From the monthly archives: "6月 2026"

いよいよ今日(2026/06/27)で新宿のジャズ喫茶DUGが閉店になったそうです。私たちはひさしぶりに東京にいった機会(先月5月下旬)に訪れてみました。ピットインなら浅川マキのライブを聴きにずいぶん通ったけれど、ジャズ喫茶DUGのほうは、行ったことがありませんでした。閉店のニュースですでに階段にまでならぶ満員でした。しかも着席してからも長かった。注文をとりにくるのに30分、ウォッカトニックやサンドイッチがくるまで、さらに40分という具合でした。でも、いろんなことが反時代的だったんでしょうね。店内の雰囲気は良かったし置いてあるオブジェや絵画もよかった。閉店まえに行けてよかった。



アンドリュー・ワイエス展が話題ですね。山田五郎さんの解説などを聴くと、絵だけでなく彼の人生も謎めいていますね。さて、いまから20年ほどまえ、半年ほどボストンに滞在していた頃、思い立って夏の終わりにメイン州までレンタカーで旅したことがあります。北になるほど風景は美しいのですが、ちょっと荒涼としたかんじになっていきます。まさに「クリスチーナの世界」ですね。道沿いにあるロブスターの屋台で食べたり、小さなコテージのような美しいモーテルを見つけてふらっと泊まったり、良い思い出です。安くてコンフォタブルで、まるで童話の世界のようでした。


(この緑色のコテージに泊まりました)

(名物のロブスター)



 

福岡市図書館シネラで元RKBのディレクター木村栄文のドキュメンタリー番組「むかし男ありけり(1984)」を見た。

檀一雄が晩年をすごしたポルトガル・サンタクルスと福岡の能古島での足どりを俳優・高倉健が追ったドキュメンタリーとある。深作欣二監督の映画「火宅の人」が檀一雄と不倫相手との凄絶な道行きを描いていたのにたいして、こちらはうってかわって、檀一雄が異国のサンタクルスで街の人たちに好意的に受け入れられ、幸せな晩年を過ごしました、というまったく別の姿が描かれる(居酒屋の人々や、貸別荘の管理人おばちゃんオデッセとの交流(買い物にでかけて、オデテかえらず、犬かえる)。病をえてかえってきた博多や能古島で、やはり人びとから慕われていた檀一雄を、肯定的すぎるほど肯定的な姿に描いていて、これは「火宅の人」への反歌のようにして作られたドキュメンタリー・ドラマだったのだ。これは、檀一雄に共感をおぼえつつ、まったく逆のタイプの人だった高倉健がリポーターや朗読者として登場したことも大きかったろう。

しかし、さすがに木村栄文だ。90歳で存命だった檀一雄の実母を登場させたり、壇ふみやヨソ子(沢木孝太郎の『檀』の主人公)らが、そろって檀を肯定的に語るのは、驚きであり、なるほどみんなが見たいものを見せ、みんながそう考えたい檀一雄像をみごとに描きだしたのはすごい手腕だ。



福岡出身の夢野久作の『少女地獄』の中の一編「殺人リレー」を福岡出身の石井聰亙監督が「ユメノ銀河」(1997)というモノクロ映画にしました。福岡市文学館が中心となって福岡市総合図書館シネラで上映されたので見ました。殺人鬼の運転手役を演じる若き浅野忠信がいいですね。バスの車掌役の少女とだまって見つめ合う時間がじっくりと長い。あぁ小説と映画は、ここが決定的に違うのだ、と思いました。映像と時間に語らせている。そしてホラーではなくてサスペンスですね。それにしても夢野の原作とこの映画はかなり結末がちがっています。なんだか夢野の夢というより、映画人のみた悪夢「反ユメノ映画」のようです。


高橋源一郎の『ぼくたちはどう老いるか』(朝日新聞出版)を読みました。この3月に読売新聞夕刊で私と村瀨孝生さんの共著『介護のドラマツルギー』が紹介されたとき、彼の本も同じく「アンチ・アンチエイジングの本」として紹介されました。ですから読まなくてはと思っていたのです。読んでみると、これは予想外に深い本でした。

内容的には、鶴見俊輔の『もうろく帖』や、吉本隆明の老いを描いたハルノ宵子の『隆明だもの』、有吉佐和子の『恍惚の人』や耕治人の『そうかもしれない』などを紹介しながら、彼の老いと死にかんする思考や感想を書き記しています。さいごに谷川俊太郎や自分の弟の通夜のことなども書かれています。これらの先人たちの老いと死を、その書かれたものを読みながら考えるという本でした。

じつは『介護のドラマツルギー』を書く時に、私は鶴見俊輔の『もうろく帖』と谷川俊太郎の童話『おばあちゃん』を材料に、死の受容と老いの受容の違い、どちらがより困難か、それは老いの受容のほうではないか、などという草稿をつくっていたのです。そして『君たちはどう老いるか』という書名も考えていたのですが、けっきょくその草稿も書名もつかいませんでした。

源一郎さんの本は、どのエピソードにも、かなり驚きと深みのあるものでした。この本を読んだあと、ハルノ宵子(吉本さんの長女)の『隆明だもの』も一気に読みました。こんな本が出ていたのか、知りませんでした。


つげ義春が亡くなって多くの追悼記事が出ています。私が初めてつげ義春という名を知ったのはNHKの佐々木昭一郎さんのドラマ「紅い花」(1976)からでした。きくところによれば、つげさんは佐々木さんのドラマを評価しなかったそうです。どうしてなんでしょうね。私などは一発で佐々木ドラマに魅了されたのですが。

ところでスペインの映画監督ビクトル・エリセの代表作「ミツバチのささやき」(1973)を最近見直してみると佐々木ドラマの「紅い花」と共振するものを感じるのです。似ているのです。どこが。脱走兵と孤独な少女の接近遭遇というテーマが。

制作された時間順でいうと、つげさんの漫画、エリセの「ミツバチ」、佐々木さんの「紅い花」となります。エリセの映画の日本公開は1985年だし佐々木さんのドラマには脚本家がいるという具合に事情は錯綜していますから、単純に影響関係は言えないと思います。ですが不思議な共通性と共振を感じます。佐々木さんのドラマにも、エリセの映画にも、戦争の記憶と脱走兵がでてきます。主人公の少女が幻視しやすい子供です。大人の戦争から脱出してきた脱走兵と少女がふれあいますが脱走兵は殺されます。そして少女は謎をかかえて沈黙しながら成長していくのです(これは、エリセの「エル・スール」など彼の映画に共通していますね)。漫画も、ドラマも、映画も、それぞれに深い味わいがあると思います。