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桃山学院大から白波瀬達也さんが九州大学へ集中講義に来てくださいました。真夏のお盆直前の時期なのですが、朝からホームレス支援の「抱樸館福岡」にフィールドワークに行かれるなど、充実した集中講義です。午後からは教員たちも参加して、白波瀬さんの著書『貧困と地域』(中公新書)をもとに研究会とディスカッションも行いました。なるほど、本を読んだだけでは見えなかったことが、たくさん、分かってきました。こういうのが研究会の醍醐味ですね。その後、キャナルシティへ移動してささやかな歓迎会も催しました。


前期の授業も終わり、オープン・キャンパスも終わり、あとはひたすら箱崎から伊都キャンパスへの移転・引越し作業となります。前から少しずつ研究室の図書の整理をしていたのですが、いよいよ間に合わなくなってきました。学生や卒業生の手助けを借りながら本の整理(というか本の選別と廃棄の作業)です。おおまかに本を半分くらいに減らさないと引越できません。記録的な暑さの中で、大汗かいています。本の選別の大変さは、思い出の整理の大変さです。様々な記録や記憶の廃棄は、なかなか困難な作業ですね。みなさん、本の選別と整理はどうされているのでしょうか。本は、どこかに寄附したいものですが、なかなか寄附を受け入れてくれるところがないようです。


連日の記録的猛暑の中、昨日は、箱崎キャンパスで最後の「オープン・キャンパス」でした。朝9時ころからもうすでに大学は高校生であふれかえっています。文学部の説明会は大教室で行われたのですが、500人のキャパがあるのに、立ち見までいれても入りきれません。午前だけでなく午後にも説明会がありました。説明会のあと、模擬授業や、文学部の各研究室への訪問がありました。キャンパスでは昼近くになると救急車も来ていましたから、熱中症が出たのかもしれません。来場者へのアンケート調査は、私たちのゼミで作成したので、結果の集計が楽しみです。


ゴッホ終焉の部屋(ラヴー旅館)。ゴッホは、カラスのいる麦畑で、ピストル自殺をはかったそうです。でも死にきれずラヴルー旅館のこの部屋に戻ってきて苦しんでいたそうです。ガシェ医師や彼の子どもが付き添って看病したそうです。体力のあったゴッホはいちど持ち直したそうですが、結局、亡くなったそうです。この部屋は撮影できないので、館内映写のスライドショーから再現しました。


この椅子のある小さな部屋がゴッホ終焉の場所

この階段を苦しみながら上がってきたのでしょう

7月29日はゴッホの命日だそうです(1890年)。こんな真夏の中で死んでいったのですね。数年前にゴッホ終焉の地、そしてゴッホ兄弟の墓のあるオーヴェール・シュル・オワーズに行った時の写真を紹介します。ここに行ったのは二度目ですが、20年程前に訪れたときにはゴッホ終焉の家は荒れ果てていました。近年、ゴッホの家として博物館に整備され一階のカフェは高級レストランになっています。パリ国際大学都市からだとRERで北駅まで、ついでC線に乗り換え、ポントワーズでもう一度乗り換えなのですが、支線は一時間に一本くらいしか便がありません。土日は直通便もあるようですが、多くの人は観光バスで訪れるのでしょう。パリのオルセー美術館にある「カラスのいる麦畑」「オーヴェール・シュル・オワーズの教会」など有名な作品は、ここで描かれたものなのです。
駅を出てすこし上り坂の細い径をゆくといきなり「オーヴェールの教会」です。その横の径をさらに上がっていくと「カラスのいる麦畑」そのものの麦畑風景です。その中に墓地があります。小林秀雄も訪れたゴッホ兄弟が隣り合って眠る墓地です。もどってきて市庁舎のある広場にゴッホが滞在していた「ラヴー旅館」があります。この二階の小さな部屋でゴッホは亡くなりました。さらに径を歩いていくとゴッホを看取ったガシェ医師の家が博物館になっています。ガシェには子どもがいなかったようで、ゴッホから受け継いだ絵一式を、アンドレ・マルロー文化相に寄贈した時のインタビュー映像が流されています。ゆえに有名な晩年の絵が、オルセー美術館にあるわけですね。ここはパリからの半日旅行として、絶対のお薦めです。


オーヴェール・シュル・オワーズ駅─小さな無人駅です。

街は斜面地にあります。駅から細い径をすこし上ると教会です。

オーヴェール・シュル・オワーズの教会

オーヴェール・シュル・オワーズの教会

カラスのいる麦畑

小林秀雄も訪れたゴッホ兄弟の墓。ふたつ並んでいる。

ゴッホの弟も追うようにして翌年亡くなっています。

オーベルジュ・ラヴー(ラヴー旅館)。この二階にゴッホは住んでいた。いまは、メゾン・ヴァンサン・ヴァン・ゴーグになっています。

医師ガシェの肖像

ガシェ医師の家─いまは博物館になっています。駅から徒歩20分くらいですが必見。

福岡では危険な暑さが続いています。昨日は、この暑さのなか、リサーチで来日されている、天津社会科学院の田香蘭さんがお見えになりました。6月に上海の日中友好条約40周年記念シンポジウムで同じ部会で報告された先生です。九州大学社会学で学ぶ中国からの留学生とともに歓談いたしました。


2018年前半に韓国でヒッ卜した映画の中に『いま、会いにゆきます』と『リトル・フォレス卜』があります。この2本は原作が日本の小説、漫画であり、ともに日本で映画化された作品でもあります。
韓国では1998年10月、金大中政権の時に日本の大衆文化が公式的に開放され、日本との文化交流が進展しました。以降、東野圭吾の小説を原作とした『白夜行—白い聞の中を歩く』や日本の漫画が原作で、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『オールド・ボーイ』を始め日本から発した映画が製作されました。
オリジナル脚本から作られる作品が多い韓国映画界の中で、日本に原作がある、あるいは日本映画のリメイク作品に対して韓国人はどのようなところに魅力を感じるのでしょうか。また、同じ原作からできた両国の映画を比較してみると、果たしてどのようなところが違うのでしょうか。韓国の日本映画研究者による映画を通した比較文化論です。(福岡ユネスコ協会のホームページより)


2018年7月31日で、九州大学箱崎キャンパスの中央図書館が閉館になりました。階段の壁が、図書館へのお別れメッセージスペースになっています。試験期間中のせいもあってか、図書館は、満員です。今日で閉館ということで、何やらちょっとお祭りみたいな雰囲気でもあります。でも、明日からは、がらーんと、急に寂しくなっていくのでしょうね。全面移転もひたひたと近づいてきました。


昨日は、今学期の最後の安立ゼミに、福岡ユネスコ協会・常務理事・事務局長の山口吉則さんに来てお話しいただきました。山口吉則さんも九州大学文学部OBであり、箱崎キャンパスの最後をみたいともおっしゃっていたのでよかったです。福岡ユネスコ協会の話だけでなく、福岡市役所職員として城南区長までつとめた35年間をふりかえり、市役所の仕事とはどういうものか、公務員の仕事の面白さ、難しさ、今後の課題など話していただきました。じつは社会学科の学生の半数近くが、公務員志望でもあります。ところが、公務員とは何か、どういう仕事なのかも分からず、公務員講座に出ていたりするので、ちょうど良い機会なので、山口吉則さんに来ていただきました。時間オーバーになるくらい、たくさん質問もでました。山口吉則さん、ありがとうございました。


前から日程が決まっていたこととはいえ、昨日の箱崎町歩きフィールドワークは、熱中症が危惧される過酷な暑さの中、最大限の注意を払ってゼミの20名の学生とともに筥崎宮から九州大学博物館まで歩きました。午前中はまだ曇り気味でしたが、箱崎の町屋や、子どもたちの人形飾りのお祭り準備などを見学したお昼前後から、「これはいかん、これは危険だ」というレベルになってきました。そこで予定変更。九州大学旧工学部本館3階の中の涼しい家具展示室へ。そこで弁当ランチしたあと、スタッフの方が九州大学の移転にともなう家具や什器のレスキューを行うクラウドファンディングのお話をして下さったり、ここで一日だけの本格カフェ「ハコスイ出張カフェ」をされていた箱崎水族館の花田ご夫婦が町の歴史を話してくださったり、かつて教授会の開催されていた貴賓室を見学させていただいたり有意義な時間をすごせました。最後は箱崎駅前食堂とゲストハウス「ハレとケ」を見学して、まちカンパニー代表の斉藤康平さんのお話をうかがってお開き。なんとか無事にフィニッシュ。みなさんご苦労様でした。斉藤さんありがとうございました。


福岡も、台風の直撃のあと、かつてない集中豪雨、そして過去最高気温ときてバテバテです。ちょっと危険な感じの天候が続いています。合間をぬって毎夏恒例の社会学研究室主催のバーベキューパーティを催しました。この箱崎キャンパスのこの場所でバーベキューが出来るのも今回かぎり。ブックスキューブリックの大井さんもサプライズで参加して下さいました。3年生が公務員講座、4年生が就活や公務員試験の受験などで参加がさみしかったのですが、二年生中心に元気いっぱい、暑いさかりのバーベキューパーティでした。


軽井沢のさきの信濃追分に、しなの鉄道で行ってみた。旅行客も、軽井沢までは行くけれど、信濃追分まで行く人はまれだろう。軽井沢駅は大混雑、でも次の中軽井沢で大半の人が降りてしまって信濃追分駅は無人駅である。ここの「油屋」というかつての文人旅館に行ってみた。堀辰雄、立原道造らが泊まって仕事をしたところだそうだ。いまは「文化磁場・油や」となって、旅館の一階部分は、おしゃれなアートスペースや古本やレコード屋、図書室などとなっている。ここのスタッフに聞くと、近くには、加藤周一、福永武彦らの別荘もあるという。さっそく散歩がてら探してみた。すぐに見つけることができる。いまは主を失い、だんだんと朽ちていく最中なのだろうか。どの別荘も、継承者がいなくなったり、受け継いだ世代のライフスタイルが変わって別荘に来なくなったりして、使われなくなっているところが多いそうだ。高齢社会で空き家が増えているのと同じ状況なのだろう。高原の別荘にこもって小説を書くというような「堀辰雄スタイル」がもはや時代おくれなのかもしれない。そもそも文化人や知識人、作家などという言葉が、絶滅危惧種になりつつある。そういう様々なことを考えさせてくれる信濃追分だ。


加藤周一の別荘。いまは使う人がいるのだろうか。

油屋、堀辰雄が気に入っていたという部屋が記念室になっている。

立原道造は、詩人で建築家でもあった。油屋で火事に遭遇したらしい。

福永武彦の別荘。池澤夏樹さんは継承者ではないらしく、複雑なのだそうだ。

昨日は、校外へ出てフィールドワーク学習でした。20名のゼミ生たちと、ブックスキューブリック箱崎店を訪ねて、お店の二階のカフェでお昼をいただいたあと、店主の大井実さんの著書『ローカルブックストアである―福岡 ブックスキューブリック』(晶文社)に関連したことをうかがいました。なぜローカルブックストアなのか、どのようなご苦労があったのか、そのこだわりや品揃えのこと、雑貨や文房具、カフェの併設、トークショーやイベントのことなど、学生たちが事前に提出した質問すべてに詳しく答えていただき、1時間の予定が2時間になりました。有意義な時間を、ありがとうございました。


映画「モリのいる場所」を観ました。NHKの日曜美術館で「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展が紹介されたのを見て感心をひきつけられ、国立近代美術館に見に行ったのです。そこに映画のチラシがありました。その時点では映画は公開されていなかったのですが、ようやく福岡でも公開されました。「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展は回顧展ですから、熊谷守一の人生に沿って、子どもを亡くすなど家庭的な不幸をどう乗り越え、それとともに絵がシンプルになり、どう深まっていったという観点からの展示になっていました。
映画では、そういう側面は捨象されて、「仙人」になったあとの夫婦の姿を活写していました。そういう意味で、絵の回顧展と、まったく重なるところのない、別の熊谷像を、とくに樹木希林の卓越した演技とともに、楽しむ映画ですね。


旧フランス租界にあるせいか、錦江飯店やその周辺のホテルやビルには、世紀末のアール・デコ様式が色濃く残っていました。そういえば、周恩来も鄧小平も、みんなフランスに留学していたのですね。中国におけるフランスの影響力はかなりのものがあるように思います。


フレンチ・クラブの入り口にあるアール・デコ様式の像

外灘にある和平飯店(サッスーン財閥)の内部

錦江飯店のエレベーター・ホール

上海での「日中友好条約40周年記念シンポジウム」の会場となった「錦江飯店」。毛沢東、周恩来、鄧小平などがアメリカなどとの外交を展開し、改革開放へ向かうことになった歴史的な場所のようですね。旧フランス租界のど真ん中にあって、ちょっと中国ばなれした雰囲気のところでした。


錦江飯店は、フランス租界の時代、上海を支配していたサッスーン財閥のたてた建物です。

上海で開催された「日中友好条約40周年記念学術シンポジウム」に参加・報告してきました。数百人規模での大きな会議でした。複数の会議や部会が平行して開催されていました。記念撮影では、福田康夫元首相や、外務省の元中国大使、中国外交部の元日本大使なども出席されていました。会場は毛沢東・周恩来とニクソン・キッシンジャー、そして田中角栄や中曽根康弘らとの歴史的な会談の場でもあった旧フランス租界の中心地にある「錦江飯店」でした。
中国社会科学院日本研究所副所長の張李風さんの司会の部会で、私は「日本の超高齢社会─成功なのか、失敗なのか?」と題した報告を行いました。高齢社会になることは社会の成功のはずなのに、年金や介護という社会保障制度の持続可能性、という論点ばかりがクロースアップされると「高齢社会悲観論」が蔓延することになる。「高齢社会ペシミズム」になると人びとの社会保障への信頼が失われる。そちらのほうがより重大な問題だ、という論点です。もうひとつは、介護保険制度では、非営利は営利と一視同仁に事業者にされているが、これが非営利法人のアノミーを生み出しているのではないか。これも大きな問題だという論点です。中国社会も、急速に高齢社会になりはじめています。日本と同じ問題に直面してくるはずなので、ともに「高齢社会悲観論」を乗り越えていく必要があります。


中日平和友好条約締結40 周年記念のシンポジウムに招待されました。主催が、中国社会科学院、上海市人民政府上海研究院、復旦大学日本研究センター、中国社会科学院日本研究所というにぎにぎしさ。なんと福田元首相も講演されるらしいです。私は午後の部会で10分ほどしゃべれというので「日本の「超高齢社会」─成功なのか失敗なのか?」と題して「成功なのに失敗」のメカニズムを論じることにしました。「制度の持続可能性」を追求すると、制度を支える人びとや供給主体が「持続可能でなくなる」というパラドクスが起こる。そして「高齢社会悲観論」と「非営利セクターのアノミー」が発生する。「高齢社会ペシミズム」をどう乗り越えるべきか、というお話です。