From the monthly archives: "9月 2018"

「世界社会科学フォーラム」(WSSF)の初日、福岡国際会議場は入場する時から異様な雰囲気でした。厳重なセキュリティチェックがあり、事前登録以外は入場禁止、IDで身分確認。厳戒態勢のせいか、入ったとたん大きな会場は閑散。午後のセッションをなんとか無事に終えると参加者・報告者全員が3階のメインホールに集められました。「皇太子ご夫妻がご臨席されます」「これからセレモニーが終わるまでホールに入ることも出ることはできません」。国際会議場じたいがロックされ、SPが要所要所をかためてこちらを睨みつける。「動画や写真撮影は禁止です」。こういうメッセージがすべて英語。セレモニーが始まるとすべての挨拶が「ロイヤル・ハイネス云々」から始まる英国王室調。皇太子の挨拶もふくめてすべて英語でした。ふう。初めての経験でした。


シンガポールのタン・レンレン教授、タイやオーストラリアの参加者とともに

 

1995─セカイ系の始まりと崩壊

福岡市総合図書館シネラで石井聰亙監督の「水の中の八月」を観る。じつに不思議な映画であった。前半は高校生の青春恋愛映画、ちょっと「桐島、部活やめるんだってよ」的な展開なのかと思わせるが、中盤からおかしなオカルト的な要素が侵入してきて、やがてセカイ系へ変質していく。若者の恋愛がセカイを救うというセカイ系だ。まるで「君の名は。」だ。いまでは珍しくないかもしれないが当時は仰天ものだったのではないか。主人公は明らかに精神の異常をきたしているのだが、ボーイフレンドや周囲も彼女に共振してくる。物語のセカイ系的変質とともに映画がみるみる破綻していくのは鈴木清順の「悲愁物語」にそっくりでもある。主人公が悲愁物語の白木葉子そっくりになってくる。不思議な失敗作なのであるが、最後まで観てしまった。福岡市でロケされていて「あそこだ」的なご当地映画なことも一因だが、いろいろと考えさせられるのだ。破綻しているがゆえに、かえっていろいろなことを考えさせる映画になっているのだ。
まず、1995年という製作年に留意すべきである。「オウム事件の直前」である。そういう時代が刻印されている。そもそもオカルト的になっていくのも「ムー」という雑誌の影響なのだ。これ、オウム事件のあとだったら、けっして制作できなかっただろうし、公開されることもなかっただろう。オウムの前後で、オカルト、精神世界、世界を救う、というテーマ系がはっきり断絶するのである。
今となっては1995年前後の、オウム的な世界観の若者世代への跋扈が、想像しずらい。でも、当時はこんな映画にまで影響を及ぼしていたのか。驚きである。
その他、いくつか印象的なこと。草刈正雄、荒戸源次郎、天本英世などが出演している。荒戸源次郎は福岡高校の理科の先生役で不思議な味をだしている。福岡つながりなのか、なんと楢崎弥之助まで出演している。「国会の爆弾男」との異名をもつ福岡の元国会議員・楢崎弥之助(すでに故人)だ。私は彼の生前、いちど、飲み会でお会いしたことがある。どこかで見た顔だと思いながら、なかなか思い出せなかった。なぜ彼まで……。じつに不思議な映画である。


先週末、日本社会学会大会が甲南大学であり、ひさしぶりに神戸・三ノ宮に泊まりました。ここは、そうです。村上春樹の初期の3部作の舞台でもあります。おぼろげな記憶で、JR三ノ宮駅の北、たしかこのあたりに映画「風の歌を聴け」のジェイズ・バーのロケ地になったバーがあったはずだが・・・と探してみましたが、みつかりませんでした。あのバーどうなったのかなと、帰福後、ハードディスクを検索して昔の写真を探し当てました。この写真、いまから11年前です。当時、CS神戸さんを訪問したときに事務局長だった国枝さんといっしょに探し当てた時の写真です。ちゃんとピンボールもありました。映画のポスターもそのままでした。先日探し当てられなかったのは残念だったなぁ。あとで調べると、ほんの一筋、間違ってしまったのでした。

(なお、村上春樹の小説の中のジェイズ・バーは三ノ宮ではなく芦屋周辺の設定でした)。


ちゃんとピンポールもありました。

証拠となる映画のポスター

今も同じでしょうか?

 

東京に出かけたおりに上野の都美術館の「没後50年 藤田嗣治展」に行ってみました。フジタといえば昨年滞在したパリ国際大学都市の日本館にはフジタの大作がふたつありました。バロン薩摩治郎八が依頼したものだと思います。藤田嗣治展はNHKの「日曜美術館」でも紹介されていたので知りました。TVでは戦争画に協力したとされるフジタのなかなかに複雑な内面も紹介されていました。軍医の子として生まれ、パリで初めて認められた日本人画家として、狂乱の時代を過ごし、戦争に翻弄されながらも思いっきり転変していったフジタは興味深い人物だったと思います。精神的には不安定な人だったかもしれません。展覧会を見ると、初期からかなりの達筆だったことが分かります。それよりも展覧会を実際に見ていくとTVやWebで紹介されていた作品よりも他に、はるかに引き込まれる作品が多くあることが印象的でした。TVなどでは感じなかったことですが、輪郭線を墨でほそく描く技法は、じつはマンガの先駆者のようにも思われました。じつにポップです。裸婦が必ず傍らに猫をはべらせる構図も、何というか、俗っぽくて分かりやすい。下地に工夫をこらした乳白色も、あえて不思議に調和をゆがめた構図を浮かび上がらせています。裸婦で評判をとったあと世界放浪、戦争画のあとは日本と決別してフランスで宗教画を制作して死ぬという人生も、映画的ですね。フジタにはこのようなポップな特徴があったので人気を博し時代の寵児になったのでしょうか。TVやWebで紹介されていたのとは違う印象をうることのできた展覧会でした。会場は満員の混雑でしたね。http://foujita2018.jp/
(写真は数年前、パリ国際大学都市・日本館に滞在していた時に撮影したフジタ)


パリ国際大学都市・日本館がほこるフジタ

日本館の入り口にあるフジタ。名だたる仏文学者たちの多くがここで留学生活を送った。

訃報
NPO法人はかた夢松原の会・名誉理事長で元NPOふくおか理事長でもあった川口道子さんが老衰のため、9月15日午前10時半ころ、亡くなられました。享年97。大往生ですが、代わりになる人のいない、偉大な方でした。


2014年の新春の集い。川口道子さんが公式の会にお見えになった最後の会だったと思います。

2015年に老人ホームに入居中の川口道子さんをお見舞いした時の写真です

書評論文としてこの夏に書きました「介護保険と非営利はどこへ向かうか───小竹雅子『総介護社会』(岩波新書)を読む」が、認定NPO法人・市民福祉団体全国協議会のホームページに掲載されました。全文を読んでいただくことができます。http://seniornet.ne.jp/2018/09/03/5915/