From the monthly archives: "2月 2017"

私の主催する研究会に、総研大&国立民族学博物館教授の出口正之さんに来ていただき、内閣府での「内閣府公益認定等委員会委員」時代からの様々な経緯や、日本の公益法人の歴史、基本的な設計や問題点などをレクチャーしていただいた。
出口正之さんと言えば、ジョンズ・ホプキンス大学でレスターM.サラモンに学び、企業メセナやフィランソロピー、政府税調にも関わり、公益法人改革の問題や課題、日本NPO学会の問題点などもずばり指摘、まさに公益法人や非営利法人のスペシャリストだ。
出口さんからは「公益」がどのように規定されてきたか、どのような問題や課題があるかを発表していただき、私からも「非営利」がどのような問題や課題があるか、現在執筆している論文の概要などを報告させていただき、出席者をふくめてディスカッションした。
思うに、グローバル資本主義だけでは行き詰まりつつある現在、経済や政治だけでなく、公益と非営利とは何かという観点からの研究が、ますます必要になって来ているのではないだろうか。



 

鈴木清順監督が逝去された
学生時代に『ツィゴイネルワイゼン』を観たことが、私にとって日本映画への入口だった。その後の「陽炎座」も良かった。昔の古いホームページに「ツィゴイネルワイゼンをめぐる」や「陽炎座をめぐる」をアップしたのを懐かしく思い出しました。



陽炎座をめぐる
ツィゴイネルワイゼンをめぐる

「ツィゴイネルワイゼンの蓬莱橋を渡る」


 

YouTubeで「スタジオジブリの宮崎駿監督が辺野古基金共同代表として外国記者と会見」(2015年7月13日)を見ました。
もう一年半も前の会見なのですが、いまさらのように感心しました。立派なものです。通訳者が、これまた凄い。ものすごく早くて、しかも正確。美しい英語と日本語の発音。「~でございます」という口調から、日本ネイティブではないのでしょうが、すごいなぁ。80分間、質疑応答だけというのもすごい。記者の質問といえば、辺野古や基地問題よりは、スタジオ・ジブリの今後や、宮崎駿監督の仕事についての質問が多くて、ちょっと残念。やっぱり「質問は難しい」のだなぁ。


TVコメンテーターとして問題発言を連発して炎上する社会学の問題児、古市憲寿さんが、今活躍中の社会学者に「社会学って何ですか」と質問にいって、いじられて、説教されたり、叱られたり、持ち上げられたりする、なかなかに楽しい読み物 です。彼のTVメディアなどでのポジションは、説教くさい大人の出演者にたいして、若者代表としてつっこみを入れる、ちゃちゃをいれる、という「やんちゃな若者」役割なんだろう。この本では、そういう「やんちゃさ」は陰をひそめていて、けっこうまじめに「社会学とは何か」を、錚錚たる社会学者に聞いている。ここでは古市くんも、つっこみ役というよりは、質問したことで、かえってつっこまれることを予想してやっている。自虐ネタというか、つっこまれる自分を笑いものにしながら、けっこう冷静に眺めて演じている。その距離感が持ち味なんだろうけれど、ああ、コメンテーターっぽいな、と思わせる。インタビューされる側も本気で相手にしているのではなく、余裕をもってあしらっている感じで、それもまたメディアっぽい。
インタビュー相手は、いわゆる大家や権威ではなく、メディアで活躍する生きの良い中堅かその上あたり。良い人選だ。メディアで鍛えられているせいだろうか、この社会学者たちが、やんちゃな古市くんに、けっこう優しい。バカにしたり、説教したり、けんかをふっかけたりする人はいない。あたかも、不良学生が質問してきても、対決したり、罵倒したり、説教したりしても、逆効果なことは重々承知だから、ていねいにやさしく対応している。答える側もメディア慣れしているのだ。それもふくめて、ちょっと薄味で食い足りない。いきなり「社会学って何ですか」と聞かれてもなぁ。その人のやっている社会学のエッセンスのエッセンスを聞き出したほうがよかったのじゃないかな。でも、雑誌連載の、社会学に関心をもちはじめている人むけのものだから、まぁ、仕方ないか。対談者では、小熊英二や上野千鶴子が辛口。古市くんの才能を見切っている。他の方々はがいしてやさしい。吉川徹さんがこういう場面に登場するとは思わなかった。「社長さんみたい」というのは意外な一面、学生からみた像というのがあるのだなぁ。山田昌弘さんが、昔、数学者になりたかったというのも意外。彼の弟さんはたしかボクサーだった。それにしてもこの世代への宮台真司・大澤真幸両氏の影響力は強いのだなぁ。最後に、古市憲寿くんと同世代の開沼博さんが出てきて、ちょっと異質。いまの30代の閉塞感を代表しているのだろうか。この人が外見だけでなく、いちばん古く見えた。
古市憲寿著『古市くん、社会学を学びなおしなさい!』(光文社新書、2016年)


日本記者クラブの「記者会見」がYouTubeで見られる。これをダウンロードして見るのが(というか通勤途中や機内や車中などで聴くのが)、なかなか良い、とても勉強になる。
きっかけは「戦後70年、語る・問う」というシリーズ会見に、見田宗介・大澤真幸さんが登場して、戦後70年関連の記者会見を聴いたことだった。以後、このシリーズで加藤典洋さん、中島岳志さん、アンドルー・ゴードンさん、柳田邦男さん、などを聴いた。また、沖縄関係では、前泊博盛さんとか、松島泰勝さんとか、いろいろと聴いた。
「記者会見」というが、実際は40分から1時間ほどの講演があって、そのご30分くらいの質疑応答がある。1時間30分くらいもあるこってりしたものなので、なかなかYouTubeで一気にみとおす人はいないのではないか。でも、これは面白い。ダウンロードして、iPhoneやiPadなどで、音声を聞いていると、ちょうど通勤とか移動中とか、ウォーキングの最中などに、ちょうどよい。このところ、記者会見だけでなく、音声で講演を聴くのは、ひそかな楽しみになっている。
感想ひとつ。
記者クラブというから、集まっている人は記者か、もしくは退職した記者なのだろう。さぞかし記者らしい質問をするのだろうと思っていた。ところが、この人たち、じつに「質問がへた」なのである。
今の政治家に生々しい話を聴くというのと違って、長時間にわたって講演をきいたあとの質問ということもあるだろう。新聞記事になるような記者会見でないということもある。また「個人会員です」という質問者が多いので、現役でなく退職した記者の質問が多いのかもしれない。それにしても、である。
こんなにも興味深い話を聴いたあと、さぞかし、すごい鋭い質問をするのだろうと思っていると、じつに、なんというか、つまらない質問が多いのである。これには、驚いた。
先日聴いた「琉球独立論」の著者、松島泰勝さんの記者会見など、話はとても重みのある重要な話なのに、記者たちの質問が、じつに重箱の隅をつつくような、つまらない質問ばかりなので、驚いてしまった。なんというか、本質をはずした質問ばかりだ。あえて話をつまらなくさせる、もしくは、興味深い論点を中和させるような「現実」的な質問ばかりだった。ああこれじゃなぁ、と思った。
良い質問をすることは、じつに難しい。
良い質問とは、話された内容を受けて、それ以上のことを引き出すもの。話されたこと以上のことを引き出す問いのことだろう。
プロフェッショナルな記者でもこうなのだから、良い「質問」は、とても難しいのだ。


宇多田ヒカルさんが、音楽教室での楽曲使用について、ツイートしたらしい。
私たちも授業など教育場面での、著作権問題については、いつも悩まされているので、すこし考えてみた。
◆事例1──昨年末にNHK・Eテレの日曜美術館の特別編として「行く美、来る美」という番組があった。話題を呼んだ美術展のキュレーターたちが集まって昨年と今年の美術展について語っていたのだが、中でも興味深かったのは、「美術展での写真撮影について、どう思うか」だった。ヨーロッパなどでは「原則許可」、特別な事情がある場合には禁止、となっている。日本にもその流れが来るだろうか、という問いかけだった。最先端のキュレーターたち、ほぼ全員が「原則・許可」に賛成していた。なぜか。「最近の展覧会では、写真にとってSNSで友人たちとその感動を共有する傾向になっている」「それが美術や芸術のためにもなる」ということだった。最先端では時代は大きく変わっているのだ。
◆事例2──ところが日本では、展覧会や寺社などでの写真撮影は「原則・禁止」になっている。むしろ、かつてよりも、著作物の撮影禁止が厳重になってきた。なかでも、人物の顔写真の撮影禁止は、個人情報の保護ということで、とても、うるさくなった。なんだか、逆行しているような感じでもある。
◆事例3──考えてみると、著作権、というのはじつにパラドクス(逆説)に満ちている。「見せたい、読ませたい、聞かせたい、しかし、見せたくない、読ませたくない、聞かせたくない」という矛盾した構造をしているからだ。見てもらって、聞いてもらわなければ、著作権料も発生しないのだから、見て、読んで、聞いてもらわなければ、ならない。しかし、それには「著作権料を支払った上で」という限定をつけたい。その限定を付けすぎていくと、だれも来ない、誰も読まない、誰も見ない、誰も聞かない、ということになってしまう。ちょうどよい案配に、見てもらって、聞いてもらうことなど、出来るのだろうか。
◆事例4──つい先日も大学の講堂で100年前のSPレコードや蓄音機時代の芸能レコードのコレクションのお披露目があった。SPレコードの音を聞かせるので「録音してもよろしいか」という質問があったらしい。それにたいして「著作権があるので許可できない」という。聞くほうも聞くほうだが、こたえるほうもこたえるほうではないか。100年前の大衆芸能に「著作権」はあるのか。この「著作権」とはいったい何か。考え込んでしまった。


 福岡ユネスコ文化セミナー「メディアは、いま機能しているのか?」(2017/01/29)は、大盛況でした。すごいメンバーでしたね。トップバッターは、元朝日新聞のアフロ記者、稲垣えみ子さん。ついで、TBSの「報道特集」を背負って立つ金平茂紀さん、琉球新報の元論説委員長で政府とばりばりやりあう前泊博盛さん、最後は、SNSやネットメディアの寵児、津田大介さん。アフロから始まり金髪で終わるという豪華なラインナップ、と評した参加者がいました。まさに、どの報告も、息もつかさぬ面白さとスリリングさがあって、5時間以上にもわたる長時間シンポジウムであるにも関わらず、ほとんど席を立つ人がいませんでした。こんなに面白かったシンポジウムも久しぶりではないかと思います。
 でも毎回のことですが、残念なことは、若い人や学生さんが、少ないことですね。じつに、じつに、もったいない。せっかく、こんなに良い学びの機会があるのに。パネラーもその点を、すこし残念がっていました。
 じつは、学生たちとの新年会でも、このシンポジウムのことを宣伝したのですが……予定が入っていて、アルバイトがあって……とかで、結局、中国と台湾からの留学生が2名参加してくれただけでした。
 メディアが機能しているかも大きな問題ですが、じつは、大学の教育のほうも「いま機能しているか?」と問いかけられているように思います。