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福岡都心部から20キロくらい離れた半島(のような丘陵地帯)にあります。クルマ通勤の人たちが増えたせいでしょうか。建物近くの駐車場は、朝7時前には満杯になってしまうようです。しかたなく、一山越えたところにある駐車場へ。博多湾の向こう側に福岡タワーやドームが見えるような絶景です。しかし、駐車場に入れてから大学の教室まで歩いて10分以上かかるというあのハワイ大学の駐車場を思い出します。福岡もアメリカに近づいてきているのか⁉


 

エイゼンシュテインの有名な映画「戦艦ポチョムキン」(1925)(1976再編集のショスタコーヴィチの音楽つきの版)を初めて観ました。なかなか興味深い映画です。たいへんに有名な映画なので内容について言及する必要はないでしょう。観て思った感想だけを短く述べます。この映画の成功は、戦艦の内部という「閉空間」ゆえのドラマの密度と、オデッサという外の「開空間」での悲劇との対照が理由でしょう。この映画のドラマツルギーの構造はここです。戦艦内部の階級対立と葛藤と革命へのエネルギーの奔流。そして連帯や共同性の成就と勝利、というシンプルなドラマ。オデッサでは、市民の革命への自然な連帯(というにはあまりに過剰に演出された革命への連帯)と悲劇の殺戮という対比。これらが、この映画のシンプルなドラマ構造を作りだしているのですね。オデッサで、ひとりの水兵の死にこれほど多数の市民が連帯するか⁉という過剰すぎる演出もありました。たしかに「革命讃歌」というソ連のプロパガンダ映画のひとつでしょう。ですが、今からみるとじつに興味深いですね。専制国家にたいして立ち上がった人たちが、のちには専制国家を作っていったという歴史の皮肉をわれわれは知っているわけです。当時のエイゼンシュテインは、後世に自分がどう見られるかなど、考えていなかったでしょうね。それにしても、「ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため」という前半で繰りかえされる、なんだか道徳の教科書を見ているようで、しかしメッセージ性ある挿話。いろんなことを考えさせてくれますね。


ソ連の監督ジガ・ヴェルトフの「レーニンの3つの歌」(1934→1970再編集版)を観た。1930年代のソ連、のちにスターリンによって抑圧されることになるジガ・ヴェルトフ監督による「すごく興味深い」プロパガンダ映画だった。レーニン没後10周年記念に作られたらしい。たしかに革命の祖レーニンをひたすら賛美し神話化することを目的とした「単純な」プロパガンダ映画なのだが、であるがゆえに非常に興味深いのだ。そもそもレーニンの後継者スターリンの姿がどこにも見えない。レーニンは晩年に、スターリンとの確執で、すでに実権を失っていたらしい。その死後10年してスターリンの権力基盤は盤石だったからだろう。何の心配もなくレーニンを神話化したのではないか。そして、この映画を撮ったジガ・ヴェルトフも、やがてスターリンの反ユダヤ主義で映画を撮れなくなっていたという。
映画の冒頭、ロシア時代の中央アジアの「遅れて封建的な宗教に支配された」ムスリム信徒たちが、レーニンと革命によって「解放される」姿を嬉々として撮影しているのも、のちの冬の時代(たとえばアンドレイ・タルコフスキーの「鏡」などに出てくる恐怖政治)を思うと胸が突かれる思いがする。

それにしても、これでもかと、レーニンのデスマスクをたった60分の映画の中に、これほど何度も映し出すというのも、私たちの感覚から並外れている。レーニンの遺体をいまだに保存しているというのも、ロシアならではのメンタリティなのだろうか。


レーニンの3つの歌

往年の名画「旅愁」を観ました。70年近く前の映画です。シネラでみたフィルムはかなり劣化していて音も割れ、字幕もほとんど読めないほど。でも、いい。ジョーン・フォンテインがじつに美しく撮られています。終わったあと、後の席のおばあちゃんたちが一斉に「ほーっ」とため息をつきました。「きれいだったわねー、あの頃の映画はいいわねー」としきりに感嘆していました。たしかに、映画らしい映画を観たという満足感を味わえる「名画」ですね。
でも、内容を見るといろいろと考えさせられます。この映画「September Affair」という原題が示すとおり、言ってみれば豊かなアメリカ人たちの不倫と情事の夢物語です。逃避行先のイタリアでも豪華な邸宅を借りて何不自由なく暮らしているが……やがて男性は「大きな仕事」がしたくなる、女性はピアニストとしての芸術家の夢を実現したくなる。そう、これ、一昨年ヒットした「ララランド」の筋書きにそっくり。ララランドでは貧しい二人が愛し合い、やがてそれぞれの夢を実現するために別れていく、というストーリーでした。「旅愁」では、富裕だがそれに満足しきれず旅先で出会って愛し合った二人が夢のような暮らしを送るが、やっぱり二人だけの世界には収まりきれず、大きな仕事や芸術家としての夢のために再び別れていく、というストーリーです。そっくりですね。昨年、社会学入門の授業で「ララランド」を題材にして、なぜ、二人だけでは満足できないのか、なぜ<社会>が必要とされるのか……社会学からそのメカニズムを説明してみたのですが、この「旅愁」にも、このテーマが響いていますね。


ジョーン・フォンテイン、東京で生まれたそうです。4度の結婚・離婚。96歳での大往生。波瀾万丈の人生だったんですね。

ローマ、ナポリ、カプリ、フィレンツェと敗戦後のイタリア観光映画でもありますね。


 

ハワード・ヒューズが制作した映画「犯罪都市(The Front Page)」(1931)を福岡市総合図書館シネラで観た。これ題名などから一見ギャング映画に思えるが、中身は全然ちがった。これは新聞の第一面のスクープを取ろうとする1930年代の新聞記者たちと新聞経営者のどたばた喜劇だ。ストーリーは荒唐無稽だが、当時のアメリカのジャーナリズムのひとつの姿を描いていて、とんでもなくてあっけにとられる。とくに主人公の敏腕記者を、はるか上手にあやつり翻弄する上司の新聞経営者のバーンズがすごい。これはまさにメディア王ハワード・ヒューズその人ではないだろうか。破廉恥なまでに自己中のどぎつい経営者。彼の牛耳るセンセーショナリズム時代の新聞を描いている。そもそもこの映画の原題は「The Front Page」新聞の第一面のことをさしている。90年程前のアメリカの新聞業界は、まさに、この第一面のセンセーションで、巨大な産業になっていたのだなぁ。今日、新聞の第一面が、これほどの巨大な影響力をもっているとはとても思えないだけに、時代の移り変わりを思う。


(写真は制作者のハワード・ヒューズ。オーソン・ウェルズの名作「市民ケーン」のモデルとして有名だ。毀誉褒貶というより褒貶のほうが多いようだが怪物的な人物だったのだろう。)


ハワード・ヒューズ

文学部学生向けのオムニバス講義として話す機会があったので「銀河鉄道の夜」と「千と千尋の神隠し」との類似と相違についてのお話しをしました。思いっきり縮めていえば、宮澤賢治の銀河鉄道を、宮崎駿は相当意識して、あえて宇宙に飛び出さない、逆方向である地の中に入っていく、水の中に潜っていくという水中鉄道を設定したのではないか。この鉄道に乗ることの意味は何か。銀河鉄道でも水中鉄道でも、その乗客たちは死者なのはなぜか。その乗客の中に混じって旅する中で、ジョバンニも千尋も、何かをつかんだのではないか。何をつかんだのか。それは……という話をしました。
講義が終わったあと、話にくる学生がいて、「じつは、私、宮澤賢治の銀河鉄道、読んだことないんです」というのです。ええっ、まさか。しかも、その学生だけでなく、けっこうたくさんの学生が「千と千尋の神隠し」は見たことがあるが「銀河鉄道の夜」は知らない、ということが分かって、ちょっとショックでした。


マレーネ・ディートリッヒ主演で有名な「上海特急」(1932)を観ました。なるほどこれがディートリッヒか。ディートリッヒと言えばヒッチコックの「舞台恐怖症」(1950)しか観たことはなかった。この映画でもたいした貫禄ではあったけれど最盛期はすぎていた(そこがいいとも言える)。「上海特急」はまさにディートリッヒらしさのひとつの頂点を極めた映画なのかもしれない(ただし相手役が弱い。とても平凡な男にしか見えない)。ストーリーはいわばアガサ・クリスティの「オリエント急行」そっくりですね(上海特急のほうが早いみたいだけど)。北京から上海に向かう列車が中国の政府軍と反政府軍との間でスパイや捕虜の交換のために何度も止められる。人質交換の間に挟まって「上海リリー」なる良くない噂の立っている女性がじつは……といいささか浅いハッピーエンドで終わる映画。内容的にはアガサ・クリスティには到底およびませんね。
さて真っ先にくる感想。これはなんという「嫌中国映画」なのかということ。中国にたいする敵対的な蔑視が色濃い。中国からあれほど搾取したのにさらにこの態度だ。アジアにたいする無理解というか、何という「上から目線」の映画なのか。今日からみるとあまりにその「西欧中心主義」が鼻につく。「オリエンタリズム」ふんぷんの映画なのですね。でも、人のことは言えない。このあと、日本がまさに、こうしたオリエンタリズムの視線をそのまんま受け継いで上海を占領したのだ。なんだか苦い感想になってしまいますね。


年末年始に沢木耕太郎の新著『銀河を渡る』と『作家との遭遇』を読んでいて、そうだビデオで出ている「深夜特急」も観てみようかと思い立った。ところが第一巻の「劇的紀行 深夜特急’96〜熱風アジア編」からして「なんだこれ、全然違うんじゃないの」と疑問符連発。第二巻「深夜特急’97〜西へ!ユーラシア編」や第三巻「深夜特急’98〜飛光よ!ヨーロッパ編」では少し持ち直したものの、結局、これは沢木耕太郎の原作とは似ても似つかない別物と考えたほうが良いようだ。そういえば年末に村上春樹の「納屋を焼く」が韓国で「バーニング」としてドラマ化されたのをNHKが放映していたが、いきなり全然違うテイストで、途中で観るのをやめてしまった。評判をみると韓国版をNHKがだいぶ切り縮めてしまったとあるようだが…いずれ原作と映画とは全然違うものになるのですね。最初に観たものの「刷り込み」効果が大きいから、あとで原作や映画化されたものを観ると「ええっ」となる。ブレードランナーもそうだった。フィリップ・K・ディックの原作を読み始めたら、あまりに違う世界観なので読み続けられなかった……


岩波の『図書』最新号にソーニャ・カトーの文章が掲載されていて驚いた。加藤周一の養女となった人だ。養父の思い出を描いた短いエッセイだが、初めて知るようなエピソードが多かった。加藤周一も没後10年、来年2019年で生誕百年となる。高校時代から読んでいたが、いつのまにか、どれを読んでも、同じ論旨のような既視感を覚えるようになって、遠ざかっていた。ソーニャ・カトーを読んだので、久しぶりに思い立って『加藤周一最終講義』も読んでみた。いくつかの新しい発見があった。論旨は昔から変わらず一貫している。それが読者には魅力的に映ったり、限界効用を感じさせたりする。しかし本人は、その筋に何かひとつでも新しく加えたいと最晩年まで苦心していたのだ。収められたいくつかの最終講義は2000年から2006年くらいまで。80歳を超えた「最終講義」だ。その時点でまださらに何か付け加えようと努力して講義している。これはすごいことだ。またそういう努力と熱意が衰えなかったということが、またすごい。


『ブレードランナー』(1982)の舞台設定は2019年のロサンゼルスだったんですね。一昨日NHK-BSで放映された『デンジャラス・デイズ:メイキング・オブ・ブレードランナー』(2007)を観ましたがじつに興味深かった。こんなにも詳しく舞台裏が記録されていたとは知りませんでした。とりわけ興味深かったのは、当初からタイレル博士はすでに死んでいて、レプリカントと対したのはレプリカントの博士だったという設定も検討されていたこと。リドリー・スコット監督はデッカードも、じつはレプリカントだったという設定にしたかったようだ。こうなると誰が人間で誰がレプリカントか、決定不可能になる自己言及のパラドクスですね。それではひねりすぎてかえって面白くない。続編の『ブレードランナー2049』はそこにこだわったあげく善と悪の二元論の平凡な話になってしまった。1982版『ブレードランナー』はシンプルにレプリカントと人間の対決になっているのですが、クライマックスで大きなどんでん返しがあり、あっと驚く結末になっています。レプリカント・ロイの最期の瞬間、悪が善に昇華する。そして善なるものがじつは悪だったのかもしれないことを観客も理解する。そこでもういちど善なるものへ向けての脱出と逃避行がはじまる、というところが何度観てもこの映画のハイライトですね。だから監督や制作者の意図を超えて、この映画が生き延びていくのではないでしょうか。それにしても最後の逃避行の映像は、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」のために撮られた映像の「アウトテイクス」だったとは!

追伸
NHKで放映された「ファイナルカット」版だと、ユニコーン映像などが入って、1982版のラストの逃避行シーン(キューブリックのシャイニングのアウトテイクス)がカットされています。ハリソン・フォードのオフの声もなくなっています。なんということだ。ちょっとこれはどうなんだろう。監督が手を入れたものより、1982年の最初の版のほうが、いいですね。


このロイのラストシーン。ルトガー・ハウワーが、当初のシナリオにあった過剰に説明的なセリフを、自分で詩的な言葉に置き換えたのだと語っていました。すごい! 彼の力で、このラストシーンは成り立ったのだ。

先日、毎日新聞の熊本・宮崎・鹿児島の地域総合版に、私たちが今年行った「熊本地震での外部からの支援に関するアンケート調査」の結果が取り上げられ、報道されました。これは、熊本県老人福祉施設協議会と私たちとが共同で行った調査で、熊本県の老施協加盟の全施設対象に行った調査の結果です。さらに詳細については、年度内に刊行される予定の、九州大学大学院人間環境学研究院の紀要『共生社会学』に発表予定です。


毎日新聞の記事はこちら

https://mainichi.jp/articles/20181222/ddl/k43/040/549000c?fbclid=IwAR1y3uGM0VpDkN7LUdlPke0Qsjr099Q7E4Ay9UtLulcKlzInoMSKkumhnEU

 

今年はレナード・バーンスタインの生誕100年にあたるそうです。そういうこととはつゆ知らず、今年の夏には「答えのない質問」という6枚組のDVDを観ていました。1973年にハーバード大学で行った特別講義を収めたものだそうですが、長時間の講義にもかかわらず圧倒的なものでした。音符も読めず楽理に疎い私でも、なるほど、と感心するほど的確で論理的な講義。あふれる才気と音楽力。これは凄い。マイケル・サンデルの講義が「はじめてハーバード大学の講義を公開」などと紹介されていましたが、バーンスタインのほうがはやかったのですね。
さて、先日はNHK-BSで『レナード・バーンスタイン  天才の光と影』(2018年 ドイツ)というドキュメンタリーも放映されていました。これまた真逆に凄い番組でした。圧倒的な成功と名声のうらで、バーンスタインは、火宅の人のような人生を送っていたのですね。それを子どもたち3人がそろって出演して、証言する。指揮者と作曲家との間でも、引き裂かれ、結局、ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」を超える作品を書けなかった(というのは微妙だが)、少なくとも好評を博すことはなかった人生。そして指揮者にもどって……修羅のような人生だったんですね。


今日は、今年最後の授業日でした。文学部1年生向けのオムニバス授業の年内最終回を担当しました。「現代社会はどこへ向かうか─「千と千尋の神隠し」を解読する」と題して話したのですが、じつはこの講義、秋に京都の佛教大学で話したものをバージョン・アップしたものです。京都では350人もの学生さんが聴いてくれました。その時に反響が大きかったので、今回バージョンアップして話しました(写真は佛教大学で撮ってもらったものです)。


福祉の仕事の魅力発信を掲げて「オープンケアエリア」という新しい取り組みが始まりました。熊本のリデルライトホームを中心として熊本で始まった試みが、今回は福岡の中村学園大学でもありました。私もさっそく行ってみました。
福祉職員によるスーパープレゼンテーション、学生たちによる質疑応答、その後、社会福祉法人の方々と学生たちとのブースでの対話という3部構成でした。今回は福岡から4つの社会福祉法人が参加し、若手職員によるプレゼンテーションがとても評判でした。また参加者も、中村学園大学,西南学院大学、筑紫女学園大学、熊本学園大学などから多くの参加者がありました。


北九州・小倉に行ったら旦過市場は外せないですね。昨日はNPO法人抱樸で遅くなったので旦過市場に着いたときにはすでに午後6時、ほとんどのお店が閉まっていましたが、なんとか「ぬかだき」ゲットしました。これ、旦過市場に来たらぜったいはずせないですね。おいしいです。



小倉に行くたびにランチするお店があります。鳥町食堂街という駅からのアーケード街をちょっと歩いたディープな路地にある中華料理店です。ここは松本清張ゆかりのお店らしいですし、北大路魯山人の書も掲げられていて、何かこちらもゆかりがあるのでしょうか。もともとは浅草のお店の息子さんがこちらで開業したらしく、創業当時は「東京風支那そば」を売りにしていたとか。なるほど、博多ラーメンとは、全然ちがいます。現在はラーメンとシューマイの二枚看板らしく、ランチセットだとさらにいろいろ盛りだくさんで、これはお値打ちですね。


鳥町食堂街の入り口


昨日は科研のプロジェクトの一環で、大阪府立大学の関川芳孝教授とその大学院生さんたちとともに、北九州のNPO法人「抱樸」を訪問しました。「抱樸館北九州」を見学し、そのあと専務理事の森松さんに3時間にわたる濃厚なレクチャーを受けてきました。あらためて「抱樸」は凄いと思いました。かつては「北九州ホームレス支援機構」でした。こうした団体の尽力によって現在はホームレスの野宿者は激減したそうです。そこで「ホームレス」の支援でなく、生活困窮者や孤立者の住宅確保と生活支援のためのNPO法人に拡大発展しています。ホームレスの一時支援のシェルター運営だけでなく、自前の「生活支援付き共同居住施設」の「抱樸館北九州」を建てて運営しています。さらに協力する不動産業者も多数でてきたという話にもびっくりでした(空き家を埋めて家賃保証をするという意味で、抱樸と不動産業者にはWin-Win関係が成り立つそうです)。さらにびっくりなのは、抱樸が保証人バンク会社とも連携して「借り上げ型支援付き」として100室あるマンションの中の42室を一括して借り上げ(プラザ抱樸)して、そこを「就労支援付き共生型住宅」として運営していることです。このモデルは、さらに発展展開しそうですね。このように次々に繰り出されてくるアイデアあふれる事業展開に圧倒されました。なるほど、行政の措置施設「救護院」よりもはるかに低コストではるかに多彩かつダイナミックな支援が出来ているのだなぁと参加者全員感心しきりでした。これこそ民間主導の「地域包括ケア」かもしれません。でも、このような抱樸でも、かかえている課題や直面している問題が山積だそうです。その一端を聞くだけでも、大変さが実感できました。


久留米市美術館で開催されている「サンダーソンアーカイブ──ウィリアム・モリスと英国の壁紙」展に行ってみた。リバティー柄のようなものとしてモリスの作品を知っている人は多いだろう。今回は壁紙に焦点を当てたものだが、これはなかなかの展覧会だった。ウィリアム・モリスという人の伝記をみるときわめて興味深い人物だったようだ。芸術家でありながらモリス商会をおこして高級壁紙を制作販売したり、マルクスを読み、アーツ&クラフト運動を起こしてマルクスの娘と行動をともにしたともいう。今回の展覧会ではモリス商会の壁紙を中心に展示されているのだが、たかが壁紙、されど壁紙である。じっくり観ていくとじつに興味深い。そこに芸術の発展や起承転結がうかがえるのだ。モリスの作品は、ほかのデザイナーの作品と比べるとやはり違うものがある。やや暗くて難解なのだ。そしてその壁紙の制作は19歳で店員見習いとして入社したヘンリー・ダールに見事に受け継がれていく。時代的には、やや暗くて難解なモリスよりも、はるかに明瞭で明るいダールの作品のほうが、おそらく世に受け入れられていっただろう。そういうドラマまで見えてきて、じつに面白い。壁紙の世界に、これほどのドラマを読み取ることが出来るとは。