From the monthly archives: "4月 2021"

『今こそお寺に言いたいこと』という本が出版されました──これは題名に惹かれてさっそく購入して読んでみました。コロナ禍で未曾有の危機、それより前から「地方消滅」──このままでは「地方」でけでなく、お寺さんもろとも消滅は不可避です。だからこそ「今こそ、お寺さんに期待したい」そう思う人は少なくないはず。お寺さんへの直言、そしてお寺さんからの真摯で斬新な提案を期待して……読んでみると──あれれ、これは肩すかしですね。「今さらお寺さんに言っても仕方がない」と思うのか、どの発言も、なんだこれは。わざわざ本にするほどのものか。はっきりいって怒りを感じてしまいました。じつに残念です。そもそも「各界第一人者による」というコンセプトが良くないのかもしれません。誰一人、本当は、お寺さんに何も期待していない、と言うことが読むと明らかだからです。ただ懐かしい風景を守ってほしい、という、無責任でなおざりな感想に尽きています。こんなものでは羊頭狗肉。わざわざ本にして売るほどのものか、中身を全取っ替えして、もういちど作り直してほしいと真剣に思います。私は個人的に、熊本地震の時に他の県からやってきて、自分のお寺を留守にしてまで、奮闘努力・大活躍したご住職も知っています。そういう本当の宗教家のご住職の心にも届くような内容を期待したいですね。


例年、この時期にはボストン・マラソンが開催されます(今年もコロナ禍の影響で延期されたようです)。今から16年も前のことになりますが、半年間、ボストンに暮らしました。ボストン・マラソン頃の日々は、ボストンがもっとも美しく輝く季節として、強い印象に残っています。それは世界的に有名なレースでもありますが、むしろその後にボストンの目抜き通りを一日中閉鎖して、何万人という市民ランナーが走り続ける市民のための大イベントとしてのほうが強い印象です。ところで、福岡国際マラソンは、今年をもって、主催者の事情で「終了」することになるそうです。オリンピックもマラソンも、国や政府行政や行政や企業の様々な「事情」で開催されたり中止されたり終了したりするのはですね。ボストンに比べて、市民による市民のためのイベントとしての底の浅さではないでしょうか。


毎年、初詣にいく近所の鳥飼神社(鳥飼八幡宮)です。ここに、最近、コンクリート打ちっぱなしの現代美術館のようなモダーンな建物ができました。これがなんと「納骨堂」なんです。神社に納骨堂、初めて見る風景です。「地方消滅」で私の故郷などはお墓の管理組合が解散しました。地方のお墓を移していく、こういう時代になったのですね。批評家の若松英輔は、柳田國男の『先祖の話』を解説しながら「お墓は死者の居場所ではない。私たちが死者と出会う、待ち合わせ場所のようなものだ」と言っていました。なるほどなぁと想いました。


今月はマタ・ハリものを立て続けに3つ観ました。マレーネ・ディートリッヒの「間諜X27」(1931)、グレタ・ガルボの「マタ・ハリ」(1932)、そして蒼井優の「スパイの妻」(2020)です。百年たっても人気の女スパイものには、しかし男の視点しかありません。だからこれでもかと女スパイの美しさを強調します。美しさを際立たせたうえで銃殺する。勝手なものですね。美しさではグレタ・ガルボが際だっています。内容はじつに陳腐で説得力を欠くラブストーリーなのですが。「間諜X27」の ディートリッヒは独特のニヒルな感じがあります。銃殺シーンでは、あっと驚かすようなどんでん返しの問題提起があります。「スパイの妻」はちょっと肩すかしのスパイ物でした。スリルとサスペンスだけがあって、なぜここまでやるのだ、なぜスパイになるのだ、現実世界をこえる理念や目的があるのか、という理由づけがとても弱いように思いました。


greta garbo 1932 – mata hari – by clarence sinclair bull. Restored by Nick & jane for Dr. Macro’s High Quality Movie Scans website: http://www.doctormacro.com. Enjoy!

日本は60年代の学生運動以来、大学の学生寮を廃止してきました。コロナ禍を経験すると、今後も学生寮の復活はないでしょう。でも学生寮こそ若者の共同体の形成の場、新しい若者文化はドミトリーで培われた側面もありますね。私は数年前、パリ国際大学都市で学生寮生活を経験したことがあります。明治の富豪バロン薩摩の寄附で建設された日本館の小さな一室で、シャワー・トイレやキッチンは共用、ホテルに比べるとだいぶ不便ですが、すっかり学生気分にもどってパリの春を満喫しました。様々な留学生たちとも交流しました。みんな将来の夢に満ちていて私も若返った気分でした。いつになったらまた行けることでしょうか。なんだか夢幻のように思えてきました。


 

もう4年前になりますが春休みにパリ国際大学都市に1週間ほど滞在しました。その時に、かの有名なパリのシネマテークに行ってみました。トリュフォーやゴダールのヌーヴェルヴァーグで有名な所です。仏文や映画評論の人たちにとっては聖地です。でもだいぶ前に伝説的なシャイヨ宮内からは移転して、いまはベルシーという、ちょっとはずれの官庁街のようなところにあります。この写真がその新しいシネマテークです。入ってみると、いきなり大きな日本語のポスター「大人は判ってくれない」。「分かってくれない」じゃなくて「判ってくれない」ですよ。有名なトリュフォーの処女作。原題は「Les Quatre Cents Coups」(400回ぶんなぐる)ですからね。映画博物館もあります。スクリーンではちょうど寺山修司の遺作「さらば箱船」を上映していたので観てきました。これが、寺山修司の遺作というのは、ちょっとつらいですね。観客は途中からがんがん席を立っていきました。うーん、きびしいシネマテークの観客たちですね。


このところ、対面授業がないときは、弁当持参で図書館に行って午前中はずっと本の原稿の執筆。午後は図書館付属の映画館で古い映画(今月は1930年代の古い名画)をみて夕方帰宅、というような生活です。古い映画は、たしかに古い。でも半分くらいは古くて新しい。いろいろ発見もあります。マレーネ・ディートリッヒのマタ・ハリもの、ヒッチコックの英国時代のものなど、面白いですね。


たいへん達筆なお葉書をいただきました。お送りした拙著『21世紀の《想像の共同体》』を褒めて下さっています。達筆のうえ省略文字なので、すぐにはどなたからか分かりませんでした・・・・が、あ、これは上野千鶴子先生からだ、とようやく分かりました。ありがとうございます。うれしいです。


地方小出版流通センターの「出版ダイジェスト」欄に、拙著(『21世紀の《想像の共同体》』)が紹介されています。短い字数ですが、ポイントを押さえて、内容を好意的に紹介してくれているように思います。


大阪府立大学の関川芳孝先生の科研チームの成果が、関川芳孝編『社会福祉法人はどこに向かうのか』(大阪公立大学共同出版会)となって出版されました。私もその一員なので、「社会福祉法人制度改革──その後の改革、その先の改革」という論文を執筆しています。日本独自の社会福祉法人という制度は、とても大切なものなのに、制度改革のたびに、二重拘束だったものがさらに三重拘束のように縛り上げられ、自由な活動が制限されていくばかりに見えます。「非営利」であることの本来の可能性を活かすような改革(それを、その先の改革と表現しています)ができないものでしょうか。