建築における人間工学ははたして「進歩」しているのか?むしろ退歩しているのではないか。そういう根源的な疑問をいだかせる新キャンパスです。移転してはや半年。いまだに迷子になります。いや、これからも迷子になりつづけるでしょう。なにしろでかいうえに窓がない。東西南北の見当識が失われる。どちらに行ったらどこにたどり着くのか。なんでこういう「シャイニング」の迷路的なものを作ってしまったのか。腹立たしいかぎりですが、もう直らないでしょう。なんでこんなことになってしまったのか。


箱崎の旧キャンパスの建物も前後左右見分けのつかない、初めて来た人たちにとっては迷路のような建物でした。でもあれは50年も前の戦後復興期のもの。今度のものは時代のせいにできませんね。なぜ同じ過ちを繰り返すのだろう。


私たちの周囲には建築学科の先生方など優秀な建築の専門家が多いのですが、皆さん、意見は言ったかもしれませんが、関わっていません。国立大学法人のさだめなのでしょうか。競争入札になるので、無個性で、全国共通仕様の、コスト重視の方向へとひっぱられるのですね。どこにでもあるような病院のようで無個性な、そこで学ぶ学生や仕事をする当事者たちの意見を聞くことなく、使い勝手にも無頓着な、「公共」建築物が、またひとつ、できちゃった、ということでしょうか。

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