送別会のシーズンだ。送別会の寂しさとは何だろう。やがて自分も送別される側に回るからだろうか。送別とは一種の「楽園追放」かもしれない。ある年齢に達すると、一律に楽園追放にあう、その平等さと残酷さが、ないまぜになった定年制度。アメリカでは定年制度が廃止されたことを知ったとき、軽いショックを受けた。定年制度は突きつめると「年齢を理由として退職を強制する制度」だから人種差別、性差別と同じ年齢差別だというのだ。この論理は必ずしも私たちを全面的に説得するわけではないが、アメリカらしい論理だと思う。日本もいつか、こうなる日が来るだろうか。少なくとも、そうかんたんにはいくまい。桜はぱっと咲いて、ぱっと散るところが日本らしいという国だ。だらだらと職場に居続けることは、日本の美学が許さないだろう。みんないっしょに咲いて、みんな同じように散っていく。美しくもあり、寂しくもあり、それが日本的な悟りにも似た「諦念」なのだろうか。


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