From the monthly archives: "12月 2012"

大晦日
福岡では、ふぐは「ふく」と言います。日本最大のふぐの町、下関が近いので、ふくは本場でしょう。きょう、大晦日、ふく刺し、いただきました。ふぐ皮、コラーゲン、たっぷりで、ぷりぷりしておいしいです。ふぐよりふぐ皮のほうが、食感は、いいかもしれません。きょう、福岡はみぞれ舞う寒い一日でした。年の瀬ですね。


ふくさし

ふくさし2

ひょっこりひょうたん島に内蔵されたドラマ
今年の5月、東北大震災被災地をめぐった時に、被災地に「ひょっこりひょうたん島」のモデルが存在することを知った。それは岩手県大槌町沖の蓬莱島であった。あとで、調べてみると、驚くようなことが分かってきた。この「ひょっこりひょうたん島」というのは、途方もないドラマを内蔵していたのである。
なんと・・・現実に起こりうる悲惨さにもかかわらず子どもたちが元気で明るく生きる姿を描くため、登場人物はすべて「死んだ子どもたち」として物語を作った・・・とある。えええっ。ほんとうなのか。そんなことは、まったく知らなかったし、想像もしていなかった。
脚本家だった井上ひさしの人生も調べてみると、これまた途方もない人生経験の人なのだった。「井上ともう一人の原作者である山元護久、そして担当ディレクターの3人が、ともに両親に頼ることのできない子供時代を送ったことから、「親」を登場させなかった」(ウィキペディア)というし、「物語の場において発生しうる食糧危機という現実的な問題を回避し、子供たちの親や大人に絶望したうえでもつ明るさを描くユートピアとするため、登場人物をすべて「死んだ子どもたち」として物語を作っており、サンデーと5人のこどもたちは最初にひょうたん島に遠足に行ったときの火山の噴火に巻き込まれて既に死亡した設定になっている」(ウィキペディア)というのだ。これは愕くべきことだが、ウィキペディアのことだから、慎重にその事実を判断しなければならない。しかし、ほんとうだとしたら、なるほどと納得できるところもあるし、この物語は、予想外の深さをもったドラマだったということが分かる。「ひょっこりひょうたん島」は奥が深いな。


ひょっこり2沖に見えるが、ひょっこりひょうたん島のモデルとなった蓬莱島

ひょっこり3

ひよっこり4

 蓬莱島ちかくの東京大学海洋研究所の施設。職員宿舎だったが、破壊された。

ひよっこりひょうたん

この一年
「今年」がもうすぐ終わって「去年」にかわっていこうとする「今日」である。この「今日」もまたすぐに「昨日」になっていってしまう。
むかしだったら「去年」とか「昨日」とは考えなかっただろう。
おそらく「明日」とか「来年」とか未来を考える志向のほうが強かったはずだ。
まぁ、それも良い。
未来を考えることに意味がある時もあるし、過去を考えることに意味がある時もあるさ。
で、静岡へ行くフライトの中で、今年、何があったかを、月ごとに列挙してみた。それは、これから数日、思い出しながら、いくつか考えていくことにしよう。
まずは、いろいろあるが、5月から6月にかけて6日間、東北の大震災被害地を巡ったことがあげられる。
遠野から入り、釜石、大船渡をめぐって吉里吉里まで北上したあと、南下して、陸前高田、水沢をへて、仙台、七ヶ浜、などをめぐった。
このような圧倒的な「現実」を目にして、おそらく誰も原発再稼働とか、考えられないだろう、と思ったのだが、そうではなかった。
現実は現実、それよりも現在と未来を見ましょう、電力必要ですよね、というような「現実への逃避」がわき起こってきて、今年の総選挙、いったい何の選挙だったのか、何を選んだのか、まったく訳がわからないままに過ぎ去っていってしまった。おまけに新首相は「希望を政策にするのではなく、責任あるエネルギー政策を進めていく」などと述べているらしい。この場合の「責任」というのは「今現在(のみ)」への責任らしい。典型的な「現実への逃避」言説だな。「将来」や「未来」への責任はどうなるんだ。でも、こうした言説が「圧倒的に悲惨な現実に直面したあと、どこかへ逃避していきたい」と思うようになってきた人びとの心に、しみ込んでいったのだろうなぁ。
(写真は、一年以上たってもこのような現実である東北・・・)


おおふなと2

おおふなと

 

おおふなと3

 

おおふなと4

 

吉田秀和「名曲のたのしみ」最終回スペシャル
「吉田秀和、名曲のたのしみ、最終回スペシャル」。番組の冒頭、いきなり、おどろくべきことが語られていた。この番組の放送テープ、NHKにはなんと三分の一しか残っていないのだそうだ! こういうところ、日本なんだなぁ。記録とか残すとかに関心を持たないのだ。ただ今だけの現在至上主義、というやつだろうか。過去も未来もなく、ただ現在だけがある。われわれは、而今、ただ今だけを生きているのか。私たち日本人は刹那主義なのかなぁ。
そういえば今年、陸前高田あたりをめぐった時に、井上ひさしの出身地、吉里吉里の手前の大船渡あたりをめぐった。この周辺は、ツナミで大災害を受けたのだ。その中に「ひっこりひょうたん島」のモデルになった島があった。この日本TV史に名を残す番組も、今やほとんど何も映像が残ってないという。でも吉田秀和さんのは、映像じゃなくて音声録音なんだぞ。録音テープくらい、残せただろうに。なんということだ。NHKが全国のファンに呼びかけたところ、やっぱり録音している人がいて、集まってきたのだが、それでも全体の82%しか再現できないのだそうだ。残念な話だ。


吉田秀和

大晦日、いろいろ片付けながら、今年を振り返りながら、吉田秀和「名曲のたのしみ」最終回スペシャルを聴きおえた。良かった。過去30年間の吉田秀和の音声がもたらしてくれる豊かな世界があった。声は、年齢によって、ずいぶん変わるものなのだ。晩年の声のイメージが強かったが、60代の吉田秀和さんの声も、なにか、こう、覇気があって、よかったなぁ。

吉田秀和
今年2012年は、吉田秀和が亡くなった年でもある。
加藤周一、吉田秀和、鶴見俊輔は、私が高校時代から読み親しんできた著者たちである。吉田秀和さんに直接お会いしたことはなかったが、NHK-FM放送の「名曲の楽しみ」は、毎週録音していた(が、膨大すぎてあまり聴けていない)。
今年5月に亡くなったあとも、この番組は続いていたが、いよいよ最終回だ。今日のお昼からは『「名曲のたのしみ」最終回スペシャル』があるという(午後0時15分から)。これは録音しておかなくては。


hyoshida

この一年
静岡に滞在中、ホテルの部屋からみえた朝の光です。
今年は、公私ともに、なかなか、こういう「光明が見えた」という実感にとぼしい一年でした。
こういう時は(こういう時にかぎらないが)、「他人に期待するな、自分に期待しろ」、と自分に言い聞かせるしかないですね。


あさひ

静岡でのグループワーク
暮れも押し詰まったこの時期に、集中講義で、静岡県立大学に出かけました。クリスマスのあと、仕事おさめの日までという時期なので、参加してくれた学生はわずか8名でしたが、しっかりと毎日出てきてくれました。「現代社会とNPO」ということで、グループワークでは地元のNPO法人「グラウンドワーク三島」を調べたり、NPO法人が実施する「街コン」を調べたりと、なかなか面白かったですね。ちなみに、私は、「街コン」て、はじめて聞く言葉でした。みなさん、おつかれさま。よいお年を。


しずけんだい1

絶望を政策にするつもりか
今配信されはじめたニューズによると・・・安倍晋三首相は12月29日、就任後初の視察先として福島県を訪れ、東京電力福島第1原発などを視察したあと、首相は記者団に「希望を政策にするのではなく、責任あるエネルギー政策を進めていく」と述べ、民主党政権が掲げた「2030年代の原発稼働ゼロ」目標を見直す考えを示した・・・とか。
おいおい、希望でなく絶望を政策にするつもりなのか。


あさやけ1

静岡、富士山、太平洋
静岡から帰福しました。
静岡は太平洋に南面しているため、冬は、からりと晴れあがって、富士山が美しいです。
でも、風はけっこう冷たい。体感気温は、福岡より寒いかもしれません。
さて、静岡滞在中、初日はからりと晴れましたが、翌日からは曇天、雨天となりました。
朝焼けは、天気が崩れる兆候。やっぱり最終日はかなり強い雨となりました。


ふじさん

あさやけ3

浜岡原発
福岡から「富士山静岡空港」に飛ぶと、着陸寸前に「浜岡原発」のすぐ上空を通った。眼下に大きく見える原発は、風光明媚なところなんだけれど、今となっては、ちょっと無気味な風景である。


hamaoka

浜岡原発

静岡にきました。
福岡は朝からいつものようにどんより暗く曇っていて、そのうえ雨が降りましたから寒かったです。福岡空港を飛び立つと、上空は強いジェット気流の追い風でした。秒速80キロメートルとかいっていました。名古屋をすぎるころから雲はきれてきて、やがて富士山が美しくみえてきました。冬場は、いつもそうですが、西日本は雲に覆われ、名古屋あたりから晴天になりますね。冬は東日本がまぶしいほど晴天ですね。眼が痛いほど透き通った晴天になります。さて、福岡からは、フライトは1時間ちょっとで、あっというまに静岡空港に到着。静岡は快晴。しかし、快晴なれども風つよし。体感温度は、福岡よりもずっとて寒いですね。今年いちばんの寒さのようです。


静岡空港2

東京自由大学
東京神田に、NPO法人・東京自由大学というのがあります。
先日、神田の路地裏のビルの一室にあるこの小さな「大学」で、社会学者・大澤真幸さんのゼミ(というか講義)に出席してきました。
大澤真幸さんは、じつは、大学時代の同級生で親友です。現在、もっとも活発に言論活動をしている社会学者のひとりだと思います。
311後の日本社会についても活発に発言していますが『夢よりも深い覚醒へ―3・11後の哲学』(岩波新書)などは、私の演習でも取り上げてじっくりと読みましたが、じつに多くのことを考えさせてくれるものだったと思います。
小泉時代の郵政民営化選挙、前回の民主党政権奪取の総選挙とくらべて、今回の選挙でなぜ投票率がこれほどまでに低かったのかについて、じつに卓越した分析を話していました。前回2回の総選挙は、実質的に私たちの生活の根幹に関わる本質的な問題ではなかったので、安心してして「エレベーターの閉ボタン」をみんなが一所懸命押すように、投票した。それにたいして、今回の選挙は、実質的な選択ができる「自由」を与えられたにもかかわらず、私たちはこの「選択」のまえに「ひるんでしまった」。喩えていえば、生活習慣病にかかった私たちが「いずれ、生活を変えなければならない」ことは分かっていても、すぐに生活習慣を変えろと言われると、「きょうからなんて、いきなりできないよ」「いずれするよ、いずれ」とかえって猛反発したのではないか、と分析していました。ほんとうに、そのとおりですね。


東京自由大学

子どものクリスマス
今年は家の中にクリスマスツリーもデコレーションも出てこないので、奥さんに聞いてみた。すると「子どもが受験生ですから、今年は、クリスマスはありません」と言われた。そうだなぁ。クリスマスは、子どもたちのためだもんなぁ。つい先日も、子ども(小学6年生)に「今年は、サンタさんに何を頼んだの」と聞いてみたら「お父さんは、まだぼくがサンタを信じてると思っているの」と問い返された。がぁーん。ショックを受けてしまった。なんだかなぁ、そういうものなのかなぁ。子どもたちにとっても「夢」を持ち続けるのは、難しいことなのだなぁ。子どもたちは、夢みがちなんかじゃなくて「現実的」なんだなぁ。大人のほうが「子どもが子どもでありつづけているという夢をみつづけていたい」という意味で夢見がちなのかなぁ。


きょねんのクリスマス3

詩人の金芝河さんのその後
韓国からの留学生に調べてもらったところ、詩人の金芝河さんの、独裁政権終了後の人生は、波瀾万丈、紆余曲折、賛否両論。独裁政治がおわったあとの後の人生の処し方については様々な批判もあるようです。とくに今回の大統領選挙においては、金芝河は、なんと朴クネさんの陣営の支持にまわったとか。そこで、かつてのレジスタンス仲間からは猛批判されているといいます。ええっ・・・。なにしろ、金芝河さんを長年牢にとじこめたのは独裁時代の朴さんの父親だったんですからね。なにか、人生の大転換があったんでしょうか。なかなか人生首尾一貫することは難しいのでしょうか。


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私は「安立」ですが、東京の「足立」区を歩いてきました。私は「足立」や「安達」など、よく書き間違われることがあります。
なぜ「足立区」に行ったかというとひょんなことなのです。
松尾芭蕉・奥の細道、旅立ちの場所が、千住大橋のたもとだというので、荒川区の南千住から歩いて行ってみました。
いまは殺風景になってしまった千住大橋をわたると荒川区から足立区になるのです。橋のたもとをすぎて旧日光街道に入るところが、ここにはなんと「足立市場」(東京中央卸売市場)なのでした。とつぜん「足立市場」があってびっくりしました。おそらく私とは何の関係もない「足立」なんですが・・・。


あだちいちば

あだちいちば2

 

年内授業の終了
2012年12月20日で年内の私の授業は終わりました。4年生への卒論指導も終わりました。あとは、1月10日の卒論提出へ向けて、みなさん、がんばって下さい。
夕方から、恒例の社会学忘年会をしました。恒例の記念撮影もしました。


2012

韓国大統領選の結果
韓国で初の女性大統領が選出された。
賛否両論はげしかっただろうけれど、投票率75パーセントというのも、すごいものだ。
朴さんは、とても温厚そうな、懐の深そうな人のように見える。
日本の政治家よりも、いちまい上手かもしれないなぁ。
しかし朴さんの父親は、軍事独裁政権時代の大統領。その時代の象徴が、金大中さんと、詩人の金芝河さんだった。
当時の岩波の『世界』では、毎月、韓国の問題を特集していたことを思い出す。
写真は、2007年、ソウルのシンポジウムに出演された、あの抵抗詩人の金芝河さんである。


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韓国の大統領選挙
韓国の大統領選挙が始まった。BSニュースでKBSの報道を毎日みてきた。また大統領選挙については、韓国からの留学生と、毎週のように話し合ってきました。
韓国は、若い人たちが、政治に燃えている。「政治に燃える」というのは考えてみると不思議なことでもあり、日本でかつての「政治のシーズン」というのは、変えようなのない体制に「断固反対」というデモをしていくことだった。ところが、韓国では、選挙を通じて、大統領を直接かえることができ、一挙に大変革ができるシステムのせいか、「選挙」を通じて「政治」に関わる若者が、日本よりもだんぜん多いようだ。
反面、そのくらい政治に燃えないと、若い世代のかかえている問題が解決されないからではないか、とも考えられるのだが、そのあたりの解釈は微妙だ。
いずれにせよ、日本の若い世代とは大違いだ。
韓国には、若い、強烈なエネルギーを感じる。ときにそのエネルギーが奔流していくようなところがあるけれど・・・


そうる3

そうる2

 

(写真は2007年、シンポジウムに参加するためソウルを訪問した時のもの。街には屋台がでて、ソウル名物の「豚足」が山盛りにあった)

東京温暖化
「地球温暖化」などというが、福岡は玄界灘に面して、冬は日本海側気候で、けっこう寒い曇天がつづく。ところが、東京につくと、これは太平洋に南面しているから、くっきりと晴れ上がって、日差しも強いし温かい。飛行機から見る富士山は、まさに北斎や広重の世界だ。羽田空港について電車にのって会議に出席して再び空港にもどるなら、コートは不要、セーターだけで十分。これは「東京温暖化」と言うべきではないか、ちょっと東京は異常な世界である。今回の選挙でも、この東京の前知事と大阪の知事の暴走で、何がなんだか分からないようなことになってしまった。福岡は、東京よりも,韓国や中国のほうが、距離的に近いのだが。


ふじ 2

ふじ2012

 

現実への逃避
ふつう「現実からの逃避」という。直面する過酷な現実から目を背けて・・・へと逃避する、というように。でも、今回の総選挙は、ほんとうに決断しなくてはいけない問題、将来に必ずおこる問題にたいして、目の前の「現実」をもってきて、決断をおくらせる、というような「現実への逃避」の構造があると思う。景気対策とか、電力不足とか、そういう「現実」を持ち出してきて、本当にしなければならない決断や実行から回避しようとしているのではないか。


イルミネーション5 ライトアップ・ウォーク13