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シネラの9月は日本映画特集でした。さいごに山口百恵主演の「伊豆の踊子」(1974)と烏丸せつ子主演の「四季・奈津子」(1980)を見ました。対照してみると興味深いです。山口百恵という人は私の同世代ですがリアルタイムでは見ていませんし、とくに関心もありませんでした。しかしこの映画をみてから『蒼い時』という自伝などもみると、なかなか興味深い人だと思いました。つまり大きな欠損を抱えて人生をはじめた人なのですね。それゆえ古典的というか保守的な結婚観や家族観をもっていて、すっぱりと芸能界を引退。かえって伝説的な存在になった……はんたいに烏丸せつ子のほうは何でも持っていて恵まれたデビューのその後は、というタイプに見えました。ところで「四季・奈津子」、福岡県でロケされていろいろ見覚えのあるところが出てきます。なかでも風間杜夫が専務役の「ジョーキュー醤油」──あ、この味噌蔵、学生たちと見学させてもらったところだ、と驚きました。詩人の田村隆一が出てきたりして面白かったですね。


名画座的なところで古い映画をみて、打率はどのくらいだろうか。福岡市総合図書シネラでの最近の経験でいうと、率直なところ3割くらいかな。1時間半、時には2時間から3時間近くも拘束されるのだから評価も厳しめになるかもしれない。最近でいうと、大島渚の「青春残酷物語」、川島透の「押繪と旅する男」、長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」の3つは私からすると「時間を返せ!」と言いたくなるようなものだった。反対に驚くようなシュールなもの、意外な掘り出し物、じんわりくる感動作もあった。「歓待」「しろばんば」「大江戸五人男」「カルメン故郷に帰る」そして今日みた「信さん 炭坑町のセレナーデ」など。怪優・古舘寛治、初めてみた芦川いづみ、板東妻三郎、高峰秀子、そして小雪。やっぱり映画は良いですね。


「暗い眼をした女優」
8月から9月にかけて放送大学(BS231)の映画特別講義があって、フランス映画のジャン・ルノワール監督の「大いなる幻影」(1937)とマルセル・カルネ監督の「霧の波止場」(1938)が放映されました。放送大学の「授業」なので講師の解説がつくのですが、担当が大学時代からの友人の野崎歓さんで、この解説がいい。ともにヨーロッパの大戦間に作られた映画で「戦争」についての映画でもあるのです。その「戦争」への態度が、じつにフランスらしい、というのです。現在のマスメディアの「戦争」について一色に染まっているかのような論調とはひとあじ違う。反戦や厭戦──なにしろ「霧の波止場」は脱走兵の話ですからね。なるほどこういうのがフランス流なのか、解説されてはじめて理解できました。それにミシェール・モルガン! 浅川マキの代表作のひとつ「暗い眼をした女優」というのがあります。その歌詞が「ミシェール・モルガンの眼を もうひとつ 暗くした女優の眼が 若い女を都会へと誘う」というのです。さて、どんなに暗い眼をしているのだろう、と想像もつかなかったのですが初めて見ました。これがミシェール・モルガンか! でも、あんまり、いや全然「暗い眼」でないように思うのですが。浅川マキは別の映画から発想したのかな。

3年目になりますが10月に香川県丸亀市の文化芸術推進サポーター養成講座でお話しをすることになりました。

お題は──『「千と千尋の神隠し」から考えるこれからの世界』です。千尋は湯婆婆とどう対決したでしょうか。戦って勝とうとはしませんでした。戦って勝つ以上の世界観がここにはある。この映画のラスト・メッセージの中に、私たちのこれからの世界のひとつのヒントを見たい、そういうお話しになると思います。

8月8日に精神医学者の中井久夫さんが88歳で亡くなられました。社会学者には中井久夫ファンが少なからず存在するようです。私もその一人ですが、どうしてでしょうか。おそらく中井さんが取り組んだ「精神病にたいする治療とは何か」という問題と、社会学者が取り組む「社会問題(社会が病気になっている)にたいする解決とは何か」とが、とても近しい問題意識だからではないでしょうか。しかも、精神病とは何か、と、社会問題とは何か、とが、これまた同質の定義困難な(あるいは世界観や価値観によってまっぷたつに分裂するような)課題だからではないでしょうか。精神科医は、他の病のように原因が確定していない、しかし症状はたしかに現れている病気を「治療」しようとします(フロイトの取り組んだ神経症と、中井さんたちが取り組んだ統合失調症などでは、事情は違うかもしれませんが、同質の問題をはらんでいます)。社会学者の取り組む社会問題も、それが問題だという人がいるから問題になるという構築主義の社会学まであります。客観的な原因があるのかないのか、しかし症状や問題は起こっている、こういう微妙なラインに切り込むには、細心の注意と高度な方法論、そして天才的な分析能力や文章化する才能が必要になるのでしょう。ゆえに中井久夫さんの著作は尽きせぬ霊感の泉なのです。つい最近も、中井さんのヴィトゲンシュタイン論(『天才の精神病理』所収)などを活用しようと一年前から準備していたところでした。逝去の報に接して、あらためて『治療文化論』などを読み返しています。精神医学や医療とは違う観点でしょうが、社会問題を扱う社会学としては「治療」をどう考えるか、避けて通れない課題です。戦争をおこしてしまうような人の「治療」は可能なのか。戦争のあと「社会の治療」はどう可能なのか。中井さんの含意とは違うかもしれませんが、ついついそんなことまで考えてみたくなる刺激に満ちた論考です。


5月は「沖縄本土復帰50周年」関連の記事や番組がめじろおしでしたね。「本土」にいると見えない問題がさまざまに取り上げられていました。初めて知ることも多かったのですが、NHKの「ふたりのウルトラマン」はなかなか面白かったです。ウルトラマンの脚本家が沖縄出身で、その後、悩まれて……ということは知っていましたが、なるほど「ドキュメンタリードラマ」として見せられると、いろいろ考えさせられました。授業でこのことを話したら、今の学生、「ウルトラマン」ほとんど知らないんですよ。ウルトラマンとスーパーマンの違い、といっても「?」という顔が帰ってくるばかり。

ところで──ウルトラマンにおける「怪獣」とは誰か。ウルトラマンは「沖縄」を守るために必死に怪獣と戦う。「怪獣」とは、はじめはアメリカ、復帰後は日本、というのが私の見立てですが、どうでしょうか。


このところBS世界のドキュメンタリーでロシア関係のものを見ています。いくつも驚きのドキュメンタリーがありました。なかでも「ゴルバチョフ:老政治家の遺言」というのが凄かったですね。ラトビアとチェコとの共同制作のようですが当時90歳のゴルバチョフ(実質的には監視された軟禁状態のようでした)に直球の質問を投げかけるのです。それを真正面から受け止めたり、さらりと受け流したり、ゴルバチョフの知力も凄いのです。90歳にして衰えを感じさせない。しかしもっとも驚いたのは、ゴルバチョフも夫人のライサも、ともに父か母か、どちらかがウクライナ人だ語っているところです。もちろんウクライナ侵攻のはじまる数年前のインタビューなのですが、これには心底驚きました。ロシアとウクライナ、その関係の微妙かつ深いところが、かいま見えたように思いました。でも、日本で政治家に対するこんなに深い番組を作れるだろうか。そもそも作ろうという意思を持てるだろうか。そんなことも考え込んでしまいました。


私の担当する最後の社会調査実習ですが、今年度の社会調査実習も授業時間内で10人の方々へのオンライン・インタビューで行うことにしました。まず先週は、福岡で不登校や学校に適応できない子どもたちの支援などを行っている益田仁さん(中村学園大学)、今週は大阪・西成でホームレス支援のソーシャルワーカーをやってこられた白波瀬達也さん(関西学院大学)へのインタビューでした。学生は予習でいくつも論文を読んで質問を準備して、インタビューのあとは文字おこしなどもグループごとに担当するのでけっこうハードですが、この経験はきっと将来役立つのではないかと思います。


久しぶりの東京でした。いろいろな用事のあいまに早稲田大学村上春樹ライブラリーに行ってきました。ここ、いいですね。彼の世界を作ってきた本というコンセプトの大階段の書棚、執筆の現場を再現した部屋、彼の好きなオーディオルームなどがあります。外部の訪問者は予約制で90分限定なんですが、最後の30分くらいは、入り口の横のソファのある場所でジャズのCDが流れていました。これがすごく音が良いんです。JBLの小型と、もうひとつのトール型のスピーカーから流れてくる音が、すごく軽くて繊細で、思わず聞き惚れてしまいました。最近、こんなにすてきな音のスピーカー、聴いたことないというくらいでした。


西日本社会学会年報2022に、拙著『超高齢社会の乗り越え方』の書評が掲載されました。評者は山口県立大学の坂本俊彦さんでした。著者が介護保険に「現金給付」を新設する必要があると述べている、とありますが、ここはそう読まれてしまったでしょうか。もしそうだとしたら、私の意図が縮小されて伝わってしまったのだと反省させられました。改訂する機会があれば、ここは書き直したいと思いました。


見田宗介先生がお亡くなりになりました。新著『ボランティアと有償ボランティア』をお送りしたところ、見田先生から年賀状をいただき、「おもしろそうな本ですね」とありました。「おもしろい本ですね」と言っていただけるようになりたかった・・・心残りです。


社会学者の見田宗介先生が亡くなられました。享年84、まだそれほどのお年ではなかったのですね。ご冥福をお祈りいたします。
見田先生は、実質的に戦後日本の社会学を作ってこられた方だと思います。社会学は明治時代から日本に入りましたが、戦前のそれは海外の社会学を翻訳紹介するか、農村調査や統計調査が主流だったと思います。考えてみると、いまでも主流の社会学とは、社会の現実や実態を客観的に社会調査し、それを分析して改善や改革を提言するというスタイルです。この客観的な社会調査という方法で分析するのは、たとえてみれば医者(社会学者)が患者(社会や学生)を検査したうえで診察・治療するようなものです。どこか「上からメセン」で偉そうです。こういうオーソドックス(だが古風な)スタイルを打ち破ったのが見田先生だったと思います。佐藤健二さんの『真木悠介の誕生』に詳しいですが、見田宗介が真木悠介という「もうひとり」を必要としたのは、まさにこの転換があったからだと思います。『気流の鳴る音、時間の比較社会学、自我の起源、宮沢賢治』……どれもこうした大転換を示しています。どんな種類の本なのか名付けようもない本、とご自分でも書かれています。だからでしょうか、好き嫌いが分かれて批判する人も少なくありませんでした。でも現在活躍している社会学者のほとんどは見田先生の影響を陰に陽に受けていると思います。十数年たって、ある日突然、読み返したくなるような本、といったらいいでしょうか。私も昨年から執筆している本のコア部分の論理を考える上で、見田先生の『現代社会の存立構造』を何度も参照しているところでした。なかなか応用することは難しいのですが……何度も読み返す価値があると思っています。


「no art, no life」のディレクター伊勢朋矢さんが作られたという、NHK/IPC 国際共同制作「映像記録 東京2020パラリンピック」──録画してあったのを先日、一気に見ました。従来のオリンピックの公式記録映像とは違って、これはヒューマン・ドキュメントです。しかもコアなところで人間の「生きる」を描いていると思いました。国際的なイベントの記録ですから一人を深く掘り下げるディープなところまで行けないのは当然でしょう。でも、それにもかかわらず、こうきたか、という作り方でした。感心しました。「no art, no life」に通じるものを色濃く感じました。


3月最後の日曜日、春の嵐の翌日、福岡は桜が満開でした。この日、博多阪急デパートで開催中の「ツナガル・アートフェスティバル」で、NHK福岡時代からの知り合いのプロデューサーが取り組んでいるEテレ番組「no art, no life」の映写会とトークのイベントがありました。これたった5分の番組なんですが、それを10本立て続けに見みますと改めて圧倒されました。これ、本当にすごいです。あまり知られていないかもしれませんがスゴイ番組です。アール・ブリュットとか、エイブル・アートとか、障がい者のアートとか、いろいろ言われていますが、そんな表現では言い尽くせません。人間のエッセンシャルな部分に直に触れてくるものだと思います。福祉とか支援とか芸術とか、いろいろ意味づけがあるかもしれませんが、私の印象は違います。これは人間そのもののコアな部分に直に問いかけ、挑戦してくるものです。たった5分の中に世界があります。人間の奥深さ、底知れぬ何かが訴えかけてきます。それは人間の可能性ともとれるし、人間の業や棘のようなものも含まれていて深く考えさせられます。この番組、4月からは時間帯を移してEテレで「日曜美術館」の前の5分番組になるそうです。


3月23日は、九州大学の卒業式でした。コロナ禍のうえ、ウクライナでの戦争など、世界的な危機の時代になりました。ほんの数年前のことが、今では夢のようです。入学後、ほとんどの授業がオンラインになるという困難な時代にも関わらず、多くの若者が元気に巣立っていきました。感慨深いものがありますね。


今日は福岡県内のしんがりで九州大学の卒業式です。通常とちがって式典は代表者だけの出席。今年も昨年とおなじく祝賀会も何もない簡素なものになりそうです。社会学研究室では、短時間で卒業証書授与式だけを行う予定です。ほとんどの学生は、四年間に、数回しか会ったことがありません。なんだか考えられないような時代ですね。学生も、感慨も湧かないのでしょうか、それともかえって感慨深いのでしょうか、明日、あってみないと分かりませんね。写真は、いきなり満開になった福岡城内の枝垂れ桜や薄墨桜です。


「ツナガルアートフェスティバルFUKUOKA」が、博多阪急7階イベントホール『ミューズ』で開催されるそうです。NHKで放映された番組「no art, no life 〜令和三年 表現者たちの幻想曲〜」を制作したディレクターと企画プロデューサのトークもあるそうです。この番組、とても面白くて興味深いものでした。上映されるそうです。
https://fact.or.jp/?portfolio=tsunagaru2022&fbclid=IwAR1bWF0H54VI3b1hg0zDESoau7yWzfV-WFaiAVcO2_UhQERH8WNQ8VLbepo


お別れシーズンですね。3月19日、東京大学社会学の佐藤健二さんの最終講義をオンラインで聴きました。佐藤さん、群馬の高崎高校の一年先輩にあたる人なんですが、その後、大学も大学院もずっと社会学の先輩で、頭が上がりません。先輩というより先達といったほうが良いでしょうか。昨日の最終講義も湿っぽいところ皆無の余裕すら感じさせるもので、自家製のものすごい仕事一覧の冊子も作られていました。ハッピーリタイアメントを絵に描いたような最終講義で、いささか羨望を禁じ得ません。