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『ローカルブックストアである──福岡ブックスキューブリック』(大井実著、晶文社)



「小さな本屋がまちづくりの中心になる」と帯にある。「小さな」「本屋」さんのサクセスストーリーの中に「まちづくり」のヒントが隠されているという意味だろう。「小さな、町の、本屋さん」というキーワード。かつては平凡な見慣れた風景だったが、いまでは、それがいかに困難なことか、本文を読むと分かる。

東京や大阪や海外で広告やイベントの仕事をしてきた大井さんが、思い立って「町の本屋」をやろうと出身地の福岡にもどってきた。そしてけやき通りに小さな本屋を開業した。2001年開業なので、スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」にちなんで「ブックスキューブリック」なのだそうだ。それから16年、様々な苦労や困難を乗り越えて、箱崎にも第2店舗を、そしてその2階にカフェやパン屋さんを併設。そこで様々なトークイベントも開催。「ブックオカ」その他のまちづくりイベントの中心にもなる、と一見したところ成功物語なのだが、その背景には、多くの問題提起がある。

 

町の小さな本屋さんの困難

その第一が、町で、小さな本屋さんを営むことがとても困難になっている、という現実だろう。都心部では巨大な本屋が林立するが、町中に、ひっそりとたたずむ「町の本屋」さんは、次々と姿を消している。商売上の問題だけではない。本の流通システム(本を出版社から本屋さんへ配本する取次システム)が、小さな本屋さんの独自性を許さない仕組み(並べる本は、取次会社が一方的に送ってくる、短期間に売れない本は置けない、独自の品揃えが難しい、などなど)になっているためらしい。大手取次は、都心部の巨大店舗に集中的に配本する。町の小さな本屋さんは、独自色を出そうにも取次システムがそれを許してくれないらしい。だから書店経営は「どこにもある品揃えの、無個性」になってしまう。それでは「大きな書店のほうがいいや」ということになる。さらには「ネットで注文したほうが早いし楽だ」となるのも当然だろう。悪循環になるのだ。そして地方の商店街によくある「シャッター通り化」や「後継者問題」。町の小さな本屋さんは「あってほしいが、ありえない」存在になりつつある。

 

「ブックスキューブリック」の戦略

そこで「ブックスキューブリック」の立てた戦略はこうだ。町中の小さな本屋であることの強みを最大限いかすこと。そのためには、小さいけれど魅力的なお店にすること。お客さんとの距離を近くすること。取次の言いなりにならず、本屋として本の品揃えに独自色をだしていくこと。そのためには取次ともシビアな交渉をすること。そして、何でもおいてる無個性の書店ではなく、特化したコアな本があること。書店にいくことがわくわくの「発見」になること。いわば「本のセレクトショップ」のようにしていくこと。さらに雑貨もおいて、いまはやりの「町カフェ」のようなくつろげる場所にしていくこと。本屋に行くことが楽しくなるように、本屋を経営することが楽しくなるように。これだった。ごくまっとうな特別なことではないようにも思える。でも、それが出来ないからこそ、多くの町の小さな本屋さんは店をたたんでいくのだ。

 

「ローカル・ブックストア」の人たち

町中の小さな本屋であることの強みを最大限いかすこと。これが結果的に「ブックスキューブリック」に成功を呼び込んだ。「成功」の定義にもよるだろうけれど、少なくとも大井さんの思いが実現できたということだろう。そして類は友を呼ぶということわざどおり、彼の周囲には、そういう志をもって地方の町の小さな本屋をやっている人たち、「ローカルブックストア」の人たちが集まってくる。福岡で行われている本好きの人たちのイベント「ブックオカ」も、こうした流れの中から出てきたようだ。この本をみると、そういう人たちが、各地に、少なからず点在していることが分かる。なるほど、こういう小さいけれど確実な波も来ているのだ。ひとつのスタイルが、はっきりとあるらしい。そういうことが見えてくる。

 

「まちづくり」へのヒント

レトロな「ふるカフェ」や路地裏にある「町カフェ」が若い人たちに人気だ(若い人たちに限らないかもしれないが)。福岡でも天神や博多より、大名や今泉のほうに、隠れ家的なセレクトショップや、古いアパートを改築したようなチープシックな小さな魅力的なお店が多くあって、感度のすぐれた若いひとたちが多く集まっている。「ローカル・ブックストア」も明らかにこの流れの中にある。

考えてみれば、これは、都心や駅周辺が、どこにもある同じ風景に変わってしまったことと関連しているに違いない。郊外の大規模なショッピングセンターも、どこでも同じようなものを売っている、どこも同じ大衆消費・大量消費の姿になっている。反対に、小さな町中の商店街が、どこも軒並み総崩れで「シャッター通り」化している。いつのまにか「いずこも同じ風景」だ。こういう切ない状況になればなるほど、それを逆手にとって「小さいことは良いことだ」、つまり「大規模になる」のと正反対の方向をめざす人たちも出て来る。大規模店やチェーン店ではできない手作り感ある何かをめざす人たちが出て来る。しかたなく小さいままでいるのでなく、積極的に小さくなる、そういう動きも出て来る。これこそ、「地元」づくり、ではないか。「地元」感あふれる「まちづくり」へのヒントが、この本の中には、あふれている。

 

箱崎への示唆

私たちの大学は「箱崎」にある。ブックスキューブリック箱崎店は、もちろん「箱崎」にある。徒歩10分くらいのところにある。しかし、ゼミで聞いてみたところ、ほとんどの学生は、この本屋さんの存在を知らなかった。これは考えさせられる。大学と箱崎、大学生と町の小さな本屋さんとの間には「近いけれど、近くない」「近いけど、遠い」距離があるのではないか。

「大学」はひとつの町である、と過日ゲスト・ティーチャーに来ていただいた柴田名誉教授[1]は言った。なるほど、大学もその中で閉じたひとつの町なのか。外にでる必要のない、閉じた町。ぎゃくに、町で出たい時には、天神や博多へと出て行ってしまう。そういう「近いけれど、遠い」構造が、この「地元」の箱崎という町にはある。

「近いから、遠い」というのは、若い人たちにとっての「地元」と同じ構造かもしれない。物理的な近距離が「近すぎて」、逆に「遠ざける」斥力をうみだす。「地元」には良い物がある、素晴らしいものも多い、といくら言ってもだめな時もある。いちど、遠ざかってみて、はじめて分かるものもある。物理的な距離、時間的な経過、心理的な遠隔化、関係性の距離、そういったものが、必要なのだろう。

「近いものほど見えにくい」。近くにあるものほど、マスキングされて、「見えているけれど、見えない」。

「地元」としての「箱崎」にも、そういうところがある。九州大学は全面移転をひかえている。離れていく、別れていく時こそ、あらためてその町の真価が、見えてくるのかもしれない。


[1] 柴田篤先生は、学生時代なら長く箱崎に住み、箱崎に愛着のある中国文学の先生で、箱崎九大記憶保存会の顧問的な先生で、ゼミにゲスト・スピーカーとしてきて箱崎における青春の思い出を語っていただいた。

年の瀬に駿台時代を思いだしました。その続きです。「師走」にはかつての「師」について思い出す時期でもあるのでしょうか。
いまだにその授業風景をありありと思い出せる駿台時代の先生といえば、私にとってそれはなんと言っても日本史の金本正之先生です。それまでに出会ったどの先生よりも、授業に気迫とエネルギーと迫真力がありました。一回一回の授業が全力投球。授業するたびにへとへとになっておられたのではないでしょうか。
内容も普通の予備校授業とはまったく違っていました。もし「日本史」が、過去にあったこと、事実として起こったことを、記憶させていく科目であったなら、それは記憶力をためす難行苦行以外のなにものでもない。でも金本先生の授業は違いました。日本の歴史上に起こったことを、ひとつのドラマとして、そこに生きた人間のドラマツルギーを再現しようとするものだったと思います。事実だけではなくおそらく脚色や思いも込められていたでしょう。でも、それは歴史を、TVドラマのように、やさしく分かりやすく解説するのとは全く違っていました。むしろ、事実の客観的な列挙では浮かび上がってこない「歴史」そのものへと肉薄しようとしているようだったのです。授業がそれこそ「歴史的事実以上の事実」へと突破していこうとする、ひとつの学問的情熱、のようなものを感じさせてくれたのです。
それは「日本史」という科目の特徴であったのかもしれません。事実を事実として提示するだけでは、今、こうなっている現在、から過去を正当化するようなことになりかねない。それはとても保守的な作業で、現在の視点からすべてを肯定しようとするナショナリズムになりがちだ。事実だけだと、そうなってしまいそうです。
でも、ベンヤミンも言っているように、「いわゆる「歴史」から〈歴史〉を叩き出す」ような作業が必要だ。ありえたかもしれない〈歴史〉があり、なぜそうならなかったのか、も含めて考えるような〈日本史〉があってもよい、いや、あるべきだ、そう考えられていたのではないでしょうか。
だからこそ、金本先生の授業は、歴史的な事件や事実の中へ、まるでその中に私たちがいるかのようにな場感をかもしだして引き込んでいってしまうのでした。劇的というか歴史上の人物に憑依したかのように。
真似して真似できるものではありませんが、私にとって未だに到達できないひとつの理想的な授業スタイルです。

*さてネットから金本先生を探しても、ほとんど情報は出てきません。かつて茨城大学で教えられていたこと、1994年に亡くなられていたことくらいが分かりました。合掌です。
……と書きましたが、さらに探すと、いくつか、金本先生の駿台予備校時代の授業について感想や資料が見つかるようです。


金本先生の論文───先生は中世史がご専門だったのですね。

先日入った書店でぐうぜん目にしました。この本です。

長岡亮介著『東大の数学入試問題を楽しむ: 数学のクラシック鑑賞』(日本評論社)

あぁ、駿台の若き名物数学教師だった長岡さんだ、と記憶が蘇りました。お元気なんですね。惹句を見ると、これがけっこうすごい。
……“予備校の若きカリスマ講師”が“初老教授”となったいま、若い人たちに贈る「これが数学!」の講義。往時のエリートたちが興奮した「本当の数学」「数学的受験勉強」の伝説が、いま、蘇える!“数学の考え方・学び方”のヒントがここに。……とある。

東京のお茶の水にある駿台に一年間通ったのは、もう40年も前になります。あの頃の駿台の先生は、すごかったなぁ。日本史の金本正之先生、英語の奥井先生、その他、すごい先生たちが揃っていました。いまでもその講義の名調子、思い出します。懐かしいですね。


数学のクラシック鑑賞、というが良いですね。そうか、東大の入試問題は、クラシックなのか。

私もゲスト・スピーカーとして提言書作成に参加した市民福祉団体全国協議会『「地域共生社会」推進のために~社会保障の新たな進展の基軸として』がまとまりました。市民協のホームページからご覧いただけますが、私のホームページの中でも紹介したいと思います。



市民協提言書 2017.12.21提言(完成版配布用)

今年は時ならぬ「ブレードランナー」の年でした。「ブレードランナー2049」が公開されるというので、「ブレードランナー」ファイナルカット版とディリクターズカット版を見直しました。また『「ブレードランナー」論序説』(加藤幹郎)という研究書も興味深く読みました。そのうえで「ブレードランナー2049」を観に行きました。その感想を以下に書きます(やや長文)。

さて前作「ブレードランナー」(1982)が年をへてますます評価が上がるのにたいして「ブレードランナー2049」のほうはあまり評判にならなかったようです。福岡でももうすぐ上映が終わってしまうというので過日、観に行きました。観客はまばらでした。残念なことですが、前作に、はるかに及ばないと思いました。

いくつか思いつくままにその理由をあげてみたいと思います。

・オリジナル版には、理不尽な寿命設計にたいするレプリカントの怒りと悲しみがあり、それを冷酷に殺していくデッカードの「正義」がどんどん怪しくなっていくという、かなり周到に考えられた映画の進行がありました。善のように見える者こそが悪ではないか、という映画的懐疑がしだいにふくらんでくるのです。とくにゾーラとプリスの殺害シーンにはリアルなだけに、それが端的に表れている。あの殺害には正当性がない、とても後味の悪い「正義の殺害」でした。それがクライマックスでのロイとデッカードとの対決への伏線となります。プリスの殺害のすぐあとですからデッカードの側に「正義」があるとはとても思えない。むしろロイのほうに正当性がある戦いです。だからロイがデッカードを痛めつけ勝利するのは当然です。正義と悪とがまさに逆転していく。いわゆる「悪」がいわゆる「正義」に勝利しているかのように見えてくる。動揺しているうちにデッカードが追いつめられる。そして最後のとどめをさそうとする寸前、ロイの寿命がつきていく。その場面が絶品です。映画史上に残るシーンでしょう。ロイの死の直前に驚くべき展開が起こる。レプリカントにとっては悪の権化であるデッカードを、最後の最後にロイが「赦す」のです。憎きデッカードを助け上げたうえで赦して死んでいく。これは『「ブレードランナー」論序説』でも書かれていましたが、ロイにキリストの姿を重ね合わせているシーンだと思います。ここが前作「ブレードランナー」の真骨頂のシーンでしょう。映画的には悪に描かれたロイこそがキリストの再臨であるかもしれない。「悪の中から現れるキリスト」、そう思わせるものがあります。驚きの余韻がさめぬまま、今度はデッカードが逃亡レプリカントのレイチェルを救い出して逃避行へでる。それをガフも手助けする。これこそ「映画的な共振」でなくてなんでしょうか。ロイたちの思いをデッカードが受け継いだのか。そしてヴァンゲリスの音楽が、殺伐としたストーリーに、なんというか、和解というか郷愁感をもたらします。ここはすばらしいラストシーンの流れだと思います。デッカードの姿は、まるでキリストを迫害していたパウロが回心していくかのようです。

1982年の「ブレードランナー」を代表する未来都市風景ですね

・これらの前作の美点にたいして「2049」はどうだったか。まるで深さを欠いています。お約束のような常識をなぞるだけです。前作を乗り越えることは無理としても、せめていくつかの点で前作を正統に継承すれば、素晴らしかっただろうに、と残念に思います。

・まず、前作ではレプリカントのロイがキリストのように人間デッカードを赦したのだから、今回は、ぜひとも、人間側が、もしくは人間側のレプリカントK(ジョー)が、対立するレプリカントを「赦す」展開になるべきだと思います。そうでなければ、前作における、レプリカントからデッカードへの一方的な「贈与」の物語から、こんどは人間からレプリカントへの「反対贈与」が成立しません。そうでなければ、釣り合いがとれないでしょう。ところが、期待していた、そのような反対贈与は起こらず、そしてサプライズも起こらず、いかにも平凡な展開です。ハリソン・フォードも、出るぞ出るぞと期待させた場所で予想通り出て来るし、逃避行のあとでも、何か人間的な成長があったようにも見えない。新ブレードランナーのKは一本調子で戦っているばかりだし、悪のレプリカントを退治するという、たんなる勧善懲悪物語に終始してしまいました。これではがっかりの凡作ストーリーだ。落胆してしまいました。

・今作は主人公のKがレプリカントという設定なのだから(じつはリドリー・スコットは前作でもデッカードがレプリカントであるという設定を考えていたらしいが、これはつまらない設定だと本でも批判されています)。善のレプリカントが悪のレプリカントを殺すという自己言及的な構造になっています。これでは、人間はレプリカント同士の戦いを高みから見下ろす安全地帯に退避してしまっています。これではいけない。もっと切実にならなければいけない。そのためには、ここからもうひとひねりが必要だ。一瞬、レプリカントが虐げられる側になって団結していくという労働組合的なストーリーもちょっと出てきますが、あっというまにしぼんで、レプリカントが善悪に分かれてレプリカント同士の力の対決に終始してしまいました。これではサプライズも広がりもない。

・いくつも前作へのオマージュの部分もはさんであるのだから、もうすこし何とかならなかったのか。たとえば、最後にKが死んでいくシーン。あそここそ、前作のロイにならって、うつむいて死んでいくシーンにしてほしかった。ところが映画では、あおむけにねっころがって、そこに雪がふってくるのだ。雪を降らすなら、せめて、鈴木清順風に、あるいは、アンドレイ・タルコフスキー風に、降らせてほしかったものだ。そういう重要なキモも、今回は全部はずしにはずしていた。仰向けに寝転んで、そこに雪が舞ってくる、というのでは、あまりに普通ではないか。まるで「君の名は」みたんじゃないか。

・さてさて、さほどかように、前作を乗り越えることは難しいものです。とくに、巨額の制作費をかける映画においては、思い切った勝負はできなくなるのでしょうね。

何度見ても、このうどん屋台のシーンはおかしい。

ところで『「ブレードランナー」論序説』(加藤幹郎)という本ですが、これはコアなオタク的な研究書です。教えられるところも多かったです。なかでも卓見だと思ったのは、「映画ブレードランナーの主役はハリソン・フォード(デッカード)ではなく、ルトガー・ハウワー(ロイ)なのだ」という主張でした。「主役」の定義にもよるかと思いますが、そうかと思って見直すと「ブレードランナー」はまったく違って見えてくるのです。「ブレードランナー」はリドリー・スコット監督の意図をこえて、ハリソン・フォード(デッカード)の映画ではなくルトガー・ハウワー(ロイ)の映画であるように思います。

(また、この本では、リドリー・スコット監督をずいぶんとディスっており、ディレクターズカット版を批判し、映画のクライマックス、ロイが死んでいくシーンを、リドリー・スコット監督はきっと何も演出せず、ロイに任せたに違いないと推定したりしています。それは「ブレードランナー2049」の不発ぶりを思うと、さもありなんと思いました。監督のヴィルヌーヴの責任だけでないのかもしれませんね。)


 

ちょっと前のことになりますが、箱崎九大記憶保存会のメンバーとともに、九州大学箱崎キャンパスの中心に鎮座する「旧工学部本館」の屋上にあがってみました。そこからは解体が進む九州大学箱崎理系キャンパスが展望できます。
「さよなら」と別れを告げるまもなく、つぎつぎに解体・「消滅」していく箱崎キャンパスは、悲しさや寂しさを感じるいとまもなく一掃されていくようで、まるで再開発の「ツナミ」に押し流されるような殺伐さを感じます。なんだか、これで、いいのかな。


*九州大学の中心に鎮座する工学部本館からは、総長のいる本部棟をはるか下に見下ろすことができます。九州大学は工学部中心に発展してきたことが良く分かりますね。屋上の部屋は、まるで、フーコーのいう「パノプティコン」そっくりです。

*すでに理系キャンパス構内は「立ち入り禁止」ばかりになっています。大学の上は、福岡空港への着陸コースの真下なので、飛行機がこんなに間近に大きく飛来していきます。騒音も相当なものです。

大学移転にともなう箱崎キャンパスの解体が急速にすすんでいます。理系キャンパスの建物は急速に破壊されています。また、忘年会などで使った威風堂々の「三畏閣」も解体がはじまりました。どこか料亭か何かとして移築すれば、門司港の「三宜楼」のように価値がましたのに、残念なことです。秋の紅葉がみごとな楷の樹も、中庭の一本は移植されますが、この樹のほうは、おそらく、伐採されるのでしょう。今年の紅葉が、見納めでした……さびしいですね。


*三畏閣は、学生たちのコンパや茶道部などに使われてきたようです。詳細については「箱崎九大跡地ファン倶楽部」に見事な写真がアップされています。

*ゆっくりお別れを言うまもなく、楷の樹の今年の紅葉は終わってしまいました。これが「見納め」だったのですね。

箱崎は九州大学にとって「地元」なのか
秋学期の安立ゼミでは、学生の「地元」意識調査班と、九州大学のある箱崎の町を探求する班とに分かれて、ゼミを進めています。いままさに箱崎からの移転が真っ最中です。はたして箱崎は九州大学にとっての「地元」だったのだろうか。かつては「地元」だったのに、いつからか疎遠になったとしたら、いつからそうなったのだろうか、これからの箱崎のまちづくは、どうなっていくのだろうか。そんなことを問題意識にして、学生たちは箱崎の町をフィールドワークしています。
12月14日には、箱崎で学生時代を過ごされた柴田篤名誉教授をお招きして、かつての箱崎の町と学生の生活についてお話ししていただきました。空からみた写真だと、かつての箱崎が、農地であったこと、そして米軍板付基地がすぐそばにあって、九州大学の上が飛行機の進入路になっていたことなどが、よく分かります。そしてこの進入路から米軍のファントム戦闘機が九州大学のキャンパスに墜落して、学生運動が燃えさかったのです。


柴田先生は箱崎に住み、その変遷を眺めてこられました。また、大学もひとつの町なのだとおっしゃいました。学生たちも聞き入っていました。航空写真をみると、九州大学が航空機の空港への進入経路の真上にあることが、よく分かります。

来福されたフランス文学者の野崎歓さんを門司港レトロ地区にご案内しました。そのおりに、修復・復興なった料亭・三宜楼を見学しました。ここは門司港が九州の大玄関口として隆盛をきわめていたころに建築された大料亭です。ながらく無住となって取り壊しの話もありましたが、地元の有志や企業の協力で修復され、一般にも公開されるようになりました。現在、内部はボランティアの方々に、案内・説明していただけます。ここはじつに興味深い建築です。いろいろと驚きのしかけも満載です(説明してもらわないとちょっと分からないです)。3階にのぼると関門海峡や下関も一望できます。北九州に来られたら、ぜひ一足のばして門司港へどうぞ。


門司港レトロ地区の丘の上にそびえ立つ威風堂々の料亭です

古川ロッパはじめ、有名人も、みなやって来たようです。内部の意匠も凝りに凝っていますね。

 

 

小倉駅近くの「秘密基地」というカフェで行われた野崎歓さんの講演、「文学の国、フランスへのお誘い」(11月23日)は、今年のフランス大統領選のエピソードから始まりました。マリーヌ・ルペンとエマニュエル・マクロンとの直接対決に決着をもたらしたものは、意外なことに「文学」だった、というサプライズ。ルペンのトランプ的な論理に「ペルランパンパン」という17世紀の単語で反撃したマクロン、他方「文学」をまるで理解できなかったルペン。マクロンに勝利をもたらしたものこそフランス文学だったという実に意外な観点から、いまだにフランスが文学の国であることを説かれました。なるほど、そうだったのか!、と一驚でした。そもそもフランスという国家やフランス語は17世紀に出来上がったもの。英語よりフランス語が高級で優勢で、ヴェルサイユ宮殿を造ったルイ14世のころから、「宮廷」のコトバ、フランス語がヨーロッパ各国の宮廷を席巻していったという歴史も、なるほどそうだったのか! とひざを打ちたくなるほど。だめ押しとして、トルストイやドストエフスキーもフランス語でバルザックを読んでいた、などとなると、もうびっくり仰天ですね。

翌日の「フランス文学と愛」(11月24日)は、ごく少数のフランス語およびフランス文学愛好者だけの小さな会でしたが、こちらの講演もじつに楽しく、じつに考えさせる内容でした。フランスでないフランス語圏、スイスのジュネーブからやってきたルソーが、フランス思想界やフランス文学界を「なぎ倒して」席巻してしまったさまを、じつに楽しいユーモアで包んで話されました。ルソーこそ「回想録」でない「自伝」文学の創始者だったこと、はじめて「子ども時代」が人間形成のうえで重要であること主張したこと、それにも関わらずみずからの子どもはすべて孤児院に送ってしまったという矛盾、さらに年上の人妻との「アムール」というフランス文学界の大伝統をつくったこと。以後のスタンダールもバルザックも、ロブ・グリエにいたるまで、「ルソーになぎ倒された世代」であること。スタンダールの「赤と黒」にもバルザックの「谷間の百合」にも、みんな「ルソー印」がついていること、などなど、実に楽しく巧みに、しかし「なるほど、そうだったのか!」と手を打ちたくなるほどの創見にみちたお話しでした。そして極めつけは20歳以上の年の差ある「マクロン大統領」の奥さんと文学好き。そして最後に「サプライズの隠し球」として「ミッテラン大統領」の愛人と隠し子事件。その当事者が、ついにミッテランとの手紙のやりとりを大冊にして出版したこと。ここにも脈々とフランス文学の伝統が息づいているのだというお話しでした。そして、だれでもフランス人になれる、だれでもフランス文学に参加できる、そういう開かれた「共和国」の理念の大切さについても語られました。テロリズムに襲われたフランスだからこそでしょうね。


北九州市の「秘密基地

福岡・箱崎の「ブックス・キューブリック箱崎店」

2017年11月12日に、久留米市市民活動サポートセンター(みんくる)の「市民活動フォーラム」で「私たちにとって地元とは何か」という講演を行いました。そのあと「地域を支える活動事例」についてのコメンテーターをつとめました。


久留米市市民活動サポートセンター(みんくる)で「私たちにとって「地元」とは何か」をテーマにお話ししました。

急に寒くなりました。紅葉の季節ですが、気温はもう冬ですね。4年生には、卒論の山場が来ています。昨日は恒例の「卒論題目検討会」がありました。4年生、ひとりひとりの「卒論題目」を決定するために4名の教員が喧々諤々いろんなことを言い出して4年生も戸惑ったことでしょう。でもこうやって議論していると、いろいろな新しいアイデアを思いつきます。「こういう題名にしたら良いのに、こういう構成にしたら絶対おもしろいのに」などと思ってしまうのですが、4年生もさるもの「これは私の大学4年間の集大成ですから、私の思うようにやります」と断固、こちらの提案を拒否してきたりします。


北九州の「コワーキングスペース秘密基地」という魅力的な名前の会場で、フランス文学の野崎歓さんによる「文学の国フランスへのお誘い」。私も福岡から駆けつけます。



http://fukuoka-unesco.or.jp/%e6%96%87%e5%ad%a6%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%81%b8%e3%81%ae%e3%81%8a%e8%aa%98%e3%81%84.html

利賀村のSCOTサマーシーズンで毎週末上演される野外劇+花火の競演「世界の果てからこんにちは」。悲劇と笑劇、花火と戦火とが渾然一体となって観客を引き込みます。いよいよ、明日で今シーズンの花火も終わりですね。先々週、利賀村にいたときに見た花火師さんたち、そして消防団が花火にそなえていました。合掌造りの古い家屋がいたるところにあるので、消防団が事前に放水して、火をもらわないようにしていました。はじめて見た準備風景でした。


利賀村からの帰り道、草むらで、間近にオニヤンマに出会いました。ほんの数十センチのところに止まりました。オニヤンマって、深い、青い眼をしていたんですね。しかも、羽音がはんぱない。ぶんぶんと命の鼓動を響かせて舞っています。この元気なトンボの羽音が、夏の終わりを感じさせました。


利賀村では、フェスティバルの最中、野外劇場が祝祭的な花火演劇「世界の果てからこんにちは」が上演されます。これは、他のどこでも見られないもので、まさに、利賀村に来た者だけの特権的な経験ですね。野外演劇の真上に、花火がつぎつぎに炸裂するのです。舞台では「海ゆかば」が流れ、大東亜戦争の経験が語られているのです。このときほど、花火と戦火とが近似して見えてくることはありませんね。
さて、舞台では、「女たちがさわいでいる」、何なんだ、「おとう、ニッポンがお亡くなりに……」という有名なセリフが語られることになります。これは、シェイクスピアの「マクベス」で、マクベス夫人が亡くなったという報を聴いたマクベスのセリフのパロディなのですが、毎年毎年、ほんとうだなぁ、ニッポンがお亡くなりになりつつあるなぁ、と観客に深く思い至らせるところでしょう。
今年は、それに加えて、「EUがお亡くなりに……」などというセリフもよぎりました。


今年も、夏の利賀村で「SCOTサマーシーズン」が始まりました。
九州からだと、途方もなく遠い(行きにくい)富山の山中にある「利賀芸術公園」ですが、今年も数千人の観客であふれています。
鈴木忠志とSCOT(Suzuki Company of Toga)は、もう30年以上にわたって過疎地の合掌集落に拠点をかまえて演劇に打ち込んできました。夏のサマーシーズンには世界中から人びとが集まります。いわば過疎地における村おこしの原型のひとつです。
ところで、鈴木忠志さんのトークで驚かされたことがありました。このサマーシーズンが始まった当初、利賀村の村民は1700人、そこに日本や世界から1万人以上がやってきていたそうです。現在も、集客力に変わりはありませんが(むしろ国際化が進んでいて海外からの客がふえている)、村民は500人にまで減少しました。数年内には170人ほどになるということです。たしかに利賀村には民宿も少なくなって、宿泊には苦労します。これを聞くと、日本における都市と地方との格差や「限界集落」問題の深刻さに、あらためて胸ふさがれる思いです。「地方」からみると、人口減少で「ニッポンがお亡くなりに」なりはじめているのです。