From the monthly archives: "2月 2022"

拙著『ボランティアと有償ボランティア』(弦書房)ですが、2月19日づけ西日本新聞で書評してくださいました。内容はなかなか辛口の批評ではあるのですが、題して「ボランティアとは何か、本質を再考するための論争的な書物となるだろう」です。


1月から3月にかけて国立映画アーカイブと福岡市総合図書館シネラ等とのコラボ企画で、1930年代から1990年代までの「香港映画」をたてつづけに観ています(すでに20本くらい観ました)。これまで観たことなかったブルース・リーとかジャッキー・チェンとか、Mr.ブーとかキョンシーとか、ジェット・リーとか、映画館の大スクリーンで観ると面白いものですね。香港カンフー映画における決闘の「やりすぎ」な過剰さも、これが香港映画のエネルギーなんですね。キン・フーとかツイ・ハークとか、黒澤明の決闘シーンの100倍以上こってりしていますね。劇画やゲームの場面そのものですね。自宅で観るかといったら──うーん、途中でやめてしまうかもなぁ。けれどそれはそれ、今までに見たことのなかったものを観ました。


ずいぶん前のことですから、現在は分かりませんが……クレラー・ミューラー美術館でゴッホを堪能したあと、もうひとつここには素晴らしいことがありました。ここでは自転車を貸してくれたのです、たしか無料で。それに乗って美術館をとりまく広大な国立公園を体験することができたのです。国立公園を一周──と意気込んで出かけたまでは良かったものの、何しろ広大です。ほかには誰もいない荒涼たる美しい風景の中に入っていくのは、ちょっと日本ではなかなか体験できないことでした。この荒涼さがまた素晴らしく美しいのですね。嵐が丘のヒースの野原というのはこういうものだろうか──ちょっとタルコフスキーの映画のシーンも思い出していました。日本の自転車と違って長身な人むけでブレーキの仕組みも違う(逆方向にこぐとブレーキ)ので戸惑いました。広大な自然の中を走っていると、他に誰一人いない状況なので、このまま行くと帰れなくなるのでは、そう思い始めました。道に迷ったらどうなるだろう、帰りのバスと電車をのがしたら──などと心配になってきました。泣く泣く途中で引き返して返りました。でもこの道は、ずっとずっと先まで行ってみたかった。オランダの自然を満喫できた自転車体験でした。


福岡市美術館でゴッホ展(クレラー=ミューラー美術館)を観てきました。今回のゴッホがやってきたのはオランダのクレラー・ミューラー美術館から──そう、ここには行ったことがあります。調べてみて自分でも驚いてしまいました。22年前でした。当時、学会のあと、アムステルダム駅から特急のような電車に30分以上のって、さらにそこからバスだったかタクシーだったかに乗っていく必要のあるところで、行くまでにかなりハードルが高かったのです。行ってみると素晴らしいところで、国立公園の広大な緑の中にありました。なにしろたくさんの作品があるので、今回のように、ひとつひとつの作品をじっくり見たのかどうか──おそらく、見てなかったですね。今回、それをつよく感じたのが「糸杉」の絵でした。あ、こういう作品だったのか。実物であらためて見ると、まったく別物に見えたのです。ちょっと見ただけでは分からない、おそらくポスターなどでは絶対に分からない、あることに気がついて、自分でも驚いてしまいました。これは凄い絵ですね。いろいろと考えさせられました。


先日、「社会学入門」の今学期最後の授業をしました。この一年、すべての授業がオンラインになりました。この経験をじっくりかみしめて来年に活かしていきたいと思います。オンラインになってから、以前にもまして90分の授業の大切さに気づきました。毎回、気張ってちょっと詰め込みすぎたかもしれません。でもオンライン授業が毎回楽しみでした。終わってしまうのがちょっと残念でした。毎週、授業のために日々、準備して、先学期には思いつかなかった新しい視点や論点を盛り込むようにしました。これも真剣に聴いてくれる200人の受講生が、これまた真剣な感想を毎回提出してくれるという「ライヴ」の幸福な相乗効果だったと感謝しています。──ピアノをやっている妻が言っていました。発表会がコロナ禍で中止になると、毎日のピアノの練習のしがいがない、発表会に向けて毎日ピアノを練習してきたのに──と。そのとおりですね。オンライン授業も一方通行だったら、とても「やりがい」など感じられないでしょう。毎回、熱い感想が返ってくることが、次の授業へのエネルギーになりました。今学期の経験を活かして本にしていきたいと思います。