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安倍晋三内閣の支持率が下がらないので、「憲法改正」が「現実」味を帯びてきた・・・と皆が思い始めて、あわてている。米国では、「トンデモ候補者」トランプが大統領になっちゃうかもしれないと、皆があわてはじめた。とても似ている。日本とアメリカは、こんなにもシンクロしているのか。世の中、これからどうなるのか、ざわざわしてきた。
柄谷行人の『憲法の無意識』(岩波新書)は、こんな現在にたいして、「あわてふためくことはない。憲法は無意識のものだから、そうかんたんに変わらないし、変えられない」と宣言する。
「(自民党は)改憲をめざして60年あまり経つのに、まだできないでいる。なぜなのか。それは彼ら自身にとっても謎のはずです。」
「憲法9条が執拗に残ってきたのは、それを人々が意識的に守ってきたからではありません。もしそうであれば、とうに消えていたでしょう。人間の意志などは、気まぐれで脆弱なものだからです。9条はむしろ「無意識」の問題なのです。」
冒頭から、いきなりの柄谷節の連打で、なるほど、そのとおりだと、いきなり説得されてしまいそうです。
「(自民党などの改憲派が)9条は非現実的な理想主義であると訴えたところで無駄です。9条は、「無意識」の次元に根ざすのだから、説得不能なのです。意識的な次元であれば、説得することもできますが。」
「そして、このことを理解していないのは護憲派も同様です。憲法9条は、彼らが啓蒙したから続いてきたわけではない。9条は護憲派によって守られているのではない。」
このように、たたみかけるような断言です。読者は、論証されるより前に、いきなり説得されるのです。
柄谷行人節の特徴は、このような、いきなりの「つかみ」です。論証も実証もなく、いきなりの断言で、私たちの意識の下まで入り込んでくる。まさに、啓蒙や説得ではなく、「無意識」の次元に飛び込んでくるのです。うまいなぁ。
もちろんフロイトの概念をつかって「無意識」を、「前意識」や「潜在意識」と区別したり、GHQによる検閲や世論調査という無意識の探求の話もはさまれますが、基本は、憲法9条が、人々の戦争に対する「無意識の罪悪感」に根ざすものであり、それは宣伝や説得によって変わるものではない。これが冒頭におかれた「憲法の意識から無意識へ」という基本主張です。
なるほど、われわれは、この世界が、われわれの意識で作られており、意識で変えられると思いすぎていたのかもしれない。
投票や政治のような意識的行為に、「期待」をかけたり「失望」したり「絶望」したりするのは、表面的な浅いことなのなのかもしれない、などと思わせる(これについても賛否両論あるでしょうが)。
その後の章では、「憲法の先行形態」、「カントの平和論」、「新自由主義と戦争」と論証の章が続きますが、冒頭の「憲法の意識から無意識へ」が圧巻なのです。本書は、この主張をどうみるかで、真っ二つに評価が分かれるでしょう。
まさに説得されるかどうかでなく、無意識が表れるのです。


柄谷行人 憲法の無意識