From the monthly archives: "4月 2016"
このたび出版された『ぼくらは未来にどうこたえるか』(左右社)は、2013年に福岡で開催された、東日本大震災のあとの社会構想を考えるシンポジウムの記録を深めたものです。2013年は「あまちゃん」が放映された年ですが、民主党から自民党へと政権が転換する時期にもあたっていました。今から考えると大きな時代の転換点でした。
「あまちゃんからあべちゃんへ」という移行でした。せっかく「地元」へと目が向き、「地元以上の地元」をめざすという流れが出てきたのに、政権が代わると「地元」ではなく「地方」へ、そして「地方消滅」(2014)という見方へと逆流していきました。その後は「地方創生」と称して中央が地方を選別して指令する方向へと逆行しながら縮小しました。これでますます地方の消滅は加速するのではないかとも思います。
このたびの熊本大震災はたいへんな災害でした。今こそ、もういちど、震災後の社会構想を考え直したいと思います。

左右社


ぼくらは未来にどうこたえるか3

大学の最終的な移転がしだいに近づいてきました。すでに理系キャンパスは、ほとんど移転が終わって、がらーんとしはじめています。桜の満開のシーズン、この理系キャンパスの満開の桜のもとで、別れを惜しむように、花見の宴が催されていました。この見事な桜も、これから移転に向けて、どんどん切られていくのです。人間の無情と身勝手さを感じますね。


Collage_移転

姜尚中さんと橋爪大三郎さんの対談を「多士済々─悩みの海をこぎわたれ」というポッドキャストで聞きました。大先輩の橋爪さん、『日本逆植民地計画』という本を出されたのだとか。え、やれやれ、これは、とんでも本じゃないかなぁ、橋爪さん、ラディカルすぎて、ときどき平気な顔して人をぎょっとさせるからなぁ、などと思って聞きましたが、意外や意外、すごく考え抜かれたまじめな本のようです。これは、ぜひとも読んでみよう。


姜尚中 橋爪大三郎

もう桜がちったのも1週間も前のことになってしまいました。時の流れは、はやいですね。
今年は、ソメイヨシノは日本一早い開花だったそうです。でも、シダレサクラがとても寂しい咲きぶりでした。花芽も少なく、樹勢が衰退しているように思えます。温暖化して桜の季節が変動しているせいでしょうか。大濠公園の中にある黒田如水邸跡などにある「滝桜」の子孫も元気がありません。岐阜の「薄墨桜」もあっというまに散りおちていますが、すこしも「薄墨」色にはなりません。山桜も、地味なせいか、本数も少なくなって目立たなくなっています。全体として見ると、ますます「ソメイヨシノ」一色の華やかですが単調な桜世界になっていっているように思います。ソメイヨシノは、たしか、クローンのはずだから、ある日、あるとき、一挙に全滅、などという悪夢が来ないことを祈りたいと思います。


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昨年の3月末から4月はじめにかけて、ちょうど今頃でした。桜が咲き始めた直後に日本をはなれ、ベルギー・ブリュッセル郊外のカトリック・ルーヴァン大学にいっておりました。あれから一年後の今年はサバティカルなので、ルーヴァン大学に滞在して、その中世のベギン会修道院の世界遺産にも指定されている大学のゲストハウスに滞在する目的で見学にいったのです。あれからちょうど一年、激変ですね。今まさにブリュッセルはテロリズムの脅威にさらされて厳戒態勢の中です。15年前、アメリカに行く準備をしているところに9.11が起こったことも思い出します。21世紀は、自由に見えて自由ではない、グローバルのように見えてグローバルになったのは不幸だけなのか。


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ブリュッセル郊外にあるカトリック・ルーヴァン大学。小さな中世の街。中世からの修道院が大学になったそうです。

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これが世界遺産にも指定されているベギン会修道院の僧院、いまは大学のゲストハウス。

午前から午後にかけては家にこもって年度末の論文原稿を執筆しています。今年は、調査研究データなどの紹介もふくめて4本書いています。で、息抜きのために、外に出ると桜が満開なので、心が浮き立ってしまって、ついつい散歩の時間が長くなります。桜のピークは短くて、あっというまに過ぎ去っていって、はや、散り始めでした。


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昨日の夕方、福岡城の天守跡に上ってみました。城の頂から見下ろすと、城内は息苦しいほどに桜、桜で埋め尽くされています。すごいものですね。
また、大濠公園には多くのお店や露店・屋台が出ていますが、なんと、お客さんの半数(かそれ以上)は外国人観光客なのでした。平日の午後だったからかもしれませんが、かつてなかったことだと思います。


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これがピークだ、ということを、その時その場で分かるものなのだろうか。わかる、というのが桜を見ていての実感だ。でも、人生や家族や社会のことでは、それは容易に分からない。だからこそ、生のピークが見える、それをまざまざと実感できる、桜の盛花というものに、人はどうしようもなく惹かれるのだろうか。


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福岡でも桜のピークがあっというまにやってきて、あっというまに過ぎ去ろうとしています。波がきて、波が去って行くという、このリアルな喪失感・痛切感もまた、桜の良いところではないでしょうか。今がまさにピークだ、今しかないのだ、と急かされるようにして写真を撮ってしまいます。撮っても撮っても撮りきれないし、ほんとうに大切なものは写せないことも分かっているのですが・・・
(福岡城=舞鶴城の上から見下ろしたグランドにある桜がじつに見事です。桜というのは下から見上げるのがふつうですが、上から見下ろす桜にもなんとも言えない艶のようなものがあります)


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