アール・ヌーボーの町、パサージュの町
「アール・ヌーボー(フランス語: Art Nouveau)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐に亘った。第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、アール・デコへの移行が起き、アール・ヌーヴォーは世紀末の退廃的なデザインだとして美術史上もほとんど顧みられなくなった。しかし、1960年代のアメリカでアール・ヌーヴォーのリバイバルが起こって以降、その豊かな装飾性、個性的な造形の再評価が進んでおり、新古典主義とモダニズムの架け橋と考えられるようになった」(ウィキペディア)とあるが、こんなものではない。もっともっと豊かで、それを見た者をぐぐぐーっと引きつける魔力のようなものをもっている建築・インテリア芸術だろう。プラハは、まさにアール・ヌーボーの町なのだ。

そしてそこにひそむ「パサージュ」とは。

「パサージュ(passages)とは、19世紀以降のパリにみられる、ガラスのアーケードのついた歩行者専用の商店街のことである。もともと、「パサージュ」とはフランス語で、「通過」や「小径」などをあらわす。パサージュの起源は、1786年にパレ・ロワイヤルの庭園を分譲して店から賃貸料を得た。歩道の整備が進んでいなかった時代に、パサージュは歩行者にとって快適な場所として成功をおさめ、19世紀を中心に建設が流行した」(ウィキペディア)とあるが、パサージュが今日、有名なのはヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』があるからだろう。そしてプラハは、まさに、アール・ヌーボーの町であり、かつ、パサージュが美しくある町なのだ。

 


 


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