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つい先日が九州大学の今年度最後の教授会でした。その後、志賀島にいく途中の海の中道のホテルで定年教授の送別会がありました。
毎年、この時期になると様々なことを考えさせられます。昨年は「送別会は(生前の)お葬式である」と考えました。
今年は、定年にともなう「ハッピー・リタイアメントの法則」を考えてみたいと思います。
その条件の第1は、定年後に次の仕事があることではないでしょうか。ふつう「定年」は「社会的な切断」です。社会から、もう必要ないと「解雇通告」を受けたようなものです。残酷な現実ですね。でも次の仕事があれば定年を深刻に考える必要がありませんからハッピーです(でも最近はこの第2の人生がある人はとても少なくなりました)。
第2は、お弟子さんや後継者がたくさんいることですね。どんなに優れた業績を達成したとしても、お弟子さんや後継者がいなければ社会的な孤立です。幸せにはなれません。しかしお弟子さんがたくさんいる人は、そういう人たちがおしかけて最終講義はお祭りみたいです。弟子や後継者がいれば後顧の憂い無く引退できるからハッピーですね。
こう考えると、何だかつくづく「日本だなぁ」とため息が出てきます。伝統的な日本社会のあり方がしっかりと残存しているのを感じます。日本人の「幸せ」は畢竟、家族や共同体との幸福な関係から由来するらしいのです。どんなにすぐれた人でも孤立した「お一人さま」だと、やはり寂しそうに見えてしまう。どんなに凡庸でも、たくさんの子どもや孫(やお弟子さんたち)に囲まれるとにぎやかで幸せそうに見えます。実態はどうあれ、日本における「ハッピー・リタイアメント」とは、大家族の中での老後、子どもや孫に囲まれた暮らし、共同体から祝福される引退、ということなんでしょうね。近代化したようで、全然そうでない日本社会。最近は小家族化や核家族化を通り越して「おひとりさま社会」となっていますし「無縁社会」の様相も濃くなってきました。和気藹々とした大家族や拡大家族はもう一種の「幻想」となりつつあります。弟子たちに囲まれた幸せな定年退職も「幻想」になりつつあるのです。しかし、不可能になりつつある「ハッピー・リタイアメント」は、それゆえ、より輝かしく「幸せそう」に見えるのですね。大学という「拡大家族」の中でのハッピーリタイアメント。今、その「大学」という拡大家族も共同体ではなくなりつつある現在、「拡大家族」の中での幸せを望んで達成できなかった人たちとっては、この時期は残酷な季節でもありますね。

(誤解無きよう、お弟子さんや後継者に恵まれた人が凡庸だという意味では、まったくありません)


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