From the monthly archives: "12月 2021"

私の著作2冊(『超高齢社会の乗り越え方』と『21世紀の《想像の共同体》』)が電子書籍化されました。クリスマスの日からアマゾンや紀伊國屋など主要なオンライン書店から購入可能になりました。もちろん「ためし読み」も出来ます。年明けには3作目も発売になる予定です。



かつては聴けなかったラジオ番組──最近ではradikoで聴けるようになりました。沢木耕太郎のクリスマス番組「ミッドナイト・エクスプレス─天涯へ」を久しぶりに。これってクリスマス・イブの夜に恋愛で悩む若者向けの人生相談みたいな番組かと思っていたら──そして前半はそういう趣ですが、後半はそうでない。なるほど、この番組が25年も続いているのには理由がちゃんとあったのですね。平野甲賀さんや井深大さんのエピソード、よかったなぁ。


年内の【社会学入門】授業も残すところあと1回──黒澤明の映画「生きる」と新約聖書の「最後の晩餐」とを対比して社会学的な考察をする、という、われながら思い切った、あるいは思い切りすぎた補助線を引いて、年内の講義を終えようかと思います。うーん、あまりに大胆すぎる飛躍なので、うまく理解してもらえるかどうか。思いついてから一ヶ月以上、このアイデアを話すかどうか、迷っていたのですが、はたしてどうなることでしょう。


【社会学入門】で「シン・ゴジラ」の社会学を話しました。それは何か──アメリカによる日本のトリアージ、というテーマではないでしょうか。「シン・ゴジラ」には天皇も皇居も出てこない。その代わり「アメリカ」が出てきます。「ゴジラ(1954)」は、天皇をめざして東京にやってきた。「シン・ゴジラ」は、東京のアメリカつまりアメリカによる日本支配をめざしてやってくる。その結果が、世界を救うための3発めの原爆投下という矛盾にみちた「トリアージ」となる。コロナ禍の時代、トリアージされる側に立った異論や反論は少ない。「シン・ゴジラ」を観ることは、トリアージされる側の無念、トリアージの合理性に負けてしまう悲哀、そういうものを経験することではないでしょうか。


 

12月8日は、太平洋戦争・開戦80年目でした。大学一年生に向けての講義【社会学入門】を、この日に行うことの意味を考えながら内容を準備して話しました。おもに岡本喜八監督の映画「日本のいちばん長い日(1967)」の話をしました。これは黒澤明の映画「生きる(1952)」や本多猪四郎の「ゴジラ(1954)」から問題意識を共有してまっすぐにつながっている映画と思います。さらに後の「シン・ゴジラ(2016)」へもつながっていきます。「生きる」と「日本のいちばん長い日」を対比させて、キューブラーロスの「死の受容の5段階」という補助線を用いると、この二つの映画──じつに興味深いことが見えてくる、というお話をしました。