From the monthly archives: "7月 2019"

参院選に向けていろいろな議論がなされています。大きな話題のひとつは、今回もまた投票率の最低を更新するのではないか、とくに若者の投票率がどこまで落ちるか、ということだと思います。選挙のたびに、ゼミや授業でもこの話題を、学生とディスカッションするのですが、意想外の答えが出てきたりして、なかなか面白いのです。大学1,2年生からは「感心がないわけではないが、何も知らない私たちが投票していいものか、責任感が重くて投票できない」など。これは意想外でしたね。
さて、その後「思考実験」をしてみたのです。「このまま順調に投票率が下がり続けると、最終的に、どこまで落ちるだろうか」「国政選挙なのだが、投票者ゼロということはありうるだろうか」「投票者がたった一人の場合でも、選挙というのは成立するだろうか」「投票率がどこまで下がると選挙の正統性が失われるだろうか」などなど。
かつて柄谷行人は「選挙などやめて、くじ引きにしたら良い」という大胆な提案をしていました。現状をみていると「選挙よりもくじ引きのほうが民意を反映する」という皮肉なパラドクスが、にわかに現実味を帯びてきたように思います。


日本病院ボランティア協会から「病院ボランティアだより」№245(2019年6月号)が送られてきました。この5月に私が福岡国際会議場で行った福岡研修会での講演が報じられています。なんと7ページにもわたって私の講演内容が詳細に掲載されています。当日のことが思い出されます。みなさん熱心に聞いて下さいました。詳細については、日本病院ボランティア協会のホームページからお問い合わせ下さい。
https://www.nhva.com/


この秋に香川の丸亀市にいくことになりました。そこで録画してあったNHK・BSプレミアムの「新日本風土記」の「うどん」という番組を観ました。中でも一番こころに残ったのが、多度津町の小さな小さなうどん店のこと(画面からは多奈加という店名が見えます)。だいぶ高齢のおじいさんとおばあさんが朝4時に仕込みをはじめて、地元の人むけに一日わずか30食ぶんしか作らないといううどん店です。お客さんは平均10人くらい、1食280円といいますから、これで生活できるのか心配になります。しかも高齢の常連さんは一杯を食べきれない。それを自宅まで届けています。これが香川うどんの心なんでしょうね。香川うどんのディープさを教えられました。
でも、こういうお店、いったい、どうやって見つけて取材したんでしょうか。「新日本風土記」は、地方局に配属された新人ディレクターの「卒論」みたいなものなのだと、制作統括の方がおっしゃっていました。数年間の赴任の間にあたためた企画や素材を、最後に「卒業制作」のようにして作り上げる。もちろ渋谷のNHKの地下に一週間くらい滞在して徹底して編集し、それを多くの関係者がコメントして作り込んでいく……なるほど、NHK地方局の底力すごいです。


福岡市図書館シネラで黒澤明の『羅生門』を観ました。学生時代に一度観ているはずですから約40年ぶりの再見です。驚きました。あまりにも覚えていないことばかりだったので。なるほどこうだったのか。

事件の関係者3人が3様の「事実」をしゃべる──つまり3人の異なった殺人者が現れる、とくに3人目は巫女が出てきて死者を代弁する。これは夢幻能だ。そういえば竜安寺の石庭のようなところに関係者が並べられていて、あぁこの映画は能舞台なのだ、能仕立てだったのだ。
さらに多襄丸の三船は「七人の侍」の菊千代にそっくり、志村喬や千秋実、加東大介とともに「七人の侍」はもうここから始まっていたのだ。
結論。映画は一度観ただけでは分からない。本と同じように二度、三度と観るたびに違って見えてくる、違ったものが見えてくる。これって「羅生門」のメイン・メッセージだったんだな。



じつは芥川龍之介の原作にはない第4の視点として、最後に杣(そま)売りの志村喬も語るのです。でもこれで殺人者が4人になるわけではなく、また、この杣売りが、最後にどんでん返しのような形で、黒澤明的なヒューマニズムのオチをつけるところが、ちょっといまいちな気がします。

 「大阪市宅老所・グループハウス連絡会」から勉強会に呼んでいただき「介護保険と非営利組織はどこへ向かうか─福祉系NPOのこれから」というお話しをしました。G20大阪サミットと梅雨入りの大雨で交通の影響がありましたが、熱心な皆さんにお集まりいただきました。
 当日の課題は、介護保険20年でなぜNPO法人がこんなにも苦境に立つようになってしまったのか、という疑問を解くことでした。
 認定NPO法人・市民福祉団体全国協議会のホームページに掲載された私の論文「介護保険と非営利はどこへ向かうか」を踏まえてお話ししました。その原因のひとつは当初の制度設計にあるのではないか。営利と非営利の事業者を区別せずに混ぜてしまった疑似市場の仕組みの結果、行動経済学のいう「市場が道徳を締め出す」現象が起きているし、「ビッグデータ」を活用して超複雑怪奇なシミュレーションを駆使して介護報酬を微調整していく仕組み、その結果、巨大な中央管理システムが、営利でも非営利でもない「半営利」の仕組みを生み出していることなどを論じました。この結果、制度(というか財政)の持続可能性は高まるかもしれないが、介護保険が一種のブラックボックスのようになった結果、当初の目的だった「市民による福祉」、住民参加や市民参加による「市民福祉」や当事者のエンパワメントなどは、蜃気楼のように見えなくなってしまったのではないでしょうか。
 このような現状にたいして、小竹雅子の『総介護社会』は、障がい者の自立生活運動をモデルに、上からの押しつけパターナリズムになりやすいサービスの現物給付だけでなく「現金給付」にこそ、利用者を当事者にしていくエンパワメントの可能性があると論じているのではないか。介護保険の「改正」につぐ改正で、住民参加・市民参加型らしさを脱色されてきた中で、行政や事業者の上からのパターナリズムを克服していくこと、利用者や消費者を当事者へと転換していくエンパワメント機能にこそ、NPOらしさがあるのではないか、などと論じました。
 最後に、レスターM.サラモンの『NPOと公共サービス―政府と民間のパートナーシップ』を解読しながら、現状では、行政とNPOとが「二者関係」の中で、いつのまにか上下関係や支配・被支配関係になりがちだと説明しました。サラモンによれば、NPOが行政と対等になり得るのは「三者関係」の中においてのみだといいます。アメリカの福祉システムの特徴は、行政とNPOの関係が「二者関係」ではなく、両者の上に「第三者」が存在することです。それこそ「第三者による政府」です。これは行政とNPOとが、ともに立場をこえて、互いが一種のバーチャルな存在となって「第三者による政府」を作るということです。つまり現実の上に「バーチャルな福祉システム」をつくるところにポイントがあります。バーチャルな関係ですから不安定ですが「二者関係」を超えた「三者関係」が生み出せないと、かならず行政によるNPO支配が始まることになると言います。対決や対立でなく、協力・協働するということは、このバーチャルな新しい関係を作ることだと言います。コトバの上だけではなく、半実体となった協力関係が作れるかどうか、それこそが非営利組織がこの世界に根づいて、社会を変えていくことなのではないか。そういうことをお話ししました。