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私の著書『21世紀の《想像の共同体》』に、「ジョニ・ミッチェルのウッドストックを聞きながら」というコラムを書きました。映画「三島由紀夫 vs東大全共闘」を見た感想もふくめて、日本とアメリカの若者文化を対比して考えるにあたって、このウッドストックという歌が、とても示唆的だと思ったからです。これは我ながら、結構ストンと胸に落ちる話ではないかと自負していたのですが、あまり反響はありませんでした。
ウッドストックに詳しい友人のNくんなどは、いやぁ、あれはウッドストックへの挽歌なのだ、アイロニーを込めた歌なのだ、というのです。うーん、そうなのかな。でもライブの「Shadows and Light」でも、ライブの締めくくりには、ゴスペルシンガーのグループが出てきて、ゴスペルでライブを締めくくっているし、ジョニの「ウッドストック」は、意外にも挽歌でも皮肉でもなく、ストレートにああいう幻視をみたのではないか、と思うのです。
そしてつい最近ですが、これはポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチの『クォ・ヴァディス』を踏まえているのではないかと思うようになりました。ジョニが意識していたかは分かりませんが、本質的なところで、似ています。「クォ・ヴァディス」は暴君ネロの治世下のローマ帝国で、キリスト教徒への迫害に耐えかねて逃げ出したペテロが、アッピア街道で逆にローマに向かうキリストに出会う話です。「クォ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、どこへ行かれるのですか)と問うたペテロに、イエスは「そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかろう」と答えたという物語です。シェンキェヴィチという人は、かなり霊感の強い人だったらしいのですが、これも凄い幻視ですね。