From the monthly archives: "6月 2016"

パリ滞在ももうすぐ一週間になるので、地下のランドリーで洗濯をする。ところが、こいつがなかなかくせ者でかんたんでない。ユーロだけ吸い込んで動いてくれなかったり、動いたもののうまく作動していなかったり・・・するとユーロのコインが足りない・・・ここの事務室の人は英語がまるでしゃべれない(しゃべらない)。「館長に聞け」などと平気でいう。なんだかんだと日本人館長や日本人留学生にご迷惑をおかけすることになってしまう。掃除、洗濯、買物、食事づくり、生活上のごく基本的なことが、日本と違うので、けっこうやっかいだ。また、インストラクションがすべてフランス語なので途方にくれる。30年以上前に苦労して学んだ第2外国語だが、かなりさびついている。しかも日常生活用語については、大学では学んでないしなぁ。しかし、ヨーロッパにきて、しかも大学にいて、これだけ英語が通じないのも、初めての経験だ。それもまたフランスらしいなと、印象ぶかいものがある。


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パリでは学期末です。土曜日には、日本館で研究会があって、ここに滞在している留学生たちが研究発表をしていました。なるほどこういう研究テーマだったのかと納得。その後、学期末の「お別れパーティ」のようなものがあって日本館以外にも居住している人たちも含めて、50人以上が集まってきたでしょうか。深夜までわいわいがやがや、みんな楽しそうでした。そしてもっとフランス語が上達したい、もっとフランス文化や研究がしたい。それには学寮よりも外にでて、フランス人とふれあいたい、などと語っています。フランス愛というものでしょうか。フランス大好き、パリ最高という人たちが集っているのです。すごいですね。こういう情熱があれば、これからもどんどん伸びていくんでしょうね。ところで、私が滞在しているこの日本館は、戦前の大富豪・バロン薩摩の寄附によって出来たものですが、所有は「パリ大学」なんだそうです。それぞれの国々(の寄付者)がそれぞれの国の留学生のために学寮を作って、それをパリ大学に寄附した。そして、それぞれの国がそれぞれの予算でそれを運営している、というかなり変則的(というかフランスにとって好都合な)仕組みのようですね(詳しくは分かりませんが)。日本館の館長は日本人ですが、パリ大学の所有物である日本館に、日本政府が予算をつぎ込むという形になっている、それが日本の文科省にとってはいかに困難なことであるかと苦労を語っておられました。けれど、これがフランス式、これがパリ大学の力なんでしょうね。


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ペール・ラシェーズ墓地で、みんなが探そうとするのがフレデリック・ショパンの墓でしょう。けっこう分かりにくいところにありますが、みんなが探して群れているから、分かりました。小さいですね。でも、思うのですが、こういう人たちの墓って、誰がどう場所を決めるのだろう。とても恣意的にも思えますね。そして、誰が、どう守っていくのだろう。日本の墓なんか、すぐに無縁墓になって、墓石も撤去され集められて行方が分からなくなるんです。日本では、お墓がお寺さんの収入源(?)だから回転を早くしている・・・というのはうがった見方でしょうか。西洋の墓地は火葬でなかったから、そういうことが出来ないのでしょうか。しかしパリの墓地も、基本は「○○家の墓」様式が多いと見ました。こういう墓は、やがて埋もれて壊れてなかなかすさまじい雰囲気を出したりしています。


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土曜日の午後、ペール・ラシェーズ墓地に行ってみた。予想をはるかに超えて広大で、彷徨い道に迷った。多くの有名人の墓があるのだが、ほとんど表示もなく、文字はうずもれ、判読しがたい。これは墓地というより、巨大なネクロポリス(死都)ではないか。日本でも、高野山に宿泊した時、奥の院までの道が、お墓ばかりがどこまでも延々とつづき、この世からあの世への道行きのようになっていることに驚いた。パリ市内にも、このような異空間があることに、あらためて仰天した。しかし考えれば、ここは史上名高い1871年の「パリ・コミューン」が終焉したところでもある。あの虐殺を記憶にとどめるためにも、このようなネクロポリスを残しているのかもしれない。


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ソルボンヌ広場には、オーギュスト・コントの像がありました。社会学史を学んだ人は、みんな知っているけれど、いわゆる「社会学の祖」ですね。彼は、ラテン語(socius)とギリシア語(logos)とをハイブリッドに交配して「社会学(sociologie)」というフランス語を強引に作ったんですが、それが根づいたのは、時代的背景(歴史的動乱の時代)があったからですね。サンシモン、デュルケムやM・ヴェーバーら続々と社会学をやる人たちが輩出したのは、社会学なるものが、時代や社会に求められていたからなんでしょうね。さて、今は、どうか。


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パリ大学もいろいろあって、「ソルボン」というお坊さんが設立した神学生の学寮から始まったけれど、いまでは13ある大学連合のなかの3校だけが「ソルボンヌ」と称しているらしい。まぁ大学の一部が「本郷」とか「駒場」とか言われたり、九州大学では「箱崎」というのが今や文系数学部のみ名乗られているみたいな感じかな。このところずいぶんと学生のストライキがあったり、テロリズムへの警戒もあったりして、大学の中にはいるのも、けっこう手荷物検査とか、教室には入れないとか、きびしいチェックがありました。ここが、ソルボンヌ。巨大な建物で、権威主義的でもありますね。


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私たちの世代にとって、フランスといえば、まずサルトルとボーヴォワールでした。さっそうとした姿で、1968年の五月革命や反戦運動、当時の若者の正義感や倫理観にアピールしたのでしょう。その後、レヴィ-ストロースに批判され、フーコーやデリダが出て来ると、すっかり霞んでしまいました。いまや若い人はサルトルといっても誰も知らないのかな。いずれまた復活すると思うけれど。そのサルトルが出たことでも有名なフランスのグランゼコール(超難関校)の「エコール・ノルマル・シューペリエール(高等師範学校)」の中に入ってみました。同行したパリ大学に留学している若い知人ががんがん入っていくのについていったら、セキュリティを突破して、中に入れました。なんだかスリリングだった。


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パリも学期末。通常の授業は、ほぼ終わっているようです。昨日は、フランス最高の教授陣が市民に講義する場という、コレージュ・ド・フランスに出かけて、コンパニオン先生主催のコロックに出席してみました。記号論で有名なジュリア・クリステヴァも講演するのです。始まる前は満員だったのに、クリステヴァの話が延々はじまると、かなり多くの人たちが席を立っていくのにも驚きましたね。じっさいは1時間くらいやや早口のフランス語の講義で、私には単語が断片的に分かるだけでしたが、どういう人たちがコレージュ・ド・フランスにやってくるのか、どういう質疑が交わされるのか、雰囲気はどんなものか、分かってきました。


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今年はサバティカルなので、これまで執筆活動に専念してきました。これからはちょっと海外にもでかけます。まずは、テロリズムで大揺れになったフランスにやってきました。おっかなびっくりでしたが、パリもだいぶ落ち着いているようです。まずはパリ市の南にある「国際大学都市」にしばらく滞在します。ここは世界各国からの留学生が暮らす独立王国のような「大学都市」。駅をでると、まるで高原の避暑地のような空気が漂っています。広大な敷地に各国がそれぞれ留学生用の学舎を建てていて、ここだけでふつうの日本の大学より広いかもしれない。私の滞在する「日本館」は戦前のバロン薩摩さんの寄附で建てられたというもの。戦後に、フランスに留学した有名な方々が、みな暮らしたところですね。加藤周一の『羊の歌』にもでてきます。また日本人だけでなく様々な国々からの留学生もいます。原則、大学院生以上とのことで、みなさん落ち着いて勉学や研究にはげんでいるようです。中は、学生寮なので、食事はなし、トイレや調理場は共同、なんだか学生時代にもどったような感じです。


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パリの国際大学都市の入り口

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ロックフェラーが寄附して作られたという本部

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バロン薩摩の寄附でできた日本館

杉本めぐみさんからの紹介です。「アクロス福岡(2階 セミナー室2)6月15日 水曜日 19:00 – 22:00」「九州大学は、熊本大学への支援を通じて被災地を支える国立大学幹事校に指定されており、その活動の一環として、大学の垣根を超えて支援の取り組みを企画・運営する場を創設し、またそれらの活動を通じて知り得た被災地の状況を広く報じる機会を設けます。その第1回の企画・運営会議を実施します。福岡の大学関係者の皆様、是非、ご参集ください。教員、職員、学生を問いません。また、この会議は大学外にも広く開いたものとしていきます。活動にご関心をお持ちの方は、どなたでもご参加いただけます。是非、この復興支援の輪に加わってください。第1回の今回、映像作家のKazuki Takeshitaさんが発災直後から現地に入り、1ヶ月余りにわたって撮りためた写真・映像を編集した短編作品『献花』を上映します。益城町の「現在」を実感してください。」


被災地支援大学間ネットワーク

毎回思うのだけれど、日本の国際免許って、もう少しなんとかならないものなのか。
かつてはわざわざ福岡県庁の横にある福岡県警の地下のいちばん奥まったところまででかけて申請していた(いまは天神のゴールドカードの申請所でできる)。申請書に添付する写真のサイズが微妙にパスポートサイズと違っていて、合わないと受理されない。そのうえ有効期限が1年間というのも、困ったものだ。毎年、申請しなくてはならない。これは、免許証と同じ有効期限でいいのではないか。毎回、2400円の申請料金と写真を持参せねばならない。有効期限が1年であることの根拠は、ほんとうは何もないはずだ。
そもそも、日本の免許証が「国際免許証」として通用すれば、もっと簡単なのだ。いちど、海外で、日本の免許証をだして、これでレンタカーをさせてくれ、と言ったら「生年月日や発行日、有効期限などが、平成になっていて、分からないからだめだ」と言われた(英語でほぼこのように言われた)。なるほど「平成」の壁があるから国際的に通用しないのだ。これらをすべて西暦にしたら、国際免許証として通用するのではないか。アメリカでとったドライバーズライセンスは、ヨーロッパで出したら、そのまますんなりレンタカーできた。残念ながら、すでにこのアメリカの免許証は失効してしまったのだが、国際化というのなら、まず免許証などの「西暦化」から始めるべきだろう。


国際免許

10年ぶりに、しばらく海外に暮らすことになるので、まずはアメリカのJ-1ビザを申請している。これがまたややこしい。3月から申請をはじめたが、いろんな書類を用意せねばならない。所属機関長の許可、雇用の証明、銀行の残高証明、保険などなど。おまけに「English Proficiency Certification」も必要だという。そこで、わざわざハワイ大学の知人に、国際電話をかけてもらって、電話の会話で、そのテストをしてもらった。すると、その会話で、どのようなことを話したのか、トランスクリプトまで付けるらしい。やれやれ、たいへんですね。さて、こうして書類を整えても、まだクリアではない。まだアメリカの大学レベルの書類が整ったというにすぎない。これから国務省レベルでのテストがある。アメリカ大使館か領事館に出向いて面接を受けることになるのだ。前回は、たしか、東京のアメリカ大使館に、わざわざでかけて面接を受けた。今回は、福岡のおとなりさんの領事館で、なんとかならないかな。


ビザ申請

先日、東京大学被災地支援ネットワークの似田貝先生たちと熊本学園大学、西原村、益城町などをめぐってきました。その後、九州大学で関係者が集まって被災地支援のネットワークについて話しあわれました。それがこのたび、「熊本地震 被災地支援大学間ネットワーク会議」 として立ち上がることになりました。ご紹介しておきます。


被災地支援大学間ネットワーク

熊本支援ボランティアについて、情報交換とネットワークづくりのため、東京大学被災地支援ネットワークの清水さん、似田貝さん、被災地NGO 恊働センターの武久さんが来られました。九州大学からも現地支援に入っている、田北さん、坂口さん、杉本さん、NPOの田村さんにご参加いただき、現状の情報交換と問題や課題が話し合われました。「国立大学」という組織を通すと「大学間支援」になって動きにくいところもあるようです。しかし、組織としてではなく、「達人」のような方々が、すでに現地に入って、熱心に支援を展開されています。こうした現場からの実践知を、深めながら広げていくことも、とても大切になってくると思います。


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これまで黒澤明の作品は、そのほとんどを観ききたように思います。でも、大学時代には、黒澤明の映画、何か、観たことあるのか、と問われて、当時は、ひとつも観ていなかったはずです。今の大学生が日本の3大巨匠「小津安二郎、溝口健二、黒澤明」といったって知らないのと同じようなものだったわけです。さて、この遺作は観ていませんでした。ところが、見始めると、ちょっと、つらい。展開が、かなり弛緩した感じは否めない。引退した先生を慕って集まってくれる教え子たちとの交流・・・まさに、これ、現実にはあり得ない「教師の幻想夢」なんじゃないだろうか。後半は「ノラや」に暗転。これまた常軌を逸した猫への異常な愛着・・・なんだか痛々しくて見続けられない・・・


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九州大学ユーザー感性学の坂口光一先生が『糸島スタイルブック』という小さな冊子を作られました。これは昨年何度かおこなわれた「糸島ジモト学」の成果物でもありますが、こんなステキな、小さな成果報告書もありうるのかと、ちょっとしたサプライズでした。私も参加したので、小さく紹介されております。


糸島スタイルブック (3)

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是枝監督の「海街diary」を見ました。是枝監督、これもいいですね。不在(というか愛憎をこめて亡くなった)の何人もの父母をめぐる4姉妹の物語です。複雑な家族背景、4人姉妹も複雑な異性関係をもっているという、谷崎潤一郎の「細雪」からの時代の離れを感じさせる設定。でも、本質は、これ、「細雪」なのではないかと思わせます。長女、次女、三女と見てくると、わが家の長女、次女に、どことなく似ているように思われてきます。さらに三女になると、もっと、あるあると言いたくなるような既視感が。そして四女ともなると、ちょっとよい子すぎるのですが、これもやはり、小さい頃から苦労してきたであろう、この四女への、観客の無意識的な共感が、自然と反映されているのでしょうね。
ところで、是枝監督の作品、問題設定からして「こうなるのでは」という観客の予想を、うまく裏切るところに、その演出のさえがあります。「あるいてもあるいても」の阿部寛、ぜったいこの次男をめぐって父母とのいさかいが・・・と予測させておいて、何も起こらない。その肩すかし感が新鮮でした。何もなかったのがかえって余韻となってひびいていく。今回の「すず」ちゃんもそうですね。きっとどろどろとしたドラマが起こるのでは、という予測を、すっとはずしていくそのさばきかたが見事。阿部寛もすずも、その問題が真正面から取り上げられたらと思うと、誰もがつらいし、結局「解決」はありえないですよね。そういうど真ん中の問題を、何食わぬ顔をしてはずしていく。しかも、問題から逃げているのでなく、時間に解決してもらいましょう、というスタンスなのでしょう。本当の「解決」をドラマの外の時間にゆだねるところが、また心憎いですね。


海街diary