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今学期の大教室での「社会学入門」の授業も残すところあと残り2回。楽しみながら大切にやってきた授業です。毎回、新しく内容を作り直してパワーポイント50枚(すこし多すぎるかな)を作り込んでいます。明日は、いよいよ、「風の谷のナウシカ」を解読する、と題した講義をします。テーマは3つ。第1が「戦いと戦う」というパラドクス。第2が、ナウシカの「救済感」はどこから来るのか。第3が、ナウシカから千尋へ、主人公の下降。1と2は、これまでにも話してきたことですが、3つめは全く新規に、ここ数日で練り上げました。さて、明日は、どういう反応が来るか。ドキドキですね。


新年、あけましておめでとうございます。
昨年は、宮崎、東京、丸亀、上富田町など、様々な場所でお話しをする機会をいただきました。それらの内容をバージョンアップして、もうすぐ本になって出版の予定です。この年末年始も返上して最終校正に汗を流しています。
本年も、よろしくお願いいたします。


2019年は加藤典洋さんが亡くなられた年でもあった。
年末に、遺著というか、おそらく最後の本だろう『大きな字で書くこと』(岩波書店)が出たので、それを読んでいる。
これは、なんという本であろうか。潜在的に、自分の死を予感しながら書いていたのではないだろうか。どれも心にしみるエピソードが、短く、印象的に記されている。
加藤典洋さんには、福岡で、一度だけ、ご一緒したことがある。授業に打ち込んで、打ち込みすぎて、片方の耳が聞こえなくなった、ということをさらりと語られていた。
そういえば『言語表現法講義』は、まさに教室での真剣勝負のやりとりだった。その他に、『さようなら、ゴジラたち』も授業でのヒントに使わせてもらっている。ずいぶんと学恩をいただいていたのだ。


先週、国立民族学博物館の出口正之教授の主催による松原明さん(シーズ・市民活動を支える制度をつくる会創業者)の「伝説の研究会」に参加してきました。その話題は出口さんはじめ、多くの方々の報告があるので、ここではさておき。この会場となった国立民族学博物館は「万博記念公園」の中にあります。そう1970年の大阪万博の開催跡地なのです。私は小学校6年生の時、家族でこの万博に行きました。ですから約50年ぶりの万博会場の再訪です。いきなり「太陽の塔」が見えます。当時はシェードのようなものがあって、これほどすっくと立った太陽の塔は見えなかったはずです。当時、入場するといきなりテンションがあがって、舞い上がって、何を見たのか、よく覚えていません。ひとつだけくっきりと覚えているのは、当時からわがままだった私は、かってにいろいろ動き回ったあげく、迷子になってしまったことです。そして、その迷子と迷子の親を捜すマッチングシステムが、子ども心にも「うまくできてないなぁ」と思ったことです。迷子のほうは、親の名前を伝えて探してもらうのです。親のほうは、子どもの名前を登録します。マッチングできません。で、結局、帰りの新幹線に間に合わず、ようやく会えた父親とふたり、家族は帰ったあと、しょんぼりして居残りで関西に宿泊したことを覚えています(私の当時の実家は群馬県でした)。そして翌日、帰りの駅で「よど号ハイジャック事件」を知ったのでした。


後からみるとペンギンそっくり

不思議な模様のライトアップ

こんなに大きかったのか

熱中小学校の翌日、熊野古道のディープなご案内をしていただきました。修験道の先達によって拓かれた古道は、その後、国道などの生活道路になると、その痕跡が見えなくなると言います。その意味で、厳しい、不便な道だけが、古道、として残ったのかもしれません。先月の四国の「お遍路道」でも感じたことですが、お寺や札所が「目的地」ではないのだと思います。点と点をつなぐ「道」こそが大切なのだと思います。お遍路さんは「同行二人」だと言います。熊野古道も、この大自然と道こそが「霊場」であることを体感する場なのではないかと思います。


今回「くちくまの」を訪問するにあたって、熊野古道も魅力的だったのですが、それ以上に関心をもっていたのは南方熊楠でした。紀伊田辺に到着後、まっさきに訪れたのも南方熊楠旧居でした。ここは予想以上でした。旧居がほぼそのまま残っているのです。熊楠が、晩年の25年を過ごした家がここだそうです。2000年までは娘の文枝さんが住んでおられたそうですが田辺市に遺贈されたそうです。文枝さんの「熊楠が生活していた当時の姿に戻してほしい」という遺志があり、大正年間の姿に2006年復元・改修されたそうです。
ここは、すごい。ぜひ訪れるべきところです。

(この前日、和歌山市を自転車で巡った時、苦労してようやく「南方熊楠生誕の地」を発見しました。でも駐車場の片隅に胸像がひとつあるだけでした。)


この中に粘菌をいれて、天皇に見せたという、伝説的なキャラメル箱

「紀州くちくまの熱中小学校」でお話しをさせていただきました。ここは山間の山あいの小さな分教場そっくりです。じっさいに分校だったそうです。
そう、ここは、宮沢賢治の「風の又三郎」そのものです。生徒さんは、まるで三郎、一郎、嘉助、かよさんたちですね。風の又三郎の時代より、女生徒さんが多かったです。
ここで、偶然ですが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と宮崎駿の「千と千尋の神隠し」、そして「となりのトトロ」との関連のお話しをさせていただきました。授業開始が「起立、注目⁉、礼」というので、びっくり。いきなり、生徒さんの「圧」が強くて、どぎまぎ。うまくしゃべれたかな。どうだったでしょうか。


今日から社会学入門で年内の3回ぶんは「ゴジラ」の社会学の話をすることになります。その前ふりとして、今回は、中村哲さんのご逝去のことに関連してお話しをしました。中村哲さんは、現代にあらわれた「ナウシカ」です。

どういうことでしょうか。

中村哲さんが用水路を作っていた場所は、まるで山脈に囲まれた「砂漠の谷」のようなところでした。この砂漠は「風の谷のナウシカ」  の「腐海」のようです。アフガンの人びとに愛されながらも、アフガンの人によって殺されてしまうところは、まるでキリストのようです。

「風の谷のナウシカ」の最後のシーン、ナウシカが王蟲の触手によって生き返るシーン、それはまるでキリストの復活のようです。中村哲さんの思い出は、その死によって、さらにのちのち意味が深まっていくことでしょう。「ゴジラ」が日本社会に何を問いかけているのか、それとも関連するところです。


大学での「社会調査法講義」──教科書を用いての講義だけでは、なんとも味気なく、底が浅く、つまんないので、今学期からは、新機軸を実験しはじめました。フィールドワークや質的調査の方法論を教えたあとで、その実践篇として、沢木耕太郎のルポルタージュを読むのです。沢木耕太郎?、あれが社会調査?──そういぶかる人もいるでしょう。でも、これは、れっきとした社会調査です。凡百の社会調査よりずっと社会調査らしいものだと思います。おまけにその文章がいい。聞き取ったことを、考え抜いたうえで、どう文章にしていくか。その実に良いレッスンになると思います。


 

丸亀市では「千と千尋の神隠し」から考えるグローバル時代の私たちの行方、というお話しをさせていただきました。皆さん、熱心にお聴き下さり、質問もいろいろと出て、有意義な時間を過ごすことができました。さて、今度の週末には、和歌山県の田辺市で「紀州くちくまの熱中小学校」で授業を行います。演題は『「千と千尋の神隠し」の解読から考える──地域の新しい社会資源──』です。丸亀での経験を生かして、さらにバージョンアップしてお話ししたいと思います。


2019年11月は福岡市総合図書館シネラで「美空ひばり没後30周年記念─ひばり主演映画特集」というのをやっていたので、あまり期待せず、見はじめた。ところが、これが素晴らしい。歌手としての美空ひばりしか知らなかったが、すごい映画俳優なのである。主演第一作の「悲しき口笛」(1949)からしてすでに傑作である。その後、鞍馬天狗、遠山の金さんものなど、どれもいい。続けて10本以上も観てしまった。中でも文芸作品「伊豆の踊子」(1954)と「たけくらべ」(1955)が特に良かった。特徴を一言でいうのは難しいが「若いのに貫禄がある」「無理な演技をしていない」「自分の重心に近いところで無理せずに踊っている」。はじめから全力疾走という感じではない。ゆったりとした達人の気配がある(褒めすぎか)。何しろ12歳で映画主演と主題歌。すでにして堂々たる貫禄なのである。威張った貫禄ではなく、余裕の貫禄。しかも役どころも「主演だが主役ではない」、そんな控えめな渋くてすがすがしい役回りが良かった。


たけくらべ

 

伊豆の踊子

塩飽本島はディープでした。まず、この島の出身者たちが「咸臨丸」の操船を担って、はるばるアメリカまで行ったとは知りませんでした。島のいたるところに「咸臨丸乗組員の○○の生家」というネームプレートがあるのです。おお、すごいな。歴史を切り開いた船員たちの島だったんだな。さらに、自転車で島を半周すると「瀬戸芸」(瀬戸内芸術祭)の制作物がいろいろあります。中でも突出していたのは、島の「埋め墓」に隣接して建てられていた塔。これは、なんというか、すごい眺めです。解説を見ると、これは文化人類学的にも珍しい「両墓制」の姿なのです。死者を葬る「埋め墓」とお参りする「詣で墓」との「両墓制」の姿なのです。これは深い。


丸亀ツアー最終日は、塩飽本島に行ってみました。瀬戸大橋が近くに見えます。塩飽諸島の中心で、古い町並みが残るかつての塩飽水軍の本拠地だった島だそうです。フェリーで丸亀から40分くらい。博多湾に浮かぶ「能古島」のようなところかな、と思っていたら、全然違いますね。思ったよりずっとディープでした。ちょうど「瀬戸内芸術祭」が終わった直後くらいで、いまや閑散。レンタサイクルで回りましたが、島にはランチできる店が営業していませんでした。
さて、ここも猫島ですね。わらわらわらと猫たちが寄ってきます。私たちのあとをついてきます。ゆったり島じかん。いいなぁ。


弘法大師空海の誕生の地と言われるのが、四国八十八箇所霊場の第七十五番「善通寺」です。今回は、善通寺をふくめ、八十八箇所中、3カ所のお寺に詣でさせていただきました。
さて、この善通寺で感あり。丸亀での講演内容と共振するかのように、お遍路さんとは「銀河鉄道」ではないか、とひらめいたのです。お遍路さんは「同行二人」だと言います。巡礼者がいつも弘法大師と一緒に巡礼しているという意味だそうです。これは、まさに「銀河鉄道の夜」でジョバンニがカムパネルラと一緒に旅しながら天の声を聴こうとする姿、「千と千尋の神隠し」で千尋とカオナシが、じっとだまって胸のおくから呼んでいる声にじっと耳をすませている姿……その原型ではないでしょうか。
富士講、熊野詣、四国八十八箇所霊場のお遍路さん等々・・・みんな「銀河鉄道」へとつながる深い共通性があるのかもしれませんね。


さて三日目、丸亀うどんツアーの最後は「岡じま」の朝うどん。今回は「釜玉うどん」です。これは「釜揚げ」のうどんに「生卵」をからめて「釜玉しょうゆ」をかけていただくうどんです。一度きいただけでは「醤油うどん」や「釜揚げうどん」との違いが判別できません。でも違うのです。うどん県ならではの、ガラパゴス的に特殊進化したうどんです。これがまた、うまい。釜揚げうどんに卵がからんで独特のコーティングになり、そこに「釜玉しょうゆ」というこれまた他では見たことも聞いたこともない、ガラパゴス的な進化を極めた醤油があって、「釜玉うどんには、この醤油でないといけない」という法則が成り立っているのです。それが「セルフ」という自分で味付けする世界で行われています。これは奥が深い。先達がいてお手本を見せてくれないと、その良さが分からないディープな世界です。香川のうどん店は、ひとつひとつが、ガラパゴス諸島の島々のように、独自に進化しているんですね。


うどん県の丸亀市うどんツアー、二日目のお昼は「しょうゆうどん」に挑戦。ゆでたて麺をきりりとひやして、独特の醤油で食べる。もちもちしたこしのある食感がたまりません。村上春樹の「ディープうどん紀行」でも「しょうゆうどん」を食べていて(別の店)、「痛快アル・デンテ」「珠玉のひと玉」などと絶賛しています。当時の醤油は「ヤマセ醤油(薄口琴平産)」とありましたが、私はうどんに夢中で確認できませんでした。
今回のお店は「根っこうどん」。田圃(畑?)の中にあって、食べるテーブルがあるのは、なんと、ハウス栽培につかっていたとおぼしきビニールハウスの中です。ディープ。


うどん県香川で驚いたこと。まっとうなうどん屋さんは、お昼までの営業なのだとか。なぜか。うどんをふんでふんで、そして一日ねかして、そして、切ってゆでて……その他の条件をトータルにそろえると、そうなっていくらしいのです。なるほど。
丸亀二日目は、朝うどんから始まりました。朝8時すぎにうどんやさんに到着。すでにお客さん少なからず。この日は、頭や内臓までついたいりこだしで味わいました。濃厚な味わい。しかもえびのすり身の天ぷらをトッピング。村上春樹のエッセイどおり、テーブルには味の素があります。これをぱらぱらかけるのが香川流らしいです。この朝うどん、宮川製麺さんでした。


行ってきました、うどん県香川の丸亀市。市役所のうどん王、年間400回うどんを食べるというMさんとともに、強力お薦めのうどん店を食べ歩きました。まずは「がもううどん」。この店、1990年秋に村上春樹が取材で訪れています。それによると「純粋にロケーションから言うと、僕はこの店がだんぜん気に入っている。このお店は文字通り田圃の真ん中にある。店の外におかれた縁台に腰掛けてうどんを食べると、目の前に稲田がざあっと広がっている。」とあります。さて、30年後の「がもううどん」。店の前は平日の昼ですが行列。かつての「ざあっとひろがっている」田圃は、すべてこの店のための駐車場になっていました。すごい。大発展したんだ。うどんは、もちろん、おいしかった。とくにだし汁は最高で、ずぶずぶごっくんと飲み干して、おかわりしたくなりました。


*村上春樹のエッセイの続きは「季節は秋だから、稲の穂が風にさわさわと揺れている。すぐ前には小さな川が流れている。空はあくまで高く、鳥の声が聞こえる。かけが80円、大は140円。おかずとしてコロッケと卵がテーブルの上に置いてある」とあります。「小さな川」というのはため池からひいた用水のことだと思います。またおかずも、コロッケと卵というようなシンプルなものではなく、多彩な天ぷら類が並ぶようになっています。時の流れを感じますね。


ラグビーW杯で、にわかラグビーファンになった人も多いことと思います。私もたいへん関心を持ちました。とくに日本代表のメンバーが「ナショナル、インターナショナル、グローバル」という3つの段階を絶妙のかたちで含んだ構成になっているところに、とりわけ関心を惹かれました。そこで、昨日の授業では「ナショナリズムを超えるインターナショナリズム、その先にくるグローバリズム。ところが、季節はずれのナショナリズムの台風も来ていて、世界で吹き荒れている。さて、この先、どうなるか」という話をしようと思いました。
ところが……2年生から4年生の約30名が出席している私の講義の中で、ラグビーW杯を見ている学生が、なんと3名しかいませんでした。これには衝撃を受けました。今の若者は、いったい、どういう世界に住んでいるのか、にわかに視界が不透明になってしまいました。