新学期3日目、きょうは全学1年生にむけた「社会学入門」のオンライン授業です(受講者200名に限定)。いきなりオンライン設定でトラブル。TAとともに大汗をかきました。オンライン授業はこれだからスリリングですよね。パワーポイント30枚、考え抜いた構成ですが、夏目漱石の「吾輩は猫である」とジブリの「千と千尋の神隠し」が共通する問題提起をしている、というところから入りました。ついで映画「アラビアのロレンス」の話。この映画の前半のクライマックス「ガシムの救助」のシーンを画像をつけて解説しました。これはコロナ禍で私たちが無意識に行っていることへの批判と受け止めるべき重要なシーンなのです。


秋学期二日目、4月に社会学に進学してきた16名の学生たちと初対面(というかオンラインなのですが)。授業の概要を説明するのに30分。その後、ひとりひとりオンラインで自己紹介してもらいました。合間に質問したりコメントしたりしていたらわずか8人で1時間たってしまい、全員おわらずタイムアップ。来週もまた自己紹介の続きをしてもらうことになりました。でも、自己紹介、面白いし、大切ですよね。こちらもついつい関心を惹かれていろいろ質問してしまいます。これは若い人たちの考えていることを知る良い機会。この自己紹介合戦、毎年の楽しみのひとつです。


秋学期が始まりました。つい先週までは緊急事態宣言発令中で、公共施設は図書館もプールも駐車場まで閉鎖だったのに、いきなり大きく流れがかわって戸惑います。大学からも「対面授業かハイブリッドを考えよ」などといってくるのでますます戸惑ってしまいますね。学生からも直接問い合わせがあります。でも、理由なく沈静化しているのは、いつまた理由なく燃え上がるか分からないですから、これで治まるのだろうか。もうしばらく状況をみたいですね。

(写真は九州大学伊都キャンパスちかくの二見浦)


社会学の大先輩の橋爪大三郎さん。『中国 vs アメリカ』といういささか物騒な本を出されました。読んでみると、香港で強引だった中国、つづいて台湾をめぐって中国とアメリカの衝突が近いという予想です。習近平政権は戦前の日本のようだと言うのです。中国語の世界観の中だと戦前の日本のように暴走して押しとどめるのは困難だと予測しています。途中、台湾をめぐってアメリカと中国が戦うとなると、どのようなシナリオになるか、事細かにシミュレーションしてあって、ここまで状況は切迫しているのか、と驚きます。いささか軍事オタク風でもありますね。でも読んでみるとこれがまっとうな論旨。あえて言えば小室直樹直伝の論の進め方ですね。けっして「トンデモ本」ではありません。数年前の『日本逆植民地化計画』も驚くような論旨で理解できるまで時間がかかりましたが、今回もそう。なんだか令和の預言者のようになってきた橋爪さん。でも考えさせられます。


そろりと開館しはじめた図書館、その中にある映画館でひっそりとマイナーな映画を観ています。まずTVで放映されたり、DVDになったりすることはありそうもない映画たち。渋いというか、DVDだっらぜったい早送りしてしまう、あるいは数分して見るのを止めてしまうに違いないような映画たち。でも、映画館だと観つづけることになります。これは不思議な体験です。暗い空間の中で自由が制限されて2時間近く、いわば望んで強制されながら観つづけるからです。でも、考えてみると、社会の中にで「生きる」ということは、映画館の中のように自由でありながら強制されて同じ物語を見ることなのか──とりわけ「政治」の世界の物語を強制的に見させられることなのか、とも思わせます。現実世界では、つまんないからといって席にを立つわけにはいかないけれど……映画を観る経験は、なかなかに考えさせることの多い含蓄の深い経験のように思います。(写真は秋空に変わりつつある夕焼けです)


昨日の満月直前のハーベストムーンです。手持ちのコンパクトデジカメなのに、パソコンで拡大すると月のウサギや、飛び始めたコウモリなども映っていてちょっとびっくりでした。中秋の名月は、必ずしも満月なるとは限らないそうです。昔は月の満ち欠けの中間点にあたる15日が満月であると考えられていたからで、実際は月の公転軌道は楕円形でずれが生じるからだそうです。2021年は、8年ぶりに中秋の名月が満月になったそうですが、残念ながら今夜の福岡は曇天その後、雨天になっています。


昨日(9月17日)は観測史上はじめて福岡に台風が上陸したそうです。じっと自宅にこもっていましたが、アマゾンプライムで偶然見つけた「太宰治短編小説集」というTV番組がすばらしい。太宰治の短編集を、満島ひかり、森山未來など、個性豊かな出演者が新進気鋭のクリエーターとコラボし映像化したとあります。「トカトントン」は野田秀樹の朗読です。「走れメロス」は森山未來。そのほか「女生徒」「きりぎりす」「グッド・バイ」など、見はじめたら止まらなくなって全部見てしまいました。これはなかなかの傑作です。トカトントン、走れメロス──昔読んだはずなのにディテール全然覚えていない。こんな物語だったのか!


近くの公園のベンチに、こんな張り紙を見つけました。これを見たとき小さな絶望を感じました。苦情を言うことは悪いとは言えません。でも思うのです。こういう苦情を言う人は、今の政府や政治家にも、同じように苦情を言うだろうか、と。私の経験では、小さなことで怒る人は、もっと大きな問題になると、どうもそうではない。不思議です、謎です。どうして公園での歌や口笛に我慢できない人が、今の政治に寛容になれるのか。


911の日です。21世紀になっていきなりのガツーンというショック。21世紀はとんでもない世紀になるぞ、という予告だったのでしょうか。その後、そのとおりのマイナス世界になってきています。「2001年宇宙の旅」どころか(あの映画もコンピュータの反乱というある種のディストピア映画だったのですが)どんどん未来が見えなくなる一方ですね。相変わらず昔と同じなのは政治の世界だけかな。空は秋へと急速に移り変わっています。


彼岸花が満開です。福岡は緊急事態宣言延長ですが、そんな中でも十月からの秋学期の授業が迫ってきました。全学の1年生向けの「社会学入門」も残念ながらオンライン授業になります。今年は、受講希望者が350名ほどになったので200名に受講制限してもらいました。毎年一年生で満員になった大講義室に入っていくときのスリリングな感覚──それがオンラインだと、顔も見えなくて残念です。
緊張感あふれる1年生に向かって、こちらも最大限テンションを上げて授業するのが、大学での最大の楽しみのひとつでした。多少大げさに言うと、大講義室に入っていく時の感覚──あれはまさに「ボヘミアン・ラプソディ」そのものなのですね。


「図書新聞」の最新号にも、拙著『21世紀の《想像の共同体》─ボランティアの原理 非営利の可能性』(弦書房)の書評が掲載されました。金城学院大学の朝倉美江さんによる、詳細な紹介と要約のうえでの書評です。しっかり読んで下さって、ありがたいことです。前著『超高齢社会の乗り越え方』に比べて、今回の著書は、書名がふわっとした感じだったせいか、なかなか書評していただけなかったのですが、ようやく取り上げていただけて、うれしいことです。


あっという間に夏がもすぎさっていきます。今年は大雨など異常気象つづきでした。図書館が閉鎖なので、気分転換に最近は近くの公園のベンチなどで原稿執筆しているのですが、日陰でも着実に日焼けすることを知りました。今年は前半だけで相当な分量の原稿を書いたのですが、読み返すと迷いがでるばかりです。書いては消し、書き直しては捨てるの毎日でストレスがたまります。
昔はなかった白い彼岸花が咲いています。もうすぐ終わりそうです。


「日本農業新聞」の8月29日版に、私の著書『21世紀の《想像の共同体》─ボランティアの原理 非営利の可能性』(弦書房)の紹介が掲載されています。思えば、昨年の今頃、執筆にとりかかった本でした。ずっと図書館にこもって書きました。今年は、図書館すらも全面閉鎖になっています。まさか一年たって、もっと事態が悪化しているとは夢にも思いませんでした。


いつまで続くぬかるみぞ──緊急事態宣言発令で、もう一ヶ月以上図書館も市民プールも閉鎖。夏の間に一冊ぶん原稿を仕上げる予定が大幅に狂いました。泳げなくなって体力もがたおち。おまけにかつてない大雨つづきで行き場がありません。そこで近くの公園にでかけて水辺ちかくのベンチで原稿を書いたりしています。日暮れが早まってきたのを実感します。夏はいつのまにか足早に……


今日の「村上ラジオ」はなかなか良かったですね。そして番組の最後の最後で次のようなクロージング・メッセージ。「菅さんはおトシのわりにすごく視力がいいんでしょうね。僕は菅さんと同い歳だけど、出口なんてぜんぜん見えてません。この人、聴く耳はあまり持たないみたいだけど、目だけはいいのかもしれない。あるいは見たいものだけ見ているのかもしれない」──拍手。


博多祇園山笠の中心、櫛田神社にほど近く、風格のある和風旅館でした。近くを通るたび、いちど宿泊してみたい。福岡にくる友人、とくに外国からくる友人には、ここを薦めてみたいと、前から思っていました。その思いが叶うことはなく、コロナ禍の中、ひっそりと消滅したらしいです。何か、ひどく、虚しい思いです。日本に英国のような「ナショナル・トラスト」があればと思います。どうしてあの歴史的な風格ある建物が、駐車場にならなくてはいけないのでしょうか。https://news.yahoo.co.jp/articles/cf92f0e54d90fcfab4943f3ddfdefb0cbcb6d71b


サラモン先生逝去の報で思い出しました。サラモン編の『Global Civil Society, Volume One: Dimensions of the Nonprofit Sector』の翻訳が、Y先生監訳でM書房から出版されるはずでした。私もある章を割り振られたので、大学院生とともに一夏をかけてその翻訳に打ち込みました。その後、Y先生からもM書房からも、何の連絡もありません。あの翻訳出版は、いったいどこに消えたのでしょうか。あの本、歴史的文書として、今でも出版する価値はあると思うのですが。


ジョンズ・ホプキンス大学での思い出。サラモン先生からは、これが私の主著だから、と『Partners in Public Service』にサインをいただきました。長年、この主著にある「第三者による政府」という概念が良く分からなかったのですが、昨年、その含意について思いを巡らせ、私なりの解釈に到達しました。なんだか長年にわたるサラモン先生からの宿題に答えることができた気分でした。今年3月に上梓した著書『21世紀の《想像の共同体》』のあとがきにも、謝辞として、そのことを書いたばかりだったのですが……


サラモン先生の突然の訃報に驚きました(8月20日に78歳で亡くなったそうです)。出口正之さんに紹介状を書いていただいて、ジョンズ・ホプキンス大学に滞在したのは、21年前になります。3月、マグノリアが咲き乱れるキャンパスに到着してサラモン先生にお会いしました。世界中から、とくに東欧や旧ソ連から、NPOを学ぶ留学生が来ていました。ボルティモアは全米でも有数の犯罪率の高い町として有名ですが、郊外にあるジョンズ・ホプキンス大学は別天地でした。大学周辺の住宅地を散歩するとその美しさに魅了されました。夕方ボルティモアのダウンタウンからバスに乗って大学に帰ろうとすると乗客はすべて黒人、しかも巨大な人たちでした。おそるおそる話しかけてみると、とてもシャイで物静かな人たちだったことを印象深く思い出します。


マグノリアの花咲くジョンズ・ホプキンス大学キャンパス