長崎・浦上の山里小学校と黒澤明の「八月の狂詩曲」
長崎の浦上で、かつての教え子の結婚式がありました。ホテルに行く途中、爆心地や平和公園の横を通ります。あ、ここは修学旅行か何かで来て以来、何十年も来ていないなと思いました。式の帰り道、いっしょに出席したかつての学生たちとともに、平和公園や浦上天主堂や爆心地をめぐってきました。途中、立ち寄ったのが、山里小学校です。あ、これは、たしか黒澤明の「八月の狂詩曲」の舞台のひとつになったところではないだろうか。おそらくそうだと思うのですが。
黒澤明の「八月の狂詩曲」、「なんだかおかしな夏でした・・・」というコピーもかなり「おかしい」し、リチャード・ギアが出ているけれど、なんで出てくるのか良くわかんないとなど、一般的にはこの映画は「失敗作」とされていると思います。けれど、黒澤明は「生き物の記録」以来、原爆とか核などに関しては、きわめて鋭敏というか病的なほどの関心をもっていた人だと思います。
福岡の桜 ー黒田如水邸跡の「滝桜」と「薄墨桜」
東京から戻ってきたので、昨日、大濠公園・黒田如水邸跡の「滝桜」と「薄墨桜」を見に行きました。それぞれ「日本3大桜」の子孫ですが、その株分けされたものが福岡に来ているのです。はだざむいのでソメイヨシノはほとんど咲いていないのに、このふたつは、ともにすでに満開近くになっています。でも、気候や土質、いろんなものが違っているからでしょうね。ここの「薄墨桜」が「にび色」というのでしょうか、薄墨色になっているのを見たことはありません。また「滝桜」も、ここ数年、樹勢が衰えたように思います。年々、花の数が減っているのです。滝のように垂れる感じがありません。このところちょっと寂しい感じになっています。それに反比例するように「福岡さくら祭」などと銘打って、派手なライトアップやらが始まって・・・そうぞうしくなりそうです。
もっと、しん、とした雰囲気の中で桜を愛でたいものですが・・・
姜尚中さんと木村草太さん
ポッドキャストで「People 姜尚中 多士済々 悩みの海を漕ぎ渡れ」昨年12月放送ぶんの「木村草太さんとの対話」を聴きました。なかなか内容がありましたね。後半の、文科省から出てきた人文社会系大学の不要・縮小論や日本の人文社会系のひどい現状についての話もありました。姜尚中さんが「オーストラリアのANUの教員と話していたら、オーストラリアではもっとひどいらしい」とも話していました。あ、この話は、昨年11月の、福岡ユネスコ協会の講演会で、テッサ・モーリス=スズキさんと姜尚中さんに来ていただいた時に、お二人が話していたことだと思います。夕食会の前に雑談していたら、まさに、オーストラリア国立大学教授のテッサ・モーリス=スズキさんがこのことを話していたのです。
介護保険改正へのNPO法人や社会福祉法人の対応
小林賢太郎がコントや演劇のためにつくった美術展(福岡)
「小林賢太郎」というすごい才能を知ったのはそれほど昔のことではありません。
きっかけは「小林賢太郎TV」というNHKの番組でした。はじめて見たときはびっくりしました。とにかくポップでありながらシュールであり、じつに丁寧に考えられ練り上げられ作り込まれているのです。「アナグラム」というか言葉遊びが実に秀逸で、笑っているうちにシュールな現実を超えた世界へとはみ出しているのです。笑いの要素もふんだんにあるけれど、むしろアートでシュル・レアリスムの世界です。彼を「お笑い芸人」というのはまったくの的外れでしょう(TSUTAYAでは彼のDVDがすべて「お笑い芸人」の棚にありますが)。小林賢太郎を卒論で取り上げた学生も出ました。彼に教えられて、小林賢太郎の才能の一端を示す展覧会が、福岡・天神で催されているのを知ったので行ってみました。
http://artium.jp/exhibition/2016/15-09-kobayashikentaro/
定年退職と送別会──「ハッピー・リタイアメントの法則」
つい先日が九州大学の今年度最後の教授会でした。その後、志賀島にいく途中の海の中道のホテルで定年教授の送別会がありました。
毎年、この時期になると様々なことを考えさせられます。昨年は「送別会は(生前の)お葬式である」と考えました。
今年は、定年にともなう「ハッピー・リタイアメントの法則」を考えてみたいと思います。
その条件の第1は、定年後に次の仕事があることではないでしょうか。ふつう「定年」は「社会的な切断」です。社会から、もう必要ないと「解雇通告」を受けたようなものです。残酷な現実ですね。でも次の仕事があれば定年を深刻に考える必要がありませんからハッピーです(でも最近はこの第2の人生がある人はとても少なくなりました)。
第2は、お弟子さんや後継者がたくさんいることですね。どんなに優れた業績を達成したとしても、お弟子さんや後継者がいなければ社会的な孤立です。幸せにはなれません。しかしお弟子さんがたくさんいる人は、そういう人たちがおしかけて最終講義はお祭りみたいです。弟子や後継者がいれば後顧の憂い無く引退できるからハッピーですね。
こう考えると、何だかつくづく「日本だなぁ」とため息が出てきます。伝統的な日本社会のあり方がしっかりと残存しているのを感じます。日本人の「幸せ」は畢竟、家族や共同体との幸福な関係から由来するらしいのです。どんなにすぐれた人でも孤立した「お一人さま」だと、やはり寂しそうに見えてしまう。どんなに凡庸でも、たくさんの子どもや孫(やお弟子さんたち)に囲まれるとにぎやかで幸せそうに見えます。実態はどうあれ、日本における「ハッピー・リタイアメント」とは、大家族の中での老後、子どもや孫に囲まれた暮らし、共同体から祝福される引退、ということなんでしょうね。近代化したようで、全然そうでない日本社会。最近は小家族化や核家族化を通り越して「おひとりさま社会」となっていますし「無縁社会」の様相も濃くなってきました。和気藹々とした大家族や拡大家族はもう一種の「幻想」となりつつあります。弟子たちに囲まれた幸せな定年退職も「幻想」になりつつあるのです。しかし、不可能になりつつある「ハッピー・リタイアメント」は、それゆえ、より輝かしく「幸せそう」に見えるのですね。大学という「拡大家族」の中でのハッピーリタイアメント。今、その「大学」という拡大家族も共同体ではなくなりつつある現在、「拡大家族」の中での幸せを望んで達成できなかった人たちとっては、この時期は残酷な季節でもありますね。
(誤解無きよう、お弟子さんや後継者に恵まれた人が凡庸だという意味では、まったくありません)
3.11から5年───「現実」よりも深い覚醒へ
3.11から5年がたちました。この5年間に出た様々な3.11関係の論説をふりかえって、私には多くを教えられた、いくつかの重要な文献があります。
中でも『夢よりも深い覚醒へ──3.11以後の哲学』(大澤真幸、岩波新書)は重要な著作だったと思います。
大澤さんの前著『虚構の時代の果て』や『不可能性の時代』で示された認識、「理想の時代」のあとにきた「虚構の時代」も終わりをとげ「不可能性の時代」にはいったという見通しがさらに深く展開していました。3.11を通じてこの「不可能性の時代」に直面した私たちは、より深く覚醒しなくてはならない。そう論じる本でした。
ところが、「フクシマ」という現実に直面して、本当はこの原発事故という「現実」から覚醒しなければならなかったのに、「なんだかんだといったって電気が必要だ、経済成長が必要だ、グローバル化の時代の中で生き残らなくてはならないのだ」という開き直りにも似た「ゲンジツへの逃避」のほうが不気味にも大きく広がってきたと思います。その波はマスメディアや大学にも及んできて、現実への逃避というか「現実以下の現実」への逃避が広範囲に始まっていると思います。
私も理事をつとめている福岡ユネスコ協会では、2013年11月に「未来に可能性はあるか──3.11以降の社会構想」というシンポジウムを開催しました。木村草太さんは「憲法以上の憲法」、小野善康さんは「経済以上の経済」、中島岳志さんは「民主主義以上の民主主義」の必要性を論じられました。その時に議論された問題は、すべてアクチュアルなまま、現在に引き継がれていると思います。シンポジウムの内容は本として出版する予定でしたがおくれました。でも、あの時、議論された内容はいまでも意義を失っていないと思います。そこで私がインタビューアーとなって、2013年以後の3年間の急激な社会変化について、大澤真幸さんと意見をかわした章を追加して出版する企画が進んでいます。
宮澤賢治への旅───誕生の家・産湯の井戸・賢治ボランティア
数年前に、花巻に行きました。駅前で偶然に出会った「宮澤賢治ボランティア」の方が、すごい方でした。賢治に関するありったけの知識を投入して花巻にある宮澤賢治関係の場所を、くまなく案内してくださるのです。驚きました。感動しました。結局、その日だけでは足りなくなって、翌日もまるまる一日、案内して下さいました。銀河鉄道のモデルとなったイギリス海岸、賢治生家跡、さらには花巻郊外にある五輪峠や、風の又三郎の映画のロケが行われた廃校跡まで、私のレンタカーに同乗して案内して下さいました。なんとも驚異的な宮澤賢治の旅でした。いまでもなんだか信じられないくらいです。
これは父方の家ですね。弟の清六さんが住んでおられたほうです。
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