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5月は「沖縄本土復帰50周年」関連の記事や番組がめじろおしでしたね。「本土」にいると見えない問題がさまざまに取り上げられていました。初めて知ることも多かったのですが、NHKの「ふたりのウルトラマン」はなかなか面白かったです。ウルトラマンの脚本家が沖縄出身で、その後、悩まれて……ということは知っていましたが、なるほど「ドキュメンタリードラマ」として見せられると、いろいろ考えさせられました。授業でこのことを話したら、今の学生、「ウルトラマン」ほとんど知らないんですよ。ウルトラマンとスーパーマンの違い、といっても「?」という顔が帰ってくるばかり。

ところで──ウルトラマンにおける「怪獣」とは誰か。ウルトラマンは「沖縄」を守るために必死に怪獣と戦う。「怪獣」とは、はじめはアメリカ、復帰後は日本、というのが私の見立てですが、どうでしょうか。


このところBS世界のドキュメンタリーでロシア関係のものを見ています。いくつも驚きのドキュメンタリーがありました。なかでも「ゴルバチョフ:老政治家の遺言」というのが凄かったですね。ラトビアとチェコとの共同制作のようですが当時90歳のゴルバチョフ(実質的には監視された軟禁状態のようでした)に直球の質問を投げかけるのです。それを真正面から受け止めたり、さらりと受け流したり、ゴルバチョフの知力も凄いのです。90歳にして衰えを感じさせない。しかしもっとも驚いたのは、ゴルバチョフも夫人のライサも、ともに父か母か、どちらかがウクライナ人だ語っているところです。もちろんウクライナ侵攻のはじまる数年前のインタビューなのですが、これには心底驚きました。ロシアとウクライナ、その関係の微妙かつ深いところが、かいま見えたように思いました。でも、日本で政治家に対するこんなに深い番組を作れるだろうか。そもそも作ろうという意思を持てるだろうか。そんなことも考え込んでしまいました。


私の担当する最後の社会調査実習ですが、今年度の社会調査実習も授業時間内で10人の方々へのオンライン・インタビューで行うことにしました。まず先週は、福岡で不登校や学校に適応できない子どもたちの支援などを行っている益田仁さん(中村学園大学)、今週は大阪・西成でホームレス支援のソーシャルワーカーをやってこられた白波瀬達也さん(関西学院大学)へのインタビューでした。学生は予習でいくつも論文を読んで質問を準備して、インタビューのあとは文字おこしなどもグループごとに担当するのでけっこうハードですが、この経験はきっと将来役立つのではないかと思います。


久しぶりの東京でした。いろいろな用事のあいまに早稲田大学村上春樹ライブラリーに行ってきました。ここ、いいですね。彼の世界を作ってきた本というコンセプトの大階段の書棚、執筆の現場を再現した部屋、彼の好きなオーディオルームなどがあります。外部の訪問者は予約制で90分限定なんですが、最後の30分くらいは、入り口の横のソファのある場所でジャズのCDが流れていました。これがすごく音が良いんです。JBLの小型と、もうひとつのトール型のスピーカーから流れてくる音が、すごく軽くて繊細で、思わず聞き惚れてしまいました。最近、こんなにすてきな音のスピーカー、聴いたことないというくらいでした。


西日本社会学会年報2022に、拙著『超高齢社会の乗り越え方』の書評が掲載されました。評者は山口県立大学の坂本俊彦さんでした。著者が介護保険に「現金給付」を新設する必要があると述べている、とありますが、ここはそう読まれてしまったでしょうか。もしそうだとしたら、私の意図が縮小されて伝わってしまったのだと反省させられました。改訂する機会があれば、ここは書き直したいと思いました。


見田宗介先生がお亡くなりになりました。新著『ボランティアと有償ボランティア』をお送りしたところ、見田先生から年賀状をいただき、「おもしろそうな本ですね」とありました。「おもしろい本ですね」と言っていただけるようになりたかった・・・心残りです。


社会学者の見田宗介先生が亡くなられました。享年84、まだそれほどのお年ではなかったのですね。ご冥福をお祈りいたします。
見田先生は、実質的に戦後日本の社会学を作ってこられた方だと思います。社会学は明治時代から日本に入りましたが、戦前のそれは海外の社会学を翻訳紹介するか、農村調査や統計調査が主流だったと思います。考えてみると、いまでも主流の社会学とは、社会の現実や実態を客観的に社会調査し、それを分析して改善や改革を提言するというスタイルです。この客観的な社会調査という方法で分析するのは、たとえてみれば医者(社会学者)が患者(社会や学生)を検査したうえで診察・治療するようなものです。どこか「上からメセン」で偉そうです。こういうオーソドックス(だが古風な)スタイルを打ち破ったのが見田先生だったと思います。佐藤健二さんの『真木悠介の誕生』に詳しいですが、見田宗介が真木悠介という「もうひとり」を必要としたのは、まさにこの転換があったからだと思います。『気流の鳴る音、時間の比較社会学、自我の起源、宮沢賢治』……どれもこうした大転換を示しています。どんな種類の本なのか名付けようもない本、とご自分でも書かれています。だからでしょうか、好き嫌いが分かれて批判する人も少なくありませんでした。でも現在活躍している社会学者のほとんどは見田先生の影響を陰に陽に受けていると思います。十数年たって、ある日突然、読み返したくなるような本、といったらいいでしょうか。私も昨年から執筆している本のコア部分の論理を考える上で、見田先生の『現代社会の存立構造』を何度も参照しているところでした。なかなか応用することは難しいのですが……何度も読み返す価値があると思っています。


「no art, no life」のディレクター伊勢朋矢さんが作られたという、NHK/IPC 国際共同制作「映像記録 東京2020パラリンピック」──録画してあったのを先日、一気に見ました。従来のオリンピックの公式記録映像とは違って、これはヒューマン・ドキュメントです。しかもコアなところで人間の「生きる」を描いていると思いました。国際的なイベントの記録ですから一人を深く掘り下げるディープなところまで行けないのは当然でしょう。でも、それにもかかわらず、こうきたか、という作り方でした。感心しました。「no art, no life」に通じるものを色濃く感じました。


3月最後の日曜日、春の嵐の翌日、福岡は桜が満開でした。この日、博多阪急デパートで開催中の「ツナガル・アートフェスティバル」で、NHK福岡時代からの知り合いのプロデューサーが取り組んでいるEテレ番組「no art, no life」の映写会とトークのイベントがありました。これたった5分の番組なんですが、それを10本立て続けに見みますと改めて圧倒されました。これ、本当にすごいです。あまり知られていないかもしれませんがスゴイ番組です。アール・ブリュットとか、エイブル・アートとか、障がい者のアートとか、いろいろ言われていますが、そんな表現では言い尽くせません。人間のエッセンシャルな部分に直に触れてくるものだと思います。福祉とか支援とか芸術とか、いろいろ意味づけがあるかもしれませんが、私の印象は違います。これは人間そのもののコアな部分に直に問いかけ、挑戦してくるものです。たった5分の中に世界があります。人間の奥深さ、底知れぬ何かが訴えかけてきます。それは人間の可能性ともとれるし、人間の業や棘のようなものも含まれていて深く考えさせられます。この番組、4月からは時間帯を移してEテレで「日曜美術館」の前の5分番組になるそうです。


3月23日は、九州大学の卒業式でした。コロナ禍のうえ、ウクライナでの戦争など、世界的な危機の時代になりました。ほんの数年前のことが、今では夢のようです。入学後、ほとんどの授業がオンラインになるという困難な時代にも関わらず、多くの若者が元気に巣立っていきました。感慨深いものがありますね。


今日は福岡県内のしんがりで九州大学の卒業式です。通常とちがって式典は代表者だけの出席。今年も昨年とおなじく祝賀会も何もない簡素なものになりそうです。社会学研究室では、短時間で卒業証書授与式だけを行う予定です。ほとんどの学生は、四年間に、数回しか会ったことがありません。なんだか考えられないような時代ですね。学生も、感慨も湧かないのでしょうか、それともかえって感慨深いのでしょうか、明日、あってみないと分かりませんね。写真は、いきなり満開になった福岡城内の枝垂れ桜や薄墨桜です。


「ツナガルアートフェスティバルFUKUOKA」が、博多阪急7階イベントホール『ミューズ』で開催されるそうです。NHKで放映された番組「no art, no life 〜令和三年 表現者たちの幻想曲〜」を制作したディレクターと企画プロデューサのトークもあるそうです。この番組、とても面白くて興味深いものでした。上映されるそうです。
https://fact.or.jp/?portfolio=tsunagaru2022&fbclid=IwAR1bWF0H54VI3b1hg0zDESoau7yWzfV-WFaiAVcO2_UhQERH8WNQ8VLbepo


お別れシーズンですね。3月19日、東京大学社会学の佐藤健二さんの最終講義をオンラインで聴きました。佐藤さん、群馬の高崎高校の一年先輩にあたる人なんですが、その後、大学も大学院もずっと社会学の先輩で、頭が上がりません。先輩というより先達といったほうが良いでしょうか。昨日の最終講義も湿っぽいところ皆無の余裕すら感じさせるもので、自家製のものすごい仕事一覧の冊子も作られていました。ハッピーリタイアメントを絵に描いたような最終講義で、いささか羨望を禁じ得ません。


3月5日の福岡ユネスコ協会アジア文化講演会の終了後に、伝説的な劇団・黒テントの創始者・佐藤信さんから、いろいろなお話をうかがいました。福岡でも何度も公演されたそうです。公園で公演、まるでジョークみたいですが、公演場所ときめた公園の近くの喫茶店でじーっと網をはって一日中待っているのだそうです。そしてそれらしき人が来たら主催者のひとりとなってくれるよう説得にあたるのだそうです。そうやってチケットの販売や様々な協力をお願いするのだそうです。アングラ的ですねー。そうやって20年間に全国120ヶ所で黒テントを張っての野外公演をしてきたのだそうです。すごいですね。1960年代から70年代というのは、そういう文化的な熱気というものがあったのですね。


拙著『ボランティアと有償ボランティア』(弦書房)ですが、2月19日づけ西日本新聞で書評してくださいました。内容はなかなか辛口の批評ではあるのですが、題して「ボランティアとは何か、本質を再考するための論争的な書物となるだろう」です。


1月から3月にかけて国立映画アーカイブと福岡市総合図書館シネラ等とのコラボ企画で、1930年代から1990年代までの「香港映画」をたてつづけに観ています(すでに20本くらい観ました)。これまで観たことなかったブルース・リーとかジャッキー・チェンとか、Mr.ブーとかキョンシーとか、ジェット・リーとか、映画館の大スクリーンで観ると面白いものですね。香港カンフー映画における決闘の「やりすぎ」な過剰さも、これが香港映画のエネルギーなんですね。キン・フーとかツイ・ハークとか、黒澤明の決闘シーンの100倍以上こってりしていますね。劇画やゲームの場面そのものですね。自宅で観るかといったら──うーん、途中でやめてしまうかもなぁ。けれどそれはそれ、今までに見たことのなかったものを観ました。


ずいぶん前のことですから、現在は分かりませんが……クレラー・ミューラー美術館でゴッホを堪能したあと、もうひとつここには素晴らしいことがありました。ここでは自転車を貸してくれたのです、たしか無料で。それに乗って美術館をとりまく広大な国立公園を体験することができたのです。国立公園を一周──と意気込んで出かけたまでは良かったものの、何しろ広大です。ほかには誰もいない荒涼たる美しい風景の中に入っていくのは、ちょっと日本ではなかなか体験できないことでした。この荒涼さがまた素晴らしく美しいのですね。嵐が丘のヒースの野原というのはこういうものだろうか──ちょっとタルコフスキーの映画のシーンも思い出していました。日本の自転車と違って長身な人むけでブレーキの仕組みも違う(逆方向にこぐとブレーキ)ので戸惑いました。広大な自然の中を走っていると、他に誰一人いない状況なので、このまま行くと帰れなくなるのでは、そう思い始めました。道に迷ったらどうなるだろう、帰りのバスと電車をのがしたら──などと心配になってきました。泣く泣く途中で引き返して返りました。でもこの道は、ずっとずっと先まで行ってみたかった。オランダの自然を満喫できた自転車体験でした。


福岡市美術館でゴッホ展(クレラー=ミューラー美術館)を観てきました。今回のゴッホがやってきたのはオランダのクレラー・ミューラー美術館から──そう、ここには行ったことがあります。調べてみて自分でも驚いてしまいました。22年前でした。当時、学会のあと、アムステルダム駅から特急のような電車に30分以上のって、さらにそこからバスだったかタクシーだったかに乗っていく必要のあるところで、行くまでにかなりハードルが高かったのです。行ってみると素晴らしいところで、国立公園の広大な緑の中にありました。なにしろたくさんの作品があるので、今回のように、ひとつひとつの作品をじっくり見たのかどうか──おそらく、見てなかったですね。今回、それをつよく感じたのが「糸杉」の絵でした。あ、こういう作品だったのか。実物であらためて見ると、まったく別物に見えたのです。ちょっと見ただけでは分からない、おそらくポスターなどでは絶対に分からない、あることに気がついて、自分でも驚いてしまいました。これは凄い絵ですね。いろいろと考えさせられました。


先日、「社会学入門」の今学期最後の授業をしました。この一年、すべての授業がオンラインになりました。この経験をじっくりかみしめて来年に活かしていきたいと思います。オンラインになってから、以前にもまして90分の授業の大切さに気づきました。毎回、気張ってちょっと詰め込みすぎたかもしれません。でもオンライン授業が毎回楽しみでした。終わってしまうのがちょっと残念でした。毎週、授業のために日々、準備して、先学期には思いつかなかった新しい視点や論点を盛り込むようにしました。これも真剣に聴いてくれる200人の受講生が、これまた真剣な感想を毎回提出してくれるという「ライヴ」の幸福な相乗効果だったと感謝しています。──ピアノをやっている妻が言っていました。発表会がコロナ禍で中止になると、毎日のピアノの練習のしがいがない、発表会に向けて毎日ピアノを練習してきたのに──と。そのとおりですね。オンライン授業も一方通行だったら、とても「やりがい」など感じられないでしょう。毎回、熱い感想が返ってくることが、次の授業へのエネルギーになりました。今学期の経験を活かして本にしていきたいと思います。