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主催:日本保健医療社会学会研究活動委員会、看護・ケア研究部会
日時:2026年3月14日(土)13:30~16:30
場所:日本赤十字看護大学601講義室(ハイブリッド)
テーマ:「ケアを問いなおす――『介護のドラマツルギー』をめぐって」
講演者:安立 清史(九州大学名誉教授)
指定討論者:三井さよ(法政大学)・伊藤英樹(NPO法人井戸端介護)
司会:坂井志織(東京都立大学)・松繁卓哉(追手門学院大学)・本多康生(福岡大学)
企画主旨:
本公開企画では、2025年5月に開催された日本保健医療社会学会第51回大会「Health and Medical Sociology in Motion:「越境」をさぐる」および、7月のアフター企画「介護・福祉の可能性――ケアの価値を再考する」を受け、介護をテーマに議論を深 めていきたい。『介護のドラマツルギー――老いとぼけの世界』(弦書房)を共著で 刊行された社会学者の安立清史さんを講演者としてお招きし、宅老所の日々の営みを通して、老いてゆく人とそれを見守る人々のかかわりを、「介護のドラマツルギー」 という視点から報告していただく。
さらに、指定討論者は2名の方にお願いしている。多摩地域における知的障害当事者 支援活動の参与観察を長年続けてこられた三井さよさんには、社会学者の視点からコ メントしていただく。千葉県木更津市の宅老所「井戸端げんき」で、認知症、精神疾患、身体障害を抱えた人々と向き合って、共生ケアを実践してこられた伊藤英樹さんには、現場の視点からコメントをいただく。全体討論では、多様なケアの場で起きている出来事を、実践者と研究者がいかに言葉によって捉え、記述し、共有しうるのかを、参加者とともに議論したい。会場にお越しいただける方には、ぜひ対面でのご参加をお願いしたい。

※遠方等の事情により来場が難しい方を対象に、オンライン参加(ハイブリッド)も併用予定ですが、通信環境等の都合により、接続の安定性や参加を確約するものではありません。あらかじめご了承ください。
※参加費無料・一般参加可
研究例会参加申込フォーム:
https://forms.gle/uSKHYGpT21S3V3dj9


2月の大雪のあと京都に行ってきました。立命館大学・加藤周一現代思想センターの鷲巣力さんにお会いして加藤周一の資料(プラハの春関連)を見せてもらうために。今から60年ほども前、1968年にソ連軍のプラハ侵攻がありました。この時のプラハ市民の対応は、ウクライナの場合と対照的にソ連の戦車と真正面から武力対決するのではありませんでした。むしろ言葉によって戦車に対抗したのです。その時の驚きとその後の経過を、直前にプラハを訪れていた加藤周一は『言葉と戦車』という文章にしています。戦車の前で言葉は圧倒的に無力だが、圧倒的な言葉の前に戦車も無力だった、そう書いています。いま、世界はどうでしょうか。軍事侵攻があたりまえになりつつあります。それよりも世界中が「戦車のような言葉」に侵攻されています。戦車の前に野に咲く一輪の花をかかげるような「もうひとつの言葉」が必要な時代だと思います。いまこそ、もういちど、加藤周一を読み直すべきではないかと思っています。(ちなみに鷲巣力さんは平凡社で加藤周一著作集をつくった伝説的な編集者です)


中井久夫さんの文章に「世直しと立て直し」というのがありました。
威勢の良い「世直し」は、選挙ではアピールするかもしれないが、成功することは(ほとんど)ない。二宮尊徳が成功したのは「世直し」でなく「立て直し」だったからだ、という趣旨でした。みんなが一斉に世直しを叫ぶ時代です。究極の世直しは戦争で、それで世直しが成功したことはないでしょう。


寒気に選挙がかさなって寒さがひとしおです。総選挙がきまる前からの予定で数日、京都に行くことになりましたが京都はいちだんと寒そうですね。不思議なご縁があって立命館大学・加藤周一現代思想センターに資料を見せてもらいにいくのですが、この機会にというわけで妻はNHK・BSのドラマ「京都人の密かな愉しみ」のロケ地巡りを計画しています。このドラマも不思議なご縁で10年ほどまえ、このドラマの制作に携わっていた方から教えていただいて、妻も私もファンになって全部を見てきました。仏教大学に講演にでかけた時に生粋の京都人(お公家さんの家系とか)にこのドラマのことをお話ししたのですが、ふふんと一顧だにされませんでした。京都人は京都人を描いたドラマには関心を示さない(ふりをする)のかもしれませんね。


3月に東京の日本赤十字看護大学で開催される、日本保健医療社会学会の公開研究会で『介護のドラマツルギー』についてお話しすることになりました。討論者がきまったようです。三井さよ(法政大)さんと「宅老所井戸端げんき」の伊藤英樹さん。なかなかすごい人選ですね。いそいで伊藤さんの書いた本を読みはじめています。


日本保健医療社会学会 2025年度第5回定例研究会/看護・ケア研究部会公開企画
(主催:日本保健医療社会学会研究活動委員会、看護・ケア研究部会)
日時:2026年3月14日(土)13:30~16:30
場所:日本赤十字看護大学601講義室+Zoomによるハイブリッド
テーマ:「ケアを問いなおす――『介護のドラマツルギー』をめぐって」
講演者:安立清史(九州大学名誉教授)
指定討論者:三井さよ(法政大学)、伊藤英樹(NPO法人井戸端介護)
  司会:坂井志織(東京都立大学)・松繁卓哉(追手門学院大学)・本多康生(福岡大学)
※参加費無料・一般参加可


落合恵子さんの主催する「クレヨンハウス」、その毎月の「クレヨンハウス通信」の中の「落合恵子のBook Club」で、私たちの『介護のドラマツルギー』が取り上げられました。うれしいですね。


お知らせ
「超高齢社会研究所」のサイトは1月末で閉鎖する予定です。内容的には「安立清史のホームページとブログ」と大差ないので影響はないと思います。今後はニュースはブログとホームページで。論文のような長文のものは「note」のほうで発表していきたいと思います。


明けまして、おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

『介護のドラマツルギー』について、この本のエッセンスがどこにあるか、note というウェブに詳しく書きました。ご覧いただければ幸いです。
https://note.com/kiyoshi_adachi/n/n8a34332d8523?app_launch=false

昨年出版した『介護のドラマツルギー』について、今月の「クレヨンハウス通信」(2月号)で紹介される予定です。
また、読売新聞社(文化部東京本社)からの取材も予定されています。


 

「熱中小学校10周年記念誌」が送られてきました。私は「紀州くちくまの熱中小学校」と「宮崎こばやし熱中小学校」と2度ほど講師をつとめた経験があります。紀州の学校は、小さな学校でしたが、「銀河鉄道の夜」の冒頭の「午后の授業」をおもわせるじつにいい雰囲気の学校でした。参加者もみな熱心。こういうのが学校の起原そのものですね。講師をつとめた翌日は、熊野古道をすこし歩いたり、熊野本宮大社にご案内いただいたり、事務局の方にはたいへんお世話になりました。先日は「南高梅」の梅干しまで送っていただきましたが、この梅は、まさに地元の南部高校から育てられていったそうです。

「紀州くちくまの熱中小学校」https://necchu-kuchikumano.com


ドラマツルギーとは何か(『介護のドラマツルギー』解説)を、note に書きました。
https://note.com/kiyoshi_adachi/n/n444144c94f2c?app_launch=false

すでに「ケア論」というカテゴリーや分野ができているようだ。しかしケア論は、ケアについての論の論つまり「ケア論・論」になりがちだ。
本書は、こうした流れに乗ったものではない。福岡の「宅老所よりあい」という小さな認知症介護の現場で起こった事例(だけ)を語った『シンクロと自由』などの村瀨孝生の著作をもとに、そこで起こっていることが、私たちにとって、どのような意味を持つものなのか、ケアや介護という枠組みにとらわれず、自由に発想を広げて考えてみたものだ。ケア実践をぬきにしたケア論や介護論はありえないだろうが、逆にわれわれが試み考えたように「ことば」をぬきにしたケアや介護もありえないはずだからだ。(写真は12月20日の村瀨孝生さんと安立清史のブックトークから)


日本農業新聞が12月7日づけの紙面で、『介護のドラマツルギー』を紹介してくれました。村瀨孝生さんの文章は、読みやすいからかえって深く読めない、分かりやすいからかえって本当には分かりにくい、そういう逆説的な文章だと思います。私の「解説」あるいは「解読」は、そのために書いたつもりです。


 

12月20日、ぽかぽかの晴天のあと雨降りの師走の土曜日でした。天神や博多駅周辺はクリスマスマーケットもあって大賑わい。そんな中、JR博多駅ビルで、『介護のドラマツルギー/老いとぼけの世界』をめぐる村瀨孝生さんの講演と共著者・安立清史とのブックトークが行われました。当日持ち込んだ本30冊が完売するなど反響と手応えのある会となりました。夕方から場所をうつして関係者で懇親会。参加されたみなさん、ずっと語り続けて4時間超え……ブックトークのあとのブックトークのような濃密な時間でした。


お知らせ
12月20日に、JR博多シティ9階の会議室で、村瀬さんと私で『介護のドラマツルギー』の講演とブックトークを行います。無料です。
座席数にかぎりがあるので、参加希望の方は、事務局(keihi@wakou-f.org)宛に申し込んでください。
 
1 開催期日 令和7年12月20日(土)14:00~16:30
2 開催場所 JR博多シティ9階会議室(2)
3 参加対象 福岡県ケアハウス協議会職員および一般市民の方々
4 定員数 70名
5 参加費 無料
6 内容 受付 13:30~
講演  14:00~15:00
講師:「宅老所よりあい」代表 村瀨孝生 氏
対談  15:00~16:00
安立 清史 氏、 村瀬 孝生 氏
「これからの介護を考えるー『介護のドラマツルギー』をめぐって」
質疑16:00~16:30
閉会16:30
当日は、村瀨孝生・安立清史『介護のドラマツルギー/老いとぼけの世界』(弦書房)の書籍販売と著者サイン会を行う予定です。 
 
事務局 軽費老人ホーム 筑紫の里(担当:大石)
TEL 092-926-2558
FAX 092-926-2568
メール keihi@wakou-f.org

三好春樹さんを読む(3)  「Nさんのロシア行き」

1

心理学と社会学とは、近いようで遠い。看護と介護もそうかもしれない。社会学の中でも、個人から始めるのと社会から始めるのとで、方法的個人主義と方法的全体主義という対立がある。そんな中で一見すると中間あるいは折衷のように見えるのがマックス・ヴェーバーの「理解社会学」だ。当事者が行為にこめた意味を「理解」することが必要だ、というのだ。でもこの「理解」がよく分からなかった。それが、三好春樹さんの本で「Nさんのロシア行き」のエピソードを読んだとき、はっと気づいた。このことではないか、と。調べてみると三好さんは1984年の『看護学雑誌』に「Nさんにとっての〈ロシア〉—隠喩としての老人の言動」という論考を発表している。もう40年も前のことだ。当時、認知症高齢者の行動の意味をまともに受け止めて考えようとする人などいなかったのではないか。

2

このエピソードは多くのことを考えさせる。認知症の初期に「家に帰ります」といって施設やデイケアから抜け出していく高齢者たちは数多い。施設の側は脱出して「徘徊」する人たちは、見当職を失って混乱している(だけ)と考えたに違いない。むかしながらの老人病院を見学した時のこと──病院には「徘徊」のための長い回廊が設けてあった。まるでハツカネズミの飼育ケージのように。行動だけみて、「徘徊」に内的意味世界があるなどと考え付きもしなかったのだろう。

3

Nさんのロシア行きは、看護とは違う「老人介護」を、三好春樹さんが「発見」した最初期の記録ではないかと思う。三好さんの開拓した「徘徊に出ていく老人を止めるのではなく、いっしょに歩いてついていく」という方法は、いま考えてもラディカルだ。可能なのに不可能と思えてしまうこの方法。だからコペルニクス的な転回を思わせる。専門職はその専門性ゆえ、誰もやってみようと思わなかったのかもしれない。しかし福岡の「宅老所よりあい」では地道に実践されてきた。村瀨孝生さんの著作の中にも、どこまでもいっしょに歩いて行って途方にくれるエピソードが、たびたび登場する。なかでも「ヨシオさん」のエピソードは突出している。自宅では新聞を逆さまに読んでいる。「徘徊」についていくと、書店に入って本を逆さまに並べなおす。さらに驚くのは、蕎麦屋にはいったあと、その厨房の奥にまでずんずん入っていって裏口から出ていくというのだ。「よりあい」の職員や村瀬さんたちを翻弄し疲労困憊させたうえ、見失ってあたふたする村瀬さんがようやく見つけて安堵の気持ちでハグしようとすると、するりとよけて、先を急ぎます、とさらに歩いていく。こうしたエピソードを読むと、抱腹絶倒したあとで、社会学の考えている「社会」などするりと抜け出て、「この社会の枠組みを突破する人」を見たような気がする。頭で考えたラディカルさではなく、身体から滲みでるラディカルさである。まるで、その先に《もうひとつの社会》があると行動で表現しているようだ。この人たちからは「社会」という概念や束縛が消えうせている。意図しない自由でアナーキーな姿が浮かび上がる。三好春樹さんは全共闘世代の人だから、全共闘世代が意識でやっていたことを、Nさんは身体でやっているように見えたのかもしれない。

*三好春樹、2009、『認知症論集─介護現場の深みから』、雲母書房



 

「介護はパワーではない」という話が三好春樹さんの『老人介護 常識の誤り』(2000)の中に出てくる(三好さんは当時あえて老人問題といっていました)。介護は介護力だと見られていた時代、制度や政策が良くなって介護力を投入すれば老人問題は解決すると考えられていた時代に、その常識をラディカルに疑う論調で、いま読んでも(いま読むから)新しい(政治に力をつければ国際政治問題は解決するのか)。力に頼った介護が老人をダメにしてきたと三好さんはいう。介護は力ではない、ふたつのソーゾーリョク(想像力と創造力)のほうが大切だと。まったく正論で正論こそ実行しがたいものなのか。


プールで「ゆっくり長く泳ぐ」のを始めたのは腰痛に悩まされたからです。ところが同じレーンに、ばしゃばしゃと力任せに泳ぐ人がいると、ペースを乱されて長く泳げません。三好春樹さんは、介護の世界でも力任せに介護をする人がいる、それを「介護力士」と表現していたのを思い出しました。力任せにいろんなことをする人はスポーツにかぎりません。相撲力士だって力ばかりでは勝てませんし、政治の世界にもあてはまるかもしれません。政治家ならぬ「政治力士」がたくさん出てくる時代になりました。ゆっくり長く泳いでいこうとすると、こういう人たちがじつに困った人になるんですね。(書影は構造主義の人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』にちなんだ『野生の介護』)


福岡ユネスコ協会のセミナーで、西成彦さんが「内村鑑三の『デンマルク国の話』を読む」という話をされました。大国が小国になっていくときに経験すること、大国とは何か、小国とは何か、日本の現状に照らしていろいろと考えさせられます。最後にフロアから「なぜ北欧は豊かなのか、なぜ小国なのに豊かなのか」という根源的な質問が出てきて、ぎくりとさせられました。大熊由紀子さんの『寝たきり老人のいる国、いない国』(1991)が出てからはや35年。かつての英国モデルがひっくりかえる中、福祉関係者の北欧もうでが始まりました。私もデンマークやフィンランドに行ったことがあります。たしかに高福祉です。でもなぜこれが可能なのか。いろいろと説明がなされますが、いまだに納得のいく説明を見たことがありません。西さんも「奇跡だったのか、何かトリックがあるのか、わからない」とのこと。この「トリック」という言葉にはぎょっとさせられました。ここには考えないといけない何かの「問い」があります。


介護界のレジェンド・三好春樹さんが、「宅老所よりあい」の村瀨孝生さんと私の共著『介護のドラマツルギー』(弦書房)を高く評価してくださっています。三好春樹さんの本もずいぶん参考にさせていただき、引用もしていますから、とても嬉しいですね。


共同通信による『介護のドラマツルギー』の書評の配信が、全国各地の地方紙の書評欄に掲載されたようです(11月1日ないし2日)。沖縄タイムス、琉球新報、大分合同新聞などの各紙に掲載されたことは確認しております。もっと多くの新聞に掲載されたかもしれません。この本は読みやすくていっきに読んでいただける本です。でも私の執筆したパートは、村瀨さんの前著『シンクロと自由』を何度も読み返して読解したもの、「宅老所よりあい」の30年以上の歴史や、介護保険の25年のあいだの転回などを踏まえて考察したことなども書かれていて、いわばミルフィーユのような多層的で多声的な本ですので、そのあたりもぜひ読んでいただければと思います。


芥川賞作家・村田喜代子さんが「ぶらぶら歩いて、この世ランド」という西日本新聞の記事で、村瀨孝生さんと私の共著『介護のドラマツルギー』を大きく取り上げて下さいました。とてもていねいに深く読みこんでくださっていて、うれしいですね。あわてて村田さんの著作を図書館で借りてきて読み始めています。『蕨野行』や『偏愛ムラタ美術館』など、これはすごいですね。