From the monthly archives: "12月 2015"

大晦日、加藤典洋の『戦後入門』(ちくま新書)をようやく読み終えました。635頁もある大作です。いろいろな論点が詰まっていますが、まず、「戦後70年」を越えて、いまだに「敗戦後」であること「従属国」でありつづけていることの異様さと、なぜ戦後がこんなにも長く続くのかという「謎」を解明しようとしています。論点としては、前の戦争が「世界戦争」であったこと(それは戦の途中からだんだんと「世界戦争」へと意味づけられていったようです)、ついで原爆という核兵器の出現とそのインパクト(対日強硬派ですら一種の宗教的「回心」が起こったという指摘が印象的です、それは人類にたいする人道上の罪であるということがいまだに隠蔽されていると指摘しています)、その世界や人類にたいする罪をなしうる「核」の管理をめぐって構想された国連が、世界の冷戦の構造の中で変質していくさまを論じ、国連が核を管理するはずがそうはならず、その余波での日本の占領と従属化といった文脈で論じられていきます。そこから先が、本書の新しいところで、フィリピンにおける基地撤去をひとつのモデルとしながら、英国人R. ドーアの、アメリカとも日本とも違う視点からの国連の評価と9条との関連づけ、そして加藤典洋独自の提案の提出へとつながっていく論旨です。
思うにこの本の底には、このところずっと(普天間問題からとすると7年以上にわたって)、日本を揺るがせ続けてきた様々な問題の震源には、(日本の)憲法をつくった権力(アメリカ)が、その憲法を守らないというねじれた構造があること、それが日本の政権をこれほどまでにも暴れさせているという認識があると思います。しかもその論旨がたんなる反米ではない。「それは占領軍がつくって受け入れさせた憲法だが、にもかかわらず、日本人にはとても書けない良いものだった」という事実の受け止めがあるのです。だからうかつに9条を乗り越えようとすると、ふみはずして墜ちていってしまう、乗り越えるつもりがまっさかさまに落下する、あやうい構造になっているという指摘です。しかしそのアメリカも冷戦後の世界情勢の中で弱まりながら揺れて衰えていく。そういう不安定な世界情勢の中で、孤立と不安を深めた日本ではひそかにクーデタが起こっているのだと指摘しています。「現在の安倍政権が・・・国家、国民に対するクーデタである以前に、かつての保守本流(自民党ハト派)の論理を仮想的とした党内クーデタである」(504頁)と喝破しているのです。なるほど、まずは自民党内でのクーデタがあったのか、だからこその展開なのか。
本書は、難渋・難解な文体をもって知られる加藤典洋氏が「たぶん私が書いた本の中で一番読みやすいだろう」と自信をもって述べておられる。そして「高校生にも、大学生にも読んでもらいたい。そういう人を説得できなければ、日本の平和主義に、未来などないに決まっているからである。」
まさに、そのとおりなのだ。(2015/12/31)


加藤典洋 戦後門2

師走冬休みなので映画を観る。是枝監督の「そして父になる」(2013年)。これはなんと、舞台が群馬県の前橋だ。そこの病院での子どもの取り違え(正確には意図された入れ替え)の波紋を描いた映画だ。私じしんが前橋の病院で生まれたので、なんだか遠い世界のこととは思えない。風景は同じ群馬県の高崎とはちょっと違っているが赤城山が映っている。東京と群馬、今話題の福山雅治とリリー・フランキー、豊かなエリートサラリーマンと落ちぶれた地元の電気店、静かなお受験一人子とやんちゃな大家族の子ども、すべてが対照的に提示されていて、しかし、その人間としての内実は真反対であることを示す。群馬の片田舎に生まれ育ち、その地元のゴーストタウン化している現状を熟知している私としては、これまた人ごとではない。「歩いても歩いても」と同じく樹木希林、偏屈で頑固なだめ親父。でも「歩いても歩いても」のほうが後味が良かった。今回は主人公の一種の転落物語。転落していくうちに何か大切なことに気づいていくという物語の展開だからだろうか、最後の直前まで転落していく一方なのでちょっと切ない。「歩いても歩いても」のほうは、大切なことがあらかじめ失われていて、その喪失感をみんながそれぞれに受け止めて、ゆっくりと受け入れていくという、癒やしの過程が、肩ひじはらず、すうっと受け入れられるように描かれていた。阿部寛と福山雅治の持ち味の違いでもあるのかなぁ。


是枝 そして父になる

冬休みに入ってから「Go」(行定勲、2001)という映画を借りてきて観た。この映画が撮られた15年前と現在との、地続きではあるが大きな落差を感じさせてくれるものだった。この映画の主人公を演じた俳優の窪塚洋介については、すでに多くの論者が様々に論じている。映画以上にこの俳優の転変のほうが映画的だったかもしれない。「現代日本の若者の保守化?」と題された大澤真幸の論文は、この俳優の劇的な転換の意味の解読を通じて、若者の保守化とナショナリズムが秘めている「謎」に迫ろうとしている。2007年に学会で報告され、2011年に出版されたこのこの論文は、まさに現在の政権が、途方もないことをしながらも、なぜ支持率が下がらないのか、という「謎」の解明の補助線として、依然として有効であることを示している。


大澤真幸 近代日本のナショナリズム2

旧知のハーベスト社の小林達也さんが師走の美味しそうなシメサバについて書かれているのに触発されて、10年前にアメリカはボストンに滞在していた頃に、和食を求めてボストン中を自転車で走り回り、刺身を買い求めていたことを思い出しました。当時は半年間の1人暮らしの自炊でしたから、刺身と醤油とあつあつご飯というのが、週に一度の大ごちそうでした。
ボストンにはたくさんの日本人が滞在していますから、おそらく魚屋さんに刺身が商売になることを吹き込んだ人がいたのではないかと思います。ここは、ユダヤ系の魚屋さんで、けっこう良い刺身がいろいろとそろっていました。おりしも、その時、サバが安くて、これは生の刺身で食べられると聞いてびっくりしました。えええっ。私は関東は群馬の生まれ育ち、海なし県ですから、サバを生で食べるというのには、相当、抵抗感がありました。
しかしながら福岡では「ゴマサバ」といって、秋から冬にかけて、みんな刺身で食べています、福岡の刺身やさんでは大人気メニューですね。サバにごまをふりかけることも多いのでゴマサバというのかと思っていたら、真サバとゴマサバとは違う種類のようです。福岡っ子のソウル・フードはゴマサバかもしれませんね。


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ちょっとおそめのクリスマス・ディナーを食べながら、録画しておいた「Songsスペシャル・ユーミン」と「同・井上陽水」を観ました。最近、いろいろ言われるNHKだけれど、やっぱりこういう番組は見応えあり。ユーミンの「瞳を閉じて」が五島列島の奈留島の校歌として作られたとは驚きでした。ユーミンさすが貫禄の大役者。また井上陽水が「ブラタモリならぬブラ陽水」というのも良いですね。桑子アナもなかなか堂に入ってきた。


Songsユーミン Songs井上陽水

沢木耕太郎の『銀の森へ』と『銀の街から』を読みました。本の装丁もじつに美しいが、中身もすてきなエッセイで、この冬休みにぜひこの中の映画をいくつか観たいと思わせるものですね。残念なことといえば、索引がないこと、映画の原題がないこと。またあえて意図したことでしょうが、映画のパッケージが分からないこと、したがってあとから映画を探索したり、借りようとしても、なかなか見つけられないこと、かなぁ。でも、じつに映画の銀幕の世界への誘いとして魅力的です。


銀の街銀の森

さぁて冬休みの間にいくつか仕事をしていこうと思って、図書館にこもるつもりが、図書館も人の子、年末年始は閉館になってしまうのですね。残念だなぁ。
近くの福岡市総合図書館も、昨日が年内最後の開館日でした。あまり人のいない、大きな空間に、本やノートを広げて、論文など読みながらメモを作る作業が楽しい。『現代思想 2016年1月臨時増刊号◎総特集 見田宗介=真木悠介- 未来の社会学のために』 (青土社) などを読みました。見田先生と加藤典洋さんの対談では、私たち関わった福岡ユネスコ協会での講演とブックレットのことが触れられていました。大澤真幸くんの論文も力作だなぁ。佐藤健二さんの論文は、これまたがっちりした問題提起ですね。


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「さよなら楷の樹」ライトアップイベント
九州大学箱崎文系キャンパスの楷の樹。師走になったとたん、学内では急に「お別れ気分」が盛り上がって「さよなら楷の樹」ライトアップイベントが急遽催されました(急遽ではなかったかもしれませんが)。「ミス楷の樹」まで急ごしらえで登場して、ライトアップ点灯式。でもね、その数日前に、楷の樹の紅葉はピークをすぎて、ライトアップ時には、すでにあらかた紅葉は落ちていましたけれど。


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にぎにぎしくライトアップ点灯式です

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この学生さんが「ミス楷の樹」

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池の不思議なオブジェもライトアップ


 

「柳川市定住促進若者会議」の提言を柳川市長にお渡ししたあと、地域おこし協力隊の阿部さんたちが「DIY」で奮闘して作り上げた「Kataro Base 32」が完成したとのことで見学にうかがいました。予想をはるかに超えておしゃれなすてきな空間になっていて、びっくりしました。ここは、柳川の新しい地域おこしの拠点になるのではないでしょうか。


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昨年から2年間にわたった「柳川市定住促進若者会議」の提言を会議のメンバーとともに柳川市長にお渡ししました。柳川市が「消滅可能性自治体」というのは意外だと言われますが、このグローバル化の時代には、中小都市はみな「消滅」の可能性があります。これを機会に、若者の目線にたった新しい町づくりに取り組んでいただきたいと思います。


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このところ3週つづけて東京出張で、ちょっと疲れました。日曜は午前中の時間があったので、京橋の東京国立近代美術館・フィルムセンターにて開催中の「生誕110年 映画俳優 志村喬」展に行ってきました。これは、良かったですね。実に良く丁寧につくられた企画だったと思います。夫人が寄贈した品々が中心だったと思いますが、「七人の侍」の台本やセットの地図など、実に興味深いものがたくさんありました。でも、なんでここは11時開館なんでしょうかね。国立だからかな。せめて10時開館にしてもらいたいものです。
http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/shimura/


 

志村喬

新宿にでて、小一時間ほど1960年代のサブカルチャー巡りをしてきました。NHKの番組「ニッポン戦後サブカルチャー史」がなかなか面白かったので、花園神社からゴールデン街を歩いてみました。東京に住んでいた頃には、ゴールデン街に足を踏み入れたことはなかったなぁ。ここは驚きの小地域空間ですね。一種の解放区だったのでしょうね。まるで「カウンターカルチャー」の日本版コミューンのように見えました。今の「世間」とは明らかに別次元の価値軸が存在している(ように見えた)。これははたして「サブカルチャー」なんでしょうか。そこに存在した人たちにとって、サブカルチャーというよりは、ある意味「カウンターカルチャー」だったのでしょうね。一種のヒッピーコミューンのような、別世界だったのでしょうね。昼間の誰もいない、外見だけを見て回っても、そう感じます。今でもそうなのだろうか。


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プチ文壇バー、というのは、どんな意味なんだろう。ほかに、本格的な、グラン文壇バーがあるのだろうか。

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バー「家庭教師」というのも皮肉がきいていて、良いですね。家庭教師が教えてくれないようなことを、バーでは教えてくれるのに違いない、というような期待を持たせるネーミングですね。

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クラクラという店は、1968年のサブカルチャー地図に、すでに載っていた店ですね。

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裏窓といったら、浅川マキじゃないか。

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これはピンクフロイド、これもサブカルチャーだったな。

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久しぶりに東京に出かけてきました。宿泊したホテルの近くに「銀杏岡八幡神社」があり、大きな銀杏が満開(というか満黄)でした。今年は東京でも銀杏の黄葉が遅いようですね。その後、新宿にでて、1960年代のサブカルチャー巡り、花園神社からゴールデン街を、じっくりと歩き回りました。東京に住んでいた頃には、ゴールデン街に足を踏み入れたことはなかったなぁ。(まだ、夜のゴールデン街はどういうものか、知らない・・・)


 

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録画しておいたNHK・BSのプレミアムドラマ「ネコ死んじゃった!~ペットロスからの脱出~」を見ました。
これは面白かった。しかもいろいろなことを考えさせるきわめて興味深い番組でした。猫への愛情が、人間への愛をはるかに上回るという、その途方もないありようが、なぜだか、いろいろなことを考えさせる入り口になっていました。内田百閒は、やはりただものではないですね。ある意味、人間を超越して「ノラや」の世界へと、生前から旅立っていたのです。そういえば、内田百閒の原作にもとづいた鈴木清順の映画「ツィゴイネルワイゼン」でも、主人公が生きていると思っていたら、すでに、あの世にいた、という話でした。あれは「ノラや」と直接につながっていたのだ。内田百閒先生は、まさに、生きながら逝っていた、ツィゴイネルワイゼンを経験していたのですね。

ノラや

これが見納めか。来年早々、刈り込まれ、根回しされ、新しい伊都キャンパスへの移植に移される楷の樹。
例年より11月が暖かだったせいでしょうか。いつもの年より1週間以上おくれて、紅葉のピークがやってきました。
周りにも、写真をとる人たちが数多く、「来年には、斬られてしまうことが分かっているのかしらね」などと同情的な声も。
そうなんですね。この先の運命が見えているとき、人は、樹木やクルマなどにも、まるで「心」があるかのように思えてくるのですね。


 

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ウルシ科カイノキ属の落葉高木。「ピスタチオ」と同じ仲間だそうです。

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先日の「柳川市定住促進若者会議」のあと、地域おこし協力隊の阿部さんとともに柳川の古い町屋のリノベ現場を見学しました。柳川DIYリノベーションまちづくり第一弾「KATARO base 32」となるようです。九州大学の建築学科の院生やら、リノベの達人やら、何やら楽しげな空間が出来上がりそうです。ここで、大学生と高校生とのコラボレーションが、何か出来るといいですね。


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