シルバーウィークの直前、「宅老所よりあい」代表の村瀨孝生さんと愛知県知多市に講演に行ってきました(2026/9/19)。認定NPO法人ゆいの会の35周年の会で、共著『介護のドラマツルギー』のことをお話ししたのです。じつは「宅老所よりあい」も同じく35周年だそうです。村瀬さんの大好評の講演のあと、私がNPOと介護保険の35年間をふりかえる解説をしました。後半は『介護のドラマツルギー』をめぐって村瀬さんとの対談と会場からの質疑応答をしました。次々に質問がでて盛会となりました。会場からセントレア空港への帰りの道すがら、村瀨さんと次の共著の計画についても話し合いました。


NHK・Eテレ「こころの時代──ファンタジーに秘められた宗教」を見た。

毎月一度のこの番組、最終回は、手塚治虫の「火の鳥」と宮﨑駿の「風の谷のナウシカ」だった。だが1時間の中にふたつを詰め込むのは難しかったことだろう。手塚が45分、宮﨑が15分くらいでは後半がちょっと物足りなかった。「ナウシカ」の漫画版は、映画とちがってかなり難解だし。ただ私はこれまで「火の鳥」全巻は読んだことがなかったので、火の鳥の概要がわかってよかった。火の鳥とナウシカを結びつけるというのは、かなり大胆で斬新な視点だった。しかし全体としてみると成功していたと思う。

このシリーズでは、1回目の「星の王子さま」(「ちいさな王子」のほうが良かったと思うが)の回と、4回目の「銀河鉄道の夜」とがとくに面白かった。全体として、翻訳家で宗教学の中村圭志さんという人と、キリスト者(若松英輔)や仏教者(釈撤宗)、そして毎回、若い女性読者代表という三人で進行するというのが、見やすさ、聴きやすさを生んでいたと思う(いささかフェミニズム的な視点からいうと問題かもしれないが)。こういう番組は、上からメセンのお説教くささが出やすいのかと思ったら、そうではなかった。宗教の話メインではなく、ファンタジーの話メインで、最後に宗教との関係が示唆される、というのはなかなか考えられた作り方だった。

「加藤周一現代思想研究センター」が来年3月で終了

京都の立命館大学の図書館内にある「加藤周一現代思想研究センター」が来年3月で終了するという。残念である。2011年に、加藤周一の遺族より、自宅に所蔵されていた2万冊に上る蔵書と厖大な遺稿や資料類の寄贈を受けて開設された加藤周一文庫はさまざまな活動をしてきた。彼の遺した1万頁を超える「手稿ノート」もデジタルアーカイブ化して一般公開してきた。さらに加藤の編集者であった鷲巣力さんを中心に、「羊の歌を読む」として毎月、公開読書会も開催してきた。私は京都に出かけたおり二度ほどセンターを訪問して資料などを見せていただいたことがある。読書会には近年オンラインで参加しはじめたのだが、これはすごい読書会である。岩波新書の『羊の歌』正続2冊を7年かけてじっくり精読している。私が高校生の時に読んで魅了された小さな本だ。これを毎回数ページじっくり読み進めている。読むだけではない、加藤の身近にいた編集者の鷲巣さんの解説もあって、書かれていることの背景にある事実が、途方もない深みが隠されていたことなどが、しだいに開示されてくる。わずか数文字の中にも、解説されなければぜったいに分からなかったような秘密が隠されていたりする。毎回、そういう発見がある。この読書会は、ぜひ続けてほしい。鷲巣力さんという「生き証人」から、もっともっと聞きたい知りたいことがある。


「こころの時代──ファンタジーに秘められた宗教」がNHK・Eテレで6回シリーズで放映されています。これまで5回放映されましたが、1回目と4回目が出色だったと思います。1回目のサン=テグジュペリーの回を見ていて思ったことですが、小さな王子が言うと「大切なことは目に見えない」という言葉がずしんと響いてくる。ところが、同じことを「大人や政治家や老人」が言ったらどうでしょう。プチの反対のグラン(将軍ド・ゴールのことらしい)に言われたら、上からの説教あるいは命令になってしまう。無力な子ども(プチ)に言わせるところが、ファンタジーですね。上下関係をひっくりかえすと、何かがうまれる。だから「星の王子さま」というのは、やはり誤訳だと思いました。星の王子というと、星という超越的なレベルからのお説教になってしまいます。しかしサン=テグジュペリは「星の王子」とは言っていません。「小さな」王子と言っています。「グラン」に対抗する「プチ」。大きなド・ゴールでない、小さな子どもの王子。その小さな王子が、物語がすすむと、だんだん幼子イエスに見えてくる。最後は昇天して新約聖書のファンタジーに見えてくる。これはとても面白い。また、小さな王子が、星めぐりをして、さいごに地球にやってくるのは、あたかも「銀河鉄道の夜」につながっているかのようでした。


9月19日(土曜日)に、愛知県知多市の認定NPO法人ゆいの会35周年記念イベントで、「宅老所よりあい」の村瀨孝生さんと安立清史が、『介護のドラマツルギー』について記念トークを行います。


 

夏休みとなると「銀河鉄道の夜」ですね。NHKでもアニメ「銀河鉄道の夜」が放映されたし、Eテレの「こころの時代」でもファンタジーに秘められた宗教として「銀河鉄道の夜」が紹介されました。何度も見た映画なのに見るたびに新しい。今回は「ハレルヤでなくハルレヤ」ということに気づかされた。アニメでは後半のハイライトのひとつ、タイタニック号で遭難した子どもたちが十字架の駅で降りていくシーン。かならずヘンデルのメサイヤが流れる。メサイヤはハレルヤ、なんの疑いもなくそう聴いていた。

ところが、賢治は「ハルレヤ」と書いているのだった。えっ、と驚いた。そうだったっけ?。調べてみるとたしかにそうだ。ふつうは「誤記」としてハレルヤに訂正されてしまうらしいが、賢治はあえてハレルヤをハルレヤと書き直しているらしい。これは謎解きの入り口だったのか。賢治の法華経信仰とキリスト教との微妙な関係──調べてみるといろいろな説が開陳されている。キリスト教そのものでなく、その日本的な受容の姿としてのハルレヤなどと……なるほど、これは面白いですね。


真夏の愉しみのひとつは露天の「屋外プール」に浮かんでぼんやりすること。福岡市の市民プールでは夏休み期間限定の屋外プールの開放がある。子ども用プールなので、わずか30センチくらいの浅いプールだが、そこに仰向け大の字になって浮かぶ。それには、うまく呼吸を整え、全身を脱力しなければならない。けっこうコツがいるが、この浮遊感がいい。プールに浮かんで空をみると、見上げるのでなく、見下ろす、という不思議な逆転感覚が生まれる。これは屋外プールでしか経験できない感覚ではないだろうか。上空を、とんびやつばめやトンボが飛んでいる。福岡空港へ着陸するための飛行機がひっきりなしに通る。でも、プールにうかぶと耳は水の中なので静かだ。こうやって、書き物の構想をねったり、宇宙に思いをいたしたりする。7月中の屋外プールは温泉みたいだった。8月もお盆が近くなると水温は行水のように涼しくなる。日が傾いていくのも1日ごとにはやまる。鰯雲がみえる。酷暑の夏も終わり始めているのだ。


「菫ほどな小さき人に生れたし」という夏目漱石の句があります。

ベランダに菫を何鉢も栽培していますが、スミレは春先に一度さくと、あとは自家受粉で花をさかせずにタネをつけます。その菫にやってくるのが、ツマグロヒョウモン(蝶)です。一昨年はスミレの葉を食べつくしました。昨年は来ませんでした。今年はまたきました。都心のマンションの2階のベランダにある数鉢の菫など、どうやって見つけだすのでしょう。自然の神秘ですね。さっときて産卵していったのでしょう。あっとういまに10匹以上の幼虫がスミレの葉を食べ始めました。一週間ほどであらかた食べ尽くし、その後どうなるかと思って心配していましたが、4、5匹が蛹になりました。そして8月上旬のある日の朝、いっせいに羽化して、あっというまに飛び立っていきました。確認できたところでは、メスが1羽、オスが3羽くらいでした。


渋谷毅の訃報が流れた。享年86という。渋谷毅といえば浅川マキの本『幻の男たち』(講談社、1985)を思い出す。この本のハイライトは「デュオ」という章の渋谷毅だろう。マキがライブを聴きに行くと「しぶやん、ウェイク・アップ」──ライブ途中で歌手が大声をだす。ピアニストが眠ってしまったのだ。このインパクトあるシーンとともに渋谷毅の名前が脳裏に刻まれた。やがて浅川マキのライブで渋谷毅の演奏には何度も出会うことになるのだが、この「しぶやん、ウェイク・アップ」が忘れられない。そして晩年の浅川マキのライブにはかならず渋谷さんがピアノを弾いていた。

書庫をさがすと浅川マキ『幻の男たち』があった。なんと浅川マキのサイン入り。85年の12月、池袋文芸坐地下「ル・ピリエ」でのコンサート会場で購入している。この本には柄谷行人と浅川マキの不思議な対談が付録としてついている。これも1980年代を蜃気楼のように思い出させる。


 

ポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラの「アブラハム渓谷 (完全版)」を、福岡市総合図書館シネラで見ました。なんと休憩なしの203分(3時間23分)です。こんな長尺映画をいっきに見たのは久しぶりです。「ニッポン国古屋敷村」以来かもしれません。YouTubeやDVDなどでは、ぜったいにこんなに長時間ひとりで見続けることはできないでしょう。映画館ならではの魔力ですね。フローベールの「ボヴァリー夫人」を翻案したそうですが、ふしぎな映画で、いまの時代、「ボヴァリー夫人は私だ」というように物語そのものに引き込まれる感じではありません。むしろ主演女優のレオノール・シルヴェイラが、3時間の中でしだいにふしぎな妖艶さに変容していくさまに魅入られる。ファム・ファタルというのとはちょっと違う。悪女タイプともちがう。フローベールの時代に新しかったことと、20世紀のポルトガルの地方の村の出来事が、とてもそうは見えないが不思議な共振をしている。このアイキャッチ画像は、3時間超の映画のほとんど最後の部分にでてくる映像です。

ちなみにこの映画で効果的に使われている劇的なモチーフ音楽は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の第四番でした。第五は有名な「皇帝」でも、第四はうかつにも聴いたことなかった。さっそく図書館で、ラド・ ルプーの演奏するCDを借りて来て聴きました。これは素晴らしい。