From the monthly archives: "2月 2019"

流行から一年おくれで「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。これはなかなか凄い映画ですね。
ところで先日、BS世界のドキュメンタリーで「終わりから始める人生」というのを観ました。これは高校生がホスピス病棟に出かけてケア体験をする授業のドキュメントでした。それまでは何も考えていなそうだった高校生が、このホスピス体験からは何かを深く感じ取ったようでした。「ボヘミアン・ラプソディ」という映画も、じつはこの「終わりから始める人生」と同じ構造を持っているように思いました。たしかに「ライブ・エイド@ウェンブリー」でのフレディ・マーキュリーのパフォーマンスは圧倒的ですが、このパフォーマンスこそ「最後の輝き」であったことがはじめから観客に示されているわけですから。ザンジバルで生まれてペルシャ系のインド人の両親に育てられイギリスに亡命して苦労してきたという人生の様々なマイナスカードを背負いながらも、まるでオセロゲームのようにすべてひっくり返して成功した彼の人生を「終わりから眺める」ところに、この映画の格別の抒情があるように思いました。


 

旅先で昨日の朝、新聞を見るとブルーノ・ガンツの訃報が出ていた。持参していたパソコンの中に彼の出演した「ベルリン・天使の詩」が入っていたので、帰りの機中で観ることになった。これはもうだいぶ以前に一度観たことのある映画だが、映画というものは(映画に限らず)一度観ただけでは観たことにならない、ということを痛感させられた。この不思議な映画は、いったい何だろう。いろいろと心に残るシーンがある。一度目に見落としていたところで二度目ですくい上げるように感じ入ったシーンもじつに多い。例えば、天使たちが、巨大な図書館にいる。人々は何を読んでいるのだろう。おそらく「神の言葉」だろう。ホメロスなる人物が「彼を通して世界は語られる」とつぶやく印象的なシーンがある。この場合の「彼」こそは「キリスト」なのだろう。こういうシーンは一度目にはまったく心に残らなかった。今はすこし違う。そして人間によりそう天使たちが何というかとても虚無的な表情をしている。美しい女性天使とカシエルがすれ違うシーン。一瞬だけなのだが、その女性天使が、虚無的な、表情を失った表情をしている。何というか、永遠の生命をもった天使の、その終わらない永遠さか、かえって永遠の虚無を生むのだろうか。霊となって超越することの、超越ゆえの空しさ、というものが伝わってくるシーンだった。もうひとつ、初めて観たときには意識にも止まらなかったシーン。ニック・ケイブと「Bad Seeds」といバンドのライブのシーン。ボーカルが歌っているのを観ながら、日本人女性が日本語で「このコンサートに来てよかった。あの歌い手、観客なんかまるで観てない。天国を観ているようだ」とつぶやく。こうしたシーン、すべて、人間と天使(霊)と神との密やかな交流、いわば交流でない交流、交感しない交感のようなものを描いている。こういうシーンを「宗教」と言うと何かがこぼれ落ちてしまう。そういうところも含めてあらためて感じ入った。
それにしても始まりのシーン「アルス・ダス・キント・キント・ヴァー」というドイツ語の朗読が、じつに美しい。ドイツ語がこんなにも美しいというのを、あらためて教えられる。
(追伸)
調べてみると、ブルーノ・ガンツよりも前に、オットー・ザンダーは亡くなっていた。サーカスの女性ソルヴェーグ・ドマルタンはわずか45歳で亡くなっていた。もちろんピーター・フォークも。


九州への玄関口だった門司港駅───その門司港レトロ地区の中心にある門司港駅が改修なって3月10日にグランドオープンだそうです。昨年訪れた時は改修中で外見はさっぱり見えませんでした。つい先日、門司港にいった時に見学したところ、すでにかなりできあがっていました。レストランその他の二階部分はまだオープンしていませんでしたが駅はすっかり変貌していました。なんだかいいですね。


こちらは門司港ホテル──ここもなかなか良いホテルです

門司港ホテルのロビー──最近は中国からのお客さんが多くなりました

門司港ホテルのエントランス──もうすぐ春節

アインシュタインも宿泊したという旧三井倶楽部

門司港のお薦め──三宜楼。門司港駅を降りると山が迫っています。その小高い麓あたりに、かつての門司港の繁栄の名残をとどめる大料亭「三宜楼」があります。しばらく荒れ果てていましたが、改修成って一階部分では下関のふぐ料亭の春帆楼が営業しています。また館内や二階の大宴会場などはボランティアの人が案内してくれます。 ここは良いです。門司港に行かれたることがあったら、ぜひどうぞ。


堂々たる店構えの料亭建築

ふぐ料理・春帆楼が一階で営業しています。ここはお薦め。

食事後、観光ボランティアの方の案内で、二階と三階の見学へ

80畳とかいう宴会用の大広間

ここは三宜楼から少し下ったところにある中華・萬龍。藤原新也のエッセイにはここの「ちゃんぽん」の話が出てきます。でも、ここもいまはもう営業していないようです。

中国や韓国からの留学生たちも修士論文の口頭試問を受けて合格しました。中国へ戻る学生もいますし、日本で就職する学生もいます。大学院には、日本人より外国人のほうが多くなりました。これも時代の流れでしょうか。


建築における人間工学ははたして「進歩」しているのか?むしろ退歩しているのではないか。そういう根源的な疑問をいだかせる新キャンパスです。移転してはや半年。いまだに迷子になります。いや、これからも迷子になりつづけるでしょう。なにしろでかいうえに窓がない。東西南北の見当識が失われる。どちらに行ったらどこにたどり着くのか。なんでこういう「シャイニング」の迷路的なものを作ってしまったのか。腹立たしいかぎりですが、もう直らないでしょう。なんでこんなことになってしまったのか。


箱崎の旧キャンパスの建物も前後左右見分けのつかない、初めて来た人たちにとっては迷路のような建物でした。でもあれは50年も前の戦後復興期のもの。今度のものは時代のせいにできませんね。なぜ同じ過ちを繰り返すのだろう。


私たちの周囲には建築学科の先生方など優秀な建築の専門家が多いのですが、皆さん、意見は言ったかもしれませんが、関わっていません。国立大学法人のさだめなのでしょうか。競争入札になるので、無個性で、全国共通仕様の、コスト重視の方向へとひっぱられるのですね。どこにでもあるような病院のようで無個性な、そこで学ぶ学生や仕事をする当事者たちの意見を聞くことなく、使い勝手にも無頓着な、「公共」建築物が、またひとつ、できちゃった、ということでしょうか。

「桂離宮」を教えられたのは日本に亡命していた建築家のブルーノ・タウトからである。タウトは私の故郷・高崎のお寺に仮寓していた。タウトは桂離宮を来日の直後に訪ねたという。そして日本の美の極致として激賞した。私もいつか訪ねたいと思っていたが思いのほか敷居が高く、なかなか予約が取れない。昨年秋にも申し込んだがだめだった。近年はネット上から申し込みできるので、日にちや時間をかえて何十回も申し込んだが、だめだった。先日、関西で科研のミーティングがあるので、再び申し込んでみたら、とれた。厳寒の平日だったからだろうか。寒気がやってきて各地で大雪の予報が出ていた。京都の桂も寒かった。20人のツアーで1時間ほど、離宮内の庭園と茶室をめぐる。なるほど、こういうものだったのか。残念ながらタウトの激賞した書院のほうは外見だけなのたが、茶室にも、凝りに凝った意匠が満載。この細部への注力というのはどういうことなのだろう。日本のバロックなのだろうか。バロック的なごてごてならざる、簡素だが、しかし細部に極度に凝っていくという日本的なバロックなのだろうか。これをつくった八条宮は、かなりというか相当に変わった人だったのに違いない。でも、こういうものが作れる時代もあったのだな。


例年のように、4年生の卒論発表会のあと「追いコン(追い出しコンパ)」がありました。移転したあと、初めての追いコンです。姪浜駅近くの居酒屋を借り切って40人くらい集まっての大コンパ、ほとんどの学生とは、話すこともできませんでした。それくらい大盛況でした。


今年は、例年(これまでは3月でした)よりもずっとはやく1月29日に卒論発表会を行いました。新キャンパス初の卒論発表会です。私の指導した4人の卒論は、どれも高水準だと思いますが、「半構造化インタビュー」という言葉の実質があるかどうか、インタビュー対象者をただ自動的にAさん、Bさん、Cさん方式で仮名にする意味はあるのか(想田和弘の問題提起のように、仮名にするのは作り手・書き手を守るだけ、おまけにインタビュー内容に緊張感を失わせる、読む方も具体性を感じられず、誰でもいいようなインタビューに思える)、これまでにない新しい現象や動きを見つけたとして、それを「~でない」という否定型的にいうだけでは、発見した「やった感」がないので、もっと独自のネーミングなど工夫したらよかったのに、などというアドバイスをいたしました。次に続く3年生にも、ぜひ、頑張ってほしいと思います。