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昨日は九州大学の卒業式でした。でも「卒業式」というのは正確ではありません。大学としての卒業式は中止だったからです。学位記授与だけが研究室単位で小規模かつ短時間にありました。せっかくの晴れの時が残念なことでしたが、今回のコロナ・ウィルスによる世界的なパニックは、社会学の学生にとっては、「社会」のあり方や「世界」とのつき合い方などを考える良いきっかけになったかもしれません。何十年かあとになって、この異常事態の中での卒業を、懐かしく思い出すこともあるでしょうか。


これまで各地で行ってきた講演や大学での講義をふまえて、昨年一年間かけて執筆してきたものが、著書『超高齢社会の乗り越え方──日本の介護福祉は成功か失敗か』(弦書房)となって出版されます。
「銀河鉄道の夜」と「千と千尋の神隠し」に導かれて超高齢社会の悲観論を超えていこう、そういうコンセプトの本です。
あいにく新型インフル騒動で、書店は閑散としているそうですが、こういう時こそ、じっくり本を読んでいただくのに良い機会ではないでしょうか。アマゾンでは注文を受け付けはじめています。ご関心をもっていただければと思います。


昨年秋にNHK・BSで放映された「深読み音楽会・井上陽水」を観ました。
これは抜群に面白かった。読解がとてもスリリングだ。出演者みんなが突出した見解を披露。
まずは、小説家の朝吹真理子が「帰れない二人」や「リバーサイド・ホテル」の歌詞を「これは、心中しようとしている二人の歌ではないか」と「深読み」。ええーっ、あのほのぼのとリリカルな「帰れない二人」が? しかし、言われると、なるほど、ひとつひとつ符号してしまうところが面白い。リバーサイドホテルの、あの変な「ドアは金属のメタルで」という歌詞も、こっちの世界では金属だが、あっちの世界ではメタルなのだ、とへんなところで納得。
さらに高橋源一郎が「氷の世界」を、この世からあの世に渡る三途の川の途中にいる歌詞だ、などとこれまた「氷の世界」を「死の世界」への道行きと解釈したりして──うーん。なるほど、陽水のシュールなところは、この世とあの世とが混じり合った汽水域のようなところに発するものだったのか、と妙に納得した。


夕方、羽田空港を飛び立つと、すぐに富士山が間近に迫ってきます。冬の晴れた日はことにきれいです。昨日は、雪をかぶった富士山が見事でした。


シネラでリーフェンシュタールの「美の祭典」(1936年のベルリン五輪)を観ました。びっくりでした。女性が出てこない「美」の祭典なのです。(マスゲーム等には出てくるけれど競技シーンには出てきません)。調べてみると、近代五輪をつくったクーベルタン男爵は、女性が五輪に参加することに否定的だったんですね。そしてこれを女性のレニ・リーフェンシュタールが撮ったというのも不思議です。
そうだ、沢木耕太郎の『オリンピア』を読み返してみよう。あれには、たしか、ギリシアの第1回オリンピアが開かれたオリンピアの競技場あとを訪問していると、おなじく訪れていた観光客にレースを挑まれて、沢木耕太郎が全力疾走する話が出てきたはずだ。


先週末は、長い映画を2本観ました。土曜日には「ヘヴンズ・ストーリー」(休憩をはさんで、なんと4時間38分)。日曜日には「菊とギロチン」(3時間9分)。ともに瀬々敬久監督のもの。上映のあと監督との座談会もありました。ヘヴンズ・ストーリーを観ていて、あっ、この廃墟は、観たことがある、と思いました。あとで写真を探してみると、8年前に、東北を旅したとき、たしかにこの松尾鉱山の近くをレンタカーで走っていたのです(5月の連休だったのに、まだこんなにも雪が残っていました)。
この時には、宮沢賢治ゆかりの盛岡や小岩井農場や花巻などをめぐったのでした。
(この時期にだけ見られる小岩井農場の中の一本桜──背景に雪におおわれた岩手山)


これが、ヘヴンズ・ストーリーのロケ地となった、松尾鉱山。

宮沢賢治ゆかりの小岩井農場の中にある一本桜と岩手山

今学期の大教室での「社会学入門」の授業も残すところあと残り2回。楽しみながら大切にやってきた授業です。毎回、新しく内容を作り直してパワーポイント50枚(すこし多すぎるかな)を作り込んでいます。明日は、いよいよ、「風の谷のナウシカ」を解読する、と題した講義をします。テーマは3つ。第1が「戦いと戦う」というパラドクス。第2が、ナウシカの「救済感」はどこから来るのか。第3が、ナウシカから千尋へ、主人公の下降。1と2は、これまでにも話してきたことですが、3つめは全く新規に、ここ数日で練り上げました。さて、明日は、どういう反応が来るか。ドキドキですね。


新年、あけましておめでとうございます。
昨年は、宮崎、東京、丸亀、上富田町など、様々な場所でお話しをする機会をいただきました。それらの内容をバージョンアップして、もうすぐ本になって出版の予定です。この年末年始も返上して最終校正に汗を流しています。
本年も、よろしくお願いいたします。


2019年は加藤典洋さんが亡くなられた年でもあった。
年末に、遺著というか、おそらく最後の本だろう『大きな字で書くこと』(岩波書店)が出たので、それを読んでいる。
これは、なんという本であろうか。潜在的に、自分の死を予感しながら書いていたのではないだろうか。どれも心にしみるエピソードが、短く、印象的に記されている。
加藤典洋さんには、福岡で、一度だけ、ご一緒したことがある。授業に打ち込んで、打ち込みすぎて、片方の耳が聞こえなくなった、ということをさらりと語られていた。
そういえば『言語表現法講義』は、まさに教室での真剣勝負のやりとりだった。その他に、『さようなら、ゴジラたち』も授業でのヒントに使わせてもらっている。ずいぶんと学恩をいただいていたのだ。


先週、国立民族学博物館の出口正之教授の主催による松原明さん(シーズ・市民活動を支える制度をつくる会創業者)の「伝説の研究会」に参加してきました。その話題は出口さんはじめ、多くの方々の報告があるので、ここではさておき。この会場となった国立民族学博物館は「万博記念公園」の中にあります。そう1970年の大阪万博の開催跡地なのです。私は小学校6年生の時、家族でこの万博に行きました。ですから約50年ぶりの万博会場の再訪です。いきなり「太陽の塔」が見えます。当時はシェードのようなものがあって、これほどすっくと立った太陽の塔は見えなかったはずです。当時、入場するといきなりテンションがあがって、舞い上がって、何を見たのか、よく覚えていません。ひとつだけくっきりと覚えているのは、当時からわがままだった私は、かってにいろいろ動き回ったあげく、迷子になってしまったことです。そして、その迷子と迷子の親を捜すマッチングシステムが、子ども心にも「うまくできてないなぁ」と思ったことです。迷子のほうは、親の名前を伝えて探してもらうのです。親のほうは、子どもの名前を登録します。マッチングできません。で、結局、帰りの新幹線に間に合わず、ようやく会えた父親とふたり、家族は帰ったあと、しょんぼりして居残りで関西に宿泊したことを覚えています(私の当時の実家は群馬県でした)。そして翌日、帰りの駅で「よど号ハイジャック事件」を知ったのでした。


後からみるとペンギンそっくり

不思議な模様のライトアップ

こんなに大きかったのか

熱中小学校の翌日、熊野古道のディープなご案内をしていただきました。修験道の先達によって拓かれた古道は、その後、国道などの生活道路になると、その痕跡が見えなくなると言います。その意味で、厳しい、不便な道だけが、古道、として残ったのかもしれません。先月の四国の「お遍路道」でも感じたことですが、お寺や札所が「目的地」ではないのだと思います。点と点をつなぐ「道」こそが大切なのだと思います。お遍路さんは「同行二人」だと言います。熊野古道も、この大自然と道こそが「霊場」であることを体感する場なのではないかと思います。


今回「くちくまの」を訪問するにあたって、熊野古道も魅力的だったのですが、それ以上に関心をもっていたのは南方熊楠でした。紀伊田辺に到着後、まっさきに訪れたのも南方熊楠旧居でした。ここは予想以上でした。旧居がほぼそのまま残っているのです。熊楠が、晩年の25年を過ごした家がここだそうです。2000年までは娘の文枝さんが住んでおられたそうですが田辺市に遺贈されたそうです。文枝さんの「熊楠が生活していた当時の姿に戻してほしい」という遺志があり、大正年間の姿に2006年復元・改修されたそうです。
ここは、すごい。ぜひ訪れるべきところです。

(この前日、和歌山市を自転車で巡った時、苦労してようやく「南方熊楠生誕の地」を発見しました。でも駐車場の片隅に胸像がひとつあるだけでした。)


この中に粘菌をいれて、天皇に見せたという、伝説的なキャラメル箱

「紀州くちくまの熱中小学校」でお話しをさせていただきました。ここは山間の山あいの小さな分教場そっくりです。じっさいに分校だったそうです。
そう、ここは、宮沢賢治の「風の又三郎」そのものです。生徒さんは、まるで三郎、一郎、嘉助、かよさんたちですね。風の又三郎の時代より、女生徒さんが多かったです。
ここで、偶然ですが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と宮崎駿の「千と千尋の神隠し」、そして「となりのトトロ」との関連のお話しをさせていただきました。授業開始が「起立、注目⁉、礼」というので、びっくり。いきなり、生徒さんの「圧」が強くて、どぎまぎ。うまくしゃべれたかな。どうだったでしょうか。


今日から社会学入門で年内の3回ぶんは「ゴジラ」の社会学の話をすることになります。その前ふりとして、今回は、中村哲さんのご逝去のことに関連してお話しをしました。中村哲さんは、現代にあらわれた「ナウシカ」です。

どういうことでしょうか。

中村哲さんが用水路を作っていた場所は、まるで山脈に囲まれた「砂漠の谷」のようなところでした。この砂漠は「風の谷のナウシカ」  の「腐海」のようです。アフガンの人びとに愛されながらも、アフガンの人によって殺されてしまうところは、まるでキリストのようです。

「風の谷のナウシカ」の最後のシーン、ナウシカが王蟲の触手によって生き返るシーン、それはまるでキリストの復活のようです。中村哲さんの思い出は、その死によって、さらにのちのち意味が深まっていくことでしょう。「ゴジラ」が日本社会に何を問いかけているのか、それとも関連するところです。


大学での「社会調査法講義」──教科書を用いての講義だけでは、なんとも味気なく、底が浅く、つまんないので、今学期からは、新機軸を実験しはじめました。フィールドワークや質的調査の方法論を教えたあとで、その実践篇として、沢木耕太郎のルポルタージュを読むのです。沢木耕太郎?、あれが社会調査?──そういぶかる人もいるでしょう。でも、これは、れっきとした社会調査です。凡百の社会調査よりずっと社会調査らしいものだと思います。おまけにその文章がいい。聞き取ったことを、考え抜いたうえで、どう文章にしていくか。その実に良いレッスンになると思います。


 

中村哲さんが亡くなられました。今年の8月、九州大学・椎木講堂でお話しを聴いたのが、最後になってしまいました。残念です。
中村哲さんは、現代のナウシカだと思います。来週の社会学入門の講義では──「中村哲さんは、おじいさんの姿をして現代に現れたナウシカである」というお話しをしたいと思います。