From the monthly archives: "8月 2014"

8月19日に、「道守かごしま会議」の総会後の研修会(国土交通省・鹿児島国道会議室)で講演をしました。題して「「あまちゃん」に学ぶボランティア活動の極意」でした。さて、どうだったでしょうか。みなさん熱心に聞いていただいたように思います。

鹿児島国道事務所は、近くに桜島フェリーの発着港があり、桜島をのぞむ絶景の場所にありました。桜島への「海の国道」 なんですね。


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道かごしま会議

中井久夫著『臨床瑣談 続』(みすず書房)を読みました。
前著の『臨床瑣談』もじつに興味深い話でした。あちらは丸山ワクチンなど癌の話が主でしたが、この本では認知症の話、喫煙や飲酒との別れ方、そして中国医学やインフルエンザなど、もっと身近な医療と人生に関わる話が中心です。
厳密には医療や医学の話ではないのでしょう。むしろ診断や薬などの臨床からの知、洞察というものだと思います。
これを読むと、私たちが、病と、いかに表面的にしかつきあっていないのか。医療や医学も、ほんとうは病を深くは理解していないのではないか、などといろいろなことを考えさせられます。
認知症や、アルコール依存なども、表面的なイメージでしか理解していなかったかということが、分かります。
なかでも、認知症についてふれたところ。
「私は、病院で寝たきりの老人たちの列をみて、ああ、これは50年前の統合失調症の状態に相当するなと思いました。もう何も語らず、小さくなった身体をころんとベッドに横たえている人たちの群れ。」
・・・あと50年したら、認知症も、こんなふうにふり返ることができるようになるのだろうか。

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宮崎の家内の田舎に帰省しています。昨晩、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社)を読みました。
28歳で若くして引退する直前の演歌歌手・藤圭子へのインテンシブなインタビュー。長らくお蔵入りになっていたノンフィクションだそうです。沢木耕太郎や藤圭子のまだ若い時代の清新さがあって、芸能もの以上の深みもあって、読ませますね。
私は演歌や芸能界ものにほとんど関心はないのですが、藤圭子の自殺という不幸な事件をきっかけに世に出たこのノンフィクションによって・・・芸能界という喧噪と魑魅魍魎の世界のはずれに、ああ、こういう人もいたのだ、と気づかされます。残念ながら、藤圭子のその後の人生は必ずしもハッピー・エンドにはならなかったようですが。


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お盆をすぎて電車が空きだしたのをみはからって、崎県都城市に来ています。
記録的な最高気温を出し続けていた昨年に比べると、今年はうってかわって福岡は秋雨のような天候ですね。福岡の大濠公園では、もう、彼岸花(栽培品種)が満開でした。
明後日には、鹿児島にでかけて、国土交通省・鹿児島国道事務所で、小さな講演をしてから、福岡にもどります。


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法政大学社会学部の舩橋晴俊先生が逝去されました。突然の訃報でした。
舩橋先生の『社会学をいかに学ぶか』(弘文堂)を、昨年度の社会学入門のテキストに使いました。学生の感想とともに私の意見や感想もお送りしました。「こんなに詳しい感想をもらったのははじめてである」とメールをいただいたのが、ほんの数ヶ月前のことでした。ご冥福をお祈りいたします。


舩橋晴俊

一昨日、柳川フィールドワーク二日目でした。
想定外でしたが、男子学生のみならず、女子学生4名も、柳川の「もえもんハウス」に泊まり込んで(もちろん別室)、合宿状態となって、柳川フィールドワークに取り組みました。昨日は、学生たちは、地域の朝市に出かけ、土地の人たちとふれ合いました。午後は、農業体験農園をやっておられる山田農園さんを取材見学したあと、柳川市の関連部局からレクチャーを受けて、自由討議をおこないました。今回の二日間のでフィールドワークで、様々なアイデアを得ることができました。これを活かして夏休み中に学生たちが、きっと斬新で発展的なアイデアを作ってくれることと思います。これは期待できます。

 


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夜の柳川「御花」と川下りの乗船口。幽冥界への入り口のようですね。
そして70分間の「夜の川下り」。盛り上がりました。


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昨日は、九州大学ほかの学生諸君とともに、炎天下、柳川市でのフィールドワークでした。
午前中は柳川中心部のシャッター通り商店街をじっくり見学、商店街振興組合理事長にもヒアリング。空き家となった古いお店の中奥までじっくり見学させていただきました。柳川のお昼は、やっぱり「うなぎめし」。午後は、有明海研究所でノリの養殖その他の海産物の現状をきき、杏里ファームで新しい農業への取り組みを取材、さらに道守柳川ネットワーク代表の山田三代子さんにもインタビューしたあと、一日のふり返りのミーティング。さらにそのあと「柳川・夜の川下り」まで決行して、一日中全力疾走でした。学生たちはさらに市役所近くの「もえもん家」に泊まり込んで、きょうも朝から一日フィールドワークです。


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福岡は、台風の余波で、ずっと雨模様です。
このところ暑さもやわらぎ、きゅうに秋風が吹いてきたような感じです。
昨年は、いまころから、観測史上最高気温などが出ていましたから、まだ安心はできませんが・・・
ところで、セミたちは、そろそろ生涯を終える時期に入りかけています。これは、昨日、撮影したものですが、もう、かなり近づいても逃げません。産卵しているのかもしれません。あっけなくも寂しいものですね。


くませみ



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清酒「八海山」は、新潟のこめどころ、魚沼でつくられている。その醸造元のN家は、古くから続く「豪農」の家がまえだった。八海醸造の親族の方にご案内されて、この本家を見学させていただいた。現在は料亭としても利用されているとのこと。樹齢がわからぬほどの欅、その根元に祠。


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録画しておいた「グレートトラバース -日本百名山一筆書き踏破-」(NHK BSプレミアム)を見た。これはまたなんと突出した番組であることか。何しろ、いきなり屋久島の最高峰・宮之浦岳を駆け上がり、屋久杉などさっと通り過ぎて、駆け下り、そこから何とカヤックで九州までこぎわたるのである。これだけで「ふつうありえないだろう」となる。以後、この調子で、一日何十キロも歩く、走る、とにかく日本全国に散らばる百名山を、人力だけで一筆書きで200日かけてめぐるのだという。唖然としながら、あぁ、これは日本百名山という名前をかりたトライアスロンなのだと得心した。歴史や風土や風情ではなく、アスリートの壮大なトライアスロン。7時間かけて登る登山でなく、3時間半で駆け上がり駆け下るタイムレース。それを200日続けるのだというから、これまたすさまじいものである。それでも面白くて第三集まで見ちゃいました。見ながら、家族ともども、はぁーっとため息。見ているだけで、とても疲れちゃったりする。でも、世の中、こんなに元気でこんなにパワフルな人もいるんだなぁ。http://www.nhk.or.jp/greattraverse/


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南魚沼フィールドワーク。チームの皆さんと別れてから、八海山醸造元のご長男のご案内で、修験道の霊峰八海山を、ロープウェイで上まで登りました。ここは山伏たちの世界でもあり、いたるところ霊気あふれるパワースポットのようなものを感じました。


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八海山では「魚沼の里」にて、杜氏の方の丁寧な解説つきで醸造蔵を見学しました。さらに日本第二の大きさという「雪室」も見学させていただきました。なんと1千トンの雪を屋内において一年中、冷気を発生させ、日本酒を熟成させているんだそうです。驚きました。


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八海山ゲストハウス
今回、科研の研究チームと新潟の社協マンの混成チームは、ご縁があって、南魚沼にある日本酒蔵元「八海山」のゲストハウスに合宿的に宿泊させていただきました。「八海山」は大正時代からの創立90年の蔵元だそうですが、いまや大人気の日本酒ブランドです。地産地消の地元野菜中心の食事ととも、日本酒「八海山」のここでしか飲めないというものをたくさんいただきました。ビールや焼酎にも挑戦されているようで、ヴァイツェンやアルトビアもいただきました。いささか飲み過ぎてしまったかもしれません。



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新潟県十日町市池谷集落を訪問して現地の方々から様々なことをうかがいました。たった半日くらいのリサーチですぐに結論めいたことが分かるわけではないのですが、気づいたことをいくつか列挙しておきましょう。あくまで私の個人的な仮説あるいは感想です。
第一に、ここにはNPO法人「十日町市地域おこし実行委員会」があって、都市との交流や移住の窓口になっていることが大きいと思います。普通はなかなか外部の人間を受け入れない集落で、こうしたNPO法人が立ち上がった背景には、中越地震で集落が存亡の危機にたったことが大きいようです。この地震で道路は寸断され、集落を離れる人たちもでて、集落は存亡の危機に立たされました。こうしたインパクトがなければ、なかなか外の人間を求めることにはならなかったでしょう。地震というインパクトが、集落が動く原因のひとつになったようです。
第二に、じっさいに消滅した隣の集落にいた人が、現在のNPO法人の代表になったことも大きいでしょう。集落と東京とを媒介したのは、この集落にかよって農村風景を描いていたアーチストの方のようです。その人が世界的に活躍する大きなNGOの「JENジェン」を紹介し、こことつながったことによって、外部からボランティアがたくさんやってくるようになったようです。そしてJENを支援していた企業につとめていた若手の人が、関心を深めて、家族をつれてここに移住してきて、NPO法人の事務局長になったことも大きかったはずです。
第三に、総務省の「地域おこし協力隊」の制度が「移住」を後押ししたようです。3年間の任期付きで月16万円ほど(年間200万円)が保障されることが、都市から農村への移住に難色を示していた家族を説得する材料になったそうですし、独身の人たちからするとチャレンジするインフラとなったようです。
つまり、地震をきっかけに、都市のNGOが支援にはいり、このNGOの周辺にいた人たちが、ここでボランティアや体験をはじめ、それが「地域おこし協力隊」の制度などとあいまって移住の動きにつながったこと。そしてイベントごとにボランティアで来ていた人たち(女性)の中から、農村を「体験」し、やがて「交流」が深まり、「移住」につながる人たちが出てきたこと、こうしたことが大きな要因のように思いました。……都市からやってきた若い女性たちは、農村に住むということを、新しくおしゃれなライフスタイルにすることを提案し始めています。そして、ウェブの上でも「移住女子」の会をつくって、農村暮らしのプラスのイメージを様々にアピールしていますし、実際にピアサポートグループを作って、移住女子の人たちが、互いに励まし合い、連帯しながら住んでいることが、「奇跡の集落」などと言われる秘密の一部なのかなと思います。


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今回の新潟県でのフィールドワークでは「奇跡の集落」と言われている十日町の池谷集落に行ってきました。新潟にもたくさんある「限界集落」「消滅可能性都市」に「地域おこし協力隊」が入っていったり、そして若い女性が移住してきたり、子どもたちが生まれ育っていったり・・・奥地の棚田の集落に「移住女子」たちが入ってきていることには本当にびっくりしました。すごいことですね。たしかに「奇跡」かもしれない。こういうのは、若者の「地元」志向の、ひとつのモデルになってるんじゃないだろうか。
http://inacollege.jp/iju-joshi/

NPO法人・十日町市地域おこし実行委員会
http://www.iketani.org/
ここにも、注目。


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7月の終わりから8月初旬にかけて、関西学院大学の牧里毎治教授の科研研究チーム十数名とともに、新潟県胎内市、十日町、南魚沼町、六日町などを4日間かけてへめぐってきました。まずは初日の「地域福祉フォーラムinたいない」で新潟県の様々な市町村や県の社会福祉協議会の人たちの、底知れぬパワーに圧倒されました。こんなに若くて生き生きとした社協職員さんたちが、地域をこえて有機的な連帯をしているというのは、私としては、はじめて見たことでした。NPO研究をしてくると、つい社協さんについては見聞が少なくなる傾向がありました。びっくりしました。ちょっと感動しましたね。その後の新潟でのフィールドワークでも社協の方々のお世話になりました。



新潟・胎内市