Currently viewing the tag: "加藤典洋、村上春樹、ノーベル賞"

もう6,7年になるのではないだろうか。ノーベル賞の季節が近づくと、九州の某新聞社から「今年も村上春樹が受賞したらあの原稿を使わせてもらいたい」との連絡が来るのは。そう、村上春樹がノーベル文学賞を受賞したら掲載される予定のコメントを書いたことがあるのだ。でも、毎年使われない。今年も連絡があった。さて、どうなるか。
今年は、村上春樹が例年になく活発にメディアに出演している。これまで禁断のテーマだった父親のことを書いた『猫を捨てる』、短編集『一人称単数』、さらに「村上レイディオ」というラジオ番組への積極的な出演など。ラジオは全部聴いている。なかなか面白い。でも、小説ほどではない。
このところ、加藤典洋の『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』という分厚い本を読み直している。これは凄い本だ。短編を独自の読みで大長編の評論にしている。これぞ謎解き評論とでも言おうか。濃縮された短編の背後に、こんな深い世界があったのか、ということを、独自の読みで示す。え、そうだったのか、という指摘が続出する。短編小説、というものを、読み、がどこまで深く解読できるのか。これはひとつの挑戦のケーススタディだ。たとえば「レーダーホーゼン」という村上の短編。これなど一読、さっぱり分からない。それをこう解説されると、なんだか、世界の霧が晴れたように分かった、という気になる。でも、本当に分かったことになるのか、分かりすぎるようにも思う。けれど、やはりこういう読みを、知らないでいるより、知ったうえで、この読みをどう上回れるか、もしくはこの読みの前に敗退するのか、そういう二転三転、二読三読の挑戦が必要だと思う。奥深い世界がそこにある。

さて、今年のノーベル文学賞。ぜんぜん期待していないが、さて、どうなるか。