From the monthly archives: "11月 2012"

九州大学中庭の櫂の樹、いよいよ、落葉がはじまった。
落葉というのは、樹が、意を決して、葉を切り放つことのようだ。樹にも意思があるのだろう。
夜、その姿をフラッシュを焚いてとってみた。夜の紅葉も、なかなか美しい、というか妖しいまでの美しさである。


きょうの櫂の樹
毎日、きょうがピークか、きょうまでがピークなのではないか、あすは散り始めてしまうのではないか、などとどきどきしながら見つめている研究室のまえの、中国の櫂の樹。きょうは、雨になるから、昨日のこれが、今年のピークの姿だったのではないか。


 夜。赤と黄色のコントラストが、よりいっそうひきたつ。

 

春と秋は、デジカメが大活躍のシーズンだ。
花と紅葉、どこが似ているか。たんに美しいだけではない。
日一日、刻一刻と、その色や美しさが移り変わっていくところ、花も葉も、徐々に美しさが生まれ、やがて頂点に達しと思うと、あっというまに消え去っていく、そのうつろい。はかなさ。切実さ。
なんだかなぁ、人間世界そのもののようで、身につまされる。
美の頂点へ向かって、少しずつ上り詰めていって、そしてほんのつかのま輝き、あっというまに失われていくさま。
私の研究室の真ん前の、中国の櫂の樹。今、その紅葉を見つめながら、はらはらどきどきしながら、シャッターをきる。
いまがピークなのではないか、いまをのがすともう見られなくなるのではないか。
そういう切実さ、切迫感に動かされて行ったことは、写真にかぎらず、社会調査でも、フィールドワークでもインタビューでも、あとにかぎりない充実感をのこすものだと思う。


博多ごまさば
晩秋から初冬にかけてのこの時期、福岡の味覚は「ごまさば」である。東京にいたときには、えっ、さばをナマで食べるの、という外国人的な感覚、ナマ魚に警戒心をいだくような感じだったけれど、博多の「ごまさば」とろりと脂がのって、じつにおいしい。これを食べると、しめ鯖、たべられませんね-。


聖福寺の境内
天気も良かった昨日(2012年11月25日)は、博多ライトアップ・ウォーク最終日でした。承天寺や東長寺など開幕前から長蛇の行列ができる人気で、ちょっとびっくりでした。私はしぶいところで、聖福寺の境内(聖福寺はライトアップされていませんが、静かで中世を感じさせます)や聖福寺に隣接する順心寺などをめぐりました。


武雄温泉と御船山楽園
学園祭のこの時期、きゅうに冷え込んできて、紅葉がいっきにピークになる。
アメリカではこの時期が感謝祭だ。感謝祭の前に、様々な学会があるので、かつてはこの時期はアメリカの学会に出かけていたものだ(GPSとかARNOVAとか。学会に出たあと、みなさん感謝祭で里帰り、というパターンなのだろう)。
今年は、福岡ライトアップ・ウォークに留学生たちと出かけてきた。昨年は、JTW留学生たちをさそって、佐賀県の武雄温泉と御船山楽園に出かけた。とてもきれいな紅葉。かえりには武雄温泉にゆっくりつかって、ほこほこして帰ってきたものだ。


これが、辰野金吾設計の武雄温泉!

 

アメリカの感謝祭(Thanksgiving Day)
2012年11月22日は、アメリカではThanksgiving Day 感謝祭でした。
私は、これまで、三度ほど、アメリカの感謝祭を経験したことがあります。
最初は、18年以上まえ、家族でロスアンゼルスに住んでいた時に。
二度目は、10年ほどまえ、サンフランシスコで。
三度目は、6年ほどまえ、ボストンで。
それぞれ、家族で集まるディナーに招待していただき、伝統のターキー料理をいただいたのでした。
(写真は、2006年、ボストン・カレッジのジョン・ウィリアムソン教授のお宅での感謝祭ディナーにお招きいただいた時のものです。)

アメリカの感謝祭は「感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリムファーザーズの最初の収穫を記念する行事である。ピルグリムがプリマスに到着した1621年の冬は大変厳しく、大勢の死者を出したが、近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族の助力により生き延びることができた。翌1621年の秋は、とりわけ収穫が多かったため、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる」そうです。
サンクスギビングの食事といったらターキーです。
「伝統的な正餐のメインディッシュとなるのは、角切りにしたパンを用いた詰め物(「スタッフィング(stuffing)」)をした大きな七面鳥の丸焼きである。切り分けた七面鳥にグレービーソースとクランベリーソースを添えて供する。副菜には、マッシュポテトとグレービーソース、オレンジ色のサツマイモの料理、さやいんげんのキャセロールなどが一般的である。デザートには、アップルパイやパンプキンパイが供されることが多い」とありますが、ボストンのサンクスギビングは、まさにこの正調の感謝祭料理だったのです。


博多ライトアップ・ウォーク
今年も、昨晩(11月21日)から始まった「博多ライトアップ・ウォーク」、留学生や海外から来られた先生方と、さっそく行ってきました。
ベルギー、スロヴァキア、イギリス、アメリカ、中国・・・いろんな国からやってきた人たち。共通点は「アジア通」「日本通」。日本文化専攻の大学院学生やその先生たちだから。
だから、夜7時から歩き始めて、わいわいがやがや、みんないろんな蘊蓄を語りあいながらそぞろ歩くと、2時間歩いて、たった2寺しか廻れなかった。チケットは4寺コースだったのに(そのほか8寺コースもあり)。それだけ楽しかったということですね。


 

社会学文献案内

大澤真幸 『動物的/人間的』 弘文堂(現代社会学ライブラリー)

動物と人間とは、どこがどう違っているのだろう。
進化論の教えるところでは、それは連続線だという。現代の生物学では、動物も人間も、遺伝子の乗り物であって、個体は遺伝子に操作されているだけだとする(ドーキンスなど)。
では、動物と人間との分かつ境界線は、何なのだろうか。
これまでの社会理論は、それを「インセストタブー」(レヴィ・ストロース)としたり、「言語」(吉本隆明や橋爪大三郎)としたり、「シンボル」としたり、様々な理論があった。
大澤真幸の新著は、ドーキンスの「利己的遺伝子」論や現代社会生物学の「包括適応度理論」などを批判的に乗り越えようとした真木悠介の「自我の起源」論をさらに独自に発展させようとするものである。
そのさいに、サル学や最新の生物学の進展などをふまえ、縦横無尽にこれまでの「常識」に切り込む。まさにスリリングな思考の挑戦の醍醐味がある。4巻本として予定されていて、まだその最初の第一巻なので、この先、どのように展開していくのか、まだ全貌は現れていないが、きわめて挑戦的な一冊である。後半にある「なぜ人間の赤ん坊は、うつぶせでなく、仰向けに寝るのか」「なぜ人間の眼は、白目があんなに大きいのか」といったところから、動物と人間とを分かつ一線に迫ろうとするところなど、じつに面白くて、自然にわくわくしちゃいませんか。


夜の博多の寺町めぐり
灯明ウォッチングから派生した「博多ライトアップ・ウォーク」が始まります。
今夜は、海外からの留学生やG30の先生方やそのご家族など13名と夜の博多の寺町めぐりの予定です。
*写真は、2年前におなじく留学生13名と歩いた時の写真です。