8月8日に精神医学者の中井久夫さんが88歳で亡くなられました。社会学者には中井久夫ファンが少なからず存在するようです。私もその一人ですが、どうしてでしょうか。おそらく中井さんが取り組んだ「精神病にたいする治療とは何か」という問題と、社会学者が取り組む「社会問題(社会が病気になっている)にたいする解決とは何か」とが、とても近しい問題意識だからではないでしょうか。しかも、精神病とは何か、と、社会問題とは何か、とが、これまた同質の定義困難な(あるいは世界観や価値観によってまっぷたつに分裂するような)課題だからではないでしょうか。精神科医は、他の病のように原因が確定していない、しかし症状はたしかに現れている病気を「治療」しようとします(フロイトの取り組んだ神経症と、中井さんたちが取り組んだ統合失調症などでは、事情は違うかもしれませんが、同質の問題をはらんでいます)。社会学者の取り組む社会問題も、それが問題だという人がいるから問題になるという構築主義の社会学まであります。客観的な原因があるのかないのか、しかし症状や問題は起こっている、こういう微妙なラインに切り込むには、細心の注意と高度な方法論、そして天才的な分析能力や文章化する才能が必要になるのでしょう。ゆえに中井久夫さんの著作は尽きせぬ霊感の泉なのです。つい最近も、中井さんのヴィトゲンシュタイン論(『天才の精神病理』所収)などを活用しようと一年前から準備していたところでした。逝去の報に接して、あらためて『治療文化論』などを読み返しています。精神医学や医療とは違う観点でしょうが、社会問題を扱う社会学としては「治療」をどう考えるか、避けて通れない課題です。戦争をおこしてしまうような人の「治療」は可能なのか。戦争のあと「社会の治療」はどう可能なのか。中井さんの含意とは違うかもしれませんが、ついついそんなことまで考えてみたくなる刺激に満ちた論考です。


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