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「殺しの烙印」とは、ちょっと謎めいたタイトルである。「烙印」とは「Brand」(牧場の牛に焼き印をつけて所有権を主張した)である。「順位」は「Rank」である。映画を見れば分かるとおり、この映画は、焼き印やブランドの話ではない。「ナンバーワン」を見つけて殺そうとする話、殺しやのランキングをめぐる話、そして「ナンバーワン」とは何か、をめぐる話なのである。
殺し屋は、ナンバーワンからナンバー9くらいまで、厳密にランキングされているらしい。組織から指令がきて、しくじるとランキングを落とされる、それだけでなく失敗すると殺される、そういう掟の世界らしい。ナンバー3の男が、ナンバー2や4は始末するが、ナンバー1から狙われる。そういう状況の中で、次第に狂っていくナンバー3。
シネラの資料によると「当時の日活社長は、わけのわからない映画を撮る監督はいらない、と鈴木監督を解雇した」「ところが、ジム・ジャームッシュやウォン・カーウァイといった次世代の世界中の監督に熱狂的に支持され、鈴木清順の名前を世界に知らしめた作品となった」とある。
そういうコンテキストを知らないと、実験的で、訳の分からない映画、と見えてもおかしくない。後半は、ちょっと長い。
真理アンヌという女優が、まだ初々しくて、ほとんど演技らしい演技をしていない。不思議にエキゾチックな人だと思っていたら、インド人と日本人の間に生まれたらしい。大瀧詠一の「夢で会えたら」を歌ったシリア・ポールもインド系らしい。いずれにせよ真理アンヌがまだ十分開花していない時期の映画で、そこにも惹かれるものがある。
さて、ナンバーワンというのは、じつに相対的な概念で、流動していく。それは、本人が決めるものではなく、多くの殺しやの中で相対的に決められていくものであり、本人がいくら望んでも得られない。さいごに、真理アンヌが、じつは、ナンバーワンだったという「可能性」を示して終わる、という筋だったら、どうだろうか。