【座頭市と日本社会】

正月に二つの「座頭市」映画を見た。たけしの座頭市と勝新太郎の座頭市(はたくさんあるのでその第一作「座頭市物語」)。
なぜかというと、「座頭市は日本社会をするどく象徴している」という説があるからである。
座頭市は眼が見えないから、遠くの世界のことは分からない。
しかし、そのぶん聴覚や触覚はするどく、身近に危険が迫ると、眼にもとまらぬ早技をみせる。
これが、まさに、日本社会そのものを象徴している、というのだ。
遠くの大きな世界のことはよく分からないし、あんまり関心もない。
でも、身近な世界のことは、きめ細かく、濃密に知っているし、すぐに反応して大騒ぎになる。そして文化的には、敬語や儀礼、丁寧な手仕事、小さな細工の最高度の洗練。いわば日本文化の粋のようなものが、まさに「座頭市」の世界と相通じているのだと言う。
へぇぇ、なるほどなぁ、そうだったのか、と思いました。
私はこれまで任侠映画は関心の枠外だったんですが、さっそく借りてきて見てみました。
なかなか面白いなぁ。もっといろいろ考えたけれど、それはまた次にでも。


座頭市

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