2012.05.14 毎日新聞メディア時評の反響がありました。

これはNHKのあるディレクターの方からの問い合わせについて、お答えして、私の考えを、より詳しく述べたものです。


 Tさん、私も、調査チームの一員として、現地に何度もいきました。また私の指導するインドネシアからの留学生がこの問題を4年間ずっとおいかけてきましたので、その論文指導の過程でいろいろと考えてきました。
が、議論百出で、けっきょく、みんな、どう考えて良いのか、考えあぐねているようです。
この状況をみて、私が考えたことを、毎日新聞のメディア時評と、中国新聞に書きました。
それは、次のような基本メッセージです。

 ◆第1・日本の論調は一方的です。日本側の都合しか述べていません。しかし、本質的に、これは、両方の思いと人の動きが関わる相互的なものなのです。来日するインドネシア人の側にたった視点、外国側からも見ようとする視点が欠けています。
田上さんのメールも、日本側がこれだけ努力している、費用もこれだけかかった、周囲の人もみんな熱心に努力した、でも、帰国されてショックだ、という日本の受け止め方に問題を触発されたのだと思います。もちろん、多くの関係者がショックを受けたのはよく分かります。
しかしこれだけでは、日本側から見た視点ばかりです。肝心のインドネシア介護福祉士候補者の心をくみ取れていません。彼ら・彼女たちは、もう来日直後から、苦しみに苦しんできていました。それを、われわれの調査チームは、ずっと追いかけてきました。日本が、日本の都合で、日本の制度、試験とか資格とか、押しつけてきたのです。これだけの制約をかけた上で、なお、将来の定住や家族の呼び寄せなど、生活の長期的な展望はなかなか描けません。日本の政策が、受け入れに否定的・限定的だからです。このような状況の中で、このうえさらに、今後も、日本の都合にあわせてインドネシア人を縛りつづけるのは、そもそも無理なのではないでしょうか。
「合格したが帰国」というのは、これまでインドネシア人の心の奥を聞き取ってこなかった日本側への暗黙の抗議が含まれていると思います。日本側は、日本側の思いと日本側の一方的な努力のことだけを論じているが、その中に、来日したインドネシア人の視点は入っていなかったのではないでしょうか。
 ◆第2・新聞にも書いたように、日本側の外国人看護師・介護福祉士にたいする態度は、ずっと建前と本音と分裂しております。インドネシア介護福祉士候補者は、そんなこととはつゆ知らずに来日しました。希望に胸ふくらませて。
しかし、それは4年間のうちに、インドネシア介護福祉士候補者に察知されないはずがありません。日本が本心から、インドネシア介護福祉士候補者を受け入れるつもりになっていたならば、今回のようなことは起こらなかったのです。いまだに、外交上の建前や外務省・経産省の論理と、厚労省が「人手不足対策ではない」といっていることは矛盾しています。日本全体が、総論賛成・各論反対、貿易の国際化は賛成だが外国人労働者は反対、などとなっています。国際化に関して「日本固有の論理」をもちだすのがいつもです。
日本側は、本音では、インドネシア介護福祉士候補者を受け入れるつもりになっておりません。その本音のメッセージを、インドネシア人たちが4年間のうちに理解したということが、今回の帰国問題の中核のひとつなのです。私はとうぜん起こるべくして起こったと考えます。この結果を、どう考えるか、というのは日本側の問題なのだというべきです。
 ◆第3・国際化に関して、私の私見を述べれば、外国人介護福祉士を、無制限にどんどん受け入れるべきだというものではありません。また、ぜったい受け入れるな、というものでもありません。今回の貴重な4年間の経験をみて、今後に生かすべきであると考えます。
私のところの留学生が各地のインドネシア看護師・介護福祉士候補者を個別にヒアリングしたりケーススタディしてきました。その報告をみると、ほんとうに受け入れるべき、優れた資質をもつ、優秀なインドネシア人がたくさん現れています。短期間に日本語も上達し、施設の人にも利用者にも、地域の人たちにも温かく受け入れられ、モチベーションも高い人材がたくさんいました。こうした人たちこそ、最先端の事例として、礼を尽くしても受け入れるべきだと思います。また、4年間やっても、日本語もスキルも上達せず、日本に溶け込めなかった人たちもいるので、その人たちには、ざんねんですが、帰国していただくほうが良いのだと思います。その人たちの帰国後の対応やケアなども、もちろん重要な課題ですが。こういう見極めや課題の整理ができるように、この4年間の経験を、貴重な「社会実験」のデータとして、今後の外国人受け入れ政策に生かしていくべきなのです。そういう建設的な論議がなされているでしょうか。のっぺらぼうな外国人介護福祉士がいるわけではありません。適正も能力も人柄もみんな一人一人ちがった個性的な人間なのです。良い人は積極的に受け入れていくべきだと思います。じっさいに介護現場は人手不足なのですから。
ほんとうに深刻な人手不足になってから、急に外国人を受け入れようとしても、そうかんたんにはいきません。切羽詰まってからでは、良い人がくるはずがありません。追い詰められてからの受け入れというのは、最悪の選択なのです。そのことが論議されていません。
だから、この4年間の経験は、ものすごく貴重なデータだったはずなのです。何百人という個別の事例のデータを今後に生かすために蓄積されていたでしょうか。
 ところが、日本の対応は、全員を一律に扱って、けっきょく、優れた人材も、優れていない人材も、いっしょくたに扱って、本音のところ、「いまは、まだ、日本が外国人を、介護現場に受け入れる時期ではない」という強いメッセージとともに、彼らを追い返してしまったのではないでしょうか。これでは、まったく、なんのために多額の税金や関係者の努力がなされたのでしょうか。壮大な無駄づかいにして、日本は本音と建て前とが分裂していることを世界に知らしめたことにほかなりません。
この国際化の時代に、日本は変わるべきなのに、変われなかった、ということを示してしまったのではないでしょうか。
インドネシアなど東アジア諸国にたいして、日本は優秀な外国人の行くべき国でない、ということを伝えてしまったのではないでしょうか。
だとしたら、私たちが考えている以上に、これは世界に、日本の失敗を示してしまった深刻な事件なのです。
 ◆第4・私のところで学んでいるインドネシア人留学生も、このテーマを論文にしようとして、4年間、たくさんのケーススタディを行い、その結果、たいへん悩んでしまいました。インドネシア介護福祉士候補者たちは、来日早々から、ものすごく不平不満や苦情をいっていたのです。身近な日本人には黙っていましたが。このように、日本とインドネシアの間に誤解や落差が当初からたくさんありました。ところが、日本側は、日本の建前を述べているだけでした。その狭間で、現場のインドネシア人たちがいちばん悩みました。優しい良い人たちなので、あまり表に出しませんでした。しかし心では不満をつのらせていました。私のところの留学生にも、たくさんの苦情相談をなげかけてきました。私の留学生は、その矛盾とギャップの深さに、ほんとうに泣きだしていました。私がみていても、日本側は、インドネシア人の声を真摯には聞き取っていません。あくまで、日本の制度のこと、日本の法律のこと、日本の建前のことを、一方的に述べてきただけだけだったのではないでしょうか。これではだめだと、インドネシア人たちが思って、優秀な人こそ、率先して帰国してしまったのではないでしょうか。それが今回の悲劇的な事件だったのではないでしょうか。
 苦悩するインドネシア介護福祉士候補者の内声をこそ、マスメディアも取り上げるべきだったと思います。

 


Tagged with →  
Share →