【卒論指導】「ショー&トーク」
アメリカの小学校では「ショー&トーク」という授業をするそうです。
これは、生徒が、自宅から、何か自分の好きなもの何かをもってきて、クラスで皆に見せて、そのことについていろいろ話す、という授業だそうです。
先日、ラジオの教育番組で、これをきいて、なるほど、これは、良い、これは卒論の原点になる、と思いました。
これまで、卒論は、「シーク&ファインド」だと言ってきました。自分が問題を探偵のようになって解明していく、というのは、まさに卒論そのものだと思うのですが、じつは、これは、なかなか難しい課題だということは、先日の卒論題目検討会で、4年生を見ていても思いました。みんな、探偵になりたがってはいるが、肝心の問題を発見していない。犯人どころか、そもそも、どこに問題があるか、それを発見できていない。
問題や課題を設定し、探偵のように、それを追求していく、というのは、なかなか、そうかんたんに出来るものではない、ということが良く分かりました。
でも、これは、本当に大切だが、難しいことなんですね。

そこで、そこまで一挙にいくのは無理、という人には「ショー&トーク」というのはどうだろうかと思いました。
これは、まず、自分の好きなモノについて、自由に語ることから始まります。
ショーするためには、モノ(素材)を、眼前に示さなくてはなりません。ここは小学校らしく、具体的なモノを持ってきて、クラスの皆に示す、ということですすねね。抽象的なコトバやガイネンでは小学校では「ショー&トーク」になりませんからね。
モノをまず示すこと。ついで、それについて語ること。
これは、卒論や研究でも当てはまることではないでしょうか。
モノとは、素材や材料です。現象や社会的事実やデータや組織や人でもかまいません。つまり社会学の対象となる「素材」です。
語るとは、なぜ、このモノ(素材)に興味を惹かれるのか、このモノとの出会いのきっかけや経緯は何か、このモノのどこが好きなのか、どこが良いのか悪いのか、私はここが好きだが、みなさんはどうか、とか、モノ(素材)を媒介として、背景を説明したり、意見を述べたり、その原因や結果を考えたりと、いろいろな展開がある、ということです。しかも、独り言でなく、みんなに向けた問題提起のように発展していきます。そして回りのみんなが、またそれにたいして反応したり意見を言ったりするでしょう。それがまた、そのモノの解釈や分析にも参考になっていく・・・
これは、まさに、卒論の「はじまり」(さらに言えば「研究」のはじまり、探求の始まり)のような姿ではないでしょうか。
(考えてみると、学会での発表なんかも、基本的にはこの「ショー&トーク」なんですね。さらにいうと記者会見なんかも、この「ショー&トーク」かもしれない。奥深いですね)

もし、卒論で考えあぐねていたり、行き詰まっていたら、まずこの「ショー&トーク」という原点に立ち戻ってみて下さい。
自分のテーマについて、それをモノや事実やデータといった「素材を示す」ことから始めて下さい。ついで、それについて語る。語る部分を、次第に展開していくと(つまり掘り下げていくと)、底には、不思議さや疑問や問題や課題が、浮かび上がってくるかもしれない。
ついで、そこに浮かび上がってきたテーマを次の段階では「シーク&ファインド」していく・・・。
どうでしょうか。
悩んでいる人がいたら、まずは、原点の「ショー&トーク」に立ち返ってみたら。


追伸

ちょっと訂正します。「ショー&トーク」ではなくて正しくは「「ショー&テル」というらしい。

ウィキペディアによると

ショー・アンド・テル(英語:show and tell)は、聴衆に対して、何事かを示すプロセスであり、その話題について話すことである。主に北米で行われる教育科目の一つで、オーストラリアでも一般的である。普通は、小学校の低学年の授業で実施され、小さな児童にパブリック・スピーキングのスキルを教えるための技術である。たいてい、児童はなにか家からひとつ道具を持って行き、みんなに「なぜその道具を特に選んだか、どこで手に入れたか、その他、関連する情報」について説明する。日本の義務教育には存在しない教育科目である。

 

 

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