From the monthly archives: "5月 2017"

正確には20年と半年ぶりでしょうか。この日本社会事業大学(清瀬キャンパス)を離れて、九州大学に赴任したのが、1996年10月でしたから。
それ以来となります。なんだか懐かしいなぁ。でも、ほとんど変わっていないなぁ。しかし、やっぱり20年の年月が経っているのだなぁ。木々が一段と大きく野性味を帯びています。珍しいゴマダラチョウなどが輪舞しています。真夏にはもっと野生の世界になるのでしょうね。そして、日曜の午後など、ほとんど学生も人影もなくなって、しーんと静かになるところも、20年前と変わりません。隣接する土地に、巨大な新しい国立東京病院が建っているのにも、びっくりしました。このあたりは病院地区ということで、救世軍の病院など、たくさんの病院群があります。かつての結核療養所の跡地だからでしょうか。20年前までは、花小金井の官舎からクルマで通っていたから、清瀬駅にはほとんど縁が無かったのですが、今回、関西学院大学の白波瀬達也さんから、清瀬にはディープな時計屋さんがあるとか、いろいろと教えられました。また来る機会があったら、この清瀬界隈を探検したい。ジブリの宮崎駿さんが、もののけ姫でテーマにした「国立療養所多磨全生園」もこの近くのはずです。


先週、福祉社会学会大会が開かれた「日本社会事業大学」は、現在は清瀬の土地にありますが、20数年前までは都心の原宿にありました。そして、私が初めて勤めた大学、20年前まで勤めていた大学です。大学院をおえて初めて就職したこの大学は、当時、原宿の竹下通りを下ったところにある不思議な大学でした。それは「日本一小さな」(何しろ一学年百数十人のみ)「国設民営」(国の土地建物だが運営は私学法人)の「ソーシャルワークの単科大学」という不思議な存在でした。そもそも原宿のキャンパス建物じたいが「海軍の博物館」だったものを大学にしたのです。GHQが接収して、二度とファシズムが勃興しないよう、日本政府に社会福祉を教える大学の設立を命じたものだと言われています。文部省はそれを断わったので、旧厚労省がやむなく引き受けたといわれています。当時から、社会福祉と文科省とは、そりがあわなかったのですね。私の研究室は、中二階にあり、古地図をみると「東郷元帥遺品室」とありました。遺品の陳列室だったのです。入り口の空間には、零戦が展示されてあったともいいます。魚雷の模型も、くちはててすみにおしやられていました。極めつけは、いざというとき、この博物館の地下から、秘密の通路が明治神宮までほられている、というものでした。ほかにも、旧海軍の宝物が隠されているはずだとか、いろいろな噂(というか都市伝説?)がありました。(余談ながら、この秘密通路は、後にじっさいにあったことが証明されました)。なつかしいなぁ。その後、中曽根民活で、都心の一等地ということで売却され、この原宿キャンパスは、いまや跡形も無く、セコムかなにかの巨大なビルに建て変わってしまいました。隣接していた「東郷女子学生会館」も消滅してしまいました。猫がたくさんいる、都会のオアシスだったのですが。いまは昔となりました。


九州大学安立ゼミにゲスト・ティーチャーとして、NPO法人・宮崎文化本舗の石田達也さんに来ていただきました。テーマは、熊本地震におけるNPOの支援についてお話しいただきました。その後、ランチタイムの時間には、学生も弁当持参で、様々な質疑応答に答えていただきました。このあと、石田さんはクルマを運転して、はるばる宮崎までお帰りになりました。夜には歓送会があるそうです。タフですね、超エネルギッシュですね。


例年は、進学してきた2年生だけが参加するゼミですが、今年は「「地方消滅」の社会学」と題して、熊本や宮崎などへのフィールドワークやゼミ合宿を行うこと、などを掲げたところ、なんと社会学の3年生や4年生からも、21世紀プログラムや経済学部からも参加者があって、なんと総勢34名となりました。すごいですね。そこでゴールデンウィーク中にもかかわらず(5月1日)ゼミの懇親会を行いました。参加者は16名でしたが、それでも、けっこう多いですね。


九州大学社会学の安立ゼミに、NPO法人・宮崎文化本舗の井上優さんにゲスト・ティーチャーとして来ていただき、宮崎県・県社協・NPOとの連携による熊本地震被災地への支援について、熱く語っていただきました。学生たちも、いろいろと質問しました。