From the monthly archives: "2月 2024"

「かまきん(鎌倉文華館)」訪問
東京で認定NPO法人の理事会に出席したあと翌日、鎌倉を訪問してきました。「かまきん」と言われた神奈川県立近代美術館鎌倉館がリニューアルして「鎌倉文華館」になったと聞いたので。ここは、ル・コルビュジエの弟子だった坂倉準三の設計だそうで、なかなかモダンな建物です。よく残してくれたと思います。敷地の横にあるカフェには、あの鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏(2010年倒木)の切り株も展示されています。これは間近に観ると、凄い迫力です。


韓流スター チャン・ドンゴンと行く 世界「夢の本屋」紀行──こういう番組がNHK・BS4Kで放映されています。なんだかちゃらちゃらした番組名でいやだなぁ、と思いながら録画してあったのを観てみると、これが良いのです。日本のものでなく韓国制作の番組の吹き替えらしいのですが、世界的な本屋の衰退に、どう対抗するか、そのヒントを世界に探しにいく、という壮大な番組コンセプトです。しかも、オランダにある「夢の本屋」は、何度も倒産して、経営も代わって、そしてなんとか受け継がれてきた。そういう困難なドラマもしっかりと語られています。これにはうなりました。いまの日本で、こういう番組が作れるでしょうか。


ボストン・シンフォニーの小澤征璽
もう20年ちかく前のことになります。ボストンで数ヶ月、在外研究していたとき自転車を買ってボストン市内を走り回っていました。主に大学や図書館や食料品の買い出しのためですが、ボストン・シンフォニー・ホールにもよく通いました。小澤征璽さんはすでにボストンを退いていて聴くことは出来なかったのですが、ホールには若々しい写真がありました。このホールの最前列でVnのギドン・クレーメルの演奏を聴いたこともありました。思い出深いですね。


 

 

イタリア・ネオレアリズモ映画を観る──無防備都市と自転車泥棒
ボローニャの財団が修復したというイタリア・ネオレアリズモ映画2つ(ロッセリーニ監督の「無防備都市(1945)」とデ・シーカ監督の「自転車泥棒(1948)」)を初めて観ました。今みると、どちらもリアリズムというよりは、戦後の濃厚で過剰なまでの人びとの活動的な姿が際だっています。とくに「自転車泥棒」には驚かされました。第2次大戦で敗戦国となったイタリアの貧しい人たちの間で盗難や闇市のような盗品売買が行われていた中でのドラマです。唯一ともいえる財産の自転車を盗まれた主人公が、まるで常軌を逸したといえるような執念で盗人の追跡を行う映画です。大切なものを盗まれた人が執念ぶかく盗人を捜し回るのですが、やがてそれが自分よりも貧しい人たちの行為であることを知ります。しかしそれには構うことなく貧しい人たちを強引に徹底的に追求していくその姿には常軌を逸した鬼気迫るものがあります。同時に、これはたんなる盗みや泥棒を描いているのではない──という気がしてくるのです。どこまでも泥棒(単数というより盗人集団というほうが当たっていると思います)を追求していく主人公が、最後には自分も盗人になってしまって……という展開は展開として、これはたんなる自転車の泥棒ではない。貧困に追い詰められた人も、たんなる貧民ではない。これは「良心の盗難」を描いたものではないか。つまり「ファシズム」による「心の盗難」のメタファーではないか、と思われてくるのです。ロッセリーニのほうは、レジスタンスの主導者の人たちの過酷な運命を描いています。デ・シーカのほうは、最下層のさらにまた下層の人たちを描いています。ロッセリーニのほうでは「良心」はナチスの拷問にも拘わらず負けません。デ・シーカのほうは貧困に負けてしまう庶民の姿を描いています。戦争直後にはレジスタンスの誇り高き人びとを英雄的に描く必要があったのでしょう。それから3年後、なぜ皆が熱狂してファシスト党を支持したのか。それを支えたのは貧困層でもあったし、ごくふつうの生活をしていた自分たちだったのではないか、そう問いかけているかのようです。


加藤周一、座頭市を語る
ジブリから出ていた「日本その心とかたち」の特典映像に「加藤周一、座頭市を語る」が入っている。2004年4月の収録とあるから、加藤周一が亡くなる4年前、当時85歳ではなかっただろうか。
ジブリの高畑勲さん、鈴木敏夫さんらとともに、源氏物語絵巻物や、座頭市などの映画を論じる勉強会の模様だ。座頭市は(視覚障害者だから)遠くのことは見えない、分からない。「あっしには関係ねぇことでござんす」とうそぶいていながら、事態が近くで動くとじつに素早く対応する(たとえばニクソン訪中のあとの田中角栄訪中)。これこそ日本の外交の理想の姿そのものではないか、というのです。これはすごい。85歳だから、ときどきエンジンがうまくかからない時はある。しかし一度走り出すと、そのスピードやカーブの切れやコーナリングなど、往年のスーパーカーもかくや、というほどの快感だ。「日本の行くべき道は座頭市」というのも、じつにひねりがきいている。言われてみればジブリのアニメも「源氏物語絵巻物」から連綿とつづく「今、ここ主義」の伝統の中にあるのだなぁ。