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福祉社会学会『福祉社会学研究18』2021、書評(評者・須田木綿子)
安立清史著『超高齢社会の乗り越え方一日本の介護福祉は成功か失敗か』

本書は,宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と,宮崎駿監督による映画「千と千尋の神隠し」の話題をもって始まり,その話題をもって終わるそれを著者は,超高齢社会の乗り越え方を求める「旅」であると位置づける.そしてその解は,「成功と失敗という二元論の世界を超えたところにあるはず」という(p.17).広範な知識をもとに自由自在に思考をめぐらせる本書の世界は,もはや詩的である.
本書に通底するのは,超高齢社会そのものは必ずしも危機ではないはずだという主張であるにもかかわらず,その危機的側面が強調されがちである風潮の背景にエイジズムが関わっている.さらに,高齢者のための支援制度が硬直的であることが事態を一層複雑化させており,その典型として介護保険制度がとりあげられる.そして超高齢社会にしなやかさをもって対応するにあたり,「NPO」が重要な役割を果たし得ることが強調される.
エイジズムは定年制度を軸に論じられ,年齢を理由とする不当な差別であり,人権侵害であるとする(p. 12). しかしその結果として,高齢者は「市場経済の外側」 (p. 13) の世界で生きることとなり,そのような立場にあってこそ意識される社会の風景がある.そこで,その風景を生きる当事者として高齢者が,不当な年齢差別の撤廃や硬直化した制度に対して声をあげることで,超高齢社会に内包されているはずの豊かさを実現することができる(p.180). 「NPO」は, こうした高齢者の組織化のための枠組みとして意義をもつ.
介護保険制度の硬直性については, 1980年代後半から1990年代にかけて注目された住民参加型福祉活動に遡つての議論が続く.この活動は1998年の特定非営利活動促進法施行の推進力となり,多くの住民参加型福祉組織が同法に基づいてNPO法人格を取得し2年後の2000年に導入された介護保険制度に介護保険指定事業者として参入した。こうして「市民福祉」 (p. 14) の実現に対する期待が高まったのだが,今日では,介護保険指定事業者全体に占めるNPO法人の数や参入領域は限られ,活動内容にもかつての自発性や柔軟性を見出しにくい.つまり,住民参加型福祉活動は,法人格の取得と介護保険調度への参入という点において成功したが,「市民福祉」の実現には至らず, 本書ではこれを「成功なのに失敗」 (p. 14) と総括する.このような中で,そもそも介護とは何かという問いが発せられる.そして,今日のデイ・サービスの原型とも思われる「宅老所」を,介護保険制度導入以前から運営してきた「よりあいの森」という非営利組織の事例をふまえ(pp.32-47) ,以下の提言がなされる.老いは人としての自然な営みである. したがって, これを対応すべき課題としてとらえるのではなく、介護する─されるの関係からも自由なところで寄り添う, という視点からの高齢者支援が必要である.
本書はさらに,より広範囲な制度の再編の必要性を唱える.介護保険制度においては,政府が「NPO」 を事業者として「使う」(p. 56)構造にある.これを,政府と「NPO」が協働して「第三者による政府」(p. 88) を構築し,制度の運営にあたることが有効であるとし,そのモデルを米国に求める.また,今日の我々の社会では,既存の制度が機能不全をおこしつつある.終身雇用機会の減少や既存の産業構造の転換など,労働者を取り囲む諸条件は不安定さを増し,社会保障の持続可能性について悲観的な議論が多くみられる.地域や家族といった中間組織も弱体化している. しかし「NPO」 は, このような局面においてこそ本領を発揮できるのであり混沌状況から新しい社会連帯を構築するための推進役として,その可能性が強調される.
とりわけ興味深く思われた論点、として,以下の三つをあげる政府と「NPO」が協働して構築する「第三者による政府」に“Third Party Government”という用語を適用し, ここに積極的な意義を求める本書の視点は新鮮である.“Third Party Government”はもともと,民営化された公共サービスにおける行政の役割を榔捻する表現である.民営化によって行政の主要な役割は,統治(governing) から,業務を委託した先の第三者の統括(governance) に転じた. こうして,第三者を通じてしか機能を発揮できない行政を“Third Party Government”という.同じ意味で,“Hollow State” (空っぽの政府)や“Shadow State” (裏方政府) (Mliward and Provan,2000; Provan and Milward,1994; Salamon,1995)といった用語もある.これに対して本書が論じる“Third Party Government”は,ハーバーマス的な市民的公共圏のイメージに近い.
また本書には「ボランティアやNPOは,ネオリベラリズム的な政策動向とマッチンクが良い」(p.70) という記述があり,そうであるからこそ「NPO」は,グローバル資本主義経済の論理とは適度な距離を保つことが重要であるとする. しかし本書の他の箇所では,「NPO」という枠組みを活用して定年制廃止に向けての活動を組織化したり, 高齢者が消費者として経済活動に貢献し得る存在であることをアピールすることが促される.つまり,高齢者がグローパル資本主義経済とのかかわりを維持することの意義が語られる. 一見すると矛盾に思われる議論展開なのだが,評者は次のように理解している.まず,本書における「ネオリベラリズム」とは,前述の民営化政策に伴う行政機能の変容と,行政が業務を委託する第三の組織を統括する原理としてのニュー・パブリツク・マネジメントを指していると思われる.すなわち,ここでの「ネオリベラリズム」の直接の源は,グローバル資本主義経済そのものよりも,それを背景として導入された民営化政策にある.したがって,民営化された公共サービス・システムとの距離感が論点を構成するだろう.そして本書では繰り返し,「NPO」 は制度化されたシステムの外にあってこそ,機能を十全に発揮し得ることが強調されている. こうして「NPO」 の本来の居場所とは,行政や制度とは一線を画し,経済活動とは比較的近いながらもやはり一定の距離を保ったところにあると推察される.このイメージは再び,ハーバーマス的な市民的公共固に近い.
最後に,わが国では,米国に比べてNPOセクターが小さかったり「NPO」が行政の下請けになるのはなぜか(p.17) という問いがある. この間いは,本書全体を通じて評者が感じた疑問に通じる.本書における「NPO」 とは, どの組織を指すのか? 多くは,いわゆるNPO法人のこととして読み取れるのだが,いっぽうで,本書が比較の対象とする米国のNPOセクター(501( c)3と501(c)4という税制コードを持つ組織から構成される)には,わが国の広義の公益法人(財団,社団,学校法人,宗教法人, 社会福祉法人,医療法人)にNPO法人を加えた総体が相当する.これをわが国のNPOセクターとするなら,その社会的影響力は決して小さくはない.以上から本書は各種の非営利組織の中でも, NPO法人のさらなる発展を志向したものと推察される.
さて,本書の官頭に提示された「成功と失敗という三元論の世界を超えたところにあるはず」の,超高齢社会を乗り越えるための解は, どのようなものなのかその答えは,本書の読者各位が探索されてこそのお楽しみとして,ここでは伏せさせていただく.
1990年代より30年近くにわたって,高齢社会におけるNPO法人の可能性と課題を追求してきた著者の思いがこめられている.同世代の研究者として,感慨をもって本書を拝読した

(A 5判・196頁・本体1800円・弦書房・2020年)