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春のこの時期、東京の北の丸公園や千鳥ヶ淵は、桜など多くの花々に包まれます。周囲には、まるで秘密の花園のような美しい場所が、いくつも出現します。この時期ならではの一瞬の魔法のようなものですね。


2コマ連続のゼミの後半は「書くこと」についての演習となります。このところ、学生が長い文章を書けなくなっているように危惧されるので、卒論の基礎訓練もかねて。そして加藤典洋の『言語表現法講義』みたいなことをめざしたいと思って。まずは「書くこと」の基本として木下是雄『理科系の作文技術』、野口悠紀雄『超文章法』、清水幾太郎『論文の書き方』などを演習で取り上げて、書くことについての実戦演習ができたら良いなと思っています。


新学期が始まりました。例年思うのですが、新学期はいいですね。みんな若葉のように新鮮で、なんでもがぶがぶ呑み込んでいきそうです。さて鉄は熱いうちに打てとばかり、さっそくいくつかチャレンジングなことを試みます。まず進学してきた2年生のゼミでは2コマ連続の授業をします。前半は出たばかりの大澤真幸『社会学史』を読むことにしました。編集者を前にレクチャーしたものを本にしたというだけあって分厚い大冊ですが、分かりやすいし面白い。長年、社会学をやってきた者が読んでも新しい発見が多々あります。なにしろ「フロイトも社会学者だった」ですかね。600頁以上あるので半年ですべて読めるかどうか……いや、全部を読むことが大切なことではないので。社会学入門として、その面白さや奥深さを分かってもらえば良いなと思います。


安立清史
社会福祉法人改革のあと社会福祉法人はどこへ向かうか─P.ドラッカーの「非営利組織の経営」論からの示唆─
『社会福祉法人制度改革の展望と課題』pp.159-174

安立清史
日本の非営利セクターはどこに向かうか───レスター・サラモンの「第三者による政府」論からの示唆───
『社会福祉法人制度改革の展望と課題』pp.175-192


最近の著作・論文を更新しました。 

安立清史
「介護」の先の《介護》はどこにあるか
『共生社会学』Vol.9 pp.105-113

安立清史
「地元意識」という謎─大学生の地元意識に関する因子分析
『共生社会学』Vol.9 pp.155-123

安立清史・黒木邦弘・高嵜浩平(共著)
熊本地震における高齢者介護福祉施設への外部からの支援の実態と課題
『共生社会学』Vol.9 pp.125-137

小川全夫・安立清史(共著)
自然災害と高齢者介護の課題─社会資源としての介護施設
『共生社会学』Vol.9 pp.139-151


福岡の西公園の上のほうに、このように、新緑に映えるソメイヨシノのスポットがあります。毎年思うのですが、新緑に満開のソメイヨシノ、よく映えるのです。そしてこの桜のあたり、猫たちが、たくさんいて、まるで、花見をしているかのようなのです。


福岡・西公園の夜桜を、フラッシュを炊いて撮影してみました。不気味な妖艶さが出ていますでしょうか。

ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の望月のころ(西行法師)


一気に桜の開花が進んでいますね。これは、数日前の、福岡城のしだれ桜です。例年、ソメイヨシノよりも早く満開になります。周囲は、外国人観光客でいっぱいです。なんででしょう。いまや日本人よりも、外国人観光客のほうが、桜開花の感度が鋭いのでしょうか。


東京・巣鴨の六義園のしだれ桜満開でした。はやい、じつにはやい。ソメイヨシノの開花宣言を待たずに、六義園のしだれ桜満開でした。そして驚くことは、日本人よりも外国人観光客のほうが多いということ。いまや、日本人よりも、外国人観光客のほうが、日本の春、日本の桜を満喫できる時間的余裕と立場にあるのでしょうか。かつての日本の団体旅行とはちがって、いちはやくアジアからの観光客は個人旅行に切り替わっています。そして、日本の津々浦々の、じつに渋い、美しいところに到達されています。情報化時代の観光旅行は、かつてとは、全然、違う展開なんですね。


野崎歓さんが東京大学仏文を去るにあたって沼野充義さんを発起人とする文学部の人たちが「野崎歓と世界文学の仲間たち」という送別シンポジウムを開催しました。これが途方もないもので、12人の著名な世界文学の翻訳家たちが次々に登壇して、野崎歓さんを褒めまくるのです。しかも、大教室に立ち見が出るほど満員の聴衆。こんなに幸せな送別シンポジウムがあるでしょうか。彼の人柄・人徳にもよるのでしょうが、驚くほどの幸福感に満ちみちていましたね。


前東京大学教授でアジア経済の専門家・末廣昭さんが来福されて小さな勉強会を開かれました。専門家にも予測困難なほどアジア経済が激変していること、ビッグデータの時代になって、逆説的ながら民主主義主義国よりも中国のような強権政治のほうが一見、情報セキュリティで有利に見えてしまうこと、などなどじつに新しく面白い知見を提供して下さいました。勉強会のあと7名ほどでフェリーでちょっと花冷えの能古島に渡って、海の幸で一献したのも楽しいことでした。


この時期、足元の小さなスミレの可憐さも格別です。
高校時代の恩師に、スミレの美しさを教えられるまで、この足元の世界に着目したことがありませんでした。
菫程な 小さき人に 生まれたし(夏目漱石)
・・・というのは、やはり若い時には、なかなか理解しがたい世界観なのでしょうか。


福岡の薄墨桜も開花しました。岐阜の本家・薄墨桜はしだいに薄墨色に変わっていくそうですが、福岡では、そういう色の変化を見たことがありません。やはり土地柄でしょうか。


福岡も、きょう、桜開花しました。
滝桜は、すでに満開です。でも、10年前に比べるとだいぶ花の数が減って寂しくなっています。温暖化のせいでしょうか。


予想されていた日(3/18)ですが、福岡の桜開花宣言はまだのようです。ここ数日すこし寒かったので遅れているのかもしれません。きょうはだいぶ春めいてきました。天神に出た帰り道、大濠公園の黒田如水邸跡を見て回ったところ、例年ここで一番はやく咲きはじめる「滝桜」が数輪開花していました。「薄墨桜」もあと一日でほころぶでしょう。ソメイヨシノはまだ数日かかりそうです。


滝桜、いくつか開花しています

私の好きな黒田如水邸跡のしだれ桜

これは早咲きの園芸品種でしょうか

3月には様々なイベントが立て続きますね。3月16日は福岡ユネスコ協会のシンポジウム「人口減少社会」でした。「里山資本主義」や「デフレの正体」で有名な藻谷浩介さんを主講演者として、ほかに慶応大の小林慶一郎さん、京都大の諸富徹さんという豪華なラインナップ。藻谷さん独特のクイズ形式の講演、たたみかけるように繰り出す様々な挑発と警句、さすがに年間500回講演するという(いったいどういう計算になるのだろう)ハイテンションな藻谷さん節の連発。すごいものですね。数年前に熊本で聞いたときより、一段と講演芸に磨きがかかっているようです。アベノミクスへの対抗心からなのか、以前よりアグレッシブな講演になっていました。また小林さんの「フューチャーデザイン」のための「仮装未来人」というアイデアにも関心を惹きつけられました。これ、ロールズの「無知のヴェール」の応用とも考えられますね。こういう内容の濃いシンポジウムこそ、大学生や留学生が聴くべきだと思ったのですが……。


「最後」とか「最終」というの何か人を切迫させるものがあります。「最後の晩餐」のあとに「最後の審判」がある、というようなキリスト教的世界観だけでなく、やはり「終わり」が近づいてくると、人は何かせき立てられるものがあるようです。あたかも夏休みの終わりに急いで宿題に取り組むように、また試験時間の終了間際にあせって解答を書き込むように。
大学では1月から3月にかけて退職教員の「最終講義」というものが行われます(後述するように必ずしも退職教員すべてが行うわけではありませんが)。私も様々な人の「最終講義」に出席してきました。
大きく分けて二つの種類の「最終講義」があるように思います。第1は「最終講義はしない」というスタイルです。人生はまだ続くのだし、「最終講義」をしてしまうと、お葬式をしてしまった後に生きながらえているようで、どうにも収まりがわるい、だから一切のセレモニーをしない、というスタイルです。「最終講義」の後には「レセプション」ないし懇親会などのパーティがあって、わざわざやって来てくれると恐縮するし、閑散だと寂しすぎるし、いずれにせよ気分的に大きな負担になる、ということもあるでしょう。第2は「集大成の走馬灯」スタイルです。これまでの学問人生を走馬灯のようにふり返りながら集大成的なまとめをするスタイルです。一番穏当で一番最終講義らしいスタイルです。多くの聴衆(現学生、元学生、同僚や関係者)が来てくれるとたいへん幸福でしょう。しかしこういうハッピーなスタイルが可能になるのには、ある条件が必要なように思います。私が見るところ大学とつながった「業界」のようなものがあり、そこにしっかりと支えられている先生でないと、なかなか、こうはならないのです。例えば医学部や教育学部などがそれにあたります。教え子が、大学に引き続いてその業界で医師や教員になっていたりすると、多くの参加者があって賑やかで華やいだ最終講義とパーティになりやすいのです。
さて、つい先日、大学時代の友人が早期退職するので「最終講義」をしました。たくさんの人たちがかけつけ、華やいだ雰囲気の中での「最終講義」でした。彼は有名教授でありましたが、必ずしも「業界」の人ではなかったと思います。きっと彼の人徳だったのでしょう。その意味でも理想的な「最終講義」でした。


今年の桜は例年より早いそうです。東京に行ったところ、大学の中の「カンザクラ」がもう、満開になっていてびっくりでした。


送別会のシーズンだ。送別会の寂しさとは何だろう。やがて自分も送別される側に回るからだろうか。送別とは一種の「楽園追放」かもしれない。ある年齢に達すると、一律に楽園追放にあう、その平等さと残酷さが、ないまぜになった定年制度。アメリカでは定年制度が廃止されたことを知ったとき、軽いショックを受けた。定年制度は突きつめると「年齢を理由として退職を強制する制度」だから人種差別、性差別と同じ年齢差別だというのだ。この論理は必ずしも私たちを全面的に説得するわけではないが、アメリカらしい論理だと思う。日本もいつか、こうなる日が来るだろうか。少なくとも、そうかんたんにはいくまい。桜はぱっと咲いて、ぱっと散るところが日本らしいという国だ。だらだらと職場に居続けることは、日本の美学が許さないだろう。みんないっしょに咲いて、みんな同じように散っていく。美しくもあり、寂しくもあり、それが日本的な悟りにも似た「諦念」なのだろうか。