From the monthly archives: "7月 2014"

今宿・伊藤野枝の生家(推定)
ところでこの今宿では、いろいろと興味深い話をうかがいました。なんと、大杉栄との劇的(悲劇的)な人生で有名な「伊藤野枝」が、この今宿の出身なのだとか。えええっ、とびっくりして、教えてもらった生家あたりをもういちど探しにいきました。このあたりが、伊藤野枝の生家(推定)です。
伊藤野枝、知れば知るほど凄い人ですね。福岡県糸島郡今宿村(現・福岡市西区今宿)に生まれたのです。



伊藤野枝 (3)

伊藤野枝 (1)

 

昨日、九州大学伊都キャンパスからの帰り道、歴史ある唐津街道を通っていたところ、ちょっと突出した神社の祭り準備風景を見ました。今宿・二宮神社の「夏越祭」でした。7月29日がお祭りだそうです。不思議に豊かな懐かしさを感じさせますね。
YouTubeには昨年の模様がアップされていました。

https://www.youtube.com/watch?v=9NdItoWKk_0



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中井久夫『「昭和」を送る』(みすず書房)を読んだ。
複雑で微妙な本である。臨床家としての氏の特質がよく現れているのであろう。理論や枠組みで考える以上に、人間の心と行動の複雑な機微、微妙なところから奥深くへと分け入っていくような手法、精神病の臨床家の名人芸のような論じかたである。それが天皇の話になると、さらに一段と微妙さが加わって、読後感はかならずしもすっきりとはいかない。そういうふうに書かれているのである。そもそも「天皇」は名人や達人が描くと別様なものになるのか。
「土居健郎先生と私」という一文などもその典型で、あっと驚くようなエピソードがさりげなく書かれてある。それを大きく強く論じるのでなく、さりげなくおいて「弁護者の立場に徹してそれを書いた」と記す。この辺り、理論やビジョンでなく、染みるようなエピソードを素材として考えを書くスタイルは、たしかに臨床家に徹した書き方なのだろうなぁ。
でも、われわれに直接は関係ない患者さんのエピソードとはちがって、昭和や平成の問題は、この世界に住むわれわれみんなに強く影響する問題である。なんだか、そのあたり、まだ茫漠として微妙でうまく了解しきれない。

 


昭和を送る

 

昨日は、土曜日でしたが「柳川市定住促進若者会議」のメンバー学生とともにミーティングをしました。午後には、柳川市の企画課の方々にも来ていただき、夏休み中のフィールドワークの日程や場所の調整をしました。さぁて、みんなで柳川市に出かけましょう。


柳川プロジェクト (6)

柳川プロジェクト (5)

柳川プロジェクト (2)

国土交通省などの肝いりで10年前にはじまった「道守九州会議」。私はそのなかの「道守ふくおか会議」の代表世話人になっています。昨日は、九州地方整備局(中に入るにもものものしい警備ですね)で開かれた年に一度の「道守ふくおか会議」総会でした。柳川、大川、大牟田、北九州、長崎、黒崎、糸島などから道守活動しているボランティアグループの代表の方々が参集されました。



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灯台もと暗し。伊都キャンパスの椎木講堂にあるイタリアンレストラン、なかなか良いです。ランチは前菜が10数種類からなるビュッフェ、主菜もまじめに作ってるし、デザートもつきます。これで千円。伊都キャンパスを見下ろす絶景にあって、すでに地域の人たちのかっこうのランチ・ポイントになっているようで、みるみる満席になっていきます。



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昨日、会議があるので一年半ぶりに、九州大学の移転先の伊都キャンパスに行ってきました。文系や農学部をのぞいて、すでに大半が移転しているのですが、久しぶりに訪問したら、ニョキニョキと新しい建物が建っていて、そのうえ巨大な「椎木講堂」なんか出来ていてびっくり。周囲はあいかわらず大忙しの建設中。さて、私たち文系学部も、あと4年くらいで全面移転だと言います。でもねぇ・・・20年以上も前に東京の都心の大学がみな同じようなことをして郊外に移転していったことの顛末がデジャブ(deja vu)のように蘇ってきてしまいますがね・・・

 


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大学も、あと一週間で夏休み突入です。きょうは短期留学生の最終プレゼン報告会でした。
今学期、私が担当したのは中国・浙江大学のテイエンカさんと、ミュンヘン工科大学のニナ・サンダースさんでした。ふたりとも無事プレゼンテーションを終えて、あとは帰国ですね。あっというまですね。ふたりともフィールドワークなど、短期間に全力疾走しました。濃密な日本時間だったと思います。

 


JTW

 


 

録画しておいた「丹下健三-いにしえから天へ地平へ」(NHKハイビジョン特集)をみました。
建築というのはその時代の特徴を非常に体現するものだということを、あらためて強く感じました。彼の作品の、広島の原爆記念公園、高度経済成長に入るころの香川県庁、そして東京オリンピックの代々木体育館、そして最後の東京都庁など。それぞれの時代精神を体現するかのような建築で、その解説を聞きながら、ああ、丹下健三というのは見田宗介や大澤真幸のいう日本の「理想の時代」を体現している建築家なのだということが、ようく分かりました。日本人が「理想」を信じてそれに向かっていた時代。「戦争を二度と繰り返しません」という「理想」(まさに「理想の時代」の「理想」であったことが、現在、日々確認されつつある…)。戦前の重々しい権威の象徴としての役所ではなく、戦後の開かれた民主主義の場としての県庁という「理想」。さらにオリンピックという世界への場で、近代的な建築でありながら日本の伝統的な様式美の粋を示すという世界に差し出された日本の「理想」。あぁ、日本の建築を世界に知らしめた「理想の時代」の人が丹下健三だったのだ。それは時代がそうだったからなのだ。(だからこそ、すでに理想の時代が去っていた頃に作られた東京都庁舎は、どうにも収まりのわるい時代錯誤的なものに見えてしまうのだな)。
後続する建築家の磯崎新などは、すでに「理想」を信じたり、「理想の時代」に生きることができなくなっていたから、それゆえに「虚構の時代」(言い換えればポストモダン)に生きざるをえなくなっていたのだな。さて、そうなるとその次の安藤忠雄などは、さしづめ「不可能性の時代」の建築家なのか……などなど、いろいろ考えてしまいますね。

 


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