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今年も社会学を卒業する4年生の卒論発表会がありました。私の担当は4名。どの卒論もなかなか良いできでした。九州大学社会学の卒論は最低でも4万字、今年は8万字書いてくる学生もいました。ツイッターやSNS文体でなく、長編小説を書くようなものです。それには、きちんとした構成と、長く書いて次第に深めていくという書き方の会得がポイントとなります。


ふだんは教授会が開かれる会議室をつかって卒論発表会です。

恒例の卒論報告会です。午前中には私の担当した学生の卒論の報告がありました。就活その他で困難な中、みんな、よくやりました。来年、私のところで卒論に取り組む新4年生も交えて新旧の4年生の記念撮影をしました。


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きょうは4年生の卒論提出日です。九州大学社会学では学部4年生の卒論に課される字数が多いので(4万字、ということは400字の原稿用紙換算で100枚程度)、学生たちも悪戦苦闘しているようです。
卒論指導をしていて感じることがありました。
それは学生が「書く」のではなく「打つ」ようになってきていることです。しかもパソコンのキーボードでなく、どうやらスマホに打っているようなのです。スマホの画面で「打つ」、というよりは「さわっている」「フリックしている」というべきでしょうか。授業中でもノートを広げている学生が少なくなりました。
おいおい、それって、「書く」ことなのかなぁ、という思いを禁じ得ないのです。
「書く」ってのは、頭で考えたことを、指先が筆記していくあいだに、あっ、これは違うなとか、これは平凡すぎるのなぁとか、こりゃつまらないやとか、自分の考えたことにたいして、指先が批評したり批判したり反抗していったりすることの経験でもあるわけです。
筆記しながら、指先やペン先が、頭の意図と違うことを書き始めたり、コトバが不思議と踊り出して、コトバあそびが始まったり、あらぬことを主張しだしたり・・・ようするに、考えたことと、書かれたこととが、ずれてきたりして、それがまた、新しい発見になったり、文章の起爆剤になったりするものだと思うのです。
・・・とここまで書いてきて、いかん、これは「deja vu」(既視感)だと思いました。30年前に、私たちが、上の世代から浴びせられた違和感。「君たち、手紙はワープロで書いてはいかん」とか、「ワープロになったら文体が変わった」とか言われた経験。
ふうん、なるほどねぇ、これが時代の移り変わりというものか。
かつて、私たちが、パソコンを使い出した時に上の世代が感じた違和感を、いま、私たちが下の世代にたいして感じているわけなんだなぁ。
でも、このところ、手書きが、やっぱりいい、と思うようになりました。手書きの時に、いちばん充実して考えることができるような気がする。手書きしながら、頭でなく指先が考え出す時が、いちばん、おもしろくたのしいアイデアが膨らんでいる。そう思うようになりました。とくに早朝におきて、布団のなかで、ぬくぬくしながら、小さなメモ帳に縦書きで着想を書いているときなんかに、それを強く感じますね。


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不安な時代なのか、初詣の人手が例年以上に多かった・・・

 

舩橋晴俊著『社会学をいかに学ぶか』(弘文堂)

この書は、たんなる社会学入門書ではない。社会学の学び方を切り口として、「学問的空振り」という、きわめて重要かつ本質的な問題提起を行っている。
私たちは、「人生の空振り」をしているのではないか、と問いかけているのだ。
この問いに、どきり、としない人はいるだろうか。
2年生の授業で、問いかけてみた。
ほぼ全員が、空振りしているかもしれない、と答えた。
私だって問いかけられたら、空振りの人生だった、と答えるかもしれない。
これは、重大事だ。たいへんだ。
大学で学ぶこと意味や異議が根本的に問われている。

「空振り」とは何か。
やる気があり、努力しているにもかかわらず、手応えがつかめない。学んだことの実感がなく、通り過ぎていくような気がする。何か大切なものを獲得しり、達成した感じがしない。何か虚しく空をつかんでいるような感じだ。やっていることの本当の意味や意義が感じられない・・・
そういうことだろう。
「努力しているにもかかかわらず」というのがポイントだ。
もともとやる気のない人、努力していない人は、バットを振っていないのだから、当たるはずもないし、したがって、空振り、もあり得ない。
ここでは、そういう人のことは、考えない。
問題は、やる気があって、努力しているにもかかわらず、だ。
典型例を出してみよう(特定の具体的な個人ではありません、念のため。集合的なケースを抽象化したものです)。
成績優秀、やる気も十分、授業には皆勤。それどころか、朝の1限から5限まで、毎日出席。
3年生からは、夜の公務員講座まででている。
学芸員資格、教員免許、社会調査士など、資格もたくさんとっている。
でも、卒論になったとたん、まるで書けない。
テーマがまるでない、のだ。自分が何を本当にやりたいのか、分からない。
卒論に取り組もうにも、取り組みたいテーマが見つからない、と暗い顔をしている。
書けない、どうしよう、混乱する。11月になって昼間が短くなると、夕方、不安になるのだろう、書けません、と相談にやってきて、やがて涙目になる・・・
こういう「優等生」は、珍しいことではない。
典型的な「空振り」なのだ。
4年間、まじめに熱心に「学んだ」。
しかしそれは受動的に教えられることを吸収しただけ。
喩えていえば、教室という画面で放映されているTV番組のようなものを、ただひたすら、まじめに見てきた、ということ。
教科書も読んできた。黒板の板書もノートした。でも、それは、自分で見つけて読みたいと思って読んだわけではなく、受動的に薦められたり、教科書だったから、読んだだけ。読んで、それで、おしまい。
就活も、勉強すれば確実に点がとれて合格しそうな公務員試験を、受験勉強と同じくひたすら地道に忍耐強くこなしただけ。
公務員になって、何か、やりたいことや、実現したい夢があるわけではない。
(公務員受験が悪いわけではありません。公務員試験にまっしぐらな人に、ありがちなので、ひとつの事例として取り上げているだけ。公務員を一般企業に置き換えても当てはまることは、すぐに分かるでしょう)
そういう「優等生」が、卒業を目前にして陥る激しい「空振り」感。
昔だったら、ここで一念発起、留年して世界放浪、自分探しの旅、となるのだろうが・・・(作家の沢木耕太郎や、写真家の藤原新也、などがその典型。沢木耕太郎の『深夜特急』、藤原新也の『全東洋街道』などは、いまでも胸を熱くする青春の書として、お薦めだ。)。
でも今では、そんな泥臭いことはやらない。
自分の空振り感は、封印して、まぁ、こんなものかな、と見切って、さっさと就職していく。
卒業時に「社会学って、何でも出来るというので進学しましたが、結局、どんなものかよく分かりませんでした」とか言って卒業していく。
うーん、こまったなぁ。

こういう学生を、私たち教員も、毎年、数限りなく見てきた。
社会学研究室が楽しいのは、それはそれでけっこうなんだけど、社会学そのものの魅力が分からないまま卒業していくのなら、われわれはいったい何をしておるのか、ということになってしまう。
学生がバッターボックスで「空振り」しているのを見ている私たち教員は、さしづめ無力な「コーチ」とか無能な「監督」にあたる。
期待して打席に送り出したバッターたちが、ぜんぜんヒットを打てず、三振の山を築いていく・・・今年も完封負けか、などというのは、じつに、残念な気持ちなのだ。
「監督失格」として、更迭されそうな気がする。

このままではいかん。
と、今年は、船橋晴俊さんの『社会学をいかに学ぶか』を教科書にして、2年生からいっしょに空振りをしない方向を模索しようと考えた。「社会学」とあるが、社会学の話だけではない。私たちすべてに共通している課題なのだと思う。


 


舩橋晴俊

社会調査実習を受講している3年生は、こちら


梅棹忠夫の『知的生産の技術』
とうとうこういう時代になったのだ。
きょう、社会調査実習に関する授業の中で、私にとってはサプライズがあった。
梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波新書)の紹介をしたら、誰ひとり、読んだことのある学生がいなかった。大学院生のティーチング・アシスタントですら、読んだことも聞いたこともないという。
があーん。そういう時代になったのかなぁ。そういえば、村上春樹も、みんな、読んだことがないと言っていたし。
でもなぁ、35年くらい前、私が高校生だった頃は、みんな高校生で、この本は読んでいたぞ・・・てなことを言っても、まったくの「おじさん言説」になってしまう今日このごろ、秋の夕暮れであった。
さて、この流れは、どこまでいくのか。


卒論における失敗のパターン
毎年思うのですが、成功する卒論にはパターンがありません。しかし、失敗するパターンは、どれも似通っています。
長年の経験で、こういうやり方をしてると失敗するな、こういうパターンにはまっていくとまずいな、というのが分かるのです。
さて、その恐怖の失敗パターンとは・・・

卒業論文執筆に関する注意点


第一回中間報告(20 枚程度)締切:2011 年7 月末日

第二回中間報告(40 枚程度)締切:2011 年9 月末日(なお、分量は400 字詰め原稿用紙換算での枚数)

卒業論文題目検討会: 2011 年11 月中旬

卒業論文題目届提出締切:2011年11 月30 日

卒業論文提出締切: 2012 年1月10日 午後5時締め切り

→ できるだけ前日までに提出するように!


1. パソコンとワープロ・ソフトウエアを使用し、必ずUSB メモリー、CD-R 等にバックアップをとること。

2. 用紙はA4 を使用すること。1 ページあたりの字数は、1 行40 字で30 行、つまり1,200 字(400 字詰め原稿用紙で3 枚分)とすること。ただし、英数字はすべて半角文字で入力すること。全体(本文)の分量は、原稿用紙100 枚程度。

3. 表紙、要約、目次を本文の前につけること。要約は2,000 字程度とし、目次の項目には含めない。目次には、本文の各章、各節のページ番号を記入すること。表紙と目次には、ページ番号をふらないこと。

4. 図、および表にはそれぞれに通し番号と表題をつけること。なお、図の場合は図の下、表の場合は表の上に通し番号と表題をつけること。

5. 内容的に次の項目を網羅すること:社会学的な問題設定、先行研究のレビュー、分析の焦点、分析方法、分析結果、まとめと考察、参考文献

6. 文献の参照の仕方、および参考文献の記述の仕方は、『社会学評論スタイルガイド』に従うこと。但し、句読点については通常の和文用の句読点で良く、コンマやピリオドを使う必要はない。

7. 提出物は、すべて学生第一係(文学部担当)に提出すること。

8. 質問等がある場合には個別に担当教員に連絡すること。

9. 平成24年度前期は、火曜日 5 限の「社会学研究法演習I」を履修すること。

10.「社会学研究法演習I」の単位認定、成績判定は、上記2 回の中間報告に基づいて行う。