先日の授業では、2013年11月16日の福岡ユネスコ協会のシンポジウムに参加した学生ひとりひとりの感想をききながら、シンポジウム内容の振り返りを行った。
まず第一にびっくりしてしまったことは、学生たちの少なからぬ人数のものが、シンポジウムに参加して、「自分たちの生き方を反省した」「自分の考え方が浅かったことを反省した」「私たちはこれから・・・しなくてはいけないと思った」とか、自分の生き方の反省と指針を、読み取ろうとしていたことでした。
これにはちょっと驚いてしまった。シンポジウムでは様々なことが語られ、様々な問題提起があり、多様なことを考えさせられたはずなのに、その中から、自分への倫理的なメッセージ、実践的な教えに限定して、くみ取ろうとした人が多かったようなのだ。
これは小学校以来の、国語の授業や、受験のための小論文のセオリーに縛られてきたからでしょうか・・・

シンポジウム冒頭における大澤真幸さんの問題提起「私たちは、いま嵐のなかで沈没していきそうな船に乗っている、しかし、乗り換えるべきほかの船が見当たらない、だから、このままでは確実に沈没することが分かっているこの船に、みんなでしがみついているのではないか」というメッセージが強烈すぎたのだろうか・・・そこで学生たちも「たしかにそうだ、これではいかん、いったいどうしたら良いのか、教えてほしい」という助けを求めるモードになってしまったのだろうか・・・でもそれはシンポジウムの目指していた方向とはちょっと違うのではないか。そういう荒海の中で行方を見失った人たちこそ、「アベノミクス」なるものに助けを求めてしがみついているのだから・・・

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