からもホワイトハウスからもほど近い場所にある地上10階、地下4階だての巨大なビルである。言われなければ、どこか世界的な大企業のビルだと思うに違いない。NPOのビルだとはとても信じられない。

「現在、会員数が3400万人。全米3600ヶ所に支部がありますが、この本部だけで1200人の専従職員がいます。高齢者の生活の質を高め、自立した生活を支援し、高齢者のイメージを改善し年齢差別をなくすことが使命。やっていることは、会員へのグループ医療保険などの提供や各種のサービス。会費と保険の手数料収入が財政の柱。また高齢者の運転技術向上や納税補助、低所得高齢者の雇用促進プログラム、これらは連邦政府と協働で。老年学の発展のための研究援助や政策研究や提言のためのシンクタンク機能、会員へのボランティア活動の機会提供など、とても全部はあげきれない」とサリーさん。「この本部ビルの中にはテレビとラジオのスタジオもあります。自前で情報番組を作ります。高齢者政策の討論会も衛星放送をつないで全米規模で行い、それをテレビ番組にして放送しました。高齢者政策は重要な政策課題ですから副大統領や議員もこぞって参加しましたよ」と途方もない話が次々に。いまやこの本部の年間予算だけでも500億円を超えるのだ。

しかし意外なことに、この巨大NPOが誕生したのはわずか40数年前。ひとりの女性退職教員の行動からだった。エセル・パーシー・アンドラスさんが定年退職した時の米国には、見るべき高齢者政策がなかった。公的な医療保険もなく年金額も低く、何より「老人」に対する否定的な偏見がはびこっていた。アンドラスさんは怒りを覚えたが、同時に自分たちで解決する方策を考えた。退職者を組織して民間非営利組織(NPO)としてグループ保険を提供しようというのがそのアイデアだった。これは大当たりして会員数は急増した。また会員の声を代弁しながら積極的に社会活動を行い、高齢者医療保険(メディケア)や医療扶助(メディケイド)の成立を支援。さらに定年制度を「人種差別、性差別と同じ高齢者への年齢差別だ」と訴える社会運動を起こし、ついには撤廃させるなど、めざましい成果をあげてきた。

「会員資格は50歳以上ということだけ。会費は年間8ドル。それで様々なメリットがあるから、クリントン大統領も50歳になったとたんに会員になったわ」。

ほかに重要な役割として、専門家を雇って議会や政府の高齢者政策をチェックするロビー活動をしている。大統領選挙などでは、各候補の高齢者政策を一覧表にして会員に配布。その影響力はすごい。このように爆発的に成長したAARPに関しては、このところ議会や政府からの風当たりも強い。政治活動をしすぎるし、非営利と言いながら企業と同じことをしているではないかとの批判もある。AARPは子会社を作って営利部門を分離して対応しているが、取材を重ねると営利と非営利との境界線上にある部分も感じる。しかし公的な医療保険の存在しない米国ではこの団体の存在意義は大きい。政治的には独立を標榜して政府や議会の政策をチェックし、定年制廃止や老年学の発展への寄与など、この団体が米国社会を大きく変えてきたことは誰も否定できないだろう。いまや米国の高齢者政策はこのNPO抜きには進まないのだ。これはAARPが高齢者の社会的なニーズに応えてきたからに他ならない。ひとりの女性退職者の行動から発してわずか40数年でここまで発展した。米国ではNPOの世界にもアメリカン・ドリームがあるのだ。

(2)21世紀の高齢化に向かってAARPも変身中

「私たちの隔月刊の会誌『モダンマチュリティ』は発行部数2200万部で世界最大の発行部数なんです」AARP本部で雑誌編集部のキャロル・シモンズさんが言った。「でも慎重にマーケティングを重ねた結果、いまの雑誌ではベビーブーマー世代にマッチしないのではということになって、来年春に新雑誌『マイジェネレーション』を発刊することになりました。これは新たに会員になる50歳から55歳の人たち向けです。なにしろ立ち上がりの発行部数が300万部ですから、今から相当注目されていますよ」。AARPが団塊の世代へのマーケティングを重視していたのは知っていたが、その第一弾がこれなのだ。「内容自体は以前とそんなに変わらないのです。商業雑誌ではなく会誌ですし。でも雑誌のトーンが違う。高齢の人たちはゆったりとしたリズムで雑誌を見ますが、若い層はもっと短くはずむようなテンポでないとね」。

いまAARPの最大の課題は、戦後生まれの巨大なベビーブーマー世代への対応。この層はかつてなく豊かで、高学歴、なにより「退職者」でないという特徴がある。この団塊の世代が高齢化していく時、高齢者政策は大激変する、という予言をいたるところで耳にする。議会や政府も、高齢者医療保険や年金問題の改革を言い出している。AARPも必死で、現在の水準を維持したままでも財政危機を回避することができるという分析や政策提言を行っているが守勢は否めない。このうえ団塊の世代からも「退職者高齢者の集まりだから自分とは関係ない」と見放されたら大変だ。そこで必死の生き残り戦略を立てているのだ。「会員のニーズ調査やマーケティングならいやになるほどやりました。外部の調査機関にも委託して多くのレポートが出ています。たとえばこれ」と分厚い資料を見せてくれたのがトム・オットウェルさん。「じつは数年前、われわれは「退職者協会」という部分を正式名称からはずしたのです。だって今や会員のうち「退職者」は20%ほどしかいないのです。定年制度が廃止され、社会状況やライフスタイルも変わって退職者協会という名称とのずれが大きくなりました。でもAARPという名称はすでにブランドになっているし会員に愛着もあるからこれを略称でなく正式名称にしたんです」。「退職者」の抱える問題の解決を使命にして始まったNPOが、いま次なる世代の課題へ対応するために大胆に変身をはかろうとしているのだ。NPOのダイナミズムを感じさせる象徴的な話だ。

「ちょっと驚く話をしてあげましょうか。この雑誌の1ページの広告費用はいくらだと思いますか?」と再びキャロルさん。「カラーで1ページ2500万円以上、背表紙になると3000万円以上です」これには唖然とした。NPOの会誌の話なのだから。

一事が万事、AARPの話はこのようにけた外れのスケールだ。なにしろ会員数世界最大級だから雑誌の発行部数も世界最大。したがってその広告収入もすごい。民間非営利組織であるがゆえ、あげた収益を職員や理事間で分配してはならず、使命としている高齢者の自立と生活の質の向上のための活動に再投資しなければならない。よってますますAARPの活動は拡大発展し、様々なサービスの提供に拍車がかかる。こういう好循環の連続がAARPを世界最大級のNPOへと発展させることになった。しかしNPOは会員や社会への貢献が基本。支持されなくなったら消滅する。21世紀へ向けてAARPという巨大NPOも大変身中だ。

(3)福祉NPOの挑戦-痴呆性高齢者のケアに取り組むNPO

「アルツハイマー性の痴呆は、記憶が失われ人間関係が崩壊していくだけに、家族にとってつらいのです。私たちは、この分野のパイオニアとして痴呆の人を抱える家族へのサポートに取り組んできました」と、オークランド市郊外のアルツハイマー協会で事務局長のルース・ゲイさん。「電話相談やサポートグループを組織しています。少人数のサポートグループは、うちひしがれている家族の人たちが互いに自分の問題を話しあって立ち直っていく仕組みなのです。もちろんトレーニングを受けたわれわれのボランティアが中に入ります」。「こういう活動は、企業はもちろん、行政にも出来ません。またボランティアをするにも高度な訓練を受ける必要がありますから、ボランティアだけでも出来ないのです」。中国系米国人のエディ・ウォンさんは補足して「さいきんの課題は、多文化状況に応じたケアということなんです。アジア系では、痴呆の問題を家族内の問題として閉じ込めがちですから、従来の電話相談やサポートグループという手法だけでなく、新しい方法が必要かもしれません」。多民族・多文化状況へいちはやく対応しようとしているところなど、さすがにNPOならでは。

「痴呆性高齢者の金銭管理やデイサービスに取り組んでいます。需要は大きいのですがボランティアを訓練して対応しているので大変なんです」と、オークランド市にある福祉NPOのベイエリア・コミュニティサービスの高齢者サービス部長のリック・マクラッケンさん。「痴呆性高齢者の金銭管理は、AARPが司法省と協働して分厚い基本マニュアルを作りました。われわれのノウハウも加えて実施しています。年金付加金の小切手を管理して請求書の支払いや支払い代理人の役割を訓練されたボランティア中心に運営しています。日本ではどうしていますか」とリックさん。「成年後見制度や地域福祉権利擁護事業ができましたが細かいところはまだまだです」と私。「ここではデイサービスもしていますが、日本と違って米国では自払いですから、コストが高くて赤字続きなんです」。公的介護保険のないアメリカでは、NPOが資金も人員も開拓しながら運営していく難しさがある。「でもとても大切なサービスですから、予算面では事務局長と激論しながらも続けているのです」とNPOらしいことをリックさんは言った。

福祉NPOは先駆的な課題に取り組んでいるが財政的には困難な場合が多い。「ここは1980年代のレーガン政権によるNPOへの補助金の大幅なカットによって深刻な財政危機に陥りました。この施設は土地も建物も丸ごと売却せざるをえませんでした。ようやく買い戻すことができたのは1991年になってからでした。でも全部ではありません」。世界的に有名なバークレイの自立生活センターで視覚障害のある黒人の事務局次長ジェラルド・バプティストさんがくやしそうに言った。いまや障害者の自立生活運動は世界に広まったが、その起源となった本部は古びた建物のまま。ここの予算は90パーセントを行政からの補助金に依存している。政権が変わるたびに福祉補助金の削減が話題になる。運営はたいへんで、だからこそ、NPOのマネジメントの重要性が言われているのだ。

米国で取材していた時期は、ちょうど大統領選挙が行われた時期に重なる。いろいろなNPO関係者に質問してみた。「また補助金カットなどNPOの冬の時代が再来するのでは」。「そんなことはない」というのが一致した意見。再集計しないと決着がつかないほどもつれた今回の選挙。どちらが政権についても大幅な政策変更は出来ない。福祉や医療などは争点にはなったが両者の違いは微々たるものだった。政府や行政は、社会サービスの提供にかんしてNPOとの協働関係を続けていくほかに選択肢はないのだ。米国の社会政策は、サービスの多くを担っているNPOなしにはもはや成り立たないのである。

 

(4)NPOサポートセンターの役割-タイズセンター、コンパスポイントなど

「どうだい福岡ではNPOセンターが出来たかい?」開口一番の挨拶がこうだった。全米でも大規模なNPOサポートを行っているタイズ財団のパイク会長のオフィスでのこと。彼はNPOの世界でもっとも影響力のあるひとりだが、今年7月に福岡を訪問してNPOサポートセンターの必要性を説いていった。そのことを言っているのだ。でも福岡で聞いた話からは到底このサンフランシスコのオフィスの風景は想像できなかった。来て見て驚きの連続だ。とにかく広大な敷地、抜群の環境。金門橋のたもとの国立公園プレシディオの一部がNPOのセンターになっているのだ。もとは軍の病院だった建物を外形はそのまま保存、中身を改造し環境に配慮したエコロジービルにして、そこに数多くのNPOの事務所と、NPOを財政的・運営的に助けるNPOサポートセンターが入っている。スタッフの多さと活気、予算規模の大きさ。何から何まで凄い。

「すごすぎて参考にならないような気もする」と私。「そんなことはないさ。米国だってつい最近まで何もなかった。私なんか30年前はバイクに乗って世界を放浪してた。そこで貧困の存在や様々な社会問題に出会って、社会変革の活動を助けようと思った。でも運動体は運営が難しく財政は厳しいんだ。そこで運動や活動を支える仕組みを作ったのさ。10年前はこの団体も実態は机の引出しひとつだけだったね。でもぜったいこういう仕組みがいるよ。特にマネジメントと税制の支援は不可欠だね。」タイズはこのセンターを孵卵器と位置付けている。生まれたばかりのNPOの卵を、このセンターで見守りながら育てていくのだ。事務所空間だけでなくマネジメントも支援する。生まれたばかりのNPOが育つ場がここなのだ。タイズでは、最近インターネットを通じて広く寄付を集める E・グラントという仕組みを開発した。米国のNPOはインターネットを活用しながらどんどん先へ行っている。しかもその目的が「社会変革NPOの育成」というから、さすが米国でも最先端をいくサンフランシスコらしい。

「NPOのサポートといってもいろいろあります。うちがやっているのはコンピュータ利用法やマネジメントのコンサルティング。ほかに理事会や理事のあり方についても指導しています」。サンフランシスコ中心街にある「コンパスポイント」でアルフレッド・ロボさん。ここは全米でも最大規模のNPOサポートセンターだ。会議室のほかにコンピュータルーム目立つ。NPOの世界でもIT(情報技術)の重要性が増しているのだ。ここは専従のコンピュータ専門家を雇って本格的だ。たんなる情報提供ではなく、少人数で社会へ働きかけるためのツールとして大活躍させているのだ。最近は、資金提供者や理事(NPOの理事は米国では重要なボランティアだ)への情報提供や啓発にも力を入れている。ここがユニークなのは、サンフランシスコ市から委託を受けて、NPOの能力向上のための指導を行っていること。とくにエイズ関係の団体は、サンフランシスコ市は緊急の必要があって事業補助を行ってきたが、NPOはサービス提供は得意でも、管理運営は苦手。とくに財政面では素人に近い場合もあって危なっかしい。サポートセンターにNPOの指導を委託することになった。サポートセンターもNPOだが、スタッフは大学院で経営学や法律、コンピュータなどを修めた専門家ばかり。プロの集団なのだ。経営やコンピュータとなると、企業とNPOとどこがどう違うのか分からなくなるほど近似してくる。要するに、社会のニーズをどう掴み、そこにどう応えていくか。そのためのNPOマネジメントだ。どんな高尚なことを言っていても人びとから支持されなければ存続できないのが米国のNPO。公共の役に立っているかどうかは、多くの人から寄付が集まっているかで判断する(パブリック・サポートテストという)。アメリカらしいな、と思う。

(5)地域再開発に取り組むNPO-リトル東京サービスセンターやフォートメイソンでの挑戦

「かつての公営住宅は、ただたんに建設するだけで、あとの管理は会社に任せていました。ところが高齢者や低所得層が暮らしはじめると、たくさんの問題が出てくるんです。でもそれは見えにくいし対応しにくい」とロサンゼルスの日本人町で、リトル東京サービスセンター(NPO)のリサ・スギノさん。「むしろNPOが中心となって計画段階から関わり、資金調達、設計、入居者の選定から、入居後の対応まで一環してサポートしたほうがはるかに良いのです」。このNPOは以前から日系住民のための福祉サービスを提供してきていたが、近年、地域再開発事業にも積極的に関わるようになった。ここカーサ・ヘイワは衰退した都心部の再開発の一環として、NPOのイニシアチブで建設されたモデルケースで住宅とNPOによる福祉サービスを合体したのがポイントだ。衰退した都心地域に長年、再開発はなかった。そこにNPOが新しい計画を立て、コンペに勝ち抜いて市の土地を借り受け、様々な補助金だけでなく企業からの融資も取り付けて建設母体となった。福祉住宅だけでなく、放置されていた教会を改築してアートギャラリーにしたり、古い倉庫を改築して日系高齢者の共同住宅にしたり、さらにはフィリピン系住民の住む地域でも開発を始めたりと再開発事業に大活躍している。これをCDC(地域再開発公社)というが、これもNPOのあり方のひとつだ。多文化・多言語状況に応じた福祉サービスをミックスした地域再開発事業はNPOならでは。昔の大規模でそっけない公営住宅と違って、中規模でアットホーム、しかも英語を話せない移民やアジア系、ヒスパニック系住民など、なんと19もの言語が飛び交うような多言語・多文化状況のなかで、必要なサポートを提供するという。たとえば就職に必要な英語やコンピュータの教育、共働き夫婦のための児童のデイケア、様々な相談業務など。しかも資金調達計画から、設計、入居者の選定まで、すべてにNPOが中心となった。「私はハーバード大学のビジネススクール出身ですから、こういう資金調達計画やビジネス業界の人とのやりとり、政府や行政の補助金を取ることなどには慣れているんです。とはいっても相当大変でしたけれど」とリサさん。ハーバード大学にはNPOの管理運営を教える大学院の専門課程があるし、現在、米国の大学ではNPO教育コースを新設する動きが盛んだ。また、大学生も最初の就職口として行政かNPOか、むしろNPOを選ぶ傾向もある。「小さなNPOでなら、自分の力が思い切り試せます。そこで成功して次は行政や企業に移る人もいます。私の前任者もそうでした」とリサさん。アメリカのNPOは、たんに問題を指摘して社会運動を起こしているだけではない。自ら事業主体となって荒廃したダウンタウンの再生に取り組んでいるのだ。ロサンゼルスでは日系に限らず、中国系、韓国系、フィリピン系などおびただしい数の民族ごとのNPOが活躍している。

「フォートメイソンセンターにも行って見ましょう。きっと驚きますよ」とサンフランシスコ在住のNPO研究者岡部一明さんが言った。「ここは軍の兵器貯蔵施設だったものを改造して、アート系のNPOのオフィスやギャラリーにしたんです。今では約50のNPOが軒を連ねて事務所を構え、博物館やギャラリー、イベント会場などを運営しています。この海辺のカフェもNPOが経営していますが若者に大人気のスポットですよ」。まるで流行のロフトみたいな雰囲気で、平日でも駐車場は満車。大人気だが、れっきとした芸術系NPOの根拠地なのだ。米国でもまだ始まったばかりだとはいうが、軍の跡地などをNPOが長期に借り受けて歴史的環境を保全しつつ、活気に満ちた魅力ある町づくりに貢献しているわけだ。こういうことは日本の町づくりでももっと試みられていい。近くには日米安保条約が締結された歴史的なホールがあった。吉田茂の写真などが小さく飾ってあるが、ここも環境保護NPOが国立公園局から管理運営を委託されていて、ホールはイベントなどにも活用されている。NPOはこういうところでも活躍していて、市民活動の風を送りつづけている。

 

(6)行政とNPO-人材交流も活発

「じつは私は行政に来る前はNPOで事務局長をしていたんです」アラメダ郡の高齢者福祉部(AAA)に取材にいくと、次長のジョゼフ・ロドリゲスさんが言った。「行政の福祉サービスは、NPOなしには提供できませんから、NPOとは良い協働関係を作っていきたいですね」。彼は以前、高齢者へのデイサービスを提供する福祉NPOの事務局長をしていた。毎日が運営費の捻出のための資金集めで苦労していたそうだ。たいへんだったそうだ。そこへ3人めの子どもが生まれることになり、安定した職を探さなくてはならなくなり、現在の行政へと転職。だから、今、行政の立場になってもNPOの現実がよく分かるので、出来るだけ良い協働関係を維持したいという。彼のような転職事例は珍しくないらしい。NPOと行政との協働というのが単なるお題目ではなく、人事交流の点からも深く進んでいることが分かる。

さて具体的には、NPOと行政とがどのように協働するのだろうか。基本的には行政は財源を提供し、サービスの基本仕様を提示し、あとはNPOによる競争入札なのだ。

例年11月頃に高齢者福祉部では来年度の行政としての優先事項や予算の大枠が決まる。ついでそれに応じて個別のサービスの仕様(求められるサービス供給内容や量、そして予算)を決め、公募に出される。この公募に応じてくるのが福祉NPOというわけだ。それぞれが予算の枠内でどの程度のことが出来るのか、そのNPOが実施するとどのような特色が出せるのか、どのような効果を生み出せるのか。求められる仕様以上のことも出来るかどうか、などで必死の応募書類を作る。そして選定。競争入札の選定過程は、なかなか複雑なものらしいが、ともかくこうした競争入札が4年ごとにあって、NPOへの委託が決まる。その後の監査や監督の厳しさは、NPO側からすると文句があるが仕方ないめんもある。

「NPOがない地域もあるでしょう。どう対応しているのですか」と聞いてみた。「確かに農村部などでないところもある。そういう場合は行政が直接やるしかないのだが、そういう地域はそんなに多くはない」。「問題を起こしたり、破綻したりするNPOもありますか」。「じつは今ひとつ頭を痛めているのは、3つの地域で痴呆性高齢者のデイサービスを運営していたNPOが活動を中止して予算を返上してしまった。さいわい2つは代替するNPOがみつかったが、ひとつは見つからなくて困っている」。

NPO側からすると、やはり行政は監査もきついし、書類業務も多くてとかなんとか言いながら、両者のパイプはしっかりとしている。サンフランシスコ市では、エイズプログラムなど、特殊なプログラムを数多くNPOに委託しているので、NPOの財政管理能力や運営について指導するNPOへ、NPOの指導育成を委託したりしている。なるほど、アメリカの行政とNPOとの協働とはこのように組み合わさっているのか。

「書類だけなく、NPOを巡回しながらいっしょに仕事をすることもありますよ」とロサンゼルス市高齢者福祉部の   さん。「公募して書類から選定して予算を出すだけがわれわれの仕事じゃありません」。実はチャイナタウンで中国系NPOを取材していた時に彼にばったり会ってインタビューを申し込んだのだ。それは行政マンがNPOを上から監査するような姿ではなく、NPOの会計事務担当者が新しい会計ソフトを使いこなせないところを横に座って手助けしているところだった。「書類だけでなく、実際に出向いていかないと協働は出来ませんね」と  さん。NPO職員の隣に座っていっしょにコンピュータを操作している姿は米国の行政とNPOとの協働のあり方を象徴しているように見えた。

(7)ボランティアとNPO-連邦政府のボランティア活動振興策とNPOの役割

「アメリカ人といっても富裕な人ばかりではないんです。でも交通費や昼食代にだって事欠くくらい貧しい人だっているのがアメリカです。そうした人たちにボランティア機会を提供するのが、連邦政府のボランティアプログラムの役割なんです。」オークランド市のシニアコンパニオンプログラムを運営しているアンドレア・ターナーさんは言った。これは、低所得層の高齢者(60歳以上)が、地域の高齢者の面倒をみたり、病院や施設への送迎をしたりするボランティア活動を行い、手当て(賃金ではない)として時間あたり約300円や、交通費や昼食代をもらえる連邦政府の補助事業。他市ではNPOが運営している場合が多いが、オークランドでは市が直接運営している。連邦政府のボランティアプログラムでは運営費用は国費でまかなわれるが、市がさらに助成したり、民間の財団が援助したりもする。オークランド市では現在192人の高齢者がこの活動に参加している。連邦政府のボランティア活動振興策としては、ほかにもRSVP(高齢者や退職者のボランティア活動促進プログラム。これは手当てはなし)や、フォスターグランドペアレント(母子家庭の子どもや学習困難児に、マンツーマンに近いかたちで学習指導したり、おじいさんおばあさん代わりを勤めたりする)などがある。

米国というと、みんながボランティアをしているように言われるが、実際は、人種や階層、学歴や所得によって大きな違いがある。もちろん学歴や所得が高いほどボランティア活動比率が高まるのである。「赤十字なんかを見て下さい。富裕な婦人が多く参加しているでしょう。でも、黒人やアジア系の高齢者だって、もっともっとボランティア活動をしたいのです。でも、ボランティアに行くにも交通手段がなかったり、外でランチをとるお金の余裕もなかったりなんです」。このシニアコンパニオンプログラムは、バスカードかガソリン代、そして一日2ドルの昼食代もでる。

日本でも有償ボランティアが現れたころ、ボランティアは完全無償であるべきで、有償のボランティアはおかしい、とする声が多かった。でもボランティア活動の本場、アメリカでは、じつは、有償ボランティアは、1960年代から行われていたのだ。

「手当てをもらうこういう活動もボランティアと言うのですか?」「もちろんです。労働ではありませんし、収入でもないです。連邦政府からの手当てとして、税のかからないお礼なんです」。

以前にRSVPや日本の有償ボランティアを取材した時にも感じたことだが、理論や理念から見るとすっきりしない説明になる。しかしこれが所得や人種、階層によるボランティア格差を生み出さないための社会的な工夫なのだとすればすっきりと理解できる。ボランティア活動に誰でも参加できるようにする社会的な振興策なのだ。

「じつは米国でも学生にボランティア活動を義務付けようという話はあるんです。良き市民になるためにね」と意外な話をしたのはワシントンDCの連邦政府市民活動局のアスリン・ウォーカーさん。「教育改革の一環として議論されているのですがボランティアの義務化というのはやはり論議が分かれて実施しているところはメリーランド州などの一部にとどまっています」。米国で連邦政府が若者のボランティア活動振興策を始めたのは1965年から。歴史がある。ついで前述した高齢者のボランティア参加プログラムなど様々な振興策がとられているのだ。

「若者が一年間合宿しながら環境や教育、災害救助などのボランティア活動技術を習得するプログラムとか、NPOへ派遣されてその活動を手伝うプログラムもあります。これらは連邦政府から奨学金が出ます。私もこの活動に参加して得た奨学金で大学を出ました」とついで説明してくれたジーナ・クロスさん。連邦政府のボランティア振興策は、地域におろされてNPOなどが実施主体となる。ボランティア活動機会の提供や創出にも、NPOが大活躍しているというわけだ。ボランティア大国アメリカの底の厚さを垣間見た気がした。

 

(8)世界的なNPO革命が始まっている-レスターM.サラマン教授との対話

「世界中でNPOが拡大しています。とくに旧共産圏諸国。巨大な国家が瓦解したあと、保健・医療・福祉・教育・文化・芸術・環境など、市場経済で解決できない問題にNPOが積極的に取り組んでいる。ラテンアメリカやアジアの発展途上国でもNPOが続々と生まれて活動を始めている。世界的なNPO革命と言ってもいい」NPO研究では世界の第一人者、米国ジョンズ・ホプキンス大学のレスターM.サラモン教授が語る。「NPOはアメリカばかりと思っていたが、実はオランダやアイルランドなど、世界にはもっとNPOが社会の中で大きな役割を果たしている国はたくさんあった。もちろん日本を始めアジアでもNPOの重要性が増している」。

米国ではNPOが重要性を持っているだけでなく、学生にとって魅力的な就職先でもある。米国の主要な大学がいま続々とNPO研究・教育センターなどを設置しはじめている。ハーバード大学も2年前に公共政策学の大学院にNPOマネジメント部門を作った。「政府機関に就職しようか、NPOにしようか、迷う人も多いですね」と大学院生のキム・ライマンさん。ハーバードを出てNPOに就職するというのは、もはや決して不思議な光景ではないのだ。「大企業に入って長い下積み期間をすごすより、いま勉強していることが、すぐに実社会で活かせるし、小さな組織でのほうが大きな権限が与えられてチャレンジができるから」。政府職員からネイチャーコンサーバンシーという大きな環境保護団体に転じたローリー・フォアマンさんもその一人。「NPOではミッション(使命)が大事。社会的な使命のために働けるのが素晴らしい」。開発援助団体などを経て日本に来て経団連などに環境保護プログラムを提案している。「米国のNPOといってもその歴史は紆余曲折を経ているんだ。初めは金持ちの税金逃れとしても使われたね。その穴を埋めるため税制は複雑怪奇になっている。でもこの30年くらいの社会の改革の大きな部分はNPOが担った。制度を良くしていくのも社会の使命だ。」とハーバード大学のピーター・ホール教授。「過去30年くらいを調べるとNPOの80%以上は消滅している。でもこういう競争原理が米国のNPOを社会的な存在意義のあるものにしている。つねに社会の要請に応えるということだね。」

とにかく米国を歩くといたるところNPOだらけのような気がしてくる。日本とは社会制度が異なるせいもあるが、大学、病院、美術館・博物館、福祉施設や機関などことごとくNPOなのだから、まさに米国の社会サービスはNPOが担っているといって良い。NPOという切り口を通して米国と日本を比較すると、これでもかというばかりに大きな違いが見えてくる。でも違いすぎて参考にならないのでは。「そんなことはない」とサンフランシスコ在住のNPO研究者の岡部一明さん。「日本で社会全体に元気がない今こそ、多くのことが学べるんです。日本は外国からたくさん学んでいるように思っているけれど、とんでもない。一人あたりの翻訳件数などを比較すると世界の中でも低いほうです。もっともっと外から学ぶべきです」

米国を取材するほどに、NPOの人たちから元気の源を教えられるような気がした。NPOといっても元は小さなボランティアの集まり。それがどんどん力をつけて社会の不可欠の一部になっていく、その発展とエネルギーやパワーがすごい。多様な人種構成の米国、様々なニーズのあふれる米国で、行政や企業だけは社会の変化やニーズの多様化に対応できない。すると自分たちでそれに応えようとする人が続々と出てくるのが米国である。でも日本とは人種も宗教も違う? いや、そんなことはない。ロサンゼルスの日系人の活躍を見れば、それは人間の違いではなく、社会の制度や仕組みの違いだということが分かる。いまこそ、人間の力や活力を引き出すNPOのような仕組みを真剣に日本社会へと根づかせるべき時期なのだ。


NPO・NGOに関するリンク集

【アメリカ】

【英国】
【国連関連】

 

ジャン・マサオカ氏との対談

西日本新聞掲載記事

 ◎解説・NPO対談

対談/サポートセンターの役割とは/米国「コンパスポイント」 ジャン・マサオカ事務局長/九州大学 安立清史助教授/NPOがミッションを貫くために/目的・活動の具体化を支援

特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されて二年。既に、全国で約三千団体が法人格を取得している。介護保険事業への参入や、行政と結んでの事業展開など、活動の拡大、多様化を迎える中で、壁にぶつかるNPOも出てきた。こうした状況を背景に、NPOサポートセンターの存在がクローズアップされている。先月来日した、全米最大規模のサポートセンター「コンパスポイント」の事務局長ジャン・マサオカさんが、九州大学の安立清史助教授と、サポートの現状や在り方について対談した。

安立 ■米国のサポートセンターでは、NPOの運営支援を行います。NPOに対し、政府からの補助金が流れ込むようになったのを背景に、一九七〇年代から、活発化したと聞いています。日本でもサポートセンター設立が相次いでますが、その活動は情報提供やネットワーキングに止まっています。

マサオカ ■私は大学生のころ、ベトナム戦争反対と公民権の運動に携わり、その活動の中でNPOの財政管理の必要性を痛感しました。どんな活動でも、資金がいります。でも、仲間たちは志はあっても、資金調達やマネジメントには無知でした。そういう状況の中では、結局、本来の活動が展開できないのです。そこで資金や組織運営の専門家が必要になったのです。私自身も、大学に戻ってマネジメントを勉強しました。

安立 ■「コンパスポイント」では、具体的にどういう活動をしているのですか?

マサオカ ■事業は大きく四分野。第一は、小規模NPOなどに対するセミナーなど専門知識開発プログラム。次に戦略サービスで、資金調達や運営などのコンサルティングを行います。三番目は情報サービスで、ニュースレターの配信、インターネットや電話での情報提供です。最後が、行政への政策提言や研究です。

安立 ■日本では、企業もNPOも組織の運営に関して、有料でプロのコンサルティングを受けるという習慣がありません。NPOの専従スタッフも少なく、余裕もないのが現状ですね。

マサオカ ■アメリカでも同様です。「こんなことに、金を払うのか」と驚かれることもしばしば。それでも、なぜ私たちが必要で、それによってどんなメリットが期待できるのかを相手に納得させることで、仕事を拡大してきました。

例えば「笑いを広めるためにNPOを組織して、資金を集めたいが、どうしたらよいか」と聞かれれば、私はこう返します。「なぜ、笑いが大切なのか一言で説明してください」「なぜ、その活動に、企業が資金を出すべきなのですか」「その活動は、総額いくら必要で、その金額で、どのようなことが、どれくらいできますか」と。こうしたコンサルテイングの過程で、NPOのミッションや活動の展望が具体化されます。このようにして、目的を実現するためのプランや戦略を、金銭面も含めて練る手助けをしていくのが私たちの仕事です。

安立 ■日本では昨年、介護保険制度がスタートし、保険事業に参入するNPO法人も現れました。福岡県では、今年度の年間事業高が一億円にも達するところがある一方、組織運営に不慣れで、マネジメントに悩んでいる団体も多い。急激に事業が拡大していくなかで、NPOらしさを見失いかけている団体もあるように感じます。

マサオカ ■「NPOらしさ」というのは、どういう意味ですか?

安立 ■NPOの社会運動体としてのミッションという意味です。例えば、日本では以前から、ボランティアが高齢者のホームヘルプなどに取り組み、それがきっかけとなって、地域福祉が大きく変わりました。ところが、介護保険の事業者となったことで介護保険の仕事しかしなくなる、できなくなるとしたら、NPOらしさは失われると思います。実際、そういう団体もあるようです。

マサオカ ■NPOにとって、社会運動体としての活動と事業体としての活動は、車の両輪のようなものです。ミッションなくしてNPOが、組織や活動を維持するのは難しい。私たちは、その団体のミッションは何なのか、活動内容はミッションと矛盾しないのか、ということを常に考えてもらい、活動に反映させるよう助言しています。こうした仕事こそが、私たちの本領といえるでしょう。

安立 ■NPO本来の目的やしめいを再確認させたりより具体化させて、実際の活動につなげていく手助けや助言をする「コーチ役」それがNPOサポートセンターの役割なのですね。

(了)

 


病院ボランティア研究

九州大学・人間環境学研究院・安立研究室では、これまで10年間に渡って持続的・継続的に「日本の病院ボランティア」を調査研究してきました。これからもさらに調査研究しつづけます。 始 まりは、安立清史が1994-95年に、国際交流基金日米センター・安倍フェローとして米国ロスアンゼルスのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス 校)に留学していた時にさかのぼります。初めてのアメリカ暮らしで、私にも家族にも多くのストレスがあり、家族が次々に病院やクリニックに通うことになり ました。その時に、ロスアンゼルスの様々な病院で、病院のあり方、医師のわれわれへの接し方、病院の雰囲気やアメニティ、病院全体の患者に対する姿勢など に、日本との大きな違いを感じました。それは必ずしも「医療そのもの」ではないのですが、あきらかにわれわれ患者や市民にとっては「医療の質」に関わる大 きな違いでした。 なぜ、このような違いが生まれるのだろう。どうしたら、良い方向への変化が(日本でも)生まれるのだろう。変化は、どこから生まれるのだろう。変化を生み出し、動きを作り出す人たちは、いったい何処にいるのだろう。何処から出現するのだろう。 こうした疑問が調査研究を始めたきっかけなのです。 ロ スアンゼルスに滞在中から、様々な病院を訪問しはじめ、とくにパサデナのハンチントン病院にはずいぶんと通って、ボランティアやコーディネーターの方々に インタビューさせてもらいました。また、つたないながらアンケート調査票を(英語で)作り、それをボランティアの方々に配布して答えてもらいました。病院 ボランティアだけでなく、ロスアンゼルスの福祉ボランティア(RSVPという高齢者のためのボランティア・プログラム)にもアンケート調査をさせてもらっ たり、オンブズマン・ボランティアに同行していろいろな施設を一緒に訪問したりしました。 日本に帰国してから、東京の聖路加国際病院を訪問 して、ボランティア・リーダーの長谷川純子さんたちとお会いして、様々な活動を見せていただきました。また、長谷川純子さんを通じて、関東地区病院ボラン ティアの会のご許可をいただき、加盟グループの方々に、アメリカで使った調査票を日本語に直して調査をさせていただきました。その結果が非常に面白かった ので、今度は、聖路加国際病院も会員になっている「日本病院ボランティア協会」のほうへお願いに出かけて、日本病院ボランティア協会加盟の淀川キリスト教 病院などいくつかの病院でアンケート調査をさせていただくことができました。その結果を報告したのが、『病院ボランティアの調査』(1999)です。 こ の報告書では、病院ボランティアの方々の実態を明らかにするために、属性や活動(性別、年齢、活動歴、活動内容、活動頻度、など)を中心に調査結果を報告 しいてます。また、病院ボランティアの日米比較なども行っています。この調査結果は、日本病院ボランティア協会編『病院ボランティア やさしさのこころと かたち』中央法規出版(2001) でも第4章「病院ボランティアの調査結果から-アンケート調査から分かった意識と問題」としてまとめています。 次 に取り組んだのが、病院ボランティア・グループの調査でした。病院ボランティアをしたいと思っても、当時は、門戸を開いている病院は、必ずしも多くありま せんでした。日本病院ボランティア協会は1974年設立で、病院ボランティアは日本でも長い歴史を持っています。協会はボランティア・グループ単位で加盟 しているのですが、加盟数は2005年現在185グループだそうです。当時はもっと少なかったのです。日本に病院ボランティアが普及するためには、もっと ボランティア・グループが増えること、グループがもっと役割や機能をはたし、力をつけることが必要ではないかと思いました。ボランティアの「エンパワメン ト(力づけ)」をする役割がグループではないかと考えたのです。そこで全国のボランティア・グループの調査をしました。その結果が、『病院ボランティア・ グループに関する全国調査』(2003)です。 この調査の過程で、ボランティア・コーディネーターの役割がとても大切であること、しかし専 任専従のコーディネーターが少ないことが分かってきました。日本病院ボランティア協会もコーディネーターの役割の大切なことを強調していましたので、協会 のご協力もえて、病院ボランティア・コーディネーターに関する全国調査に着手しました。その結果が『病院ボランティア・コーディネーターに関する全国調 査』(2004)です。 2005年には、ボストンやハワイの病院ボランティア・コーディネーターを調査した結果をもとに『病院ボランティアの導入とコーディネートに関する普及モデルの開発とデモンストレーション』(2005)を作りました。 そ して2006年には、ボランティアのリスクとリスクマネジメントをテーマに、全米病院協会(AHA)やASDVSで行っているボランティア・ディレクター のリスクマネジメントの仕方を調査し、また、ハワイのカピオラニ病院の病院ボランティア・ディレクターであるリサ・チャン氏を福岡にお招きし「アメリカの 病院ボランティア・ディレクターに学ぶリスクマネジメントの実際」と題した国際シンポジウムを開催しました。 こうした調査結果をまとめて、今回、『病院ボランティアの導入モデルとリスクマネジメントに関する調査研究』、『病院ボランティアのコーディネートとリスクマネジメントに関する総合研究』をまとめました。 また、アメリカの病院ボランティアについては「アメリカの病院ボランティア・システム」,『社会保険旬報』,No.2215, pp.11-15.,社会保険研究所(2004)があります。

病院ボランティア調査一覧

  • 『病院ボランティアの調査』(1999)
  • 『病院ボランティア やさしさのこころとかたち』日本病院ボランティア協会, 中央法規(2001)
  • 『病院ボランティア・グループに関する全国調査』(2003)
  • 『病院ボランティア・コーディネーターに関する全国調査』(2004)
  • 『病院ボランティアの導入とコーディネートに関する普及モデルの開発とデモンストレーション』(2005)
  • 「病院ボランティア・サポーター講座」(2005)
  • 「アメリカの病院ボランティア・ディレクターに学ぶリスクマネジメントの実際」(2006)
  • 『病院ボランティアの導入モデルとリスクマネジメントに関する調査研究』(2006)
  • 『病院ボランティアのコーディネートとリスクマネジメントに関する総合研究』(2006)
  • 「アメリカの病院ボランティア・システム」『社会保険旬報 No.2215』(2004)

病院ボランティアに関する著作物

安立研究室では、日本やアメリカの病院ボランティアのことをずっと調査研究してきました。現在 は、日本病院ボランティア協会のご協力をえて、九州大学大学院医学研究院の信友研究室とともに、全国の病院ボランティア・コーディネーターの調査をしてい ます。最近の成果が、次のものです。