1963年は鈴木清順にとって飛躍の年であったようだ。「野獣の青春」「悪太郎」そして「関東無宿」がある。今回の回顧特集で見ることができたのはこの「関東無宿」だけだが、すでに鈴木清順色が満々である。シネラの解説にはこうある。「清順がはじめて挑んだ任侠映画。女子高生が任侠に憧れるという設定で、前半は松原千恵子を中心とする三人娘のアイドル映画になっている。中盤は小林旭と伊藤弘子による恋愛劇であり、終盤に向かうと硬派な復讐劇へと至る」。このストーリー展開だけみても、かなり不思議な映画である。なんで「任侠にあこがれる女子高生」なんだ?この女子高生、最後まで不思議なキャラクターで映画を引っかき回す。それに、より重要な女子高生役の松原千恵子は中盤以降、いったいどうなったんだ。まるで存在が揮発していくのだ。重要な人妻役である伊藤弘子も、なんだか重要なのか、そうでないのか。不思議に中途半端に放り出されていく。小林旭の賭博場での斬り合いや討ち入りも、見事な映像だが、劇画調で、なんでこういう展開になるのか不思議さを残す。そもそも小林旭が「復讐」する必然性なんか全然ないんじゃないか。これを復讐劇というは無理がある。
さらにシネラは言う。「殴り込みの場面はまさに歌舞伎のようであり、その異様な演出が公開当時話題となった。清順美学の極地であり、同時に「悪ふざけ」の極地であるような作品」と。悪ふざけ云々は、あまり感じなかったが、夜桜に花吹雪、雪の舞う殴り込みへの道行き。そして小林旭のド派手なメーク。これは歌舞伎か宝塚か。堂々と、なんのてらいもなくやっている男版宝塚歌舞伎(そもそも歌舞伎は男が女を演じる、それを宝塚がひっくり返してすべてを女が演じる、さらにそれをもう一回ひっくり返して男が女のようなメークで演じる・・・)。
しかも、90分もやって、それで大団円にならない、ストーリーが終わらない。「待たれよ、次号」的なあっけない終わり方で放り投げる。こういう、破綻感、はずし方が、独特の清順流なのか。
この映画をみながら、20年後の「陽炎座」との共通点がいくつもあることにも思い至る。まず、姉さん役の伊藤弘子。この声には聞き覚えがある。ちょっと甘えたようなそのトーン。まぎれもなく「陽炎座」における金沢の宿屋の仲居さんだ。そして彼女の家の周辺の風景、これも「陽炎座」の冒頭のシーン、鎌倉の街角そのものではないか。


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