From the monthly archives: "5月 2016"

西原村のあと、さいごに益城町をぐるっと一周しました。聞きしにまさる大被害です。茫然としました。


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がれきは、今処理しても、もって行き場がないとも聞きました。また、毎日新聞の福岡賢正さんの記事によると罹災証明書発行現場が混乱して、罹災証明書が遅れているともききました。

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山が崩れ、崖が崩落しています。道路もまだ、寸断されています。たいへんな状況が、そのまま続いています。

熊本学園大学訪問のあと、西原村の「災害ボランティアセンター」に「被災地NGO協働センター」の増島さんや鈴木さんをたずねてお話しもうかがいました。最前線にはりついての活動ぶり、そこに外国人ボランティアや福岡大学の学生ボランティアや、被災地NGO協働センターが運行をはじめたボランティア・バスなど、この日は、雨になる中、けっこうたくさんのボランティアの方々がやってこられていました。でも、ゴールデン・ウィークの後は激減したそうです。


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西原村の災害ボランティア・センターは、工業団地のほうに移転していました。西原村役場近くの障害者作業所なども、訪問しました。

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あいにく雨と濃霧になってきました。ハビタット・ジャパンさんや、福岡大学のボランティアバスも来ていました。さすが動きがはやいです。また被災地NGO協働ネットワークのボランティアバスも、この日が、第一便だったようです。

熊本大地震のあと、障害者の避難所となっていた熊本学園大学を、東京大学被災地支援ネットワークの方々とともに、訪問してきました。すでに多くの新聞記事などで紹介されていますが、中心となって奮闘された社会福祉学部の花田昌宣先生がすばらしい対応をされてきたのだということに、あらためて感銘を受けました。短時間ですがお話しをうかがいました。3.11の時にも学生をつれて現地に入り、「危ない」「学生の安全が確保できるのか」「かえってじゃまになる」などと言われた苦い経験から、今回の避難所も、管理主義的な「正論まがい」「正論もどき」にならないよう配慮されたそうです。たとえば「受付名簿」で管理して「ペットやアルコール禁止」としている避難所が多いなか「それではかえってストレスフルになる」と対応されました。ルール過剰をいましめ、できるだけ「ルールなし」でやろうとされたそうです。これは危険がある災害時、組織の論理としては、とても難しいことだと思います。でも、「人がいることが安心感につながる」。自発的に医師や看護師や教員たちが交代ではりついたそうで、学長や理事長も毎日を避難所に顔をだし、自発的に支援してくれる体制ができたそうです。他の大学と比べてはいけないのでしょうが、システムやルールではなく、このような深い経験に裏打ちされた「達人」のようなリーダーがいて、はじめてこのようなことが可能になったのだということに、深い感銘を受けました。


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熊本学園大学入り口近くの14号館が、避難所になっていました。最新の建物でバリアフリー、ここを開放したのですから、すごいですね。

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受け入れの中心となった花田先生にお話をうかがいました。じつに見事な運営をされたと思います。

3年まえ、井の頭自然文化園に「はな子」さんを見に行った時に、ちょっと衝撃を受けました。大島弓子のマンガ・エッセイで「はな子」さんが「心」を病んでいるらしい、ということは知っていましたが、じっさいに、こういう「事件」もあったのですね。むしろこういう「事故」ゆえに、病んでいったのでしょうか。なんだか人間以上に、深く悲しい一生だったのでしょうか。



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ありし日の「はな子」さん

井の頭自然文化園のゾウ「はな子」さんが亡くなったそうです。私のブログの写真をみて連絡してくれた見知らぬ方(現在、タイ在住で、「はな子」さんと同年齢だそうです)からのメールで、知りました。私が「はな子」さんの写真をブログにアップしたのは、2013年の12月の師走でした。あれからはや2年半がたつのですね。生前の「はな子」さんは、多くの人の記憶に残りました。なかでも大島弓子ののことを記憶にとどめた方々も多かったと思います。


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これが大島弓子の「綿の国星」でも有名な、井の頭公園の噴水のある風景ですね。

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今日は、福岡市のアミカスで開催された熊本地震の復興を支援するためのチャリティ上映会『うつくしいひと』上映と、行定勲監督による舞台挨拶、会場との質疑応答に行ってきました。会場には200人の方々が来られていたそうです。映画も予想以上に良かったし、行定監督の話も良かったですね。映画の内容は・・・昨年秋に福岡ユネスコ協会のシンポジウムで来福されたおりに姜尚中さんから直接に聞いていたものとは、まったく違っていましたが・・・。姜尚中さん、出演しておきながら、いったい、あの映画、見られたんですか、と言いたくなるくらい、違っていましたよ。でも、まぁ、行定監督が「姜尚中さんは天然」「ああいう自然な味は姜尚中さんしか出せない」と言ったおられたのは、まったく、その通りだと思いました。
さて、今度の週末5月28日には、東京大学被災地支援ネットワークの方々もやってこられるので、いっしょに、熊本・西原村にいってまいります。


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上映会のあと、舞台挨拶される行定監督

安倍晋三内閣の支持率が下がらないので、「憲法改正」が「現実」味を帯びてきた・・・と皆が思い始めて、あわてている。米国では、「トンデモ候補者」トランプが大統領になっちゃうかもしれないと、皆があわてはじめた。とても似ている。日本とアメリカは、こんなにもシンクロしているのか。世の中、これからどうなるのか、ざわざわしてきた。
柄谷行人の『憲法の無意識』(岩波新書)は、こんな現在にたいして、「あわてふためくことはない。憲法は無意識のものだから、そうかんたんに変わらないし、変えられない」と宣言する。
「(自民党は)改憲をめざして60年あまり経つのに、まだできないでいる。なぜなのか。それは彼ら自身にとっても謎のはずです。」
「憲法9条が執拗に残ってきたのは、それを人々が意識的に守ってきたからではありません。もしそうであれば、とうに消えていたでしょう。人間の意志などは、気まぐれで脆弱なものだからです。9条はむしろ「無意識」の問題なのです。」
冒頭から、いきなりの柄谷節の連打で、なるほど、そのとおりだと、いきなり説得されてしまいそうです。
「(自民党などの改憲派が)9条は非現実的な理想主義であると訴えたところで無駄です。9条は、「無意識」の次元に根ざすのだから、説得不能なのです。意識的な次元であれば、説得することもできますが。」
「そして、このことを理解していないのは護憲派も同様です。憲法9条は、彼らが啓蒙したから続いてきたわけではない。9条は護憲派によって守られているのではない。」
このように、たたみかけるような断言です。読者は、論証されるより前に、いきなり説得されるのです。
柄谷行人節の特徴は、このような、いきなりの「つかみ」です。論証も実証もなく、いきなりの断言で、私たちの意識の下まで入り込んでくる。まさに、啓蒙や説得ではなく、「無意識」の次元に飛び込んでくるのです。うまいなぁ。
もちろんフロイトの概念をつかって「無意識」を、「前意識」や「潜在意識」と区別したり、GHQによる検閲や世論調査という無意識の探求の話もはさまれますが、基本は、憲法9条が、人々の戦争に対する「無意識の罪悪感」に根ざすものであり、それは宣伝や説得によって変わるものではない。これが冒頭におかれた「憲法の意識から無意識へ」という基本主張です。
なるほど、われわれは、この世界が、われわれの意識で作られており、意識で変えられると思いすぎていたのかもしれない。
投票や政治のような意識的行為に、「期待」をかけたり「失望」したり「絶望」したりするのは、表面的な浅いことなのなのかもしれない、などと思わせる(これについても賛否両論あるでしょうが)。
その後の章では、「憲法の先行形態」、「カントの平和論」、「新自由主義と戦争」と論証の章が続きますが、冒頭の「憲法の意識から無意識へ」が圧巻なのです。本書は、この主張をどうみるかで、真っ二つに評価が分かれるでしょう。
まさに説得されるかどうかでなく、無意識が表れるのです。


柄谷行人 憲法の無意識

加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』(岩波新書)を読みました。いいですね、これ。
超ベストセラー作家になったおかげで、面白くて分かりやすいが、浅くて深くない作家として、批評家からは冷淡に扱われる「村上春樹」が、じつは、たいへんに深い作家であることを論じる本です。
むずかしくないと、浅いと思われがちだ。けれど、ほんとうは深い。村上春樹を、ほんとうの深さまで理解するのはむずかしい。そういうことを述べています。
一例として、阪神・淡路大震災のあと、村上春樹が、アメリカから帰国して、被災した地元、芦屋で自作の朗読会をした事例が取り上げられています。ふうん、震災のあと、地元への支援で朗読会をしたのか、くらいに思っていました。でも、その時に朗読された短編「めくらやなぎと、眠る女」が、どういう作品だったかは、知りませんでした。しかも、以前に発表されたものに、非常に重要な改作を施されていたことも重要で、対照させて示されています。なるほど、そうだったのか。これは、深い。
その他、初期短編の「中国ゆきのスローボート」などに見られる中国への深い関心(なぜ村上春樹が中華料理やラーメンを食べられないかが、これで分かった)。同じく意味の分からぬ短編の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」が、なんと、日本の内ゲバの死者のメタファーだったのではないかという解読など、あらためて、多くを教えられました。
なるほど、小説もここまで深く解読することが出来るのだなぁ。深読みしすぎたという人がいるかもしれないけれど、これは、深読みしたほうが、正しい。そのほうが、ぜったい面白い、そういう読み方ですね。


村上春樹は、むずかしい

福岡市にある「宅老所よりあい」と「よりあいの森」についての抱腹絶倒の本『へろへろ』(鹿子裕文著、ナナロク社、2015年)が、最高に面白い。すでに各地で大評判のようだけれど、あらためて書評してみようと書き始めたら、いろいろなことを考えはじめて止まらなくなった。「宅老所よりあい」の不思議な魅力やその「介護」について考えてみたいと思って書きはじめたら、結局、400字詰め換算で30枚以上の「書評」になってしまったので、書評論文に直しているところです。どこか掲載してくれるところ、ないかなぁ。


へろへろ

鹿子裕文著『へろへろ───雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』(ナナロク社、2015年)

『宮沢賢治という生き方』 (別冊宝島 2453)というムックが出版されました。編集プロダクションの方から依頼され、資料提供ということで、私も花巻や盛岡、小岩井農場などで撮影した自慢の写真を何十枚も提供したのですが、採用されたのは1枚だけ。なかなかムックという本も、ぜいたくに写真を取捨選択しているんですね。
ところで、このところ、今年3月の「宮澤賢治学会」に出席してからというもの、宮澤賢治に関する関心がふたたび燃え上がったので、見田宗介『宮澤賢治-存在の祭りの中へ』、吉本隆明『宮澤賢治』、天沢退二郎『宮澤賢治の彼方へ』などを読みましたが、どれもなかなかすごい。ふつうに宮澤賢治を読んでいても、なかなか、ここまで読むことはできないでしょう。いろいろと考えさせられますね。


宮澤賢治という生き方