From the monthly archives: "8月 2018"

桃山学院大から白波瀬達也さんが九州大学へ集中講義に来てくださいました。真夏のお盆直前の時期なのですが、朝からホームレス支援の「抱樸館福岡」にフィールドワークに行かれるなど、充実した集中講義です。午後からは教員たちも参加して、白波瀬さんの著書『貧困と地域』(中公新書)をもとに研究会とディスカッションも行いました。なるほど、本を読んだだけでは見えなかったことが、たくさん、分かってきました。こういうのが研究会の醍醐味ですね。その後、キャナルシティへ移動してささやかな歓迎会も催しました。


前期の授業も終わり、オープン・キャンパスも終わり、あとはひたすら箱崎から伊都キャンパスへの移転・引越し作業となります。前から少しずつ研究室の図書の整理をしていたのですが、いよいよ間に合わなくなってきました。学生や卒業生の手助けを借りながら本の整理(というか本の選別と廃棄の作業)です。おおまかに本を半分くらいに減らさないと引越できません。記録的な暑さの中で、大汗かいています。本の選別の大変さは、思い出の整理の大変さです。様々な記録や記憶の廃棄は、なかなか困難な作業ですね。みなさん、本の選別と整理はどうされているのでしょうか。本は、どこかに寄附したいものですが、なかなか寄附を受け入れてくれるところがないようです。


連日の記録的猛暑の中、昨日は、箱崎キャンパスで最後の「オープン・キャンパス」でした。朝9時ころからもうすでに大学は高校生であふれかえっています。文学部の説明会は大教室で行われたのですが、500人のキャパがあるのに、立ち見までいれても入りきれません。午前だけでなく午後にも説明会がありました。説明会のあと、模擬授業や、文学部の各研究室への訪問がありました。キャンパスでは昼近くになると救急車も来ていましたから、熱中症が出たのかもしれません。来場者へのアンケート調査は、私たちのゼミで作成したので、結果の集計が楽しみです。


ゴッホ終焉の部屋(ラヴー旅館)。ゴッホは、カラスのいる麦畑で、ピストル自殺をはかったそうです。でも死にきれずラヴルー旅館のこの部屋に戻ってきて苦しんでいたそうです。ガシェ医師や彼の子どもが付き添って看病したそうです。体力のあったゴッホはいちど持ち直したそうですが、結局、亡くなったそうです。この部屋は撮影できないので、館内映写のスライドショーから再現しました。


この椅子のある小さな部屋がゴッホ終焉の場所

この階段を苦しみながら上がってきたのでしょう

7月29日はゴッホの命日だそうです(1890年)。こんな真夏の中で死んでいったのですね。数年前にゴッホ終焉の地、そしてゴッホ兄弟の墓のあるオーヴェール・シュル・オワーズに行った時の写真を紹介します。ここに行ったのは二度目ですが、20年程前に訪れたときにはゴッホ終焉の家は荒れ果てていました。近年、ゴッホの家として博物館に整備され一階のカフェは高級レストランになっています。パリ国際大学都市からだとRERで北駅まで、ついでC線に乗り換え、ポントワーズでもう一度乗り換えなのですが、支線は一時間に一本くらいしか便がありません。土日は直通便もあるようですが、多くの人は観光バスで訪れるのでしょう。パリのオルセー美術館にある「カラスのいる麦畑」「オーヴェール・シュル・オワーズの教会」など有名な作品は、ここで描かれたものなのです。
駅を出てすこし上り坂の細い径をゆくといきなり「オーヴェールの教会」です。その横の径をさらに上がっていくと「カラスのいる麦畑」そのものの麦畑風景です。その中に墓地があります。小林秀雄も訪れたゴッホ兄弟が隣り合って眠る墓地です。もどってきて市庁舎のある広場にゴッホが滞在していた「ラヴー旅館」があります。この二階の小さな部屋でゴッホは亡くなりました。さらに径を歩いていくとゴッホを看取ったガシェ医師の家が博物館になっています。ガシェには子どもがいなかったようで、ゴッホから受け継いだ絵一式を、アンドレ・マルロー文化相に寄贈した時のインタビュー映像が流されています。ゆえに有名な晩年の絵が、オルセー美術館にあるわけですね。ここはパリからの半日旅行として、絶対のお薦めです。


オーヴェール・シュル・オワーズ駅─小さな無人駅です。

街は斜面地にあります。駅から細い径をすこし上ると教会です。

オーヴェール・シュル・オワーズの教会

オーヴェール・シュル・オワーズの教会

カラスのいる麦畑

小林秀雄も訪れたゴッホ兄弟の墓。ふたつ並んでいる。

ゴッホの弟も追うようにして翌年亡くなっています。

オーベルジュ・ラヴー(ラヴー旅館)。この二階にゴッホは住んでいた。いまは、メゾン・ヴァンサン・ヴァン・ゴーグになっています。

医師ガシェの肖像

ガシェ医師の家─いまは博物館になっています。駅から徒歩20分くらいですが必見。

福岡では危険な暑さが続いています。昨日は、この暑さのなか、リサーチで来日されている、天津社会科学院の田香蘭さんがお見えになりました。6月に上海の日中友好条約40周年記念シンポジウムで同じ部会で報告された先生です。九州大学社会学で学ぶ中国からの留学生とともに歓談いたしました。


2018年前半に韓国でヒッ卜した映画の中に『いま、会いにゆきます』と『リトル・フォレス卜』があります。この2本は原作が日本の小説、漫画であり、ともに日本で映画化された作品でもあります。
韓国では1998年10月、金大中政権の時に日本の大衆文化が公式的に開放され、日本との文化交流が進展しました。以降、東野圭吾の小説を原作とした『白夜行—白い聞の中を歩く』や日本の漫画が原作で、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『オールド・ボーイ』を始め日本から発した映画が製作されました。
オリジナル脚本から作られる作品が多い韓国映画界の中で、日本に原作がある、あるいは日本映画のリメイク作品に対して韓国人はどのようなところに魅力を感じるのでしょうか。また、同じ原作からできた両国の映画を比較してみると、果たしてどのようなところが違うのでしょうか。韓国の日本映画研究者による映画を通した比較文化論です。(福岡ユネスコ協会のホームページより)


2018年7月31日で、九州大学箱崎キャンパスの中央図書館が閉館になりました。階段の壁が、図書館へのお別れメッセージスペースになっています。試験期間中のせいもあってか、図書館は、満員です。今日で閉館ということで、何やらちょっとお祭りみたいな雰囲気でもあります。でも、明日からは、がらーんと、急に寂しくなっていくのでしょうね。全面移転もひたひたと近づいてきました。


昨日は、今学期の最後の安立ゼミに、福岡ユネスコ協会・常務理事・事務局長の山口吉則さんに来てお話しいただきました。山口吉則さんも九州大学文学部OBであり、箱崎キャンパスの最後をみたいともおっしゃっていたのでよかったです。福岡ユネスコ協会の話だけでなく、福岡市役所職員として城南区長までつとめた35年間をふりかえり、市役所の仕事とはどういうものか、公務員の仕事の面白さ、難しさ、今後の課題など話していただきました。じつは社会学科の学生の半数近くが、公務員志望でもあります。ところが、公務員とは何か、どういう仕事なのかも分からず、公務員講座に出ていたりするので、ちょうど良い機会なので、山口吉則さんに来ていただきました。時間オーバーになるくらい、たくさん質問もでました。山口吉則さん、ありがとうございました。