From the monthly archives: "1月 2015"

1月30日、九州大学の授業をすべて終えた翌日、東京工業大学に行きました。おりからの雪が残っていて冬景色でした。ここ10年くらい、毎年一回、東京工業大学の社会工学専攻の学生たちに、社会学の話をしてきました。一字違いなんですが、社会学とは縁のない学生です。今年も20名くらいが受講してくれました。午後3時から6時までの授業なのですが、疲れているのでしょう、5名くらいは机につっぷして爆睡しています。ほかの学生たちは熱心にきいてくれました。時代の流れでしょうか、大学改革・学部学科再編の激流のなか、東工大でも社会工学は、学科じたいが、お取りつぶしになり、この授業もなくなるそうです。学長のリーダーシップを重視するとかで、大学は、どこもとんでもないことになっています。「社会」が「会社」になっていくようです。私も授業のさいごに「これは最後の授業でした」と、がらにもなく、つぶやいてしまいました。


東工大 (4)


東工大 (5)

 

 


東工大 (2)


 

1月29日の木曜日のゼミをもって、今期の九州大学の授業はすべて終わりました。もうすぐ帰国する中国からの留学生・サイセイヒさんと、もうすぐ卒業する大学院生の白石久祈くんに、お別れの挨拶をしてもらいました。おふたりともごくろうさま。白石久祈くんにはティーチングアシスタントとして授業を助けてくれて、学部生もずいぶんお世話になったと思います。おつかれさまでした。


サイセイヒさん


白石久祈くん


 

1月28日は、1年生向けの「社会学入門」最後の授業でした。半年間の講義をふり返って、「あまちゃん」と「東京物語」と「ゴジラ」の3つに共通する問題を話すことで締めくくりました。とくに「東京物語」での杉村春子の「長女」の意味を考え直しました。「あまちゃん」において「アキとユイ」とが二人でひとつのキャラクターであるのと同様、原節子と杉村春子は、まさに、表と裏、ふたりでひとり、というふうに造型されているのではないだろうか。そう考えると・・・という私的には新展開のお話しをしました。


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杉村春子6


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月曜日の授業は昨日にて終了。いちおう「まとめ」の回として何か言わなくては・・・でも「答えはない、というのが答え」であるかのような現在の状況ですからね。
安易な解決、安直な正解を求めてはいけないのだと思います。でも、学生たちは、どうしても「正しい答え」を求めてくる。「それがどういう役に立つんですか」と問いかけてきます。そう言いたい気持ちも分かるんですが、そう問いかけられると、がくんと脱臼させられるような感じがありますね。まぁ、気を取り直してやっていきましょう。
先週の「ゴジラ」の授業では、「ゴジラ」は何の象徴なのか、外敵なのか、戦争なのか、アメリカ軍なのか、と問いかけて、どれでもなく、内側から私たちに倫理的な戦いを挑んでくる存在(戦争の死者たち)であるという説を紹介しました(加藤典洋さんの説)。さて、私たちの隣にいて、私たちに内側から戦いを挑んでくる存在、というと、テロだけでなく、いろんな問題が、すべて、そう見えてきますね。


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五ヶ瀬中等教育学校の「スーパーグローバル・ハイスクール」プロジェクトのお手伝いをしています。深い山の中にある中高一貫の全寮制の高校生が、地元の高齢化の問題に取り組むというリサーチ・プロジェクトです。いろいろアドバイスを求められるのですが、「まず統計や勉強から入ると、かならずお役所的な上からメセンになってしまう。そうすると高齢化や高齢者はこまったやっかいもの、ネガティヴな現象に見えてきてしまう。そうなっては、君たちの若者が取り組む意味がない。まず、統計やお勉強から入るのでなく、目の前の地元に暮らしているお年寄りの近くにいって、その人生の立場のメセンを共有しながら、君たちの若者の視点を作っていくことを心がけたらどうか」とアドバイスしました。でも、この視点の転換が、とっても難しいことなんです。私にとっても難しいし、大学生とともに柳川フィールドワークをしていても、大学生にとっても、この視点の転換が、とても難しくて高いハードルだということを実感しています。難しいだけに、ここを突破できるようなプランが考えられれば、それは大成果になるはずです。五ヶ瀬中等教育学校の高校一年生、がんばれ。


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しめくくりは「水の郷」でフィールドワークのまとめのワークショップ。中村允紀くんがコーディネーターとして大活躍。いいまとめになりました。今回は日程がわるくて伝習館高校生とのコラボレーションは実現しませんでしたが、次回は、ぜひとも実現させたい。


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昨日の柳川フィールドワークでは、まず「水の郷」での「うまかもんつくりぐっちょ」という食のイベントに参加しました。「ぐっちょ」というのは「競争」という意味だそうです。柳川の様々なレストランなどがトマトやクラゲ、空豆などの地域特産物をいかしたメニューに挑戦。私たちも全部の試食に挑戦。テレビや新聞の取材も受けました。学生たちもいろいろな新メニューが試食できて大満足。


 

うまかもぐっちょ (5)


うまかもぐっちょ (4)


うまかもぐっちょ (8)


うまかもぐっちょ (2)

17日は一日かけて、安立ゼミで柳川市のフィールドワークに出かけました。若手の農業者によるいちご栽培と、海苔事業組合による海苔の生産現場を見学して、柳川における若手の仕事づくりを考える機会となりました。九州大学社会学の学生だけでなく、中村允紀くんがシェア天神の仲間たちといっしょに参加してくれて、イタリア人や中国からの留学生も交えた賑やかなフィールドワークとなりました。


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のり


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あすは、安立ゼミで、柳川にフィールドワークに出かけます。本来なら、九州大学学生と、柳川「地元」の伝習館高校生とが、おたがい若者メセンで「地元」再生プランを考えて語り合おう、という企画だったのですが・・・あいにく、大学入試センター試験と重なって、高校2年生は模擬シケン、1年生は中間考査が直後にあるということで・・・高校生の参加者はゼロという残念なことになってしまいました。残念だなぁ。次善の策として、柳川の若手いちご農家さんや、のりの養殖などで活路を開いている若手の方々を訪問するフィールドワークに切り替えることになりました。


柳川

昨晩、西日本新聞会館にて「はかた夢松原の会」新春の集いがありました。
今日が94歳の誕生日にあたる名誉理事長の川口道子さんもいらっしゃる予定でしたが、インフルエンザによる高熱のため残念ながら出席されませんでした。
でも、みんな、川口道子さんのことを思って参集されたのだと思います。私も、川口道子さんに聞いていただくことを想定して、「あまちゃん」に学ぶボランティア活動の極意、の15分バージョンのお話しをさせていただきました。宮崎文化本舗では2時間半やった講演のさわりです。けっこうご好評をいただきましたが、川口道子さんに聞いていただけなかったのが残念です。


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1月14日、午後6時から、西日本新聞会館16階 福岡国際ホール 「志賀」にて、NPO法人「はかた夢松原の会」の新春の集いがあります。94歳の名誉理事長、川口道子さんもお見えになる予定です。私もボランティア活動とNPOについてお話しをして、新春歓談の夕べとなる予定です。(写真は昨年の集いのもの)


 

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「はかた夢松原の会」新春の集い


 

みやざき県民協働支援センターにて、「あまちゃん」に学ぶボランティア活動の極意、という講演を行いました。多くの方々に聞きにきていただき、ありがとうございました。皆さん、とても熱心に聞いていただき、質問もたくさんいただき、ありがたいことですね。九州大学の卒業生、鶴井愛子さんにも2年ぶりに再会できましたし、NPO法人宮崎文化本舗の方々との懇親会も、とても楽しいものでした。きょうは、これから、宮崎の様々なNPO法人の活動を見学に行きます。


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明日は、いよいよ宮崎で「『あまちゃん』に学ぶボランティア活動の極意」という講演を行います。明日の講演は2時間半あるのですが、パワーポイント56枚になりました。かなり削ったのですが、かなりあります。でも分かりやすい話だから問題ないでしょう。
昨日、九州大学の1年生を前に、リハーサルではないですが、正月の間に考えてきたことを話してみました。テーマは「あまちゃん」における「ユイ vs.アキの対決」です。現在の若者の、不安、いらだち、苦境、様々な問題を解くカギが、この「あまちゃん」の一場面の中に濃縮されているのではないか、というのが私の見立てです。このユイとアキの対決の意味は何か、と問いかける授業をしてみたのです。150人の一年生が、懸命に考えてくれました。中には、私の解釈にかみついてくるのがいたり、あれはユイの勝ちだ、いや、アキの勝ちだ、いやいや、引き分けだ、とかいろんな意見が出てきて面白かったですね。あの対決の意味は何だったのか、という私の問いかけに、みんな真剣に意見を書いてくれています。おもしろいなぁ。今学期の授業は、学生から私の意見にたいして賛否両論、様々な意見が出てくるので、やってみて、毎回、手応えがあります。成功だったんじゃないかな。


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きょうは4年生の卒論提出日です。九州大学社会学では学部4年生の卒論に課される字数が多いので(4万字、ということは400字の原稿用紙換算で100枚程度)、学生たちも悪戦苦闘しているようです。
卒論指導をしていて感じることがありました。
それは学生が「書く」のではなく「打つ」ようになってきていることです。しかもパソコンのキーボードでなく、どうやらスマホに打っているようなのです。スマホの画面で「打つ」、というよりは「さわっている」「フリックしている」というべきでしょうか。授業中でもノートを広げている学生が少なくなりました。
おいおい、それって、「書く」ことなのかなぁ、という思いを禁じ得ないのです。
「書く」ってのは、頭で考えたことを、指先が筆記していくあいだに、あっ、これは違うなとか、これは平凡すぎるのなぁとか、こりゃつまらないやとか、自分の考えたことにたいして、指先が批評したり批判したり反抗していったりすることの経験でもあるわけです。
筆記しながら、指先やペン先が、頭の意図と違うことを書き始めたり、コトバが不思議と踊り出して、コトバあそびが始まったり、あらぬことを主張しだしたり・・・ようするに、考えたことと、書かれたこととが、ずれてきたりして、それがまた、新しい発見になったり、文章の起爆剤になったりするものだと思うのです。
・・・とここまで書いてきて、いかん、これは「deja vu」(既視感)だと思いました。30年前に、私たちが、上の世代から浴びせられた違和感。「君たち、手紙はワープロで書いてはいかん」とか、「ワープロになったら文体が変わった」とか言われた経験。
ふうん、なるほどねぇ、これが時代の移り変わりというものか。
かつて、私たちが、パソコンを使い出した時に上の世代が感じた違和感を、いま、私たちが下の世代にたいして感じているわけなんだなぁ。
でも、このところ、手書きが、やっぱりいい、と思うようになりました。手書きの時に、いちばん充実して考えることができるような気がする。手書きしながら、頭でなく指先が考え出す時が、いちばん、おもしろくたのしいアイデアが膨らんでいる。そう思うようになりました。とくに早朝におきて、布団のなかで、ぬくぬくしながら、小さなメモ帳に縦書きで着想を書いているときなんかに、それを強く感じますね。


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不安な時代なのか、初詣の人手が例年以上に多かった・・・

今週の土曜日に、宮崎で「『あまちゃん』に学ぶボランティア活動の極意」という講演をします。昨年夏に、鹿児島でもやったのですが、今回、全面的にリニューアルしてやります。正月も、ずっと、新しい展開を考えていました。今朝の九州大学の講義では新年バージョンの予行演習をやってみました。さて、学生の反応は、どうだったでしょうか……。きょうのは「アキ vs.ユイの対決」から何を学ぶか、という、若者に問題提起する、ちょっと濃い話だったのですが、宮崎では、もうちょっと違う角度からの話になる予定です。


宮崎 「あまちゃん」に学ぶ


 

新年、あけましておめでとうございます。
福岡は初雪の舞う中での新年となりました。


 富士山


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写真は、年末に静岡にいった時のものです。