From the monthly archives: "11月 2021"

これは2012年、今から9年まえの今頃の箱崎の九州大学キャンパスです。中庭の櫂の樹が、ちょうど今頃、見事な紅葉をむかえたあと落葉がはじまっていました。夜、帰宅する前に、その姿をフラッシュを焚いてとってみました。夜の紅葉も、なかなか美しい──というか美しくも無気味でありました。このキャンパス、いまは、移転とともに破壊されて跡形もありません。
つけくわえると、この楷の樹、中国の孔子廟からやってきたもので、新キャンパスに移植する予定でした。根回ししているうちに、枯死してしまいました。かわいそうなことをしました。がんじがらめにされて、苦しそうでした。そのうえ移植失敗という、やりばのない哀れさでしたね。あの移植の失敗はいったい誰が責任をとったのでしょう。かなり高額の移植費が必要なので、厳選して移植する樹木を選んだはずだったのですが。


昨日の村上Radio──録音しておいて、今夜、聴きました。すでに、全国的に、ざわざわざわと話題になっているのではないかと思いますけれど、今回の、村上春樹は、凄かった。これまでの放送で、いちばんだったのではないでしょうか。言いにくいことを、さらりと言ってのけて、抱腹絶倒。大爆笑のあと、やがて寂しき日本の現実、みたいな気持ちになりました。これって、すごいですよね。


11月25日は三島由紀夫の命日です。昨年は亡くなって50年で様々に話題になりました。今年は何も話題になりません。昔はなんてばかな死に方をしたのだ、くらいしか思っていませんでした。しかし最近はこの時期、この問題を授業で触れるようにしています。三島に共感するからではありません。授業で取り上げている映画「生きる」の続編が「ゴジラ」であり、そのゴジラが人間になると三島由紀夫になると思えるようになったからです。三島の話をしても、学生は黒澤明や「生きる」や「ゴジラ」と同じく、もう誰も三島を知らないようでした。


明日は社会学入門の授業、黒澤明の「生きる」の2回目です。「生きる」の後半の話になりますが、いきなり通夜の席になるのです。主人公は死んでいる。「これは夢幻能ではないか」というのが、明日のテーマになります。黒澤明の映画が能の影響を受けているというのは、多くの人がすでに語っているところです(乱や蜘蛛の巣城などが典型です)。でも、「生きる」にすでに夢幻能の世界が現れている、そう論じてみたいのです。夢幻能として「生きる」を論じると、いったいどういうことになるか。次々に着想が湧いてきて、自分でもわくわくしてきます。スライド50枚になりました。それでも終わりません。「生きる」も3回目まで持ち越しそうです。はたして一年生に理解してもらえるでしょうか。


社会学入門の授業で黒澤明の映画「生きる」を取り上げます。「生きる」──黒澤明の代表作ですが、誰もが名画だというのですが、じつは観たことのある人は少ないのではないでしょうか。ましてや今の若者にしてみたらどうか。ためしに院生に観てもらったら、暗い、怖い、見たくないという感想でした。何しろ癌で余命数ヶ月という老人が、人生をふり返って苦悶する映画です。無気力極まる役所で、死を意識した主人公がひとり奮闘して児童公園を作り上げてそこで死んでいく物語──こういう「あらすじ」を聞いたら、学生たちは観たいとは思わないでしょう。しかもモノクロの70年前の映画です。
でも、こんな表面的な見方ではつまらない。そういう見方とはまったく違った、新しい見方を示したい。この映画の中には「千と千尋の神隠し」にも通じる、現代の若者にも通じるはずの、隠された重大なテーマがある。そう思い立って半年間、いろいろと考えてきました。普通、言われていることとまったく違うことを言いたい、と思って授業を練り上げてきました。さて、結果はどうなるでしょう。2週にわたって「生きる」の社会学を話すつもりです。


福岡のシネラで「胡同の理髪師」(2006)という中国映画を観ました。当時90歳代という現役理髪師が淡々とした人生をしめしてくれる映画。全編、これ老人たちが、死ぬことについて、葬儀や人生の後始末について語りあう映画。でも、暗くなく、からりとしています。いくらか映画のために作ったような場面も出てきますが、90歳の主演の淡々とした態度(ほとんど演技を超えている)に救われます。なんだかいろいろ考えなければならないことなのに、考えてもそのとおりにならないもの──そういう人生のおしまいの機微が現れているように思います。ちらっと樹木希林と山崎努が演じた「モリのいる場所 」を思い出しましたが、全然違っていますね。胡同の古い路地裏が懐かしい。もうなくなってしまったのでしょうか。


キルギス共和国の映画「山嶺の女王クルマンジャン」を観ました。キルギスという国の映画を大きなスクリーンで観るという機会は、そうはありませんね。この映画、国家プロジェクトとして作られたもののようで、国母とされる「クルマンジャン・ダトカ」の伝記映画ですが、「アラビアのロレンス」そっくりの部族乱立の中からの祖国統一物語であり、ロシアとの戦いにあたっての女性リーダーの役割という点では、北条政子を思わせるものがありました。映画の最後に95歳まで生きたという本人の写真が出てきました。