From the monthly archives: "8月 2012"

思い出すままに、いくつか列挙してみます。

1 ドイツは風力発電にものすごく注力しています。ライプチヒからフランクフルトまでアウトバーンだけでなく田舎道もいろいろ走りましたが、麦畑のなかに林立する風力発電の数にはびっくりさせられました。ドイツの脱原発は有名ですが、本気で風力などにも注力しています。走りながら、ナウシカの風の谷を思い出していました。ドイツはいまナウシカのように風の谷になりつつある・・・?
2 東西ドイツの統一が進んでいるが、歪みもある。今回はほとんど旧東独を動きました。ライプチヒでは「カールマルクス大学」が「ライプチヒ大学」になって、町の中心に超モダンな高層ビル大学になっていました。はんめん、私の滞在した中央駅からトラムで3駅ほどの地区は、あきらかに荒廃しはじめていました。かつては立派な建物だったのが、いたるところ、落書きがされ、窓が割られて、一見して危険地帯になりつつあるのが分かります。周囲にはアラブ系の店が多くて、都市社会学でいうところの「遷移地帯」になっているのです。旧東独時代の施設や空間は、どんどん「遷移」して飲み込まれていくのだろうなぁ。
3 ベルリンでは東ベルリンが急激に発展しています。私の滞在したホテルは、まさに「壁」の近く。かつて壁の周囲にあった空き地は、いま、急速に開発の対象になっていて、もうれつな建築ラッシュです。私の滞在したホテルの部屋の真向かいがまさに建築中で、朝は7時前から作業がはじまり、夜は7時まで、土日も作業しているという、ちょっともうれつな状況でした。ベルリン中心部も、旧東独時代の「共和国宮殿」などは取り壊され、いま、新しく建て替えられつつあります。
4 博物館や美術館は、館員が、いまだ、前の時代の職員のようで、つねに「監視」モードなのが、おもしろいです。つねに見張っていて、人民を監視していた時代の流れは、すぐには変わらないのですね。
5 マクドナルドがどの町にも林立。アメリカのファストフードが猛烈に浸透している。でもハンバーガーは「ハンブルグ」から始まったのではなかったか。ハンバーガーの発祥地だから、なじみやすかったのか、いずれにせよ、ドイツのマクドナルドの浸透ぶりにはびっくり。
6 「写真撮影料」をとる博物館、美術館が多いのにびっくり。払うとシールをつけてくれる。それがないと監視員がすぐにとんできて「注意」する。でも、みんなキャノンなどの一眼レフをもってる人は払っているが、「iPhone」で撮影料はらわずぱちぱちやってる人も多かった。携帯電話ですぐに写真がとれる時代。美術館や博物館も、撮影禁止できなくなっていますね。
7 アウトバーンで渋滞した時、若者たちが車からおりて、路上でビールのんで、騒ぎ始めた。フーリガンみたいな無法のがこんなにいるのを実感。しかもドイツのアウトバーンには「autohof」だったかな、ドライブインがたくさんあって便利なんですが、そこでは、ビールや酒類を盛大に販売している。町でもみんな盛大にビールをやっているし、こんなに酒類にたいして敷居が低くてよいのかと思ってしまう。アメリカでは、まず、ぜったいに考えられないことですね。公園などで酒類をのむなどもってのほかだったからなぁ。そもそも土日は酒類など販売していない(できない)し(マサチューセッツなど)。

朝、ゆっくりおきて、バウハウス博物館(ワイマールがバウハウス発祥の地なんです)をみて、ゲーテ終焉の家から,広大な公園を歩いてゲーテがファウスト等を書いたという夏の小家へ(広大な美しい公園の中の東屋で、こここは風が涼しくて最高だった)、そのあとシラーやゲーテの墓場、ゲーテの愛人?シュタイン夫人宅などをめぐってから、さて、いざ、フランクフルト空港への最後のドライブへ。ワイマールから300キロあって、ホテルの人は、まあ、2時間半でしょう、などというが、そういうかんたんなものではない。ドイツ人じゃないからね。また旧東ドイツだから、道路はいたるところ工事中、いきなり2車線の狭い道になったり、トラック隊が路を占領していたり、なかなかスリリングな行程なんです。でも、やっぱり、ドイツのアウトバーン、みんないきおいこんですさまじい速さ競争をしている。こういうの、怖いし、どうしても、すきになれないなぁ。いちばん右車線はトラック中心で100キロ以下くらい、ここにいると、トラックに挟まれてけっこう怖い。ここはトラックの世界なんだぞと言われているみたい。そこで、真ん中のレーンへ。ここが、普通車で120キロ以上。しかし120キロだと、全員に追い越される。いちばんの左車線は、まあ、みんな150キロ超、よく分からないけど200キロちかいのもいる、という世界。なんだ、なんだ、これは。これは、とんでもない速さの階級社会であって、まんなかを120キロで走っていても、おまえ、住む世界が違っているぞ、そこどこそこどけ、というはげしい攻撃を受けることになる。とてもアグレッシブな世界ですね。攻撃的なクルマばかりで、日本より、よほど危ないと思う。最近のドイツ車、どれも顔つきがきつい。とくにアウディの最新のモデルはどれも人相悪いと思う。はっきりいって、とてもすきなれない。後からアウディがきたら、すぐにどきます。ベンツも、昔みたいにおっとりしてないし。なんというか時勢なんだろうか。ドイツでは、ほとんどまったく、トヨタみない。ホンダまったくいない。レンタカーでかろうじて日産がすこし。ドイツ車ばかりの世界。
昔すんでいたアメリカでは、高速道路でもみんな110キロ以上は出さなかったぞ。いやはや、ドイツのアウトバーン、なんど走っても、こわくてこわくて、好きになれないなぁ。けっこう事故も多いのはむべなるかな。ライプチヒでレンタカーをしてから最初の3日間で、2度も、大渋滞にまきこまれました。みんな事故処理の渋滞でしたらね。アウトバーン、けっこう、事故おおいのです。さすがのドイツ人でも、アウトバーンは事故多いぞ。こんな荒い運転していたら、当然さ、と思うけれど。
さて、ワイマールを午後2時にでて、ゆっくりはしって(しばしばあおられながらも)、ベンツのレンタカーのGPS の高い能力のおかげて、無事、フランクフルト空港に300キロを、3時間半かかってつきました。ああ、やれやれ。これ、GPSなかったら、とうてい、この時間内でたどりつけなかったかも。もはや海外ドライブはGPSなしにはなりたたない時代なのだなあ。いつものことですが、最後の難関が、最後の給油とレンタカーのリターン場所なんだけど、ここでは、さいわい、すぐみつかって、よかった。(給油は40キロ前で給油してまったくオーケー、そんなに近くで給油しなくてもいいのだ)。エイビスにたどりつくと、ベンツの新車ということもあって、係が、前後左右から、じっくりじっくりチェックしていた。でも、今回は、こすっていないから、大丈夫。(昨年は、小さな車だったけど、いろいろこすってたから、高額な修理代を請求されて青ざめたっけ・・・。ドイツ人は几帳面にチェックします。)
というわけで、ようやく、フランクフルト空港のラウンジでこのメールを書いています。
なんとか、ぶじに空港にたどりつけてよかった・・・

ドイツの発音は難しい。日本では、第一次世界大戦と第二次世界大戦間のドイツの共和制を「ワイマール共和国」と言っていると思います。その憲法が制定された古都ワイマールに来ています。ゲーテが宰相をしていたところ、バッハが宮廷につとめて大公とけんか別れしたところ(モーツァルトみたいだ)。でもWeimarとつづってドイツではヴァイマーと発音している。けっしてワイマールとは言わない。ううむ。なぜ日本ではワイマールという発音が定着してしまったのだろうか。つづりだけみて、じっさいの発音をしらない歴史家が、こういう発音を教科書に書き込んでしまって、それがわれわれにすり込みのように入ってしまったのだろうか。いずれにせよ、日本人には、ワイマールのほうが、はるかに受け入れやすい発音であることはたしかだ。でも、現地の発音とは、ぜんぜん違う。そういうことって、いろいろ、ありますね。ゲーテも、そのまま発音すると、ちょっとちがうし。社会学の巨人、ウェーバーだって、現地ではヴィーバーに近いし。

旅の最後の数日を、レンタカーをしています。
ドイツでレンタカーをするのは、何回目だろうか、4回目くらいかな。
毎回、思うのは、アウトバーンは、おもしろくないし、いやだ、ということ。
なんで、みんな、こんなにすっとばすのか、ドイツ人はみんな暴走族か、と思うほどとばしていますね。
こわい。
私は、だいたい、日本でも高速は90キロくらいが快適と思っているので、こちらでも妥協して100キロくらいでアウトバーンを走っていると、もう、これは最遅になっていて、どうも、具合が悪いらしい。右レーンで、周囲を巨大なトラックに囲まれてしまう。これも怖いし。
で、やっぱり、アウトバーンは、走っていても面白くないし、怖いし、できるだけアウトバーンはのりたくないという結論。
一般道のほうが、はるかに、快適で美しい風景をみながら走れるし(でも一般道でもドイツ人はみんなとばしているなぁ)。

これまで、十数回におよぶヨーロッパひとり旅ということで、苦労した経験は数知れませんが、今でも、ありありとその苦労を思い出すのは、ほとんど、レンタカーで苦労した経験です。
それも、ほとんどは、町についてから、ホテルに到着するまでの経験なのです。ヨーロッパでは町と町とを走るのにさして困難はありません。右ハンドルか左ハンドルかも、あんまり関係ありません。道は、すいているし、合理的で、田舎道など、とくにこれこそドライブの醍醐味だという至福のドライブが味わえます。問題は、街についてからです。そこからが、超難易度Eの体験のはじまりてす。
思い出すままに書き連ねてみます。
まず、ロミオとジュリエットの町、北イタリアのヴェローナ(日本人でクルマできたのはおまえが初めてだと言われた。ホテルの人がつきそってクルマ車庫につれていって、手取り足取り駐車場の入れ方を指示してくれて、ようやく・・・入った。こんなところに駐車できるのかー、不可能、と思われた駐車場。中世の荷物おきば。とにかく、クルマは動かさずに何度もハンドルをめいっぱい切ってから、ほんの少しクルマを動かす、というがポイントだった・・・)
ついで、グリューネヴァルトのあるフランスとドイツの国境の町、コルマール(中世の馬小屋が駐車場だった。とうてい私には入れることができず、SOSを発して、ホテルの人に入れてもらった。翌朝、自分でクルマをだすときには、こすってしまった! あとで修理代を請求された。こんなところ、駐車できないよ)。
そして、オーストリア、モーツァルトの町、ザルツブルク。(旧市街地、モーツァルトの生家のすぐ近くのホテル。そこには、入ろうにも、入り口に厳重なかんぬきがでている。途方にくれた。入り口の無線マイクで、ホテルに連絡すると、そのかんぬきがするするとぬけて、旧市街地に入れるしかけだった・・・そんなこと、いって叫んでみるまで、分からないぞ・・・)
もひとつオーストリアの古都インスブルック。(旧市街地の真ん中の、モーツァルトも宿泊したというホテル。どうやってもたどりつけない。途方にくれて、バスから降りてきた、バスの運転手にすがりついて、となりにすわってもらって、指示してもらって(英語がまったくはなせない、オーストリア語?、みぶりてぶりだけ)、ようやくホテルの近くに・・・そこでバス運転手はおりていってしまったのだが、そこからさき、さらに困難が待ち受けていた・・・思い出したくもない・・・なんでホテルに到達できたのか、いまでも分からない)
さらに、イギリスはウェールズのバース。(中世のローマ都市、お風呂のバース。ホテルは見えているのに、そこに到達できない・・・)
そして、イタリアの古都ヴェネツィア(もちろん、ヴェネツィアにはクルマでは入れない。そこでヴェネツィアに入る前に、レンタカーをリターンするのだが、おいおい、どこに返却すればいいんだ。それがまったく分からない・・・)。
こういうところは、思い出しても身の毛がよだちます。私が目的地に到達できたのは、幸運だったのか、もういちどやれと言われても、もはや、できないと思います。
こういうところは、はっきりいって、レンタカーなどしていかないほうが良いです。
有名な古い町は、列車でいけます。そしてついたら、そこからタクシーでホテルに行くべきです。
ところが、レンタカーでいってしまったのです。よりによって、古い古い古都のその都心にある、それもまた、小さな古いホテルに。
そこから、すべての困難が始まります。
(でも、すべての困難が、のちのち、忘れがたい思い出に変わる、というのも、これもまた真実なのです)

元九州大学の同僚で、今、同志社大学の今里滋先生がバルセロナに来ておられるようです。
私はプラハからドレスデン、ベルリーンからライプツィヒに来たところです。
バルセロナといえば、4年ほどまえ、バルセロナに来て5日ほど滞在したあと、レンタカーをして、カタルーニャ地方を、フランス国境までドライブしたことがありました。
バルセロナからのドライブは、今、思い出してもたいへんでしたが、はじめと終わりが、とりわけ、超難易度が高いです。町からでて、高速道路に入るとたん、ぐるぐる回っているうちに、どっちの方向か分からなくなります。今のようにGPSがあれば別でしょうが、いちばん小さくて安いランクのレンタカーをしていた私は、もう、これで行き先を見失い、大慌てで大汗をかきました。そして、最後に、帰国直前、夕方のフライトで日本へ帰国するという時に、バルセローナ空港についてレンタカーをリターンするのもまた難易度が高いです。どこに返却するのか、返却する前にガソリンも入れなければ、フライトまであと何時間、などといろいろぐるぐる頭がめぐって、たいへんでした。いま思い出しても、よく、あんなことが、短時間にできたなと、思います。ふつうの人には、できないのではないかと、いまでも思います。
さて、スペインといったら、パラドールですが、バルセロナから2時間くらいで、すばらしいパラドール、カルドナがありました。
これは中世の修道院をパラドールに改造したもので、どんなガイドブックにも出ていると思いますが、すばらしいものでした。(私は高坂知英のひとり旅の楽しみシリーズで、はじめてこのパラドール、カルドナを知りました。)
私は、バルセローナから旅だった初日と、帰国前日の最終日と、二泊しましたが、忘れがたいですね。
近くには、ワーグナーが楽劇の舞台にした奇岩城(いま名前を失念)もありました。
遠くからはるかに見える要塞山のうえのカルドナですが、クルマでいくと、最後の坂道がきわめて難しくて、細くてくねくねした登り道で、難易度Dなんですね。ここをうまく乗り切って駐車場に入れないと、パラドールの入り口にたどり着けないのですが、大汗かいて、ぎりぎり駐車できたことを、いま、思い出してもよく出来たな、もういちどいってまたできるだろうかなどと考えると、また汗かいています。

ドイツのバッハの町、ライプツィヒからです。
今年最高の暑さとかで36度だそうです。
ドイツの夏はひんやりしているときいていたのですが、きょうは、ちょっとものすごい暑さです。ひざしの強さも相当なもので、へとへとになってホテルにもどると、なんと、きょうは日曜日だから、レストランも休業で、何もないというのです。えええ。
おまけに東ドイツ(まだ濃厚に東ドイツなので)の日曜日は、もう、スーパーもなにもどんどん6時にしまってしまいます。ホテルのレストランまで日曜は休業ときて、まいってしまいますね。ひあがってしまいます。こまった。
近くをさまようと、こういう時こそ、異邦人たちががんばっています。あいていたのは、トルコ人の経営しているドナーケバブ屋さんです。そこで手作りのドナーケバブをテイクアウト。ヨーロッパで食べ物に困ったときには、アジア系か中東系かですね。ドイツ食より、むしろ、私たちには胃に優しい。
かつてバルセロナに1週間ほど滞在していたときも、安くてうまいので、ドナーケバブをしょっちゅう食べていたのを思い出しました。トルコの人たち、ヨーロッパの中でケバブでがんばっていますね。
きょうは、朝から、バッハがトーマスカントール(楽長)をつとめていたトーマス教会の朝のミサに出席。1時間半ほどのミサですが、えんえんと(まったく理解できないドイツ語で)説教がつづき、なるほど、このように毎週の日曜日に、バッハは、教会で、ミサと説教と音楽とが渾然一体となった生活をつづけていたのだと納得しました。バッハの音楽も、こういう教会の中の生活と切り離せないのですね。
でも、いやはや、みんな、まじめなクリスチャンばかりだと苦しくなりますね。ここライプチヒもキリスト教徒ばかりだったら、周囲が敬虔なルター派ばかりでも息がつまってきますね。バッハも、教会以外でも、コーヒーバウムという喫茶店まえで、公開コンサートをやっていたそうです。世俗曲のコーヒーカンタータがそれです。そ のコーヒー店ににもいってみました。
旧東ドイツも、体制崩壊後、ずいぶんと変化が進んでいますが、まだ変わりきらないところも濃厚に残っています。でも、バッハの頑固さとも似ている気がします。


 バッハが音楽監督をつとめたトーマス教会

トーマス教会内のバッハの墓


 

ベルリンに来ています。
旧東ドイツ地区に滞在していますが、まだ濃厚に旧共産圏の雰囲気が残っています。
ヒトラーが最期をすごした総統本部やナチの諸機関の本部があった場所を探して、周辺を歩いていました。
日本語のみならず、ほとんどのガイドブックには出ていませんが、こちら現地でガイドブックを入手して探してきました。
いまや、まったく面影もなく変貌していますが、ここが、20世紀の世界を、日本もふくめて、大きく変えたその中心だったのかと思うと、日本の終戦(敗戦)記念日にあたって感慨深いものがありました。

2012/08/15
朝早くドレースデンをたって、午前中にベルリーンに到着しました。
ここは、プラハやドレースデンと比べると、けたはずれの大都市です。
そして、旧東ドイツ地区は、どこもかしこも、大改造中。
すさまじい建築ラッシュ。
でも、どこか、なつかしい古びた町が、どんどん壊されていくようにも見えます。
今夜からのホテルは、旧東独地区の中心からはずれたところ。
地下鉄駅から5分くらいなのですが、周囲は、殺伐としていて、すべてがこわされ、殺伐としたなかでいろいろと建築中。
ちょっとこんなところに宿泊するんじゃなかったと後悔。
ホテルはモダーンなんだけれど、ホテルだけ。あと周囲には何もない。
こういう孤立した寂しさってのも、旧東独らしさなのだろうか。数年後には、もう味わえない殺伐感なのだろうか。
近くを歩いて、もよりの地下鉄駅までいっても、周囲は殺伐として何もない。
コンビニとか、そういう概念がない。昼からしーんとしてさびしいところ。
地下鉄にのって、アレクサンダープラッツ駅に買い出しにでかけなくては。

2012/08/14
今日、夕方、ドレスデン近郊の街、マイセンに行ってきました。電車で30分くらいです。
マイセン。あの高級磁器マイセンを生産している街です。
はじめてドイツに来たのは今から20年くらい前になりますが、その時、マイセンのコーヒーセットを奮発して買ったのを思い出します。
あれから20年間、マイセンは活躍しつづけてくれています。
マイセンが東ドイツにあることは知っていましたが、ドレスデンにこんなに近いとは思いませんでした。
中国や、日本の伊万里や有田にあこがれて、東インド会社を経由して大量に磁器を買い込んでいたアウグスト強王が、ヨーロッパで初めて磁器の製法を発見した錬金術師を、城に閉じ込めて、秘密がもれないようにして、マイセン城の中を磁器工場にして、ずっと生産してきたらしいです。すさまじいですよね。でも、日本でも韓国から陶工をつれてきて、有田や伊万里の奥山に幽閉していたのだから、同じようなことをどこでもやっているのでしょうか。こういうところでマイセンは生産されていたのです。古くて渋くて散歩しているだけで心楽しい町です。ついたのが夕方だったので、工場見学はできずに、ショップだけ見ましたが、あれもこれも買いたくなって困りました。でも本場ドイツのマイセンでも、マイセンは、高いです。買えませんでした。


 マイセン城

 

マイセンの町のショップ。あまりに高いので、かけらすらも売り物なのか?

マイセン工場