From the monthly archives: "3月 2021"

私の新著『21世紀の《想像の共同体》─ボランティアの原理 非営利の可能性』(弦書房)が出版されました。amazonや紀伊國屋書店Webストアなどでも注文可能になりました。コロナ禍の状況を考える糸口として映画「アラビアのロレンス」のワンシーンから考え始め、「有償ボランティア」は矛盾しているのか、ボランティアにとってNPOとは何か──それらを、ジョニ・ミッチェルの「ウッドストック」の歌詞を読み解き、「風の谷のナウシカ」の「キツネリス」のメタファーへと至る、というかなり飛び跳ねた展開の本になりました。いやいや、けっこう真面目な本なのですが。


先日の老健事業報告会をオンラインで聴いていただいた方から、たいへん、うれしいご感想をいただきました。


  • ──この報告会に参加しましたが、大変興味ある報告に出会いました。九州大学の安立清史教授の有償ボランテイアに関する研究です。ハンナ・アーレントの「人間の条件」──人間には「労働・仕事・活動」の3レベルがある。「仕事」には自己実現や「生きがい」がある。ところが現代のグローバル資本主義の世界ではすべてが「労働」になっていく。「労働」だけになっていく世界に対して「仕事」(生きがい、やりがい、たすけあい)を回復していくには、どうしたらよいか?「労働」だけでなく、「仕事」や「活動」を回復していくためのひとつの方法が「有償ボランテイア」の中にあるのではないか。というものでした。
    いかがでしょうか、私はこの報告を聞いて救いのようなものを感じました。助け合い活動への参加をお願いして多くの説明会をしてきましたが、みなさまの心に届くものが見つかりませんでした。これからは、これをたよりに有償ボランテイアをお勧めしていきたいと思っています。──

3月25日には福岡会場での厚労省老健事業(認定NPO法人・市民協主催)の報告会でした。アンケート調査によるNPOとボランティアの因子分析(6因子)と「有償ボランティア」の新しい意味づけについて報告しました。後者は、ハンナ・アーレントの「労働・仕事・活動」という3分類を「有償ボランティア」の意味づけに大胆に応用するという私独自の解釈なので、初めて聴いた人には分かってもらえたでしょうか。


3月24日は九州大学の卒業式でした。4年生とはずっとオンラインの卒論指導だったので一年ぶり(以上)のご対面でした。誰にとっても長くつらい一年だったと思います。卒業できて良かった。これからの飛躍を記念します。


開花宣言からちょうど十日。福岡のソメイヨシノは22日に満開になりました。晴れた日の夕方、ちょうど良い光がさす時間帯に福岡城の桜を撮影にいきました。


ソメイヨシノと山桜の饗宴

これは福岡城の枝垂れ桜です

認定NPO法人・市民協とともに昨年一年かけて取り組んだ厚労省・老健事業の報告書ができあがりました。このほかに15人のトップリーダーにオンライン・インタビューした記録集も来週には出来上がる予定です。私は、NPOボランティアの因子分析と「有償ボランティア」をどう位置づけるか、意味づけるか、というパートを担当しています。


先日、認定NPO法人・市民福祉団体全国協議会による令和2年度・厚労省老健事業報告会が、虎ノ門法経ホールの会場と全国の市民協の会員の皆さんへのオンライン会議で開催されました。研究委員長をつとめた私も、福岡からオンラインで参加・報告しました。質疑応答では、なかなか熱のこもったやりとりもありました。充実した報告会だったと思います。3月25日に、福岡でも開催されます。


津野海太郎さんの「読書の黄金時代は終わった」という宣告もションキングでしたが、最近でも友人から「電子書籍の時代です、大島弓子の本も紙媒体では入手できないです」と知らされました。あの大島弓子でさえか。もうすぐ紙媒体の書籍を上梓する私としては、大きなショックです。事態はそこまで来ているのか──でも思うのは、アナログ・レコードのことです。CDが出て、あっというまにレコードは消え去りました。ですが、どっこい生きています。むしろ再ブームと言ってもいい。最近の人気ラジオ番組「村上Radio」でかかるのは、もっぱらアナログレコードですね。むしろCDのほうが音楽配信に押されて消え去りそうです。さて紙の本は、どうなるでしょうか。


考えてみると高校生の頃から、自宅で勉強した記憶があまりない。高校、大学、大学院、留学中や在外研究でも、ほとんど居場所は図書館だった。ボストンにいた頃はバックベイに小さなアパートを借りていたので、毎日、ボストン公共図書館に通っていた。こういう公共図書館は、まず日本にはない。そもそも公共図書館と公立図書館とは違うのだ。
さて、昨年の本も、今年出す本も、ほとんど福岡市の図書館で執筆した。どうしてなのだろう、自分でも不思議だ。自宅や研究室のような個室では原稿が書きにくい。思うに、広い空間(とくに天井が高いことがのぞましい)、見知った人がいないこと、匿名の第三者がいること、などの条件が必要なのだろう。それらが執筆に必要な、緊張感と集中力と持続力、を与えてくれるからではないか。個室に一人でいると、ぐだっとなってしまう怠けものなのだ。


夜のボストン公共図書館─幻想的です

私たちが昨年一年間かけて取り組んできた厚生労働省・老健事業の報告会があります。これはコロナ禍の影響で、委員会などの会議はすべてオンライン。識者やNPO団体へのインタビューもすべてオンライン・インタビュー。専門委員会で調査票をつくるのもオンライン会議。さらに報告書作成もオンライン。おまけに報告会も半分はオンラインになりそう……というオンラインづくしになりました。やむを得ませんね。でも、オンラインだと時間と場所の制約なく、多くの方々にインタビュー協力していただけて、それなりの成果を出せたのではないかと思います。


最新の「村上ラジオ/怒涛のセルフカバー」を聴いていたら、思わずのけぞってしまうような超弩級のセルフカバーが出現しました。なんと、アストラッド・ジルベルトが、来日した時に自ら望んで「日本語で吹き込んだイパネマの娘」です。こ、これは……。思うに、この超弩級のセルフカバーを聞かせたくて村上春樹は今回のプログラムを組んだに違いない!